551~560条

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第五五一条 「人はいろいろの出来事に対し、自分が助かるために、心をいためて居る。聖人もまた、いろいろと心をいためておられる。よく似ているようであるが、聖人は自分のために、心をいためるのではない。人が、わが身が助かろうとて、心をいためて居るのを、あわれんで、その苦を抜いてやろうとて、心をいためて居られるので、ここがありがたいところである。」


人は色々の、日に日にの暮らしの中で、自分がたすかろうとする事を一番先に置いとる様です。そうして、それが思う様にならんと言うて、苦労するのが人間であって、先生の様なお方は、苦労ないかと云うと、苦労はあるのです。
どう云うご苦労が有るかと言いますと、わしはこれで結構じゃが、世の中の人が苦労しよるのを、どうぞ抜いて上げたいという苦労が、先生のご苦労で有った様に思います。
たとえてみますというと、あの先生が、朝鮮の方へ船に乗って、そうして、そら雇われて、先生のお船ではありません。漁船に先生に乗ってくれと言うので、先生がお乗りになる。そうしてこぎ出しますというと、日に日に広い海原ばかりで、どちらを見ても海ばかり、そこで先生が、こういう事をなさったのです。わしは人の苦にしとるのを、 その苦を抜いてあげる。お陰で事はややわかる様になったが、どうもその人の本当の苦労が抜いて上げられん。わしは、この海の上へ浮いて、どちらを見ても塩ばかり、よし、わしは、これから塩を食べる事を止めよう。どうしても陸におるというと、塩、食べますが、その海原で塩をあがらんという、むつかしい行に掛かったのです。それには、おいでる時には、早おかずには、塩が入っていますから、砂糖買うておいでるのです。そうしてご飯は、先生がおたきになりますが、船の人には、皆おいしいご飯をあげる。又、取れた魚を料理して、おいしいおかずをこしらえてあげる。それで船の人は皆、庄太郎はんが作ったご飯うまいなあといって喜んで上がる。ところが先生は、一ツもあがらん。ご飯だけはあがるけれども、お砂糖のおかず。すると他の人が「庄太郎はん、どして、そんな甘いもん食べる。」「いや、わし好きでのう。」とおっしゃって、その塩を食べずして、砂糖食べる訳をおっしゃらん。
そうして長々の間、船に乗っているのでございますから、給料くれます。そうすると、その給料を使う為に陸へ上がるんですな。そして、まあ色々ご馳走を船の人が、食べるんでございますが、先生は船からあがりません。「ああ皆行ってくれよ。わし、これ船にじっとおるんじゃけん、何じゃいらんの、わしの給料皆持って行てくれ。」そうして先生が、ご自分の給料を、船に乗り込んでおる所の人に皆分けてあげて、そしてご自分は、ご飯と砂糖とよりほか上がりません。これは簡単な様でございますけれども、それで先生は船におりましても、一口も人にいやな事を見せん。言わん、思わん、この三ツの行をなさる為に砂糖あがる。苦労に違いないのです。塩気の付いたおかず食べたら先生もおいしいに違いない。ご承知であるからして、ワザワザ砂糖あがって、こら、おいしいおかずが食べたいけれども、わしが人の苦労よう抜かんのじゃから、まあ、それまでは、どうがこうでも辛抱するとおっしゃった事が有るんです。
これを考えますというと、それなら拝んで人の事がわかったら、それで良いでないか。と言う人が有るかも知れませんけれども、先生はそうでない。その人が苦労しておるのを、その苦労を抜いてあげる。それまでは、わしは力が有ると思えん。どうですか。ここが非常に違う所です。拝んで事がわかる人、沢山居ります。しかし拝んでもらって、 ああ、これでくつろいだ。今から心を、心掛けを変えて、そうして本当の神さんのお陰を受けるようにしようというのが、先生に拝んでもろうたらそうなるのです。こういうようなご苦労を積みなさって、そうして朝鮮の方からお帰るというと「ああ、今帰った。ああ、皆様にかわいがってもろうて良かった。」と言うて、船の中の十何人が乗って行くのですが、その人に皆に、庄太郎はん、庄太郎はんと喜んでもらえる修行を積みなしたという事です。中々、これしよいんですけれども、同じ船の中に乗って、長々の間暮らすのですから、何かそこに先生にお気に召さんものが有るのに違いない。有っても、先生は、こらわしの罪じゃと、自分からもう向こうをかわいがってあげなければ、かわいがってくれるものでない。そうして自分の事にして、わが事はたなに上げといて、知らん顔なさっとったのが先生です。 この一事を見ても、拝んでわかったのが有り難いんと違うという事が、よくわかるだろうと思うのです。ここを、どうぞ、そういう風にご覧願いたいと思います。
(昭和四十年一月十五日講話)
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第五五二条 「いかに修業を積んでも、心に信じなければ神仏に会えぬ。ちょうど光を受けずして、わが影をのけようとするようなものである。」


いかに修業を積んでも、心に信じ無ければ、神仏に会えんという事を先生がおっしゃった。修業は積んでる、心に信が無ければ、神さんに会えない。その心に信が有るかどうかという事。信とは、何を言うかというと、先生は、神仏は何をして祭られとるんなら。ああ、ここじゃ、聖天さんなら聖天さん、毘沙門さんなら、毘沙門さん。その本尊さんになっとる人の教えを、先生はちゃんと知ってござる。それを信ずるという事がなかったら、いかに修業しても、 だ目じゃと先生がおっしゃった。
あの讃岐に、西の方の讃岐に大きなお宮が有るのです。そのお宮の片わきの小さな二間四方のお堂に、神さん祭ってある。片方は、国幣中社ですから格が上です。ところが、お参りに行く人は、皆その小さなお堂の方へ行きよる。
そのお堂の内らに、手まりを一杯つって有るのです。それは何かと言いますとお願で、上げるんであって、病気を直してもらいたいというので、女の苦労しとるのを願う神さんです。そこで先生は、どういう事をお考えになったか。
ああ、神さんに祭られる人でも、やはり人の苦労を抜いてやらんというと残らんなあ。で先生は、その素波久羅様と云う小さなお堂をお参りして、そういう事をおっしゃった事がございます。 先生は、又それと同時に、そういう病気をしとる人に対して言うお言葉、それから態度、先生が思うておいでる事、それは、もうわが身を抜きにして、その苦労しておる人の気になって助けたものですから、実績が上った訳です。
そら、お参りしている先生の所作を見てもわかります。大きなお堂の前でたすけ給えと言わんのです。この苦労をして、万人が慕う所の小さなお堂に納まっとる、素婆倶羅さん、お唱えの中に、素婆倶羅さんというのが有るでしょう。
あのお方です。こら一の宮という所の国幣中社のお脇立ちです。これで先生が信心なさりよる、お心がよくわかるのです。その祭ってある所の神さんは、何をなさった人か、どういう事を言うたお方か、それをよおく先生はお知りです。そういう風に、神さんがなさった事、その助けぶり、それをまねなさる先生ですから、恐らく人を拝みよる中でも先生の様なご修行なさった人は、まず少ないと私は思います。
(昭和四十年一月十五日講話)
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第五五三条 「世間の人は、福徳は望んでいるが、福因を植える事は好まぬ。ちょうど、たとえて見れば、魚をとりたいが、網やつりを持つのがいやというのと同じ事である。因果不二である。」


「世間の人は、福徳を望んでおるが、福徳が来る所の、その原因を作るのを好まん。たとえて見たら、魚は取りたいが、網やつりを持つのはいやだ。と言うて、川のはたに立っておるのと同じゃ。」と先生がおっしゃった。なるほど先生の福徳というのは実に大したものです。福というのは財産ではない。人の尊敬が福です。徳と云うのは、ご自分が、お積みになった功徳が徳です。福徳はだれでも望んでいる。ところが、その福徳がわが身に付く所のその原因それ、どこにあるのかと言うと、せんです。無茶苦茶にわが威張り返ったり、丸で自分のする事を望まずして福徳を望んどるという様なお参りの仕方が多い様です。これは気を付けないかんなあと先生のお言葉です。
いかにも考えてみますというと、先生のようなお方は、まあちょっと見たら、ええおっさんじゃなあいう位にしか見えませんが、お付き合い申してみるというと、実に抱き付きたい。自分の親でもかないません。実に尊いお徳を、備えておりました。それが福徳です。その福徳を、だれでも望んどるんです。こら誰でも望みますけれども、なぜ、そういう福徳が付いたかという原因を調べて、それを自分の身に付けて行こうという事がない。こらよう気を付けないかんなあと先生がおっしゃった。それで私がそれを書いたのでございますが、今にして考えても、先生は偉い事おっしゃったと思います。日に日にわがする事がです。その福徳望まいでも、福徳が来る所の道を自分が言ったり、行うたり、思ったりしたら、必ず来るもんであって、ちょうど水が高い所に有る。それを流すのは、その水のある所より低い所へみぞを付けたら必ず水が来る。それと同様に、自分がそういう行いをし、言葉を使うたら必ず来る。村木さん、これ気を付けよ。と言われたのでございますから、これは値うちのある言葉でございます。
(昭和四十年一月十五日講話)
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第五五四条 「人が悪くして来たり、または悪くいうても、にくしみを起こしてはならぬ。なぜなれば、もし慈悲心が強かったなら、心は動かぬもので、またほめられても、うちょうてんにはならぬ。なぜなれば、ほめられたのは、わが功徳であって、わが身がほめられたのではない事に気を付けねばならぬ。」


人が悪くして来たり、又は、悪く言うても、怒ってはならぬ。なぜと言うと、もし慈悲が強かったら心は動くものでない。自分の心に慈悲が有ったら、人が悪言うても、そしってもこたえん。心が動くものでない。ほめられても、有頂天にならんように。それは自分が積んだ功徳をほめてくれるのだ。わがをほめてくれよるのと違う。こういう様な心がいるなあ。これも先生のお言葉です。
これもよくあります。大抵、悪口、悪く言うと怒る。自分の身が悪くなるように言うた時分には怒る。又、ほめられたら有頂天になって、そり返って威張る。それせられん。それは、もしほめられたら、自分が積んだ功徳が良かったからほめてくれよるのじゃ。わしと違う。ああ、功徳というのは尊いんじゃなあ、と思ったら良いでないか。
もし悪言われたら、それは、わしの方が出来とらんからあんなに言われるんじゃ。まあ言うてくれたんを機会に、直して行こう。村木さんこう思うたら、どうぞいなあと、こういう有り難い言葉を先生がおっしゃりました。
これはよく世間を見ならしてご覧なさい。何か自分の身に、具合の悪い事言われたら怒ります。そら間違うとるのであって、ほめられたら有頂天になって、威張りかえる。これも間違うとる。心に慈悲というものが有ったら、ほめられても、そしられても、こたえんもんぞ。と先生がおっしゃった。先生の悪口言う人はありませんけれども、もし有っても、先生はただニコニコ笑うておいでる。ご自分の心には、慈悲が燃えとるのですから、わが子よりもかわいい。怒りなさるのも最もです。村木さん、これ大事じゃなあ、と先生がおっしゃった。
それは、この間も板西の方へのテープに入れたんでございますが、私が先生のお供して、津の峰さんへお参りした時分です。今日は、お奥さしてもらいますというて、神主さんに頼んで、そして津の峰はんのご殿の前まで上がっていて先生は拝みなさる。私お辞儀していたのです。そして出て来た時分に、先生のげたが無いのです。「村木さん、わしのげたが無いわ」って、おっしゃるのです。すると又、津の峰さんの方へ、お堂の前へ先生が歩いて、おいでて 「津の峰はん、わしの下駄がございません。」「ああ、そうか。今、長尾の方へ坂を半分位降りとるわ。そして、ひょっとわがのでないと気が付いて、はだしになって、そのげたのごみを払って、ここへ今持って来るわ。ちょっとの間待っとれ。」こうおっしゃる。そうして玄関に出て来た。その時に、大勢の人がおりまして、どう言うなら、「あの若い人も気の毒じゃなあ、気の違うとるお父うさんをお参りに連れて来とる。」まあ、先生に一ツの悪口になっとる訳です。先生がそれをお聞きになって、ニコニコなして、私の顔見てニコニコする。どうですか。先生は、おっしゃるばかりでごさいません。目の前でわる言われた時分に、そういう態度です。
ああ、わしは大分違うんじゃけれども、そんなに見てくれたんも無理ないなあ。ほんに、わしがこんなに言うたら、わからんけんど、もうしばらくしたらわかる。先生が、そうおっしゃったんです。私に小さい声で。すると、やがて、ちょっとの間待っとるうちに、若いしがはだしになって、そして先生のおはき物を大事にさげて、ああ、こらまあ済まん事して、よその人のげたはいて、まことに、相済まん事で有ったと言うて、玄関へ先生のを置いた。そして、ご自分の持ったん見てみると、よう似とるんですわ。つぶの下駄に小倉の白い緒を立ててあるのが、いかにもよう似とるんです。そこで先生が、どんなにおっしゃるかと思うたら「ああ、済みませんなんだなあ、げたよう似とったから どうぞこらえてつかはれ。」とおっしゃった。この事はです。決して人を憎まん。げたが、似とったけん、わしが悪かった。こらえてくれとおっしゃる。有り難うと礼をおっしゃった。その時に沢山の人が、それを聞いていて「あらこの人、気違いどころか、偉い人じゃ。」と、拝まんばかりに先生にお辞儀しました。まあ先生が、ほめられたんです。その時に先生が、どんなになさっとるかと見るというと、ニコニコ、ニコニコなして、そして胴丸うなして、お辞儀なして、何もおっしゃらん。ほめられても有頂天にならんという事を、先生が実行なしとる。
ここを皆様がよく気を付けてもらいたいと思いますのは、悪う言われる場合も有ります。それでも、言い訳をせずに、ニコニコ笑うておる態度、又それがわかって、今度ぶりは偉い人で有ったんじゃなあ。済まん事言ったとほめてもろうても、決して威張らなかった。それ見たか、とはおっしゃらなんだ。ニコニコ笑うて、胴丸うしてお辞儀しとるのです。この態度を私が見まして、なるほどなあ、ほんに人が尊敬する人は口に言わずして、後光がさしとるなあと思いました。
これもまねすれば、出来ん事でございませんから、どうぞ皆様も腹が立つ時もございましょうが、まず空吹く風としてニコニコしていただいて、ほめられても有頂天になって威張らん様に、これが先生のまねでございますからと思うて書いたのでございます。
(昭和四十年一月三十日講話)
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第五五五条 「修業が出来にくいとか、心の苦が除きがたいとあせるよりも、まず第一に考えねばならぬ事は、自分の生活の目的は、教えに合うて居るか、また教えに合うて居るとしても、日常の心がけと言語と身のあつかい方が、教えに合うて居るかという事に気を付けねばならぬ。これだけの事を続けて行くなら、必ず安楽の日は近い。」


日に日に暮らしている間に、先生のまねをしたいと思うけれども、中々むつかしいなあとか、あるいは、わしの癖は中々のかんとか、おっしゃりよる言葉を私は聞きましたが、これは、そういう、そのむつかしいという事も、違いございませんけれども、それよりか、先生のおっしゃるのは、まあ第一に考えんならん事は、自分の生活をする目標です。もうけがしたいと思うとるのか、わが勝手にわがままがしたいと思うとるのか、わがの心が、どっちに向いとるのかと考える事じゃ。と先生がおっしゃった。先生に言わしたならば、おっしゃりませんけれども、私が察するのです。わしは、どうでもかんまんけれども、皆様が喜んで、そうして後々世の為に尽す人になって欲しい。言い換えたら、この世に極楽を、こしらえたいという先生の目的です。大きいですね。この世に極楽をこしらえたい。そういうおぼし召しですから、どうがこうでもけい古せないかん。これをまねするのはむつかしいとか、我々に出来んとかいう事は先生を拝みよらん証拠です。もし本当に、先生を有り難い教えの師であるとして拝む心が有るならば、むつかしいとか、出来んとかいう事は言えん言葉です。やりにくいけれども、どうでもせんならんとか、これは、もうわが出世する道だから、わがの事だから、どうでも、こうでも、まねせんならんと、こういうのが本当です。
そこで先生が、教えて下さって、目標を一ツ置かないかん。まあ慈悲とか、情とか言うけれども、わかりにくい。 村木さん、この世を極楽にするちゅうたら、わかりよいかいなあ。それで先生が、ヒヒと言うて、お笑いなした事です。まず第一に、家の中を極楽にする。それを隣へ及ぼす。友達へ及ぼす。その極楽を作る自分が、任務が有るんだと思うたら、大きいけん、腹も立たな、ほめられたけんって威張りも出けんなあ。村木さんよと言って、私の背中をたたいた事がございます。誠に有り難い言葉で、私は、実に心にしみ渡った様な心がしました。
なるほどなあ。ほんに先生は、日に日に言ったり、なさったりする事が、極楽を作ろうとして、おいでるんじゃなあという事が、初めてわかって、これを私書いたのでございます。
(昭和四十年一月十五日講話)
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第五五六条 「不立文字というのは、たとえて見れば、人が月を教えるために指さして、あれが月であるというた時に、月を見ずして、指を見たとしたら、あやまちであるごとく、言い表わした文字に心を留めて、その本当の意味を知らぬようなものである。仏の心境は、文字で書き表わせぬ、言葉でも言い表わせぬ。それを、 たとえで説いてあるから、心で読まねばわからん。これを不立文字という。」


世の中では、不説文字、説く事が出来ん文字あるいは、言う事が出来ん文字。という事を、よくお経文等に言うんですね。不説文字、不立文字、これよく考えてみますというと、先生の様な有り難い人を、まず人に知ってもらおうとするのに、文字に書いてみます。私も書いたのでございますが、本当の先生の有り難みは、中々筆に書けるものでございません。そういうのを不説文字と言うんです。不立文字、こうして先生の事をお話いたしましても、私が貧弱な為に、あの偉い先生を、誠に偉い先生で有ったのじゃなあという事を、知ってもらうのに、私、苦労します。その事を不説文字と言うんでございます。中々これを、いかにもわかったという様に説く事は、中々むつかしいんです。
たとえてみますと、まず、この世を極楽にするのが、人間の目的じゃ。これが一番大事なんぞと先生がおっしゃっても、その極楽という事がわかりにくいんです。ここを極楽にするという言葉が、不説文字でわかりにくいんです。
それには、まず事がわかっとる家族と、わからん家族とがございますから、銭は無うてもかんまんわというのでは、いかんのです。やはり働いて、家族の者が楽に食える様に、してやらないけません。ただ思うばかりではいかんのです。自分の身を使うて、そうして、他のわからん者を導くのに、まず不自由さしてはいかん。そういう事も極楽の中へ入っています。そしたら、うちのお父っあん、よく働いて、楽にしてくれるって喜ぶという様なもので、言葉もそれ、先生が常に奥さんにおっしゃりよる言葉。隣はたの人に、言っている言葉を聞きますというと、未だかって、 先生が怒りなした事を聞いた事がございません。これは先生に会うた人は、よくお知りだと思いますが、沖野彦はん等は、先生の所に長らくおったお方ですが、これもご承知の事と思います。怒った事ないのです。いつもニコニコ笑うておいでる。これが極楽を作る方法です。
こういう風に、この世を極楽にすると、これが一番神さんがお好きなんじゃというても、それを説くのがむつかしいんです。ただ私は、口不調法であって、皆様にお話しはしよりますけれども、先生のお心の内らを説くという事は非常にむつかしい事で、中々お話がしにくいんですが、どうぞ、ここをお察し願うて、そしてこ自分でに、よい工夫をしておいでる事が良いと思います。
又、この不説文字というのは、中々むつかしいんです。お釈迦さんがお通りになりよる後から、従者として付いて行きよる人を見るのです。絵に書いてあるんです。極楽の絵、それには金箔の仏様もおります。中には、角のはえとる人もおります。又、口が耳まで割れとる化け物の様な人も付いて行きよる。これ皆お釈迦はんのごけん族です。
ところが、我々が道通る時分にどうです。お連れの人には、あるいは角の生えとる人が無いとは限りません。人が きらう。そういう人が、お供をしてくれる様な人間になれというから、むつかしいと私は言うのです。しよい様でも 中々、あいついやらしいやつじゃなあと思うたら、やはりいかんのです。その人のわからん所を教える為には、やはり、そこに口に言えん所があります。ああ、そうじゃ、そうじゃと言うて 何もかも、そうじゃ、そうじゃで付いて行ってもいか ん。怒ってもいかん。ここが、その不説文字と言いまして、口に説けんのです。私は、あんた方に、お話ししよりますけれども、中々、そこがむつかしいんです。 一例あげてみますと、ある日、先生が八栗山からお帰りよる。日が照って来た。女の人がこうもりがさ持っとらん人が有りますが、そしたら先生は、どうなさるかと言うと、先生、前だれ、はずして、おつむの上に置いて「皆さんこうやんな。手ぬぐい持っとる人は、手ぬぐい着なはれ。」と言うて、ご自分が先にして女の人がようけ、日に当たるのを、きろうておいでる心が、先生にわかっとるから、先生が先にして、前だれ頭へくくり付けて、そして、しし舞みた様な風をして、竹のつえをカチカチ言わしもって、先生が面白うに歩きなさる。これ等も先生が、口に言わずして、説いとるところの経文です。
こういう様に、先生のまねするのは、しよい様で、中々むつかしい所がございますけれども、せなならんと私は思います。誠に有り難い先生でございました。
(昭和四十年一月三十日講話)
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第五五七条 「病と病気とは違う。病というのは、からだ自然のわずらいである。病気というのは心のわずらいが、身体をよわくしたのである。偉い人は、病はすることはあるが、病気はせぬものである。」


世の中に、病気、病気と言うて、仕事が出来ん、しんどい、どこが悪い、かしこが悪いという様な事を言いますがそれは病気と言うて、心を病んでいるのである。それを病気と言うんじゃ。お釈迦さまの様な偉いお方でも、やはりおからだの悪い時も有る。それは病と言うんじゃ。偉い人は、病はわずらうけれども病気はしない。こういう事を先生がおっしゃいましたが、これはたとえて言わんと、わかりにくうございますが、死人を埋めて有る。仏さんを埋めて有る。その上へ家を建てたとしますか、そうすると、仏さんは祭られずして、縁の下におる。それを仏さんが、埋めてあるという事知らずして、無茶苦茶に家を建てる。そうするというと仏さんは、何か知らしてやらんならんと、これは困るというので、色々と煩わしてみる。不運にしてみる。そこで信仰に入っている人で有りましたならば、わかってくるんですが、自分が悪い事をしていると、それ知らんと言うても、人間は知りませんが、人間の心の中に八識と言いまして、まあ人が魂とでも言う、あの魂、それが知っとるのです。仏の上へ家建てとる。そういう悪い事しとるという心の自分は知らなくとも、自分の心の中の魂が知っとる。これが病気と言うんじゃ。心からきとる病い。 偉い人、お釈迦さんの様な方になるというと、それがないのです。心の煩いがない。それで病気とは言えんなあ。
病と言うんじゃと先生がおっしゃった事をここに書いたのでございますが、病と病気とは違います。いかに信仰して偉い人で有りましても煩いは有ります。それは病気でないんじゃ、病じゃと先生がおっしゃってお笑いになった事を私が書いたのでございます。
で、ところが、ここに妙な事がございます。知っとって心に煩う者が有ったら、無論これは病気でございますが、知らんとしている場合が有るのです。その時は、どうならと言いますと、こういう事が有るのです。魂というのは、寝もせず、寝たり、起きたりしません。年中起きとる。そういう事を私は試してみたのでございますが、たとえば、ここに ある人を寝さして、ぐうぐう寝とるんです。いびきをかいて、熟睡しておる。その横で、その人の悪口を言うんです。そうすると、その人知りません、寝ているのだから悪口言われても知りません。ところが、その寝とる人起こして、おい起きろ、起きろと起こして「おまい、ここで何やら言うたん、知っとるか。」「知らん。」人が、人間が知らんのです。魂は知っとるのです。なぜかと言うと、その人を今度ぶり催眠術に掛けるんです。そして催眠さすのです。 催眠というのは、人間心が寝るんです。そして催眠術かけてみるというと、「おまえ、この横で二人が話したん知っとるか。」皆言います。もう耳で聞いたごとく、皆知っています。
こういう事から言いまして、人間はニツの働きをするんだと、起きた時には人間の性根で暮らしておる。寝ても魂は、寝とるものでない。こういう事が言えます。それで、この偉い人の教えというのは、仏の教えというのは、魂が得心する教えなのです。だから知らんから罪がないとは言えん事になる訳です。
ただ今お話した様に、仏さんが埋まっとる上へ家建てとる。それ知らんのです。本人は知らんけれども、仏さんはこらえません。色々災いします。病気もする。ところが魂は知らんかと云うと知っとるのです。それで、信仰を深くしまして、神仏に通ずる様になりますと、ここへ家を建てたらと思う、あそこの下には仏がおる。こら言い訳せんと言うと、この上へ家建てたらいかんという事が、人間がわかる様になるんです。それを、あの六波羅密の中に、施行、忍行、戒行、精進行、それから、禅行、智行というのが有りましょう。そういう知恵が付くんです。人間の知恵でない知恵が付くのです。それは禅行から来ます。それであんた方が、諸所方々へお参りなさる。泉先生をしとうてお参りなさる。いつとはなしに、この禅行によって、知恵が付いて来るのです。人間の知恵でない知恵が付いて来る。
その事を禅行、智行と知恵の行と書いて有りますが、これお間違いのない様に、人間の知恵は学校でけい古します。
学校で教える知恵とは、違う知恵が付いて来るのです。それでございますから、やはり偉い人のお参りするという事は一ツの禅行でございます。その禅行によって人間が磨かれると同時に、魂が出て来る様になるのです。人間が修行するというと魂が出て来る様になるんです。これをおかげと皆様がおっしゃっとる。
あのお陰、お陰というのは、魂が人間界へ出て来る事を言うのです。それですから、やはり知恵を仏さんの知恵をみがくというのは、やはり人間の方の勉強をして、そうして、お参りとか、行ないをよくするという事をしませんと、仏のいわゆる魂、魂の光りが表へ出てこんのでございます。それを先生が、病気と、病と二ツに分けられるところが五五七条にそれが出とるのです。そういう風にお考えを願います。
(昭和四十年一月三十一日講話)
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第五五八条 「人は各、いろいろ仕事で日を送って居るが、本業をわすれてはならぬ。本業は皆同じである。すなわち国を安泰にして、この世に極楽世界をつくるにある。」


「人は、色々な仕事をして、日を送っておるが、本当の行は何か、本当の人間の行は何か。」こういう事を先生がおっしゃった。これは、非常にむずかしい事でございますが、大事な事でございます。それは何かというと、国を安らかにする。人を喜ばせる。そうして、ここに戦争等がないようになります。そうなったら、税金がいりません。
そうすると兵隊や、鉄砲や軍艦や、あんな物に使っている金が、民間の方へ廻りますから、非常に皆が、豊かに暮らすようになります。
ちょうどそれをたとえてみると、極楽世界で有る。その極楽世界をこしらえるのが、人間の本真の行である。こう先生がおっしゃったのです。どうですか。これは、おいじゅっさん (僧)等が、沢山 おいでたとしましても、あの、おいじゅっさんは、教えをひろめて極楽世界を、こしらえるというのが本業でございます。我々でも色々な仕事は有ります。まあ農業するとか、あるいは山で働くとか、あるいは又大工さんをするとか、鍛冶屋をするとか、そら人ごとに、業は違いますけれども、本当の本真の魂の業は、何かと言えば極楽世界を造る業をしているのである。だから農業をして、食物をこしらえて世の中へ出す。換金して、金を人間の使い道に合う様に細工をする。業は違っていても、皆これ国を豊かにして安楽にして、争いをせん。極楽の世界を築きよる。手分けなんです。極楽世界を建設する同行なんです。そういう風に先生がおっしゃいました。
又、弘法大師がおっしゃったのには、わし等が経文を説き、色々な事をお話しして仏を念じる。これ何しよるかと言えば、本当の極楽世界をここにつくる。その手伝いをしているのである。それで皆様は、状態は色々変っていても それを変える必要はないのである。神様を拝むのを、本業とするのが本当でないのじゃ。業は変わっていても、その業によって、極楽世界をつくる手伝いをする。こういう風に考えよと、お大師様がおっしゃいましたが、お大師さんはそれをむずかしくおっしゃっています。
密厳浄土をこの世に建設する本務が有るぞ。こうおっしゃっておるのを見てもわかります。密厳浄土というのは極楽の事です。ところが、悪い事すると地獄へ落ちると、地獄というのは戦争も地獄だから、戦争しよる。あるいは、けんかをする。争いをする。これ皆、地獄の働きです。ここに皆様の本当のせなならん本当の業は何かと尋ねたならば、極楽世界を建設する為に、こういう仕事をしよるんだという事が一番信仰に合うとる、とお大師さんがおっしゃったんです。泉先生も、極楽世界をつくる手伝いをするんだ、その同行である。これが一番大事ぞ、と先生がおっしゃいましたのが、五五八条でございます。
どうぞ、そういう意味でなさったならば、お参りばかりして教えを聞くよりも、有り難い事なのであって祈らずとても、神や守らんというのは、この心が有る人の言う事です。やはりお参りもしたり、祈ったりもせないけません。
祈らずとても、神や守らんという事は、こういう極楽世界を建設するのが本務である。だから、わしは、その通りして行きよると言うならば、お参りしてもせいでも心が最早や信仰に入っとる、大事な事をしている訳でございますから、五五八条は誠に有り難い先生のお言葉です。最も有り難いお言葉、ここに有るんです。先生は、こういう風に勉強なさらず、お経お読みにならなんだけれども、この有り難いところの、極楽世界建設の我々の本当の業だとおっしゃっただけでも、実に立派なお言葉と仰がなければならん訳です。
(昭和四十年一月三十一日講話)
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第五五九条 「人がこの世を去るときに、遺言をするが、本当を言えば生存中日日の言葉が遺言、日日のつきあい、これが告別式と心得えたがよい。供養とは逝きし人の、意の通りつとめぬいてあげる。 これの上越す供養なし。」


皆世の中に、お年寄りになって、死ぬ人も有り、お若い時に死ぬ人もございますが、その死にぎわに遺言をするという事をよく言います。わしがなくなった後で、こうしてくれ、ああしてくれ。よく言いますが、先生が、それを聞いて、こういう事をおっしゃったんです。日に日におまはんが言よる事が、これが遺言じゃ。良い事言いなはれ。これ先生がおっしゃって、笑いなした所です。日に日にその人がしよる事が遺言である。泊ると、話をして別れるのはこれは告別式である。そのつもりで言いなさい。と言うて、先生がヒーヒー言うてお笑いになった事です。
そう思いますというと、うそも言えません。日に日に有り難い先生のお教えを友達と話し合う。そうして別れて寝る。これ告別式である。日に日にしている事は、これは遺言だ。そう思うとったら、信仰は届くぞ。と先生がおっしゃいましたが、私が考えますというと、中々尊いお言葉であって、自分が言っている事がなくなった場合、後でその通りになって来ますから、遺言なのです。いかにも先生がおっしゃた事は、違いないなあと感じて私が書いたんでございます。別に遺言しなくとも、この人はこう言よった。 こうしよった。いう事が遺言以上の力が有るぞと、先生がおっしゃいました。
(昭和四十年一月三十一日講話)
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第五六〇条 「幸福というものは、境遇や形にない心の中にあるものである。
幸福になりたければ、すぐなれる。すなわち神の教えを心からまもる事である。幸福とは紙ひとえ、地獄と極楽はすぐとなりである。」


これは先生が、幸福という事をおっしゃったんでございますが、幸福というものは、我々が考えるというと、幸福というものが、何か来る様に思います。ところが先生は、そう、おっしゃらんのです。幸福というのは、もう日に日に降りよるもんじゃ。それは、自分が、神仏の教えを行うて、その通りに日に日にしたならば、幸福というのは、こん事あるか。すべて幸福になる。その人はすべてを 極楽の暮らしをしよるんだ。そのつもりでやらんというと、幸福がこんこん言うて、自分が神仏の教えをせずして、幸福を求めるという事は、そら間違いじゃ。してみい、必ず来る。この神仏の教えをせん者に損じゃ。幸福がこんのじゃ。そら祈っても来やせんぞ。自分が日に日にそれを口で言い、体で行い、心で思う、ここの三ツを教えの通りにしたならば、幸福は一人転げて来る。それをせずして、幸福を求めるという事は、それは仕事せんと給料くれと言うのと同じじゃと言うて、これも先生がお笑いになりました。先生が、笑いながら、お話ししたのがここに有ります。これも大事な事でございます。
先生は、信仰というのは、せなんだら損でよ。幸福がころげて来るのを、ころげささん様にしとるのと一緒やという事をおっしゃいましたが、その当時、私もまだ二代で有りましたので、充分わかっておりませなんだが、今日、先生の事思い出して考えてみますというと、日に日に言うたり、したり、心で思うたりしよる事は、なるほどなあ。これは、幸福が来るのは、当たり前じゃ。先生は、しよーいでないかとおっしゃった。それをせんとおって、そうして幸福になりたいという様な事は、かえって、その方がむずかしい。ほんに先生がしよーいでないかとおっしゃったのは、いかにもそうだ。こういう事を、今日になりましたら、いよいよ深く思いますが、あんた方どうでしようか。
幸福には、すぐになれるんじゃとおっしゃいましたが、いかにもその通りでございます。
この身、口、意と言いまして言う事と、行う事、思う事、この三ツが神仏にかなうたならば、教えにかなったなら幸福というのは、ひとり来る、しよーい。どうぞ、ここを皆様が、しよーいという事を一ツお考え願いたいんです。
せなんだら損でございます。心で幸福求めておったって、せねば来ませんから、先生は幸福というものは、一番気安いもんじゃとおっしゃった。ここが大事な所です。どうすりゃ信仰になるんかという事を、先生が信仰の眼目をお話し下さっとるんです。信仰とは、どんなにするんなら、その一番大事な所をおっしゃって下さっとるんですから、そのおつもりで、どうぞご覧願います。 それから、これは、よくおいじゅっさんが(僧)がいう事でございますが、開眼供養すると、こう言います。
開眼供養というのは、目を開けるという事です。そこで人間が、まあ、たとえたら、盲じゃと言うんです。盲の人が歩きょるのと一緒じゃ。何も知らんと行きょる。それを仏様が目をあけてくれるんじゃ。前には、みぞが有る。前には、かきが有る。あるいはがけが有る、こういう事がわかって来る。それで、お坊さん達が開眼供養するという事、 目をあけるんです。そら開眼供養しましょう。
たとえば、石屋さんが石を刻んで、仏さんこしらえます。そしたら、まあ仏さんの格好が出来る。ところが、石が仏さんの格好しとるんであって、拝まないかんというので、おいじゅっさんが開眼供養します。それを人間の方へ持って来て、先生がお話しなさったんです。人間は、ちょうど盲と同じ事で、盲が歩いているのと同じ事で、どこにかち当たるやら、落ちこむやらわからん。それを、み仏が目をあけて下さる。ちょうど石で刻んだ仏さんを、おじゅっさんが開眼供養するように、我々は目が見えんのであるけれども、その目を開けて下さるんじゃ。先生がそうおっしゃったんです。ちょうどおじゅっさんが、開眼供養なさるようなもので、それは先刻言うた様に、教えを自分の体で行う、この体で、そして言葉で言う。あるいは心で思うと、それが出来る様になったら、開眼供養が出来たんじゃ。
こういう事、先生がおっしゃった。なるほど、私考えてみますというと、目が見えんのに、外を歩くとは、何が飛んで来るやらわからん。あぶない事じゃ、そんならあぶないんかと言うた、目をあけたら、一ツもあぶのうない。その目をあけてくれる所の仏様の教えが、これが開眼供養の方法だ。
それから初めて目があいたならば、何もかも見えますから、みぞに落ち込む事もない。あるいは、岩が有っても、 岩にかち当たる事もない。こういう風に、開眼供養という事は、人間の教えをしてあるんじゃから、それを言うたり行うたり、あるいは思う。いう事が出来たら、開眼供養が出来たんじゃ。目があいたんじゃから、もう心配ない。
どうぞ教えというものは、開眼供養しよるんと同じもんじゃ、有り難い体になるんじゃと、そういう風に考えて、やってくれよ。先生がおっしゃったのは、いかにもそうです。どうぞ、我々は、開眼供養を受けよるんだ。目が開いたなら、仏になれるんだ。生きの体で仏になれるんだという様な事を考えます。先生は、実に、こういう有り難い事を楽々とお話しなさってくれたのですが、それで私は、それを手帳に書いて、皆様にお話しよる訳です。
どうぞ、今度は年が変わりまして、四十年旧暦です。もう新は変わっとります。この四十年には、高野山では、お大師さんの一千百五十年のお祭りも有ります。先生の五十年祭有ります。誠に目出度い年を迎えるんですから、どうぞ、先生のおっしゃった言葉が、目を開けてくれて、有り難いという気持でおいで下さる事を望みます。
(昭和四十一年一月三十一日講話)
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