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第五七二条へ 第五七三条へ 第五七四条へ 第五七五条へ 第五七六条へ 第五七七条へ 第五七八条へ 第五七九条へ 第五八〇条へ第五七一条 「信心というのは、人間の心や所作を、神仏の教えに合わせて行く事である。その中でも、自分の家業の仕事を教えに合わせて行けるようになった人は、まことにしあわせな人である。」
神様の前で、神様に物を差し上げる。あるいは仕事をする。そういう場合には、いつでも神さんのお好きになるような事というので気を付けたらええのです。それで面白い事があるのです。ある讃岐の人が、「先生、金の鳥居を上げようと思うのです。」「うん、それもええなあ。神さんにお願掛けて、お礼に金の鳥居、それは おばさん結構じゃ。どんな鳥居ぞい。」と先生笑いながら尋ねた所が「ええ、ブリキでこしらえた、鳥居の格好したん。」「ああ、おばさん、それはなあ、ええんじゃけんど、それは大きな鳥居にたとえた手本が不如意で、大きなのが出来まへんけん、鳥居の格好した小さいプリキを差し上げますと、言わないかんでよ。金の鳥居差し上げますけん、言う事聞いてつかはれ。これではおばさん具合が悪いわ。」と言うて先生大笑いされていた時がありました。
それから徳島に、殿さんが六人も七人もが方々へ城を建てておった時代があります。たとえば勝瑞城とか、あるいは小森の山に、姫田城という城があった所へ、土佐の方から長曾我部元親が攻めて来て、バラバラになっとる小さな城を皆乗っ取ってしもうた。徳島を治めてやろうというて、はいって来たのです。そうして、ことごとく長曾我部元親が攻めて滅しました。これはご承知でしょう。あの富岡という所に城があった。新開遠江守という人が城を築いて いた。所が要害堅固で、中々城が落ちない。そこで長曾我部元親が、丈六寺というお寺へこもって、「もう貴殿は、中々戦いが上手じゃ、どうしても城を攻める事が出来ん。わしは戦いもよくしたけれども、こんなのは初めてじゃ。あんたのような腕のある人と一緒に日本を治めたら、さぞ強い軍隊が出来るだろう。和ぼくせんか。」と言って軍使を立てて、富岡の城へ言うてやった。所が新開遠江守は、内の兵隊は強い、城堅固である。長曾我部元親が恐れ入った。そんなら和睦に、わしがやって行くと言うので、家来を僅か十人位連れて、そうして丈六寺のお寺へ乗り込んだ。所が、それがまっかなうそであって、一室へ新開遠江守を通して、お酒を出したのです。そうして酒に酔うた時分にひょっとふすまをあけると、片方では長曾我部元親の軍隊がやりの穂先を揃えとった。とうとう新開遠江守は、あの丈六寺で討死したのです。今お参りすると松原に、新開遠江守という小さな宮を建ててあります。こういうようなもので、この人はうそをよう言う、うそが上手であった人、それで徳島の城を攻めて岡崎城、姫田城、勝瑞城、皆滅ぼした。それから今度は讃岐の方へ渡って、ずっーと讃岐も皆城を落としてしまった。中々強い。
所がちょうど西の方へ行って、象頭山の金比羅さんへ行ったのです。附近の小さな城を落として、金比羅はんお参りせんか、今度はお参りして、西讃、あれから西へ城がだんだんありますので、どうぞ勝たしてくれというお願掛けたそうです。長曾我部元親が。あんたに、さかきでこしらえた鳥居を差し上げます。そうした所が、今でも、あの長曽我部元親が上げた鳥居があるそうです。私見た事ありませんけれども、あるという事です。それは、さかきでこしらえた鳥居とだれでも思うのです。所がうそで、根を上へ向けて枝を下へ向けた鳥居です。逆木です。逆木鳥居上げた所が、金比羅さんが怒って、やまばち追いかけて、刺して、刺して、刺しまくった。さあ山ばちに刺されて、恐れ入ってしもうて「どうぞ金比羅はん、こらえてつかはれ、悪い事言いました。」と言うてあやまって、鳥居を建てたというお話が残っております。金比羅さんお参りしたら、宝物館というのがございます。あの宝物館の中に、根を上へ向けた鳥居があるという事です。
そういう風に、神さんに、うそ言う事が沢山ございます。千本のぼり、千本立てると言うて紙を細うに切って、何の年の女とか、男とか書いて、たくさん立ててあるのを、あなた方見た事あるでしょう。これのぼりです。格好見たらのぼりです。こういう風に神様の前で、うそみたような事をよくしております。
徳島の南に二軒屋という所がございます。そこの人が先生の所へ行って大笑いした事がございます。嫁さんが病気しとるのを、ご主人が言うたのです。お願掛けたのです。「どうぞ、早う直してやってつかはれ、直りましたら金の鳥居差し上げます。そうしたら嫁さんが奥から「おとっっさん、そんな事言うて、金の鳥居や言うたら、ただ事でない。」「まあこう言うて直ったら、何でもええでないか。」という話が、先生が拝んだら出て来たのです。「おまはん、金の鳥居ちゅうて願したか。」「いたしました。」「ああ、そなな出来ぬくい事言うて、ピカピカ光っとる鳥居上げたなあ。まあ金の鳥居というと、お神さんが喜ぶかと思うて、そんな事言うて、うそ言うたら、あんまり良うないなあ。」 と言うて大笑いした事がございます。これは私、横におって聞いたのでございますが、沢山ございます。 そういう事よりも、神さんが喜びなさるだろうという事をするのがええと、先生がおっしゃいました。なるほど、それに違いございません。あまり大きな願を掛けるよりも、出来る願をせないかんと思う。先生がそういう風におっしゃったのを書いたのでございます。よくありましょう。
お願掛ける時分、私の友達が讃岐におるのですが、その人が願掛けるのです。一万べんお百度踏みますけん、どうぞ聞いてつかはれ、そうして 済んだ後で、その人に 聞いたのです。「おまはん、一万べんちゅうたら 大変でないかい。」「ええまあ、それ今しよる最中ですけんど、神様に言うといたら、一万べんちゆうたら神さん聞いてくれるだろう。」そんな事言うて、私大笑いした事がございました。一万べん、百度踏むということは 大変ですぜ。まあ、そう言うておいたら直してくれたら、まあ今に踏みよりますけんと言うたら聞いてくれる。ご自分も笑うとる人がありました。先生はそういう事はあまり言わんように、自分の出来る事でお頼みするのがええ、神さんだましたらいかんという話がありました。
(昭和四十年二月二十八日講話)
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第五七二条 「神仏にすかれる人は、神仏がすきでおれぬ人にかぎる。神仏をきらうたりする人は、神仏にすかれるわけがない。さわらぬ神にたたりなしというて、敬遠しては、お陰はない。」
讃岐の人が先生に拝んでもらいよったのですが、神さん、ちょっとも拝まんのです。神さんにはお太夫さんが付いとる。仏さんには坊さんが付いとる。我々がごじゃごじゃ言わいでもええ。さわらぬ神にたたりなし、という事があるではないか。そういう人であったのです。その人が先生の所へ来て拝んでもらっている。先生が拝みまして「おまはん、さわらん神にたたりなしって言うたなあ。」「へえ、そんな事言いました。」「ほだけど、今度さわっとんでないかい。おまはんとこの横に小さいほこらはんがあるかい。」「へえごわす。」「あれ、おまはん、このお堂、ちょっと突いたら、かやるなあというて突いたら、ガチャンと落ちて、めげたなあ。おまはん直した事あるだろう。」「へえ、ございます。」「さわらぬ神にたたりなしや言うのに、何しにさわったんぞい。ほんな事言わん方がええぜ。」と言っているのを聞いたのを、私が書いたのでございます。
神さんや、仏さんや言うの、すぐに怒るけん、さわらんのが一番ええ、まあそれより仕事しとる方が大分賢こい。 そんな事言うた人がございました。その人が、八栗山へお参りに行ったのです。さわらぬ神にたたりなしじゃから、 拝まんのです。ただ、お奥もずっーと通るのです。所があの四の剣のあぶない所へ来て、神さん、これ下へ落ちんように頼みまっせ。そうおっしゃる。その時、先生と四の剣のお不動さんへ私一緒に行っていました。すると、その人が後から来て「ああ、あんたおいでとったんじゃな。」「ええ来ておりました。あんた常に、さわらん神にたたりなしちゅうのに、ようおいでたない。」「へえ、もうおそろしいけん、四の剣で拝みましたわ。」「それ見なはれ、ほだけん、さわらん神にたたりなしや言いなはんなよ。」するとその人は、「恐れ入りました。」と言うて先生にお話した事がございます。
人間は頼まんといけるや言う事は出来ん事です。何でもお頼みして、そうして力を借りて、自分が安心して行くというのがええと思います。先生はその人に怒りもせず、笑いながらお話しをなさる。あんた方の知っとるお方でも、ボツボツそういう人があるでしょう。これは必ず、何かの拍子を神さんの方からつけて、頼まなならんようにしてくれますから、そういう事のないようにしなさい。これは先生から私聞いたのでございます。
どうぞ、さわらん神にたたりなしや言うて、さわらん訳にはいきません。世の中では、つらい事もあれば、あぶない時もございます。その時には、心でご真言繰る位の事がよろしい事です。さわらん神にたたりなしや、口で言うたって、そんなに平気で行けるものではないのですから、これも先生のお言葉でございます。
(昭和四十年三月十五日講話)
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第五七三条 「人にすかれようとするが、人をすきになろうと勉める人はない。もしすきになろうとしても、つとめてする間は人にすかれる事はむつかしい。すきというのは、心のしんから出た真の力でなければならぬ。」
人に好かれようと思うてするのに、努めてする。この人に好かれようと思うて努めてする。所がこれは形式を言うのであって、心からその人に敬意を表すると言うならば、それはないはずです。あの人に好きになってもらおうと思うて努めてする。その努めるという事が、わが身を標準としておりますから、あの人は上べの人だと人が言い出す。心という事が一番大事じゃ。先生のお話は、これであったのですが、本当に自分が心から努めるという事が、向こうが返してくる。愛してもらおうと思って、こちらがする事はいけないと先生がおっしゃった。
なるほど考えてみると、そうです。自分が尊敬せないかんと言うならばよろしいけれども、心にそう思うとらんのにお参りする。それは形の上だけですから、お陰は無いのです。先生は、どこまでも心という事をおっしゃったのです。本当に心という事は、神さんの感情の一番大事な事で、する事が間違っておっても許してくれるものです。
心が一番大事じゃ。これは、先生がいつもおっしゃっとるので、わしは何じゃ知らんけん、向こうさんがお喜びになるだろうと思うて、わし、しよるんであって知らんとおっしゃったのです。その知らんとおっしゃる事が、すなわち心で思っていらっしゃるので、それでええんだ。心で思わんのに、お陰もらう為にするという事は、一つの形になってしまいますから、先生は心を第一に持ってくれとおっしゃったのです。
(昭和四十年三月十五日講話)
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第五七四条 「人間の運というものは、世の中のためになるか、害になるかの差別勘定のようなもので、天地の台帳に記録せられた大勘定と見てよい。」
人間の運というのは、どういう所から来るかと言いますと、世の中の為に益がある事には運が来る。自分の利益の為にする事は、これは運に関係ない。かえって悪い。ちょうど運というものは、世の中の益になるか、人の益になるか、又害になるかという差引き勘定が運ぞ。運というのは、ひとり来るもんでない。それが世の為になる事であったら、それは必ず、お返しがあるんじゃ。害になる事であったら、必ずそれは運が悪うなる。先生が運という事を、ごらんになるのは、そこを見とるのです。つまり自分がどう思うてしたか、その最初の思いです。世の中の為になると思うてしても、仕様が間違うとるという事がないとは言えません。けれども運は、自分の心で思うた事が先ぞ。先生が運をごらんになるのは易をたててするんじゃない。自分が思うてする事にあるんじゃ。という事を先生がおっしゃったのですから、形の上のことは、運の内へ入れない。心でどう思うてしよるかという事が一番先に運がころげてくる元になる。運というのは運ぶという字で物を運ぶという事、自分が運ばなんだらこんのだから、運というのを願うんならしなさい。自分が思って、人の為になる。世の中の為になる。という事を思うてしなさい。必ず運は来る。 先生は字もお知りにならん。宗教もお知りなさらんけれども、運の一字でも、そういう風にご覧になっとるのです。いつも運というのは、ひとりころがり込んで来るもんでない。これは運ぶという字ですから、自分が人の所へ運んで行く、それを運と言うんじゃ。だから先生のなさる事は、皆心からわき出とる事です。そういう事を先生に注意を受けたのであります。
(昭和四十年三月十五日講話)
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第五七五条 「働きが喜んで出来ぬ心になったら、神にきらわれる身分になったと考えてよい。働きは人の喜ぶものを作り出す方法である。」
働きを喜んで出来ぬ心になったら神さんがきらう。自分が喜んでするという事が、運がころげて来る元になるんじゃ。きらいなのにする。それはいかんという事先生がおっしゃったのです。運を欲しがらん人はない。だれでも運のええのは好む。まず自分の心をころげて来るようにせないかん。
ちょうど、たとえて見ると、一ツのてまりがある。それをこちらへ転げて来るようにしようと思うたら、こちらの方を低うしなければ、こちらの方へころげてきません。こちら高うにしたら、向こうへころげます。というようなもので、自分がする事が一番先になる。そこで先生のおっしゃった事は、正直正来お聖天さん。という事を先生始終おっしゃる。まことに正直なものである。自分がきろうたら、向こうがきらう。自分が努めてしたら、ころげて来る。
正直なもんじゃ。一ツも誤りがないと先生がおっしゃった。その正直正来という事が五七五条、四条にも先生がおっしゃっています。
たとえば、日雇いさんに行きます。それは賃金もらう為に行きよるのに違いないけれども、働かんとおって、賃くれという事があるはずがないと言って、先生がヒヒヒとお笑いになったのはここです。正直正来、お聖天さん、人の陰でどんなに隠れてしても正直正来に来るもんじゃ。思う通りにし、しよる通りに来る。安心してしなさい。信心というのは、決して真心抜いては起こるもんでない。ここで先生がはっきりおっしゃいました。それから人の心を察してです。先生はいつもお参りをする連中の中へお入りになっとっても、いつもお参りする人の気分を、喜べるように、喜べるように、なした事があります。
(昭和四十年三月十五日講話)
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第五七六条 「神まいりするために、人のおつきあいの上で、人をつらがらす場合には神にお申しわけをして、人の方を先にするのがよい。 神は人の身の上の方を見てござるからである。」
ある日、八栗山へ、私等と大勢がお参りしたのです。所が曇っていまして、今日は雨になるだろうというので、かさ持つという人があり、中には今日は天気になるから、かさいらんという人があったのです。所が、女の人は、まことに注意深いのと、荷になってもええからって傘持つ人もありましたけれども、荷になりますから先生かさ置いて行く。
先生、ヒヒヒと笑いなして、何も言われなんだ。ところが、かさ持たんとお参りしたのです。女の人は皆かさ持っておりませんでした。どういう訳でありましたか、お参りして帰りに、日がカンカン照ってきたのです。
さあ、そこです。女の人は日焼けするのはきらいじゃ。世の中の人は、どこの人でもそうです。所が、先生が大勢の中へおはいりになって、先生が前だれ取って、頭へかぶったのです。さあ皆さん手ぬぐい持っとる人は、頭へ置きなさい。わしこういう具合じゃ。先生が 子供がするように 前だれをといて、ご自分の頭を包んで、竹のつえ突いて、面白い事おっしゃっておいでたのです。女の人は皆、喜こんで、ハンカチで、あるいは手ぬぐいで頭の上へ置いて、日焼けを防いだ。それで私は思うた。ああほんに、女の人は日が照るのに、何も持っとらん。手ぬぐいかぶるのも、おかしいと思うて、遠慮しとった。先生ちゃんとご存じで、前だれ解いて、自分のおつむに巻いたのです。
こういう風に人の心を察して、その人が喜べる、楽に行けるようにするのが、これがお付き合いです。先生は、そういう所をご覧になって、いつも前だれなしていました。その黒の前だれで、おつむり包んだら、皆が笑うのです。 先生しし舞いみたような、しし舞いのけい古じゃ。皆さんしなさい。こういう風に言うて、冗談のように言いますけれども、その実は顔へ日が照りつける。女の人の遠慮しとるのをお察しになって、これはわしから先にしてやるというので、なさったものと私は思います。先生はそんな事おっしゃらんと、冗談のようにおっしゃって、面白うに竹でカンカン道をたたきながら、おつむに前だれをかぶった、そのご精神は人を楽にしてあげる。人の思いを楽にしてあげるという事があったと思います。
これは簡単なお話ですけれども、色々な用がございまして、このお付き合いの上に、遠慮してようせんという場合があると思います。そういう時分には先に立って、その人の心を、柔らげてあげる為になさった。こういう事が先生お付き合いしよるとよく見当たるのです。
どうぞ、そういう意味は、人の心を柔らげるという事を、お考えなったらええと思います。向こうの好きに、こうしたい、ああしたいと思う事を、喜んでするようにしてあげるという意味でありまして、そこに先生のお心の内には、非常に尊いものがあります。
(昭和四十年三月十五日講話)
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第五七七条 「情と義理とが相反する場合には道理をつけ、情というものは、わが身のために起こる心のはたらきである。道理は、天の法則である。天に従うのが人の道。」
場合によっては、これはこうしたらええんじゃと、思うけれども、実際したら、いけないというものがあります。
その時分に先生は、どうなさるか。情理、人情というものに多少ふれるか知らんけれども、これは道でないという事に、先生は非常に厳然としておいでたのです。これは、お大師さんは「情を離れて、理にたがわず。」という事をおっしゃったのです。お付き合いの方は情です。所が、その結果は、どうぞというと、悪いという場合は、道理に付いて情の方は退ける。先生はそういう事を習わんのに知っておいでるのです。
これは摩訶止観というお経文に書いてある事でありまして、場合によると情と道理とが違う場合が出来るのです。
どちらに付くか、道理の方に付く。情の方には多少反対するかも知れんけれども、その人が先で悪くなる事には、同情しない。こういう事には、先生は非常に心を使うておいでたようです。それは摩訶止観という有難いお経文に書いてあるのです。これはあんた方もあると思います。情の方にからまされて、ついしてあげたらええんじゃと思うたけれども、それが道理の方で悪いという事が、わかった場合には道理につく。先生は、それをじょうずに仕訳けたのですから、ただ情にかられてするという事は、なさるお方でなかったのです。これをよくお考えになる方がええと思います。
情にかられんように、道理に付いて行く方がよい。しかし、その反面に先生は、「和して争わず。」和して争わない。という事をなさった。これニツ反対みたようなけれども使い分けて、先生は立派に使い分けておいでたのです。これも摩訶止観に、和して争わずと書いてあります。しかし、その和するという事が、道理に合わん場合はどうするか。それはやはり情を離れて、理に従うというのがよい。これはなかなかむつかしい事ですけれども、そういう事を先生は立派に、常々お心掛けておいでました。
ある所に墓地がありました。先生は花を供えに行ったのです。ところが、小さいお墓、お墓でない石です。しかし。お墓です。それが並んどって、どうしてもそこは通れんのです。真っ直ぐに行ったら近いのですけれども、先生は、わざわざ遠方へ回って、そうして花をお供えにおいでたのです。どういう事を意味しとるかと言いますと、たとえ、お墓にして無くても、石でもお墓ですから、先生はその上をまたがないのです。こう行ったら近いんじゃというのは人の情です。しかし道理に合わんのです。小さい石にした所で、またいだら、お墓またいだという事になるのです。
ワザワザ遠方へ回って、向こう側の人に花を上げに行った。それを先生黙っておいでますけれども、それを考えてみますと、情というのは、横着な場合が出来て来るもので、わしは遠回りしてもかまわん。人のこういう事が、常々よく起こるもので、その情と言うのに付いて行けん場合には、道理に付け、しかしそこに和して争わず。争わないという心だけは持っとらないかん。先生は、それに対して何もおっしゃらん。ただ人の頭の上またいではいかんというだけかおっしゃらんのです。これは日常よくある事ですから、情から行くのか良いように思うんであるけれども、道理が間違うとった場合には、先生は付いておいでん。ここちょっとむつかしい所ですけれども、よくそういう事があると思いますから、情というのは第二にするのです。道理で間違わんようにせないかん。そういう事おっしゃったのです。誠に先生は立派なご人格です。
(昭和四十年三月十五日講話)
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第五七八条 「礼儀というものは、本来相手方を尊ぶ方法であるから、向こうが喜ばぬ場合は、どんな立派なかたちをしても、本当の礼儀とはいへぬ。むしろ無礼になる。それであるから、礼儀は無形の心の働きが外に表われたものがよい。」
五七八条は、五七七条に類似した事をおっしゃったのです。人と人との交際の上には、礼儀というものがなければなりません。その通りです。しかしそこに又、礼儀が過ぎるといけない。本当は向こうさん次第で、礼をするのが良かろうと思う。たとえば、お辞儀するのでも、よそへ行って、あがりはなに敷台がある。手を付いて一生懸命にお辞儀をしている。これは礼儀としてはよろしい。よろしいけれども、相手がさっぱりしとる人であって、あまりやかましく礼をいわない人であったら、当たり前の礼儀をするのがよろしい。礼儀というものは、そういう風に使い分けないかんぞ、という事、先生がおっしゃった。これも面倒です。
毛屋村六助という昔、偉い侍があったのですが、その人は、礼は過ぎればへつらいとなる。礼儀は向こうさんに応じてするのがよいといっている。礼儀というのは、非常に大事なもんでございますけれども、さっぱりした人に合うて、三年も前からのあいさつしてご覧なさい、困ってしまう。やはりあっさりと、向こうさんの気に応じた礼を尽くす。
こういう事が誠に結構じゃと、先生がおっしゃったのです。その通りで、あいさつも長い事言うと、随分あります。
ありますけれども、そこは必要のないものは、言わんのがよろしい。 遠方へ勉強に行っている 学生が、おとうさんにだした手紙の一例ですが、その手紙には、大分暖うなりました。方々の山には花が咲き出しました。田んぼには、ひばりが鳴いています。何とも言えない気候になりましたと、気候の挨拶にはじまり、皆さんお達者でございますか、だれそれさんは、どんなになさっていますか。私はお陰で達者にしています。など長い事書いて、用事は何かというと、学資金を送ってもらうことにあったのです。学資金を送ってやるのは、親としては喜んで送りますけれども、手紙がなかなか読めんほど、前口上があるのです。そうすると、そこのおとうさんが言うた。「金を送ってくれなら、金を送ってくれと言うたらええのに、ひばり鳴いている、花が咲いているなど、そんな事かかなくてもええのに。」随分、こんな例は日常の手紙によくあります。
あまり必要のない事には、長い礼儀は言わんのがええという事です。又反対に、あまり かんたんすぎても いかない。たとえば「誠にお気の毒には候へども、お宅のズクお借し下され度。ズクとはミミズクの事にご座候。」とミミズクの事をズクや言って短くしてしまって、そしてズクとはミミズクの事にご座候など、いらぬちゅう訳をいわねばならぬ。「挨拶でも、いらん事は長々言うより、丁重に向こうの人を尊敬する型が現われとったらええなあ。村木さん。」と言って、先生がヒヒヒと笑いなしたのです。
どうですか、あんた方でも日常思いませんか、子供しが遠方へ行っとるとか、あるいは友人が行っとる場合、手紙出すのに、長々書いて、何言うてきたんかと思ったら、おわりの方にちょっと用事を言う。それはいかんので、用事を先に言うて、そして必要ならば、その時の事いうのは悪くありませんけれども、本当の用がかなわな、事足らんのです。と同様に、日常お友達などとお話しするのでも、向こうさんの心を察して、向こうさんのお好きな礼を尽くして言うのはよろしいが、その礼があまり過ぎると、くだくだしくなりますから、あっさり言うのがええ。先生が私とこへ讃岐からはるばるおいでになって、「村木さん今日は、大分ぬくうなりました。」後、何もおっしゃらず、座敷へ上がって色々話はしますけれども、誠にさっぱりとしとるのです。ここが、その口で言いにくい所で、まあそういう風な事は、さっぱりと言うんがよろしいと、先生がおっしゃるのはここです。先生は、いつも向こうの人を気安く思わす。面白く思わすという事に心を置いておいでますから、いつも簡単におっしゃって、ニコニコなしとるのです。 こういう事が先生を見習う所です。
それから人の事言いません。ほめる事はしますけれども、人の欠点など一切話しなさいません。人の事でなしに、奥さんのことでもそうです。たとえてみると、泉先生が最初、それは大正のはじめ頃です。拝んでいたら、「今に庭一杯人が来るぞ。」そう言うて拝みなさっているのです。すると奥さんが聞きよるのです。「何日たっても人が来ません。」奥さんがおっしゃるのには、「なあに庄太郎はんて、人が一杯来る来る言うて、一向にこんでへんか。数珠こっちへお出しなさんせ。」と言うて、先生が手に掛けとる 数珠を取って、ひきだしへしまったのです。先生ニコニコ笑うて「へえへえ」と言って奥さんの好きにほおってある。所が、日がたって来ると、それこそ人が沢山庭へ来たのです。その時分に先生は、それ見たかともおっしゃらん。何もおっしゃらん。ここです。どうぞ、お付き合いの上にでもです。先生のまねがしたいと思うのですが。人の欠点があった時分には、それは言わない。和して争わず。 言わないのです。そうして、ご自分は言うた通りになって来ても、それみたかという、仕返しの理屈は言いません。 まあ人の欠点はいっさい言わない。実にきれいなお方でありました。こういう所が、信仰の上では欲しいのです。
まあお参りでも、三宝会の人はおっしゃいませんけれども、よくお寺参りへ行きよる人のお話が、内の嫁がどうでこうでや、だれそれがどうで、こうで。大方その話が続いている。先生は人の事はいっさい言うな。自分の事言うて話しをせえ、そういう所が本当に交際の上において、人を悪く思わさん。わが内の悪い事、人に言うた所で、その人喜ぶ訳でありません。どうぞ人の事は言わない。向こう、相手方をいつも気持ち良うにする事が先生の、お気質でありました。それを私がよく先生にお付き合いして知っております。それを書いたのです。これだけのまねが出来ても 大変なものです。
それからこういう事もおっしゃいました。「村木さん、わし歌知らんのじゃけんど、こんな歌があるちゅうかいなあ。」と先生がおっしゃるのには「遠くなり近く鳴海の、浜千鳥、鳴く音にぞ、潮の満干をぞ知る。」これは鳴海という浜がありまして、そとの浜の水際に千鳥が面白うに遊んでおる。飛び回りよる。その声が遠くなったり、近うなったりするので、潮の満干を知るという歌があるなあ村木さんよ。」「へえ、ございますなあ。」そうしたら先生が、 何をおっしゃるのかと思ったら、この歌は浜千鳥のなき声を聞いたら、潮の満干がわかる。わかっとる事は言ってもええけれども、先の事をわが知っとるげに言うなよ。先生は非常によくわかるお方なんで、わかっていても、言わなくてもええ事はわかったように言うなよ。こういうお話しを私聞かされたのです。
なるほどなあ、これは、ほどよう、事のわかるお方が、ああいうお心でおいでる。やはり人間は、人間としての相手方の気持のええお話をしたらええ、易者みたような事言うなよとおっしゃいました。
(昭和四十年三月十五日講話)
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第五七九条 「『遠くなり近くなるみのしほひがた、なくねにしほのみちひきぞ知る』という歌がある。千鳥のなく声の遠い近いで、しほの遠い近いがわかるという歌であるが、信仰でもその通りで、その人の言い方で、神仏に遠いかがわかるものである。」
昔の歌に、「遠く鳴り、近く鳴るみの潮干潟、鳴く音に、潮の満干をぞ知る。」という歌がございます。これは歌の意味は、千鳥というのは、海の水際におる小さな鳥でございますが、潮が満って来ると、岡の方へ寄って来る。潮が引くと、潮につれて水際へ行くと、こういう鳥だから、その声を聞いたら、潮の満ち干きがわかるという歌でございますが、先生は、この歌を面白うに解釈なさる。
どういう風に解釈なさるかと言いますと、鳴く音というのは、人の行いや、言葉でございますな。それを先生がおっしゃる。話をしよるんでも、行いをしよるんでも、それを見たら、その人が信仰に遠いか近いかがわかる。こういう意味に先生が解釈なさっておりますが、ちょうどこの三宝会が、バスに乗って、そして仕事においでる。あるいは、お参りにおいでる。その時分に、運転手が言っていました。「わしは、大勢の人積んどるけんど、三宝会の人、 積んだほど気持の良えお話するお客様がない。初めからしまいまで、ちょっとも冗談をおっしゃらず、酒も飲まず、実に感心じゃ。」という事を聞いたのでございますが、もし先生が、これをお聞きになったら、喜ぶだろうと思うのです。というのは、お参りにしても、どこにしても、バスに乗ると陽気になって、ついお話しなさる上に、嫁さんをそしったり、人の悪を言うたり、又歌を歌うても、ざれ歌を歌うてみたりするが、それが三宝会には一つもない。
ああ珍しい会合じゃという事を、言うておった。この声ですな。運転手が聞きよる。そのお客さんの話声、態度、それが三宝会には出来とると言うのです。これがまことのお参りじゃ。さぞ先生は偉い人で有っただろうという話を聞きましたが、なるほど、ちょうど、この歌のように、「遠く鳴り、近く鳴るみの潮干潟、鳴く音に、潮の満干をぞ知る。」潮の満干というのは信心が、有るか、ないかという事です。それにたとえて、こういう事がございますので、先生はどうぞ、わしが付き合う先を皆極楽にしてみたい。泣く人一人置きたくないというお考えであったのです。
だから、先生の所へ信者が寄って行って話しよるんでも、先生は批評なさらん。そんな事言うて、いかんとか、悪いとか、おっしゃらん。黙ってニコニコ聞いておい出ますけれども、先生のお心の内は、この歌のようなもので、ああ内の信者も変わって来たと言うて先生がお喜びになる。それを私は、先生にお付き合いしよる間、聞きましたが、先生が、この歌ご覧になって、なるほどこの通りじゃとおっしゃったのですが、ちょうど千鳥が水際で、チィチィと鳴いておる。その声で、潮が満っておるか引いておるかがわかるというようなので、先生もそういう所をご覧になったものと私は思います。あんた方でも、おわかりになるでしょう。
随分この頃は、バスでお参りなさる人が多くなりました。私は何が悪い、かが悪いと、申しませんけれども、その人たちの話や、態度で心がどっちへ向いとるかという事がわかると思います。これはあんた方がご覧になったら、わかると思いますが、さぞ先生は、うれしい事であろうと私は思います。
(昭和四十年四月三十日講話)
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第五八〇条 「かの指先に立つ弥次郎兵衛を見よ。ゆれども、ゆれども、元にかえり、安定を失わず、見事指頭でするはなれわざ、ところが左右の重りになっている豆を一つ一つはなして考えると、この弥次郎兵衛を一方へ引き倒す力を入れて居る事がわかる。この力を左右平等に受けてこそ、身の安定を得るのである。人もすべてのものに応じて、進むべき道に進む事を教えられている。」
空豆の実を、細い竹のスペに刺して(頭と両手とに豆さしてあるのです。)それで指先に置くと、揺っても落ちま せん。 右と左の重さがよう似とるというと、まっすぐにプラプラしとっても落ちません。安定しとる。ちょうど、そんなようなもので、ここに両手というのを考えて、片方はわしじゃと、片方は神様じゃと、こう置いて指先に置きますと、おもりが変わりませんから、プラプラしても、安定しとるから振っても落ちません。
これを、先生がおっしゃる。「あんなあ、村木さん、あの弥次郎兵衛なあ、簡単なけれども、ああいう心掛けが欲しいなあ。」と先生がおっしゃった。私が、その先生のお心を察しますと、人間ばかりに傾いて、ご先祖や、神仏を、 思わん人になりますと、片方の方が重いんです。一生がいの用事でも何でも片方が重い。そうすると、弥次郎兵衛が傾きます。重い方が下になって、弥次郎兵衛の体が傾きます。ところが反対に、もし神様、仏さんを中心に、何もかも、それで行くと、人間の所作をけり飛ばす。こうなりますと言うても、なるほど悪くはありませんけれども、何だか、世の中へ入れられんようになるのです。それで、人間は生きとるのですから、人間は生きるにはどうしても、食わななりません。仕事、職業、お付き合い、これが大事でございます。それと一方には、もし人間の方が出来ましても心にご先祖大事というのがなかったら傾いとります。よく見てご覧なさいまし。
先生はそれをおっしゃるのに、あのおしめの話をなさった事が有ります。「右と左のわらを、太さを同じになったら、きれいだなあ村木さん。」とおっしゃった。そうしてここにおしめが出来るんじゃ。神さんの前へ張るおしめが出来るんだ。この先生のお言葉には随分深い意味がございます。これは、どんなに言うても、人間は生きとるのでございますから、生計の道を立てなければ、家族が困ります。それで努めて世の中のたりになる仕事をする。又、一方では、これを無事にさせていただく、という信仰心、この二ツがねり合うて、その間から一、五、三、とか色々と、 このすべが出とります。これがお陰じゃと先生がおっしゃった。
なるほど私考えてみますと、かたもじれになってはいかん。どうしても、人と人との間に交じわって、人に重きを置かれるには六波羅密行に合うとらないかんと思います。あの六波羅密行を始終なさっとる人でしたら、おしめに、太細がないのです。誠に見てもきれいな、そうすると、その間におしめの足が出来る。誠のおしめが出来て、神さんの前へ飾れる。先生がそんな事おっしゃった事がございますが、よく考えてみると、そうでございます。人間ばかりに、人間の生計ばかりに力を入れると、足らんものが出来て来ます。又、神様、仏様を中心に置いて、人間を見んというと、何だか枯木のような、ゴツゴツした偏屈が出来て来ます。先生は、いつもおっしゃるのに「神様も、元は生きておいでた人じゃ。そのお方の言うた事、した事、これが教えに、なっとるのじゃから、神さんを手本に置いて、人間の方をうまくせえよ。」こういうお言葉があったのでございます。いかにも、弥次郎兵衛を見ても、指先の弥次郎兵衛があの落ちんと、上げても、下げても、傾けても、元へかえって来ます。これが大事でございます。
あの船でもそうです。あんた方が、よそへおいでる時分に、汽船に乗ります。あの船にはちゃんと、水ぎわより下に、おもりが入っております。機械じゃとか、もし機械が軽いと、バラス入れるのです。そうして傾いても、もとへ かえる、復元力と言います。元にかえって来る力、これが無い船はあぶないのです。波が来たら、ひっくり返る。
船を造っても、弥次郎兵衛と同じで、揺っても元へもどる。これが大事なそうでございますが、ちょうど信仰も、 そのように、大体人間は生きとるのでございますから、必ずこれにはさわるものが出来て来ます。ちょうど船が波に合うて、傾くのと一緒で、色々になりますけれども、元にもどって来る。そんなら、どこの元にもどるのならと言いますと、神仏の教えにもどる。その船はかやりません。一生がい安定して生活が出来る。こういう事になるので、先生は、なかなかむつかしい事を、お師匠はんについて勉強したのではございません。船に召しとって、この船は底が軽いけん、パラス積めとおっしゃる。つまり復元力、元へもどって来る力。これを先生がご覧になって、この弥次郎兵衞の話を私にして下さった事がございます。
私等が、子供の時にも、よう弥次郎兵衛やりましたが、大きな豆と小さな豆と差したら傾きます。やはり人間と、神仏の教えとを、両方同じに付いとってこそ、誠の弥次郎兵衛が出来るのです。先生が、それをニコニコ笑いながらおっしゃる。いかにも、有り難いなあと思いました。
(昭和四十年四月三十日講話)
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