91~100条

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第九一条 「からだに武器があるものは、武器にたよる。身に知恵あるものは、その知恵にすがる。神にすがるものは、何でも恵まれる。」


人間は、知恵という武器にすがったらいけません。達者なから神さんにすがらなくとも、よい、ちえという武器があるから、すがらんでもよい。それは大きな損じゃ。神仏に願いをかけるなれば、いかなる事でも聞いていただけるという事は、あなた方おわかりになるでしょう。そういう風に、ただ今お話し申した獅子や虎のようなものでも、自分が強いのにすがっておりますから、殺されるのです。人間は弱いから神にすがるというのが、人間の世界でございましょう。この人間の世界ができる前には、は虫類の世界がありまして、ただ今化石になって出よりますが、大きな竜とか蛇とか、四斗樽のような足や手があるのです。胴なんかは、大きな酒屋の「こが」のような胴であったと思います。そういう物が徘徊しておるような陸が、は虫類の世界というのです。そんな時代がありましても人間は、そういう体や力にすがらずして、神にすがった為にこの世界は、今人間が占領しとるわけです。
ところが今日は、神仏にすがる事は余りせないようになりかけておりますから、天とうさんは、どういう事をなさるかしりませんが、滅びる時代が近いのです。どうぞ、いかに体が達者でありましても、いかに財産がありましても人は力が弱いのでございますから、どうぞ神仏に通う、すがる、願うという事が一番強い力がもらえる。弱いから、すがれば一番強いものになれるという事もご承知の上で、ご信仰を進めていただきたいと思います。
(昭和三十四年六月二十日講話)
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第九二条 「神信心するものは、色染めをするようなもので、まず自分の色をぬいて後でないと思う色にならぬ。」


神や仏を信仰する者は、色染めをするようなもので、まず、自分の地色を抜き、白紙の状態にせなければ色染めはできない。いいかえれば神仏を信心する人は、生れもった自分のきたない人間心を抜くことが大事であります。我欲心に満ちておりますと、慈悲心の宿るところがないということになります。仏心の色染めができないということです。
今かりに、一つの瓶が、赤色の水で満たされているとしますか、もはやその瓶には他色の水を入れようとしましても、はいる余地がありません。黄色の水に入れかえようと思えば、赤色の水を全部除き、空瓶にしなければ入れることができません。自分の心を神の心におきかえるためには、自分の心のけがれ煩悩即ち貪、瞋、痴の三毒を除くことが第一であります。この我心から出る三毒をとり去ってしまえば、又除くべくつとめなければ、仏心即ち慈悲心は起ってこないということです。ちょうど天秤棒のようなもので、我心が起れば、慈悲心がかくれ、慈悲心が起れば、我心がかくれるといった状態です。
世の中に自分とよくいっていますが、その自分というものに二通りあります。その一つは、自分が自分がといっている人間的な自分というものと、他の一つは、天地に通うところの自分というものと二つあるのです。
あなた方が、 よくおっしゃっている、あの「うわ言」です。熱が高くなって、自分では知らずしていっています。その「うわ言」の中に、なかなか大した問題があるのです。非常によくわかる驚くべき力が現われております。
私は、今までに臨終の人におつきあいをいたしましたが、そのいっていますことばを聞いてみますと、将来のことをいっている場合もあるし、過去のことをよく知っている場合もあるし、いずれにしましても、目が覚めて気がついた時には、常々自分が知らないようなことを、しゃべっていることがあります。即ち天地に通うている自分がいっているのです。それは、まことに驚くべき大きな力でいっております。自分が苦しいとか、もはや助からぬとか、知っているのは人間的な自分の考えです。その人間的な自分というのを、一旦無にしてしまわないと、ほんとうの人間の力はでないということなのです。
禅宗あたりでよく大死一番といいますが、文字で書きますと、大いに死ぬとかいてあるのです。ただ、死んでしまっただけならば大死とはいえません。一旦死んで人間根性を洗いのけてしまって、生きかえったものが大死一番というのです。つまり即身成仏ということです。
もうすこし手みじかく、わかり易くいいますと、人間根性をのけて、ほんとうの神仏に通ずる大我といいますか、天地に通ずる自分の心になったならば、人間は大きな幸であります。大きなお陰を貰っていることです。これは、なかなかむずかしいようですけれども、信仰では大死一番しなければほんとうの信仰は届かぬわけでございます。
一つ例をあげて申しますならば、私の弟が京都の大学病院へ入院していました時のことですが、折々私は京都まで見舞に出ましたのですが、行く度に弟が「兄さん、今日はどの道通ってきたな。」とか或いは、今日はお土産にこういうものもってきて、廊下に置いてあるな」とか、もうそれ寝台に寝ていて、適確にあたるのです。よく知っているのです。弟の体が大分よくなりまして、寝台から下りて歩いてみようかというようなことをいっていましたから、或る日、生駒さんへお参りしまして、そして生駒さんで竹の杖を買って、京都へ見舞にいったのです。そうしますと、弟は寝台の上から、こういうことをいうのです。「兄さん、あんた今日は私に足を助けるものを買ってきてくれたな」
「ええ、そうじゃ、杖を買ってきました。」「その杖に兄さん字を書いてありませんか。」「はあーかいた。」「ところがその字が一字間違っている。」というのです。その杖は、廊下に置いてあって、まだ弟に見せてないのです。
私は心で、そうかいなーと思いました。書いた私がはっきり知らないのです。実は私が電車の中で、小刀の先で、 その竹の杖に歌をほりこんだのです。その歌は、今一寸忘れましたが、「すがって立てる杖となる。」とかいう意味であったと思います。その中の、文字の杖という字が、違うというのです。寝ていてそういうのですから、私は廊下からその杖を持って病室へはいって見てみますと、杖という字が枝という字になっていました。杖は木へんに丈という字で、枝は木へんに支で、よく似ていますが、そこが違っていたのです。
そんなことがありましたが、これは何も弟のことに限りませず、もはや死の寸前になりますと、自分というのは、 消えていますから、神仏に通うて、非常によくわかるということになるのです。それも病気がよくなれば、また消えるのでありますが、その力が現われているままで、病気が全快すれば悟ったということになるのです。人間は誰でも、臨終になると、こういう心の状態になるのです。その人間の心の賊、即ち自分というものを追い出してしまった後へはいる、きれいな自分になったら一生涯大きなお陰をいただくことになるのです。これは何も死ぬ前だけではありません。生きているままでこうすることができるのです。
つまり、神信心するものは、色染めをするようなもので、まず自分の心の賊を追い出してその後へ神仏の心、即ち仏心を宿すことです。そうなれば、正しい人としての生活ができ、引いては、世の為、人の為に益せることになるのです。これは、まことに信仰する人の大いに心掛けねばならぬという教えなのです。
(昭和三十四年七月十五日講話)
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第九三条 「よい細工物をする時には、まず刃物をよく磨くように、人もまずよい人について身を磨かねば、よい仕事はできぬ。」


主題を読めば誰もよく意味がわかると思います。よい細工物をしようと思えば、その人の腕が立派であることも大事なことですが、刃物がよくきれないと立派な製作はできないように、人も立派な人となるためには、自分の力もさることながら、やはり立派な師匠について教えをいただき、自分を立派に磨かねば世の為、人の為になる仕事はできないということです。これを信仰的にみますと、修養するということは、えらい人のいうたことをいわしてもらい、したことをさせてもらい、思うたことを思わせてもらうことであります。
泉先生は、いつも我が身を捨て、人の為に行動し、人助かれと思われ、人の助かることばをつかって、多くの人をお助けなはっています。その一例をお話ししますと、たとえばお茶の席でお菓子がでます。お客様が十人いるとして、一人毎にお菓子を出すといたします。それを食べる時分には一人一人別でありますから、各人の前に出されるわけです。そうすると、日本人は得てして悪いくずから食べる。ところが、大勢の前へお盆に盛りあげて、おあがりなさいと出されますと、おのれの欲せざるところのものを人に施すということになります。泉先生は、いつも残りのものに福があるように、悪いものから食べられる。自分のすきなものを残すということが大切である。それが施というものだとおっしゃっておいでました。先生は甘しょが好きでご座いました。それを召しあがるのに一番小さいものからあがられるのです。これを見ても自分の好きなものをのこすということを実行なさっておいでます。
又ある時泉先生が、あの津田の松原の岩清水八幡さんへ、お弟子さんの亀太郎さんをつれて、夜おまいりにおいでたことがありましたが、その山門のところへ行きますと、何か、うめき声が聞えてくるのです。先生は立ち止まってきき耳をしますと、山門の隅にお遍路さんが、寒さでこごえて、お腹がいたくて、くるしんでいるのです。その時、先生は八幡さんへちょっとおじぎをして、そして自分の帯をおときになってお遍路さんに、「さぞ寒かろう」といって、着せ与える。亀太郎さん、それを見ていると、泉先生は「亀太郎はん、お前もぬぎあたえよ。」と二人がお遍路さんにそれを着せてやりまして、お遍路さんは涙を流してお礼を申し、しばらくすると、「おかげでお腹がいたかったのがなおりました。」お遍路さんは、ひたいを土べたにつけてお礼を申しました。寒い時ですから、先生にしましても着物がなくては自分も困るのですが、そのすきな自分の着物を向こうさんへおくりものにしました。このように先生はいつも自分の好きなものを人に施していました。信仰の上の施行です。これで神様にとどくのだと申しておりましたが、このような施行なさったことは先生の一生涯にたくさんあるのです。
又先生は、よそへお参りにいく時には、いつも竹の杖をもたれております。道を通る時に草履などの鼻緒のきれたのがすててありますと、その杖で道ばたによせ、裏を表に置き直し、ぞうりに一礼していかれることがあります。
人は草履などがやぶれるとか、鼻緒がきれるなどしますと、ピンとけとばして平気ですてて、新しいのとはきかえておりますが、先生はそうした生命のない草履にも感謝の気持でそうなさったのです。こんなことをかきますと、先生にはいくらでもあります。私たちはこの先生のなさったことが、たとえ小さいことなりとも、まねをさしてもらうと
いう心掛が大切だと思います。これは先生の行動の面ですが、次にいわれたことの例を話して見ます。
私や又信者の人達を教え導びくために決して相手をおこらしません。相手に心配させるようなことはいいません。
いつも得心させ、なっとくさせて、自分でに反省させるようにして信仰に縁をつなぎ、神のありがたさをよくよく知らせます。これ先生のご人格のいたすところであります。思うことも慈悲心をもって、多くの人が助かるようにいつも念じられます。(例をはぶきます)
泉先生の日常生活の一端をおはなしいたしましたが、私たちは幸です。立派な師匠をいただいて、常に神仏におつかえできることは。
よい細工物をするときには刃物をみがかねばならぬよう、このよに極楽浄土をきずく任務を果す為には、泉先生のなしたことをまねさしてもらい、いったことをいわしてもらい、思ったことを思わせてもらって信仰で心や身をみがき、人生の目的である密厳浄土建設の大きい仕事をせねばならぬと思います。
(昭和三十四年七月十五日講話)
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第九四条 「外見善を装うて、内に悪をたくわえるものは、人の眼をぬすむ盗人である。」


外から見ると、まことにおとなしゅうて、ええ人のように見えるけれども、それは、その人がじょうずにふん装しとるのであって、その実、心のうちに、悪いことをしたいという野心を持っておる。これなどは、人の目をぬすむ盗人である。こういうことです。私はまだそういう人に、逢うた経験が少ないので、話を皆さんの前でする材料が少ないのでございますけれども、あの汽車とか、あるいは船場とかで、よくいうチボというのがございます。あのチボというのを警察の人などに聞いてみますと、二人組とか、あるいは、三人組とかいうような組で、大へんりっぱなふうさいをしとるそうです。男でありましても、女でありましても、その風さいがよいものでございますから、悪い事をするという事は、あまり人ごみの中で考えないのです。その何人かの組がすーっとおしていくんじゃそうです。
たとえば、改札口とか船の乗り場なんかで、わざわざおすんじゃそうです。押しておる間に、いろんな物をとるのでございます。そうして、とったものはあいし(仲間)の方へわたして、あいしが横へのいていく。もし何か気付かれて調べられてもそれを持っていない。こういうことを籠抜けというんじゃそうです。これはだれがみても、ちょっとわからんそうです。風彩がよいからなんら、悪い事しそうな風にも、見えんのがチボでございます。
そういうのでなくして、人の物をとるとかいうようなことを、たくらんでいる人でないけれども、いろいろ商売するのに大島紬(かすり)というのがありますが、大島、それから油、大島のつばき油です。そんなの売りにくるのに、言葉とか そういう風彩とかいうものを、まるでそんな離れ島に生まれた人のようによそおうて、その実は大島つむぎにしましても本物じゃない。にせものの大島つむぎを売るとか、あるいは、つばき油を売るとかいうようなことを、一人の警察官がつかまえて新聞にでておりましたが、これは、まことにほんとうのつばき油を売っている人に対しては、気の毒です。また本場の大島つむぎを売っている人に対しては気の毒です。またそれにだまされたというお家も気の毒でございます。これなどは人にええ人だ、悪いことをしそうな人でないということを看板に商売しとるのです。
これは悪い人のことでございますが、それなら我々はこういう物を見て、どういう心がけをすればよいかといいますと、別に風彩とか、ことばつきとか、そういうものを考えないのです。ただもう真心で、ことばがへたならへたでよろしい、また、向うさんに信用してもらいたいとかいう野心を出さずしておつき合いをする。すなわち、真心のおつきあい、下手なら下手でよろしい、ありのままのつき合いでいくこと、もとより信仰生活にはいりました場合にはそれがひとりできるようになるのです。人の心のうちには良心というつまり信仰でいいますと、仏性です。神仏がうつるところの鏡をもっているとみてもよろしい。つまりご本尊さんがその人の心の中にあるのです。
仏性、その人が、かりに悪くても、どうであってもよろしい。人には必ず、仏性があるのでございますからその仏性に対して尊敬をすると、つまり、おがみあい生活というのはそれでございます。人の悪い、良いを判断すると、はやそういうおがみあいということができないようになるのです。こんな悪い事をする人であっても、その人の心のうちには雲らぬところの鏡があるのです。この仏性といいますのは、決して悪い事をするからといって、それがくもらないのです。そうでございましょう。良心というのは、自分が悪いことしっとってしても、心をとがめています。
そのとがめとるものは、何がとがめとるのか。すなわち、仏性がとがめておる。神仏がとがめておる、とみてよろしい。その人ごとに皆仏性がありますから、その仏性をおがむ心で、おつきあいする。信仰ではそうなっとります。
ですから、外見、みえを飾って、だましてやろうとなんて、そんな事ありません。それよりも私が考えますのは、第一におつき合いする人に向かって求めない事です。この人にかわいがってもらおう、尊敬してもらおう、信用してもらおう、この自分の方に求める心さえないならば、まごころでおつき合い出来るはずです。もとめておるというと体裁を飾らんならんような事になるのです。ですから真心で人におつき合いするならば、なにもそんなに外見をよそう必要がありません。これは泉先生がおっしゃっておる事で、ありのままでおつき合いせいとこういう事をお教えになっております。
(昭和三十四年七月三十一日講話)
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第九五条 「燈明が風にあおられたら、油がはやくつきるように、心あせれば体を損ねる。」


これは、あなた方にお話しするまでもなく、提灯の中へろうそくを入れて、それに火をつけて、風が吹く時に、あなた方、上へほおかぶりさしとるでしょう。ちょうちんの上へ、今はちょうちんというのはありませんけれども、しっておいでる方があるでしょう。上へほおかぶり、手ぬぐいをかけるのです。そうすると、ろうそくがあおられませんから、ろうそくが消えない。長くもつとこういうことになるのです。
それと同様に、人間の心をろうそくにたとえましたならば、あせりますと、ろうそくの火があおるように、体が悪くなる。それでこのごろは、病院で安静、安静ということをよく言っておりますが、安静ということは病院あたりでは、体を静かにおることを安静というのは、体を静かにするのといっしょに、心の方も安らかにおるということが、ほんとうの安静です。そうしますと病気が早く直る。これは病院へおいでた方はよくご承知だろうと思いますが、病院の方では、体を安らかにせえ、安らかにせえとはいいますけれども、こころを安らかにせえとは、あまり看護婦も言いません。それで体はあの寝台の上で静かにねておりますが、心の中では、こんなことしていたらつまらん。わしがこうやって病院へ入院していたら、家の方はこまるだろうな。仕事はできているかな。あれをどんなにしているかなあ。そんな事を考えて心があせっておる。それは決して病気の養生のよい方法ではありません。
すなわち、心あせれば、体がそこねるというのはそこなんです。泉先生は、それをおっしゃっておる。これは私がお話し申すまでもなく、心があせりましたならば、悪い事がよくわかるでしょう。簡単な心配事があっても、食事がいけんでしょう。食にかかるでしょう。そういうようなもので、ちょっと心配してさえも、はや食量が減るでしょう。でおもしろく喜んでいくならば、非常に強いものです。これは昔から笑うかどに福きたるということをいいますが、笑いよるから福がくるちゅうと妙にあたりますけれども、笑うのは心が勇んでおるのです。安定しとるのです。いつも笑うという事は、人間が生活のうえで一番うれしい時に笑うのです。苦があって笑うやいうことはめったにないのです。苦労があり、つらい時に笑えるもんじゃないのです。いつもほがらかに笑える下ごこちをもっておらなければいけません。
どこへいってもよくお話しする事ですが、生き物の中でおへそ(臍)が、あるのは人間だけです。 さるがよく人間に似ておりますけれども、これも、生まれて一年くらいはおへそがありますけれども、二年くらいになりますと、はやそれが消えてしまいます。それであんた方がよくご承知の、牛や馬が生まれると、あのへその緒が落ちた後が、そのあと一年くらい形があるそうでございますけれども、はやもう二年三年となりましたら、まるっきりへその形がありません。こういうような風に、ずいぶん人間によく似た進んだ動物でも、おへそはありません。人間だけは、一生涯へそは消えません。私、年がよって、へそがないようになりましたやいうようなことはありません。
これは、おかしいのでへそがあるから笑うというわけではありませんけれども、笑うものだけにへそをくれてあるのです。これは、泉先生がおっしゃっていましたが、腹がたったらへそさすってみいよ、へそがあったら、そのこと思い出してへそがある者だけが笑えるのじゃちゅうので、笑うこと思うておうけしなさい。腹がたったら消しなさい と泉先生がそんなことおっしゃって笑われた事があります。
この笑うということ非常に体の薬になります。また生活を円満になさっとる方に笑顔のない人はありません。その標本がおいべっさん、大黒さんです。そのおいべっさん、大黒さんを福をさずかるというて、お参りするのもよろしゅうございますけれども、あのおいべっさん、大黒さんのごとく、いつも笑顔でおれたならば、福は降ってくる、と私は思うのです。ですから拝む人は、おがむ神さん、仏さんのまねをするということが大切です。 で、この九五条に書いてあることは、心にあせりがないと、体がそこねんということです。体ばかりではありません、その人の運がそうなります。それから人相、私や人相学というのは知りませんが、人相学者の話をききますと生まれつき人相の悪い筋があるとか、あるいは顔にそんな筋があるとかいいましても、信仰にはいってありがたい神様の教えを自分の日々の行動に現わしていきますと、もうその運の悪いなどの筋がきえてしもうてかわるそうです。
十年のうちには、かわるそうです。すぐには、かわりませんけれども、私が知っておる人のお話には、わし手のすじがかわった、どの易者にみてもろうても、この筋がいかんといわれた筋がきえてしもうたというお話を聞いた事があります。これは実例でございますが、人相さえもかわるとこういうことになるのです。無論その人の運もかわることは、もうまちがいありません。どうぞ、この九十五条は体が大事、それから心のもちようで、体もよくなるこれはあまりくわしい説明しなくともおわかりの事と思います。
(昭和三十四年七月三十一日講話)
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第九六条 「堅いものは毀れやすい、柔かいものは続く、柔かでも、にぶければ亡ぶ。柔でさどいものがよい。人の身体で一番堅い歯が一番早く毀れ、柔かでさどい舌が一生使えるのは ありがたいではないか。」


これは泉先生が面白うにお話をなさったことでございますが、私が達者な時に野崎へいったおりにお話に出たことでございますが、記憶にのこっておいでると思います。ある日、泉さんが私に「村木さん、あんた体の中で、どこが一番固いか。」と、「ああ先生、骨も堅いですけれども、歯が一番堅いんじゃありませんか。」と、こう申したら 「いかにもそうだ、体では一番歯がかたいんだ。そんなら、どこがいちばんやわらかいのか。」と、またお尋ねになりますから、私は「先生、舌がやりこいように思いますな。」「あーそうじゃ舌はやりこい。ところが村木さん、おかしいじゃがな、体中で一番堅い歯が一生もたずして、つい十才位からぼつぼつ抜けだしてくる。そうして、大年寄になった時分は、歯がぬけてしもうて、かわいらしい口もとになる。まあ歯の方は人間の寿命よりもはやく滅びるけれども、私、年がよりまして、舌がぬけましたというのがひとりもないでないか。」こない言うて泉先生がひいひい声でお笑いになったことがあります。そこで先生が、こういうことをおっしゃったのです。
「村木さん、この歯が早くぬけて、舌が抜けんように、これは一つの教訓じゃよ。神様のお教えじゃ。どうぞ、行ないでも、考えでも、言葉でも、堅めにしてはいかん、かたくるしいのはいかんのじゃ、柔らかく、そうしてしとやかにしておる方がよい。それは長つづきがする。舌が年が寄ってもぬけんようなもんじゃ。」と、こういうお話を私は先生から承ったことがあります。で、これは釈尊がおっしゃっとる言葉の中に、お経文の中にもありますが、人はいつも心をやわらかにしておるのがええ、で、やわらかにするというのは、人が何か話をしている時に、それと反対の議論をたてんのです。そんなこと言うたって、これはこうじゃと、理屈にあわん とかなんとかいうと堅い方になる。自分の意見と違うとった場合は、静かにきいて、そうしてあのお方は、ああいうふうに考えとると心で受けとめて黙っておればよいので、これがその、かたくないやわらかいというほうです。そうしていつもにこにこしとったら自然柔かいことばがでるのです。おこっとったら堅いことばがでるのです。で、お釈迦様はいつも柔軟の言葉を使え柔軟といいますのは、柔道の柔の字をかいてあります。柔かくて強いのです。これは、ぼやぼやしとる、やわらかいけれども、飴みたように引っぱったらちぎれん、ゴムのような柔なんというのです。で、いつも柔軟のことばをつかえとお釈迦様もおしえております。泉さんもそういうことを私は教えられました。お大師様もそういうことをおっしゃっておいでます。
これは日に日にのおつきあいの上で、柔軟というのはどういうなんか、これを具体的に覚えとりませんと使えない のです。人によりますと、ある人が何か話をすると、必ずそれに理屈をつけて反対を言いたがる人があるのです。
これは一つのたとえでございますが、あのかえるは、なかなか不思議な動物で、夏ぴょんぴょんととびまわっておりますけれども、秋がくると土の下へこもる。穴ほって、あるいは石の穴の中へはいる。石がきの穴へはいるそうして冬をこす。春がきて暖こうなった時分に、また出てくる。ところがあのかえるは、りこうなもので、土に穴を掘る場合に、その年が、ごく冬が寒い時には、穴を深く掘って底の方へはいる。又、冬が暖かい場合は、その穴を浅く掘る。こういうことをある人が言う。そうして、それを聞いていて柔軟の言葉が使えない人はすぐにこう言うのです。「そりゃそうやけんど、かえるいうたってあの寒い所のかえると、ぬくい所のかえると違う。ぬくい所のかえるは、皆浅い所でおる。寒い所のかえるは深い所でおる。そういうことになっとるのに、ほないおまはんごうたが深くおるけんたって、冬が必ず寒いにかぎれへん。寒い所のごうたは深いところにおる。」こういう一部分の話をひっさげてせっかくかえるの不思議な力をもっとることをお話しなしとる人を、こう反ぱくするのです。で、私がそれを横から聞いとりますと、なるほどその甲という人が先に話をした人が、かえるの不思議な力ということをほめて、不思議にどうもああいうかえるが、人間も知らんところの、まだきておらん冬の温度を知っておる。こういうまあ感心な話なしとる。それをまたきいて、乙という人がただ今お話しするように、そんなこというたとて寒い所のかえるは、やはり深いあなをほるんだ。ぬくい所におるかえるは、穴が浅いんじゃで、これも誠にまちがいではありません。
ただ、北海道あたりのかえると、九州あたりのかえるとは、土地の下へはいる深さはちがうでしょう。もっとも、 そりゃそうでしょう。しかしながら、甲という人が言っているのは、同じ土地であるならばということなんです。 たとえば阿波なら阿波、撫養なら撫養、段関なら段関という、あまりへんぴでない土地であるならば、そこのかえるが深くはいっとる時には冬は寒いんだ。こういうふうに、一般的のかえるのくせをお話しなさっとるのであって、かた一方の人は、一部分的の寒い所と、暖かい所とを区別して、それを反論しとるのです。理屈をいうとる。
で、私がそれを承ると、なるほど両方はまちごうたことではないけれども、無理にかえるの習性に不思議な力があるということを一方の人に言っているのですから、いかにもそうです。どうも、あの人間がなかなかわからない所のことをかえるが知っとる。いかにも不思議でございますなあと言えば、やわらかいでしょう。話がまるいでしょう。
そんなら甲という人が言っていることが、乙という人に徹底して、甲の人も気持よく感じるでしょう。それに、わざわざ変則な異例を引っぱりだして、その人に理屈いうてとくとくとしとるのです。これは、ひとつの例をお話申したのであって何事でもそうです。
それから、こんなことをいう例をいえば、この柔軟のことばというのと、その折目高い理屈っぽい言葉というのとたくさんございますから、あなた方よく考えてごらんなさい。日に日におつき合いするうえに、非常にやわらかい、 きれいな言葉を使える人と、同じことでもごつごつ言うて、おこっとんかいなというように聞こえるようなことばを お使いになる方もございますが、これは私が、ただ今申すその堅いものはこわれ安い、柔かいものは続きやすいと、 こう泉先生がおっしゃったこの意味をです。お考えになって、どうぞ人には感じのええ言葉が使いたいという自分のくせをしった場合には、たちまちそれは使えるようになるのでございます。
その前に必ず、自分の癖というのは、どういう癖があるかということを、自分の癖をしらなければいけません。 これをお釈迦様はどなに おっしゃったか、実のごとくおのれの心をしれと、こうおっしゃったのです。実のごとくおのれの心をしれと私は人に向いて話をする時分に、ごつごつ言いはせんかなあ、わざわざ反対のことを言やせんかいなあ、こういうことを自分というのをのけてみんと、わが心はよめないのです。ああ、ほんに、私はそうですねえというたらよいのに、ほなけんど(そうですけれども)というくせがあるわいと、こういうふうにいつも自分のくせを自分でに知るということが大事なのです。知るということがあれば、ここにざんげができる。ああこれは悪いこと言いよったわいというざんげ心ができるのです。そうすると、その後でお釈迦様のいう柔軟の言葉が使える。こうなるのですから、やはり修養、日に日にみ教えをいただいていこうとする方は、実のごとく自分の心を知らなければいけません。わしが言うのがよいのじゃ。わしは、まちがったことをひとつも言っていない。わしが言っていることは もうほんとうに正直に言っているのだから、そんなにわしは悪うないと、思うとるのでありましたならば、柔軟の言葉が使えんようになります。自分が悪いということを知って、始めて直せるのでございます。ここをおまちがいなさらんようにお願いしたいのです。泉さんはそこのところが大事じゃとおっしゃいました。
なるほど私が考えてみますと、いかにも自分の癖というのは、ちょっとわかりにくいものです。その自分の癖がどうしてわかるかと、こういう大事な考え方もあるのです。外のお方と話している時分に、いかにも朗らかに、お互いにおもしろく話ができるという場合は、自分が都合よういけよるとみてよろしい。けれども相手方の方が、なんかしらんこちらのことが通じにくいところがあるなあ。あるいは、こう話がぺったりとそわんなあと思うた時には、人のことをみるよりも、自分に癖がないかということを考えてみるのです。そうしませんと、まことに損をいたします。 柔軟のことばが使えるけいこができるのに、わざわざ、それが覚えられんようになるのです。
それからもうひとつ、こういうことが大事でございます。この九十六条に書いてあることは、人を疑うのです。
ある人が、人を盗人と思え。火をみたら火事と思えと、こんな教えをした人がありますが、こりゃ用心深うてよいのかもしれませんが、泉さんであろうが、弘法大師にしましても、また釈尊にしましても、疑うなということをおっしゃる前に自分の心に我心をのけよとおっしゃっとるのです。自分の損じゃの、得じゃの、自分の心をのけてしまえ。
そうなると、どうなるかといいますと、人が言っていることが、はっきりわかるようになる。もうひとつ言いかえると、正見がきくようになるのです。この人はあれ、ほんまにいよる、これは下手をいよるということがわかるようになるのです。ですから、もう疑う余地がないようになるのです。ですから、人とおつき合いのさいには、いちばん先に我心というものをのけないと、柔軟のことばがつかえんということになります。 ところがその我心というのは、あるか、ないかということがなかなかわかりにくいのでございまして、自分の心を知る、実のごとく自分の心を知るということは、もっとも大事なことであって、またこれはもしそれができたならば 大きなおかげがもらえるのです。おかげといいましても、自分の癖がわかるほど、大きなおかげはありません。
これは場合によりますと、世間では偉いなあ、あの人は偉いなあというて、ほめられておる方でも、ひとつの癖がありまして、あの人は目の前では、あんなにようことがわかってえらい人だが、かげへまわると悪口言うんぞ、あの人。ということが、もし人に知られていた場合には、その偉いということが、惜しいではありませんか。その人には おもきをおきません。その人の言うことには、信用しません。こういうふうになりますから、どうぞ自分に我心があるかないか、もう我心がないように修養せないけません。
その我心がないようにするのには、方法はどんなにすればよいか。先刻申したように、どんな悪い人でも、その人の守護神というのがあります。仏性というのがありますから、その仏性の光で、その人が直ったりするのでございます。その仏性を尊敬せないけません。どんなあほうでも、利口でも、仏性にかわりはありませんから、人とおつき合いの上には、その仏性を拝むように、あの西田天香さんの一燈園の教えでも、おがみ合いの生活をせえ。ところが、悪い人はおがめないとこういうことをいう人がありますが、なるほど、悪い人は拝みませんけれども、悪い人でも心のうちは決して悪い事をしたために、それがくもったりせんところの、りっぱな玉がある。仏性という玉があるので すから、その人を尊敬して、敬意を表して、その人に話をしよるちゅうと真心が通じるようになる。こういうことを 西田さんもおっしゃっとります。ですからどうぞこの九十六条は、物ごとを堅く理屈にしないように、人の言葉を尊敬して聞いてあげることが、もっともやわらかな、お釈迦様のおっしゃる、柔軟の言葉が使えるということになります。そうすると運がよくなるんですから、どうぞそういうふうに実行していただきたいと思います。
(昭和三十四年七月三十一日講話)
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第九七条 「光明ある歴史は、艱難の後でなければ来ぬものである。」


これはまことに読んで字の通りでありまして、光り輝いている所の歴史というのは、大変苦労の後でなければこないものである。こういう事でございます。これは人間に限りません。大きな吉野川のバラスを見ても分りますが、吉野川で約四十里も流れとります。あの土佐の水源地から岩がくずれて、角まみれの岩が、雨毎に流れて、吉野川へ入って来るのです。その水源地の岩は、皆角が立っております。これが四十里の間かなたに当り、こなたに当り角がとれて、しまいに吉野川の下流へ来た時には、角がある石は一つもありません。これを道路に入れております丸い石でございます。あの丸い石でもあちらに当り、こちらに当り、かん難苦労して出来たものでございます。
昔から人間の事についても言いますが、人は人中、木は木中、こんな事を言うておりますが、あれはこの野中に一本はえたりする木でありますと、風が吹く、あるいは何かの都合でゆがみしやすいのでございます。けれども、あの高野山へお参りしたらご覧になるでしょう、あの広い山に杉がずーっと立っておりますが、どれ一本として曲がっとるものがありません。すなわち、もちつもたれつ真っ直ぐにゆがまないように、互いに手を引きおうて伸びておるからでございます。すなわち木は木中というのはその事なんです。
人は人中と申しますのは、これも世の中へ出まして、あちらの人にお付き合いし、こちらの方にお付き合いし、あるいは気候の為に、寒い所、暑い所、色々と体に経験をしとります。そうして出来上った所の人は何かについて常識が発達しております。こういう気候であるから、こういう具合にするとか、あるいは、こういう風が吹いたらこうするとか、あるいは人と交わりの上に、人からこうせられた時分には、こういう態度で向うの意見を入れて、そうして自分の意見がもしあるならば、おもむろにこちらの意見を聞いてもらう、そうしてお互いに先生のおっしゃる通り、 拝み合いの精神で長く付き合うていきますと、そこに体が磨けて来る。自分勝手な事は通らない。もし通しても天地が許さん。こういう事が自然に分って来るのです。すなわちそのお付き合いの間には、つらい時もありましょう。あるいは気の毒な事もありましょう。いろんな都合で磨かれ、磨かれして、しまいに立派な人格が出来る。こういう事になるのです。
木でありましても、先刻申すように、枝と枝とがすれおうて、倒れないように互いに手を引きおうとります。真っ直ぐな木が出来てくる。よく電信工夫の人が柱を立てとりますが、あの真っ直ぐな杉の木、あれなども、山で千本立ちになっとる所でないと、ああいう風な木は出来ません。すなわち、かなたの枝に当り、こなたの枝に当り、かん難苦労して伸びて来たわけです。この九十七条は大体後から人に褒められる、人に尊敬せられる、こういうような人は、必ずかん難しとります。こういう意味の事で先生がおっしゃったのでございます。
あんた方芝居に太閤記というのがありますが、豊臣秀吉が尾張の一百姓の家にお生まれになって、日本の天下を取るまでのかん難苦労という事はご承知でございましょう。一番最初は木下藤吉郎と申しまして草履とり、一草履とりから順々に上へ上がり武将になると、あの清洲の城の建築で信長にほめられて、ひとかどの大将になった。ついに信長は、京都の本能寺で、明智光秀の為に殺されます。そこを秀吉はすぐ打てばなんでもないのです。あの時に秀吉が光秀の首を取るのは、わけはないのです。けれどもそこが秀吉の偉い所です。お前さんも天下を取ったのだ。いずれ国元へ帰ってご先祖にも報告したり、先ず一服してあらためて戦争しようじゃないかと言って、秀吉が暇を出しとります。その暇の間に光秀は故郷へ帰って追善供養 (母を槍で突いていますから)先祖に報告したり、家来たちにも休養をさせて、戦いを起こします。けれども、これはもう天が許しません。秀吉がかん難苦労をしている間に、そういう大不忠な事をしとります。これなども天下を取る羽柴築前之守秀吉となって、天下を治めるまでには、実にかん難苦労をしております。太閤記にある通りでございます。そうして天下を取ったという事になっとります。ああいう将軍の位につく所の名誉ある歴史は、ぞうりとりから、かん難苦労した、あの秀吉の一生を見てもわかります。
これは一例でございまして、今日、日本で名をなしておる所の偉い方々は、皆この通りで、ただ一朝一夕に転げ込んだものではありません。後から見ますと、簡単に出世したように見えますけれども、その出世の道程といいますものは、実にかん難苦労の賜物であります。これは皆さんご承知の事と思いますが、何も今も昔も同じ事で、それが実業界でありましょうと、宗教界でありましょうと、あるいは政治界でありましょうと、どの社会にありましても、ひとかどの光明ある歴史を積んだ人の後を振り向いて、その人の歴史を調べて見ますと、実に涙ぐましい歴史をもっておられるのです。この九十七条は、今あんた方が、いかにつらい苦しいかん難の歴史の真っ最中でおありになりましても、先生がいつもおっしゃるように、いかな暗夜も朝がある。いつまでもこのかん難苦労が続くんじゃない。努めて、努めて、努め抜いて、そうして真心で神に仕えて行くならば、必ず朝日の出る時が来るとの教えの通りでございますから、どうぞ、あなた方も、ただ安閑とお楽な人ばかりではないと思います。中にはご苦労の人もあろうと思いますけれども、その苦労に耐えしのんでこそ、光明ある歴史が出来るのでございます。あなた方はよくご承知である事でございますから、運命を喜んで受ける。そうしてかん難を楽しみとしておいでる方ならば、必ず夜明のしょ光は見えるのでございます。この所はそういう風にお考えおきを願いたいと思います。
(昭和三十四年八月十五日講話)
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第九八条 「親は、子に仕事のおちんをくれる。神も同様、人におちんをくれるが、おちんに迷うて仕事をしてはならぬ。」


これは例をあげてお話しいたしますと、よくおわかりになると思いますが、泉先生の時に拝んでいただくと、今でもそうでございますが、拝んでもらうと、お陰が見えるぞ、こういうようなお話をよくお聞きになると思います。
おかじをしていただいて、おさしずの日取が来ますと、必ずおかげが見えるのです。これはおちんです。その喜んで待つ所の期間は見えとりやしません。喜んで待っとるのです。所がそのおちんをもろうて「やれやれくつろいだ。」それで瀬戸を越したように思いますと、こりゃ誤りです。もうそれから拝みもしない。お参りに行かない。こういう事になりますと元の荒れ果てた自分に帰ってくる。そうすると又悪くなる。病気ばかりではありません。運もその通りです。「わし、これよかったんじゃけんど、又悪うなった。これつまらんなあー」と、投げ出すと、この所で信心を失う事になるのです。これはよくあります。その指定せられた日には必ず喜ばしい芽は見えるものです。そこで、これは有り難い。私は行という行は知らず、ただ先生の教えを喜んでしたんで、別に仕事をしとる、先生を喜ばす仕事をしとらんのにお陰をもろうた。これは相済まんと言うて、益々、勇気百倍して信仰にお入りになれば、それからずーっと運が切れかわるのですから、ここに書いてある事はそういう意味なのでございます。
これを親子の間にたとえて書いたのでございますが、こりゃよくありましょう。あんた方のお家でも、学校へいっている子供に向いて「ああ、おまはん、かしこいなあー、このおちんあげるけんな、よう言う事聞いて勉強して偉い人になるんだぜ。」とこういう風に親が言うと、ちょっとの間は賢うにおるのです。かしこいなと言うておちんくれるのです。そうすると子供は、おちんもろうたら、さっそく勉強そっちのけで悪い事の方へ精が入る。まあこのような訳で親御から言うならば、おちんを渡したら、子供は必ず教えについてくるだろうと言うので、おちんを見せて立派な子供になるように仕向けていきなさる。
子供はどうかといいますと、立派な偉い人になるってどんなことかわからん。わからんがおちんくれる。それは、 飴とか菓子とかもらえばうまい。まあ親の前だけちょっと賢うにやってみる。おちんもろうたが最後好きにやる。
こりゃどこの子供でもよくある事でございます。親ごから言うならば、小さい子供に偉い人になるようにと言うことを願ごうとるのです。子供はそんな事知らんから、おちんだけをねろうとる。これを泉先生は、ご心配なさって、その子供のように、おちんもろたらそれでよいというようなことでは、本当の運は開けてこんから、どうぞおちんがあろうがなかろうが、努めて努めて努め抜け、必ず神のかわい子になれる、という事をお教えになっているのです。
こういうことは、あんた方もよくご承知のことと思いますが、拝んでもらうとか、見てもらうとかいう時分に、言うてくれることで安心なさらんように、そういうことにするならば、こういう運命があるぞ、こういうことを知らしてくれとると解釈して、お陰があろうがなかろうが努め抜く、泉さんがそういうことをおっしゃっていました。
こんなこともおっしゃったことがあります。「わしが神さんに頼み、自分のいたい、かい、やいうことを直してくれとお頼みはせんけれども、どうぞだれそれさんをこういう風にしてあげて下さい、ということを拝んで、たとえば一週間その人の為にお参りする。一週間してもお陰が見えん。ああこれは自分に行が足らなんだ。又今度一週間、こういう風にわしは倍々にしていくんだ。お陰がなかったらほうるや、いうようなことでは、試されているのだから、こうやってわしの方から聞かん風したらどうするだろうかと試されているのだから、聞いてくれなければ、尚倍の力を持っていく方がよろしい。」と、いうようことを泉さんはおっしゃっていましたが、これは誠に結構なお話だと思います。ですからおちんくれなんだ時には、尚力を入れた。と先生はおっしゃるのですから、この所をお考えになるとよいと思います。
(昭和三十四年八月十五日講話)
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第九九条 「常々に、困窮した時の考えで暮せ。」


これは簡単でございますけれども、中々しにくい事でございます。少し何か楽になりますと、困った時の事を忘れるものです。今まで不自由しておったのを、その不自由の反対におごりを窮めると、こういう事になりやすいのです。
徳川家康は、誠に偉い人でございまして、あの人の教えにもあります。人の一生は重荷を負うて遠い坂道を行くようなもんじゃ。こんな事いうております。あるいは又、心に望みが起こったならば貧困の昔を思え。こんな事をあの人は言うております。
私のことをお話するのは妙に思いますけれども、家の宝に毎年、おいのこさんとお正月とにお祭りしているのでございますが、これはご先祖が独立した時に手と身とで、家もなければ金もなかった。その時分に、私は仲須家なんで、仲須一統でございますが、私で五代になるのでございます。五代前の先祖が独立した、その時分にお隣りの辻さんから、もらったそうでございますが、ご飯櫃(びつ)です。ご飯を出すお櫃、それをもらっとります。そのお櫃を五代も持っとるのでございますから、次第次第と黒くなって、小さいのでございますが、それをお正月と、おいのこさんとにお祭りして子孫が皆戴くことにしているのです。誠にもろうたものを、お粗末なと言いますと妙ですけれども、お粗末なお櫃でございます。そのお粗末なお櫃を、大けなお櫃が小そうなって、ただ今でしたらもう三合か四合かのご飯出せば、もう一杯になる位の小さいお櫃になっとります。そこまでも先祖は使うてくれた。それから俎(まないた)でございますが、裏表松の木でこしらえてありますが、裏表ながたんの(うすば)の跡が通っています。真中が紙みたようになっています。大抵はそこまで使いません。少し古びると、たきものにしてしまって新しいのにします。真ん中が引っ込んだから、これ具合が悪いとかなんとかいいます。なるほど、真ん中引っ込んだら切りにくいけれども、私の先祖は真ん中が引っ込んで両面ながたんの跡がいってしまいに中が紙みたようになっている。そこまで使ってくれた。
それで私は、始末をする為に、これを子孫に宝とするのでありません。物を大事にする。決しておごらない。そうして先祖からただ今までに、私があちらのお宮こちらのお宮へお参りして見ますと、祖先の名のいっとるのは、手水鉢だとか、あるいは燈籠だとか、なんとか、ぼつぼつ見かけるのでございます。そういう風に俎や、お櫃まで始末した人が神様の方へ向けては相当なことをしております。それを私は、手本としたいのでごさいます。物は大事にする。 米粒一つでも大事にする。俎の一つでも大事にする。
その大事にするという目的は何かと言いますと、それで集めた所の金を今度は世の中の為、神様仏様の為に差し上げて喜んでいただく、こういう風に使うのでなければ、ためる必要はないのです。ためて使わんのなら石もかわらも同然でございますから、そういうため方はよくないと思います。お世話になった方、お世話になった世の中、お世話になった神様仏様に有難うございます。お陰でこうして喜んですごしています。お礼返しにすることが、これが大変よいことだと思います。その時分には、常に困ったという時のことを忘れないようにせよと泉さんはおっしゃったのでございます。
このことにつきましては、泉さんがなさったのは、ただ口でおっしゃるのではありません。あの方は夏が来ますと夕方には、お風呂へ入って湯あみをして、浴衣召すでしょう。泉先生は、そんなのしなくともよいけれども、それもせなければ、あの人は、何も着物はないのかと、かえって人に気の毒に思うから、それでわしゃ着るのじゃとおっしゃっておった訳です。夏の夕方にゆかたを二枚着るのです。おかしいでしょう。そうして、べんさん連れて津田の松原へ散歩に出かける。『べんさん、歩いていきませんか。』『はい。』というて、べんさんついていきます。泉さん竹の杖ついておいでる。浴衣二枚着ておいでる。そうして、これは夜ふけです。人通りが少くなりますと、つえを松の木にもたせておいて『べんさん、この上へ松かさをたたき落したら、拾うて集めなはれよ。」と言うて、上のゆかた一枚ぬぐのです。そして、あの津田の松原でそれを敷いて、先生は腰へ竹を差して、松の木へ登ると、そのつえで 松かさの開いとるのを突き落す。どうせこれはほっといたって落ちるものなのです。落ちるとあしこの松原の塵になる。これはならしておいたとて、もったいないという先生のお考えなのです。それを突き落すと、べんさんが下で拾うて、一枚ぬいだ浴衣の上へそれを集めるのです。そうして沢山出来ると、もうべんさんいにましょうと言うので、その着物の四隅をよせて背中へくるりと背負って、先生はつえをついてお帰っておいでる。そうして、それをたきものになさる。いかにも手のつんだ生活をなさっとるように見えますけれども、手をつめてできた所のその金で、困っとるお遍路さんにあげるのですから、これはまねの出来ん所なんです。そういうことを世の中にも困っておる人を喜んでもらう為に始末をなさっておるのです。つまり神さんです。心が。ためる為にしているんじゃないのです。
困っておる人に自分が裸ではあげられんから、努めて夏の暑いのにゆかた二枚着て松原へおいでになって、そうして上のをふろしきに使うて、まつかさを拾うておいでる。これは先生から直接私は聞きました。
『村木さん、このあたりでなあ、この木がようなりよるんだぜ。今でも松かさがようなる。なる木とならん木とがあるので、この木はようなるんじゃ。』こんな事おっしゃって、先生はたきものをなさったのです。たきものしたからって松原荒らしません。何も松原をいためたのではありません。どうせ落ちて、ちりになるものをたかしてもらうと いう先生のお考えなんです。これが出来んのです。
どうぞ皆さんも、むやみに物は費やさぬように、それを長くお使いになる。着物でも一ヶ所破れたからといって、それを葬らんように、ついだら又使える。ズボンでもパンツでも、しまいにはぞうきんかなんかにします。そういう風にして、捨てる物をないようにした、その積み上がった所のお金を、世の中の為惜し気もなしに使う。こういうことが泉先生のご本心の一端です。このご人格を慕うて、まねをする。これが本当の信仰でございます。南無泉聖天尊と言うて拝まなくとも、泉先生はいかなることをなさったか、そのなさった事を自分が理解して、自分の体で先生のなさった事を真ねるということが、これが本当の先生のお経を読んでいることになるのです。これは誠の信仰だと私は思います。
この九十九条は、困った時のことを考えよと言うのですが、お正月に皆さんの家に家例というのがありましょう。
たとえてみますと、徳島の殿さん蜂須賀さんは、お正月に里芋をたきます。それをむしらんのじゃそうです。長い根がついとるのをそのままおつゆの中へ入れる。おかずの中へ入れる。もっともこれは、おかず全部をそうするんじゃありません。しぞめをするのです。殿さんの身分である方が、里芋の根もむしらんとたくというのはどういうわけか、これはご家例です。家の家例なんです。
これは蜂須賀公が戦争に負けたことがある。その時分にお寺の縁の下へ逃げこんだ。敵は蜂須賀公がお寺の縁の下へはいっとるのを知らずして、そこを通り過ぎた。ところが縁の下ですくんどると腹が減ってきた。時間が長くかかって、そこへお寺のなっしょばあさんが台所で夕飯の用意をなさっていた。そこで蜂須賀公が縁の下から「ばあさんおぶけられんぜ、わしは縁の下へ隠れさせてもろうとる蜂須賀というものじゃが、今煮ようとなさっている里芋、そのまま洗うて、早う煮て私に食わしてくれんか。そないむしったり、こすったりしよるとおそいから、その水であろうたら、そのままでよいから、どうぞ一つ早うわしに喰わしてくれ。そのかわり、わしが運よく天下を治めたら必ずおばあさんにお礼する。もう腹が減ってたまらんのや、昨日から走り回って食うとらんのじゃ。」おばあさんは「よろしゅうございます。」と言うて、どろ芋のどろだけ洗うて、根付きのまま急いで煮て、縁の下におるお客さんに、それをあげたのです。蜂須賀公は、それからおばあさんのこの親切を受けて喜んでおなかをおこした。
腹ごしらえをして、縁の下からはい出して難をのがれ、二度目の旗上げをして、秀吉公の味方になって手柄をたてた。その勲功によって阿波之守となり、阿波と淡路の両国で二二五万石の領地をもろうたのです。その困った縁の下へこもった時分に、もし見つけられたらもうそれでおしまいです。それを縁の下で神仏を念じて救われたというので この困窮した時を忘れないようにというので、それを家例にしたということを私は聞いたのでございます。
この讃岐の多宝塔(津田町にあり、泉さんを祭る)の山の下に前町長をなさっていた田中さんのお家があります。 あしこの表の間へ通していただくと、表のすみの長押の上に墨櫃と、長い一間位の棒をぬので包んだのを上げてあります。あれは田中さんの先代ご先祖が綿をかついでお売りになったんだそうです。綿ですから荷物が大きいので、棒が普通の棒より長いのです。どうせ七尺位ありましょう。綿ですから荷が大きいから、棒の両端につけると中へは入ってかつげませんから長いのです。先に打ってあるつくというのがあります。あの木のつくが二本ずつ打ってあります。これは、ああゆう田中さんのような偉いお方ですから、ご先祖がそういう風にして、ご苦労なされたという事を 生がい忘れないようにというので、ああいう立派な津田の土地を沢山持っておいでた、大きなおおぶげんしゃのご主人でございますけれども、そのようにされているのであります。これなども、常に困窮した時の考えを忘れなと先生が教えた、そのことにあうのでございます。
これは色々あなた方のご家例が家にもあろうかと思いますが、どうぞ家例はなるべく改めないように、なんでそういうことをしよるかという訳を、作った訳をお知りになって、そうして長くそれを子孫の為に言い伝えてなさる事がよいと思います。
この九十九条はそういうわけでございますから、家例は無闇矢鱈に新しくするというような、こんな馬鹿らしい事とはお思いなさらんように、その訳をよく尋ねて、よいことならば、お続けになることがよいと思います。こういう風にご先祖を喜ばしていただきたい。ご自分も運を強くしていただきたいと思います。これは泉先生のご教訓でございます。
(昭和三十四年八月十五日講話)
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第一〇〇条 「望なき所にはお陰は表われぬ。助かりて喜ぶのは望みがみたされたからである。」


望なき所にはお陰はないという事を書いてあります。この望みという事が非常に意味の広いことでございまして、弘法大師の仰せられたことも、やはりこの事を仰せられております。「およそ生きとしいけるものに願なき者はあらじ、願ありといえども行たらざるが故に願かなわず。」こんな事もおっしゃっております。
この望みというのは、広い意味で、願とみてよろしい。神仏にかける願、お願いです。このお願いに二通りございまして、有相の願、すなわち願文を神の前で読みたててお願い申上げる。その形のある願と、無相の願。ただ心に望みを抱いているというようなことと二通りございます。いずれにいたしましても、望みがなければ努めませんから、 努めないということが従ってお陰が表われないという原因になるわけでございます。いつも神様の前に有相の願でもよろしい、あるいは又無相の願でもよろしいです。そういう望みをかけるという事はまことに必要な事でございまして、助かって喜ぶというのは、その望みが満たされたからだと、泉先生はおっしゃっております。
先生は常に、私がお話しを伺っておりますのに、神さんには出来るだけ自分の願いごと、望みごとはいつも神様に知っていだだいとる必要がある。どうでもよいのだというのでは、自分の行がたりませんから弘法大師のおっしゃっとるように願ありと言えども、行たらざるが故に願かなわずと、こういう結果になりますから、どうぞ望みということは、いつもお離しにならんのがよいと思います。その望みということが、すなわち願でございますから、それがかなうのでございます。どうぞ欲らしいとかなんとか言うことは、ご遠慮はいらんのでございまして、生きんということについて、自分の望みがないということはないはずでございますから、生きる上には、色々と人毎に皆違いますから その望みという物を捨ててはならんのでございます。
いつも申し上げる動物の種類が十万種類からもございますが、なかには走るのが非常に速いものもあり、あるいは空を飛ぶというものもある。あるいは、水の中を泳ぐのが上手なのもある、こういう風に、ありとあらゆる形が違います。この違うという訳は、その生物が生活をしていく上に便利なものを、ほしいほしいという願いごとがかのうた結果、そういう風に形が違うのでございます。この望みということは大変大事なことでございます。もし、あなた方に望みがないということになりましたならば、日に日にの仕事には、何にも楽しみがないということになります。生きているというだけで、無意無能の生活ということになります。これは簡単に書いてありますけれども、大変大事なことなのです。
この広い所の望みになりますと、これはアメリカのある川におる鰻でございますが、電気うなぎというのがあります。これはそのうなぎを食いにくる外の動物があるのです。たとえば、かわうそとかいうような水の中で泳ぎが上手な動物が食いにくる。その時分に体から電気が出るんじゃそうです。その電気が襲いかかってくる動物の体へ通いますと、逃げな仕方がないのです。あなた方もご承知でしょう。どなたか知りませんが、水が出た時分に電気の線が水の中に落ち込んでいた。その附近をお通りになっている人の体がしびれて動けんようになった、というようなお話を私は聞いております。が、そういう風に体から電気を出すのがあるのです。これを電気うなぎといます。
又、電気うなぎを取るのを上手にやるのです。人間はどうするかといいますと、馬の足を持っていきまして電気を絶縁する。つまり、電気が通いにくい所のものを結びつけるのです。足持っていて、その馬に乗って川の中を無茶苦茶にがぼがぼ駆け回るのです。そうすると電気うなぎがびっくりして電気をどんどん出す。そうして、電気を出しきって、もう電気が出ないようになった時にそれを取る。こんなことをしているそうでございます。 随分面白い魚があります。体から電気を出して敵を防ぐ、これらもそのうなぎが、まことにさどい動物がおって、食われる、これでは、その動物に敵対するのには、こちらが非常に強うなけりゃならん。しかしながら、そのかわうそとかいう動物になりますと、中々あれ以上強くなるのは非常にむつかしい。そこで向こうが、体が動けんような毒を出すか、あるいは電気のようなものを出すとか、魚は電気では死にませんけれども、そういうようなことを望みにいだいていたに違いないのです。その望みがかのうて、今日は電気うなぎとして有名な電気を出す所の体を持っている。
こういうことになるのでございます。
いずれも望み、すなわち心の中で念じるという事が天地に通いまして、それが満たされる。こういう事が今日の天地間の法則でございます。あの宣誓文にもあります通り、大御親の定めたまいし大法則というのはこれなんです。
天地間の大法則、一生懸命願えば満たされる。こういうのが天地の大法則でございますから、どうぞあなた方も、そんな欲らしいことは、神さんの所で考えられんなんて言うことはご遠慮いりませんから、悪いことをする願いはかないませんけれども、自分の身を保護する、ということはかなうことなんでございますから、そういう意味にお考えを願う方がよいと思います。敵をいためるとか、慈悲のない無慈悲なやり方でさえ、かのうておるのです。
それはなんぞといいますと、虎や獅子のあの鋭い爪、鎌のような爪です。あれは自分の食物が外の動物でございますから、それをやりつける為の道具でございます。ああいうものさえも、生きるという上の望みでございますから、かなうのでございます。ただ いたずらに向こうを害するというのでは恵まれんわけでございます。自分が生きる上に必要だということになりますと、そこに恵まれると、いうことさえもあるのでございますから、この望みということは非常に大事なものでございます。
(昭和三十四年九月十五日講話)
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