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第五四二条へ 第五四三条へ 第五四四条へ 第五四五条へ 第五四六条へ 第五四七条へ 第五四八条へ 第五四九条へ 第五五〇条へ第五四一条 「神仏に従うという事と人に求めずという事は、二つの事ではない。人に求めたら、神仏に遠ざかる事になる。神仏に従えば、 人に求めぬようになる。そこで慈悲の心がわいて出るようになる。」
世の中では、心掛けの悪い人、心掛けの間違うておる人が憎まれております。それを先生は必ず憎んではならん。
本当に自分を大事にする人は、わが身を忘れて、人の事をするのです。それをわが身だけを考えて、人の事を考えんという人は、天等はんがおさえるのですから、かわいそうで、必ず心掛けの違う人、憎むなよと先生がおっしゃったのが、この五百四十一条なので、大抵は世の中を見てご覧なさい。向こうがあんな事するから、ほうっておけるか、とこういいますが、先生はそうでないのです。気の毒だ、その人さえも捨てずして、導くという先生の大きな心は、 ほんとに頭が下がります。それを書いたのが五百四十一条です。これは大分慣れませんと出来ん仕事でございまして、人が悪うしてきた時分に、それを導いてやる。慈悲心で導くという事は、中々むつかしい事でございます。
これも、よそ事でないので、我々が日に日に暮らしているうちに、必ずそのうちにええ人ばかりでは有りません。
中には、人は良くて神仏にお辞儀をしよる信心の仲間の人でも、こういう事が起こる事があります。その時分に、必ず憎むな、これは本当言うたら、わが身を大事にしよるのでないのであって、形はそうなっとるけれども、運の悪い方悪い方へ歩いて行きよるんじゃから、それを導いてあげる事が、最も人間の大きな用事ぞ。と先生がおっしゃったのです。これも実にその通りじゃと思います。
(昭和三十九年十一月三十日講話)
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第五四二条 「手を合せる姿は、人間性根と、神仏のお心とをぴったり合わせた姿である。たとえ手を合わせて居っても、心が神仏心に合うて居らぬと、いつまでも迷いのやみは光がささぬ。」
これは今申した神仏にお参りしよる。お辞儀はようしよるけれども、人間の交じわりが、間違うとる事を、先生がおっしゃったのです。それは皆様、お拝みになるのに手を合わしておいでるでしょう。その一ツは、人界の手、一ツ神仏の手、これをぴったり合わしまして、神様拝みよるんじゃと、先生がおっしゃったのです。 なるほど考えてみますと、自分の身は、人界におるんじゃから、片方は人界の手、それを、いつも神仏の教えに合わして、そうして 人界の方を、わがが直していく、人をいためずして、自分が神仏に引っ付いて、お付き合いせえよ。こういう大事な事を言うて下さったのが、五百四十二条でございます。どなたでも、拝みなさる時手を合わしておりますが、あれは片方の手は、人界の手、片方は神仏の手、それを合わすように、日に日にの生活をして行きなさい。こういう先生の教えでございます。
なるほど考えてみますと、神仏に縁のない真っすぐな人でも、手を合わします。それも悪くありません。神様にすがるのですから、悪くはありませんが、身は五欲の中に生まれた人のからだである。向こうもそうです。だから手を合わすというよりも、形はそうであるけれども、向こうは片手だけしか持っとらん。気の毒です。この運の悪くなる道を、手を合わして神仏に付いて行けば、これが誠の道であるけれども、どうもその心掛けの間違うとる人に会うたら、手を合わしとるけれども、手を合わしとらんのと同じようなと先生がおっしゃったのです。いかにもそうじゃと思います。これはあなた方が、日に日にのお付き合いの上でよく出会う事です。その時分に、わしは手を合わしとるけれど、先生のおっしゃる、いかにも向こうは手を合わしとらん。神仏という事知っとる人でも、片方が出とらん。 人間の方が出とらんと、ああ、ここじゃなとこうお考えになって、先生の教えの通り、やはり向こうは、向こうの考えが有るんじゃ、こちらから見ると、間違うとるように見えるけれども、向こうに言わしたら、それ人間の理屈がある、理屈を付けとる。どうぞ、それを相手どって、争いをせんように、こちらが先に手を合わした思いでお付き合いせよ。とこういう先生の教え方でありました。それが五百四十二条でございます。
(昭和三十九年十一月三十日講話)
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第五四三条 「人の眼、耳、鼻、舌、身は心の窓のようなもので、この窓ガラスに永年の間のけがれが付いて居る。そうすると、外からはいる光も、内からさす光も、よごれのために、実物通り心に写らぬ。それでも、汚れて居る事を知っておれば、勘違いはせぬが 永年積み重ねた宿縁で、汚れを少しも知らぬために、我とわがでに、不運に沈む。この汚れは外の光では気づかぬが、神仏の御光がさすと不思議によくわかるようになる。わかるようになるとそうじがしたくなる。そうじが出来ると、心の内に御光が さし込んで明るくなる。明るくなるから、もの事がよくわかる。 そうするとこの喜びを自分一人で持ちたくない。何とかして、人にも伝えてあげたい心になる。ここまで来ると、神仏は、この人に知恵を授ける。これがまことの信仰である。」
これは大事な事を先生が、面白うおっしゃった言葉でございまして、人間には、目、耳、舌、身、心と、こういう、その道具が付いております。目は、真っすぐに見える。耳は真っすぐに聞こえる。こういうように思うとるけれどもそうでないのであって、この人間の身に付いとる五官器です。それを本当の事が見えるようにしたいもんじゃと、先生がおっしゃった。ちょうど、たとえてみますと青いガラスのめがねを掛けて、そうしてお付き合いすると、何もかも青うに見える。本当の通り見えんのです。そこをもう立派なめがねで、一ツも色の付いとらんめがねで世の中を渡るようにせないかんと、先生がおっしゃいました。なるほど、私もそう思います。
自分のこの目、耳、鼻、口、舌という事は、日に日に使い慣れていますから、自分の心で使える。それをどうぞ、清浄のふききったガラス越しに、向こうが見えるようにしたいもんじゃとおっしゃいましたが、これはどうすればよいか、その自分の目、耳、鼻、舌、身とかいうものを、本当に色なしに使うというのは、どうすればよいかといいますと、もういつも神様と二人連れ、いつもそういう風に考えとれば、知らず知らずのうちに、自分の目がきれいになり、鼻、舌、舌という事は、もの言う事です。もの言うても、中へわがというものが含んでおる、と先生がおっしゃったのです。なるほど考えてみますと、いかにもその通りで、わしはこう思うんじゃが、あれが、あんな事思うて、不都合じゃ、こう言いたくなる事もありますけれども、それは、わがという心に、色が付いとるので、向こうがいかんように見えるのです。なるほど先生は、いつもわしは何じゃ知らん。財産も何じゃない。丸太の裸じゃ。というようなおつもりで自分の心が清争ですから、そこへ汚れた者がきても、汚れと見ません。先生は。これ取り違いしとるんじゃ、そういうようなお心で、お付き合いしているものでございますから、先生はあの偉いお方が、ごく平凡に見える のです。
ところがお付き合いしてみると、お付き合いするほど頭が下がる。それは先生のみ心が、目や鼻を通して外へ光っとるからです。これはむつかしい事で、よく世の中で争いをしたり、議論をしたり、取違いした行動をとるのは、自分の心が、清浄でありませんから、使い慣れたその目や耳や鼻を、その心で使いますから、外へきたなく見える訳です。これは誠に大事な事でございまして、自分は長らく使い慣れとる、その目や鼻でございますから、真っすぐなと思い込んどるのです。それを先生は、どうぞ自分の心を無色透明にすれば、この道具が皆きれいに見える。こういうようにおっしゃったのです。 それで話は変わりますけれども、お亀です。川に居るあのお亀、あれを六入という名を付けた。六ツ入る。という信仰では、六入というような事言いますが、なるほどお亀は、あの固い甲で囲んどります。手が出る穴、足が出る。
尾、頭、皆あの固い岩のような穴へずっーと引っ込めてしまう。そうして又自分が、それを使う時には又出て来る。 それでお亀は、よく信心に使うてございますが、あの六入というのは、もし悪い者に会うた時分には、すっ込めてしまえ、岩の中へすっ込めてしまう。それで、これは安全だと思うた時には出して来て、自分の事をする。これはあの亀には、そういう得が備わっておる。とこういう事先生がおっしゃったのですが、なるほど亀を見てみますと、あの岩のような中に住んどります。そして、危いと思うたら、中へすっ込んでしまうと岩になる。こういう事、先生がおっしゃいましたが、なるほどこの亀は用心深いもので、鶴は千年、亀は万年と昔から言いますが、万年生きるという道を、かめは教えとる。こういう事先生が聞かしてくれましたが、いかにも大事な事です。
ところが、そんなら、どうして自分の心をみがくかと言いますと、神様にお燈明上げます。お光を、ローソク上げたり、油で上げたり、電気で上げたり、色々所作はございますが、あれ神さんが暗いけん、上げるのではないんじゃ。 自分の心の中に暗がり置かんように、お燈明あげて、そうして自分の心の中をよく見えるように光らしていただく、 こういう為のお燈明だから、お燈明を考えても、神さんや仏さんの光を、わが心の中へ光らしてもろうて、わが心の中に暗がりのないようにせないかん。こういう、とうといお話をして下さったのが、五百四十三条でございます。
私はよく考えましたのでございますが、なるほどなあ、わしは一寸先が暗がりじゃ、ところが先生であったら、そのみ光が、神さん、仏さんに届いて、ご自分の内に燈明が上がっとるようなもんじゃなあと、そういう事感じた事がございます。
これはもう先生にお会いする度に、度々感じますが、ある日私が先生の所から、「先生帰って参ります。」そうすると、先生がおっしゃるのには「村木さん、あの帰りがけに(その時には、自転車で行っとりました)白鳥さんのあの橋の手前に曲りかどが有る。村木さん、あしこは自転車、降りなはれよ。」と、こう先生がおっしゃるのです。はてなあ、あの白鳥さんの曲りかど危ないと、私わからん。すなわち私の心の内暗がりじゃから、わからん。先生はお燈明がともっていますから、それがありありと心の中でお見えになるのです。で、まあ私はそういうお話しを先生から 聞きまして帰り道に、あの回りかどで、ここじゃ、先生が自転車降りいよとおっしゃった。前は見通しがきいとるんじゃから、何もあぶないものはないのですけれども、私は自転車から降りました。そして二、三歩歩いた所が、家と家との間から大きな竹を一杯積んだ車が、穂先を向こうへ向けて、すーっと出て来たのです。車押しとるのは、車の後におりますから、先は見えん。それをつうーっと突き出して来たのです。やれやれそこで私は、先生の方へ向いて お辞儀をいたしました。なるほど私は、心に光が無いから暗がりであった。先生は、これがお見えになっとったんじゃ。こういう事を感じましたが、今先生のこのお話しに、わがの目や、耳や舌、それからわが身というものは、心が使いよるという事お考えになりますか、自分が見よる。自分がもの言いよる。こう思うとるから、わからん。暗がりです。先生は、このわしの五官器は、神さんや仏さんの光で照らしてくれるから暗がりなしに、向こうが見える。こうおっしゃったのは違いないのです。
こういうような事がございますので、どうぞ皆様は無論、私がお話ししなくても、お考えになるだろうと思いますが、目や耳や自分の体は、自分が使いよるのとは違うと思います。自分の心が使いよるのです。
ある人にこんな話がございます。中風しまして、そうして半身がきかんようになったのです。ところが、寒い時です。すそを暖めるため、また火をしていたが、ズボンが焼けて、片方の足が焼けはたしたのを私は見たのでございますが、それは心が片方の足へ通うとらなかったためです。だれでも、わが足じゃと、こう思うておりますけれども、 それは違うのです。心が、わが足じゃと思って使わしてくれよるのです。その心が病気の為に、一部欠げたのです。
するとズボンに、火が付いたのがわからん。達者であったらわかるのです。こら痛いと思うたらのけますけれども、自分がけがするまでわからないで、後で困ってしもうたという事がございました。先生の教えるのは、自分の目や、耳や、体は心が使いよるんぞ。その心がしびれたら、足も手も休むんじゃ。それを日に日にしよる事じゃから、どうぞ、心の方に暗がり置かんように、お燈明上げよと先生がおっしゃったのが、この五百四十三条です。
どうですか皆様、だれでも手や足を平気で動かしとる。もの言うのでも平気で言うとる。そら違う。心が暗がりであったら、ごじゃに動かしたり言ったりする。どうぞ、この神仏に上げるお光でも、神さんが暗いから差し上げるやいう考えではいかんぞと先生がおっしゃったのはここです。このお話を聞いてみますと、いかにも、ああ、ほんに、わしはカタワも同然じゃな。わがの五体の中に、お燈明上がっとらんと私は思いました。これはもったいない先生のお言葉じゃと思うて書いたのでございますが、皆様もどうぞ、そこをお考え下さったらご承知だろうと思いますけれども 心がよそへ向いとったら、手も足も言葉もごじゃになるものです。どうぞ、この神さんにお光上げる。お光上げるというのは一ツの形でございまして、心で神さん仏さんに、み教えに従って行くという事がお光を上げるという事なのですから、お燈明上げるのでも、その心で神さんにお願いせえよ。と先生がおっしゃってくれました。まことに意味深い言葉でございます。どうぞ、そのように先生のおっしゃった事を、自分が実行にうつすという事が大事と思います。神さんの前へは花を上げる、これは目でみる事です。それからお線香上げます。これは鼻の働きです。こういう風に神様の前にささげる物、おリンを一ツたたくのでも、これ耳の仕事です。こういう風に人間の五官器というのは 心に通ずる。心に通ずればこそ、暗がりでなしに明るうに見えるのでございますから、ここをご承知願いたいです。
ある人がお四国参りの際、今日は諸国にまつってある鐘の音を聞かしてやるという。 手を付いて神様の前、仏の前におりました所が、カアーンと鳴って来る。これは三井寺の鐘、これはどこそこの鐘、なるほど鐘は鳴ってはいないのですが、心の鐘が鳴るから、お四国の八十八番の鐘が、寺々の鐘が聞こえたというお話を聞いた事が有ります。 それで人間は耳が鳴るんだ。違います。心が鳴るんであって、あるつんぼの人が、耳の遠い人が、自分の体が悪うて、耳が鳴りよるのです。こんだけ耳が鳴っているのに、聞こえんか、聞いてみてくれ。とおっしゃった人がありましたが、それは間違うたのです。このように、人間の目もその通りに、無いのに見える。音がせんのに聞こえる。
こういう風に、始終心が、五官器を使っているのであって、どうぞ、それが本当に有り難い音が聞けるように、心を澄まさないかん。とういうような意味の深い事を先生がおっしゃってくれましたが、これは私のお付き合いする人の中に不思議な鐘を聞いたお方もおります。不思議な物を見た人もおります。これは心が見せたのですから尊い事でございます。ところがそういう味を知らん人がいう事には、それは、おまはんが信心なから聞こえたんじゃ。こう言いますけれども、信心じゃから聞こえたと言うてはならんのです。それは、耳や目の働きというものは、心が通じてわかるのでございますから、誠の音が聞こえる。有り難い音が聞こえる。こういうような風に解釈をして、目や耳や体は、わしのものじゃ。わしが自由自在じゃと、お考えにならんようにするのがええと思います。こういう意味深い事を先生がおっしゃって下さった事は、実に今日の学問が沢山有りますが、その学問上の理屈と違います。無いものでも見える。聞こえる。と、これは実物が聞こえるのであって、人間はごじゃな事、先刻もお話しする通り、耳が悪うて、ガンガン音がする。こんだけ音がしよる、おまはん聞こえんか、聞いてみてくれと言っているのを私聞いた事がございます。皆心の働きですから、どうぞ心を清浄に、神仏とともに、同行二人で行くならば、本当の事が見える訳です。
これは讃岐に実相寺という名の寺がございますが、実の本とうの姿を見るという事は、自分の心が澄んでいなけれ ば、心が暗がりであっては、見間違うのです。実相が見えんのです。この実相が見えるようになるのは、よほど神仏に接近しとらんと、わからんのでございますから、どうぞ、わがの目や耳やで聞いた事は、間違いないというような事は言えん訳です。それを見せていただく為に、心に光を添え、お線香を上げる。花を上げる。すなわち目や耳や鼻のこれはお手本です。そして心から、お祭りしていたら実相が見えるようになる。こういう事を、先生がお話しなさったのですが、どうぞ、その意味でご覧を願います。
(昭和三十九年十一月三十日講話)
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第五四四条 「人は自分の身、口、意の働きが、世の中への響きが、どう響くかを知りつつする人と、そのような事には無関心でする人もある。よしあしを知りつつする人の中にも、わるいと知りつつも 意地強くせねば、おられん人と、わるいとも知らず、ただ損得だけ知ってする人とある。又知ってする中にも、後の善根になるからと思うてする人と、慈悲心が止められず、せねば居れぬ人という人もある。せねば居れんでする人は、世の中への響きなどは考えておらぬ。このように形が善い事でも、自分に求める所があればよくない。又、心清浄なれば、形はどうでもよいという場合もある。すなわち、ものには自性ないものである。 それであるから、心の実相を知らねばならぬ。心の実相は神仏の御光に照らされねば、明るくわかるものではない。」
自分の身、口、意の三ツが、どういう風に、世の中へ響いておるかというような事を、先生がおっしゃったのですが、その自分が身振りをする。あるいはものを言う。考える。この三ツがことごとく、今まで先祖、親、こういう方がやった事が、自分の身、口、意の三ッに、うつって来る。こう先生がおっしゃる。泉先生は、ちょっと、お付き合いすると、別にお経文読んだんでもなし、深い考えからおっしゃるのでもない。しかし、こういうお話を聞くと実に大変な学問なさったお坊さんでも、ちょっと考えが及ばん位のお話をなさったのでございます。この五百四十四条も、 それでございますが、自分が体の動き方、ものの言い方、思い方、これが世の中へ、どんなに響きよるかという事を先生がおっしゃったのを書いたのです。
これはあんた方もご承知だろうと思いますが、癖と言うのがございまして、あの人の癖はこうじゃ、と人は言うがその癖という事をよく考えてみると、自分の心の中へ生み付けられておる所の、その八識の働きがこの三ッへ出て来るのでございます。先生はそうむつかしくはおっしゃらんが、自分の身、口、意の三ツが世の中へ、どんなに響きよるかと、こうおっしゃったのです。実に意味深い事でございまして、随分これは、色々種類がございますが、先生はこうおっしゃったのです。世の中の響きがどうかという事を考えておる事を、知っとる人と知らん人とある。ただ、 自分も癖でございますから、何げなく言うとるのです。ところが、先生のようなお方が、それを聞くと、ははあと すぐわかる。その事をおっしゃったのです。
これをもう一ツ切り下げて申しますと、功徳を積んだ人の言葉、身の行い、思う事、こういう事と人間の生活の方に力を入れておいでる人の身、口、意の三ツは非常に違うのです。実に不思議なほど違うのでございますが、たとえてみますと、まあ田んぼするとしますか、日が暮れて来た。もう一トンガでも掘ってやろうと思って、掘ったのを、 どういう風に考えるかと言いますと、先生がご覧になると、ああ、もうこれ、もうトンガ三ツ四ツ掘ってもいける。と言うて、これが世の中の足りになるだろうと、ご先祖がお喜びになるだろうと思うて掘る人と、これまだちっと明るいから惜しい、そろばんに掛けて掘る人とがある。その人が言っている事を聞いてみると、この身、口、意の三ツの働きが、人間のそろばんに関係しとる事、それとご先祖が積んだ功徳をその人が、身に付けて働きよるのと、こういう風に見えると、先生がおっしゃったのです。
なるほど、私、考えてみますと、よく働く人の中に、色々種類がございます。よく仕事する人が、自分の一生の会計に関係して働くという人が、随分多いのです。けれども、ご先祖が積んだ功徳を身に付けて、その心で働いていると言うと非常に違う。それを泉先生が面白うおっしゃるのは、仕事という事は、これは六波羅密の中に有る通り、精進波羅密で、せなならん事であります。
ところがある時、妙な事先生がおっしゃいますのは、ご自分は知らんのや。しかし、せなおれんのや。それを先生がおっしゃるには、仕事を遊ぶと言うのです。仕事を遊ぶというと、おかしいようなけれども、もう仕事が面白うておれんのでする。仕事を遊ぶ、仕事をするという事が、人間の会計に関係がある。よう似とるのです。似ているけれども、仕事が面白い。すなわち仕事を遊ぶ。先生がそういう風におっしゃいました。皆様がお寄りになっとる。こう沢山お集まりになっとるのでも、お考えなしてご覧なさい。よう仕事するという人の中に、仕事が面しろうてする人と、欲でする人と、色々ございます。随分この仕事が好きなという人は、夜寝なくても、くたびれない。仕事をして金をためてやろうと思ってする仕事は必ず疲れが出て来る。まあ一ツ考えてご覧なさいませ。先生のおっしゃる仕事を、 遊ぶ人は、万がええとおっしゃった。どうですか、仕事が面白うてする。こういう人有りましょう。そういう人は、 万がええのです。仕事をせな損じゃと言うて、星から星へ働く。同じ、ちょっと見ると似とるのですけれども、仕事を遊ぶ人と、そろばんでする人とこういう種類が有る。これを気を付けよと先生がおっしゃったのです。簡単なようですけれども、中々深い意味がございまして、五百四十四条は先生がそういう風にご覧になったのを、私が書いたのでございます。あなた方の中に、お目に止まった事有りますか。あの人よう仕事する。なるほど仕事するという点から見ると、あまり変わりないのです。ところが先生は、それを二様に分けて、仕事を遊びよる人がええ。疲れがこん。目に見えん方がお手伝いしよるんじゃ。こんなにおっしゃいました。どうぞ、ここの所を、どうぞ、そういうような意味でお考えを願いたいのです。
(昭和三十九年十二月十五日講話)
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第五四五条 「天地の間、何物によらず、自性はないものである。人の心にも真実をいえば自性はない。それが、我相にまどわされ、すべてのものに自性あるごとく見える。そこで益々迷いのふちに沈み執着して、信じ込み、一生をあやまるのである。我相をのけて 実相が信じられたら、神のかわい子である。わずかのちがいで 天地のちがいになる。これのように凡夫となり、迷い暮らすも聖人となり、喜び暮らすも、その間に髪の毛一本しかはいらぬ紙一枚のへだて、これを凡聖不二という。」
これは、一寸わかりにくいのでございますが、我相と申しまして、わがという性根が何にでも付いとるものでございます。ところが、そのわがという心掛けで、判断した事とは、行く先が食い違うて来る。まあ、たとえてみますと道で、これは軍隊でよく教えられたのでございますが、よその国へ行って方向を失うた。夜が来た。これどちらが北か南かわからん時には、木を切ってみろと言うのです。木を切ってみると、日が当たるのは、南です。そうすると、その木を切った切り口が輪と申して、真ん中に一ツ中心が有るものです。中心から皮までの間が、短い方が南じゃ長い方が北じゃとこう言うのです。と割木、割るの上手な人が、まず木を割るのなら、切り口見るのです。そうして、中心から遠い方から、手斧打ち込みます。割りよいのです。よう延びていますから、柔らかいのです。日なたの方は中心から皮までの間が短いのです。どうです、有りましょう。どの木切っても、中心から遠い所と、近い所とございます。これは、木に尋ねたら、木は東西南北知らんのです。自性がないのです。わがという自性がないのです。日のよく当たる方は、あまり伸びません。固いです。陰になる方は柔らかい。これはもし風が吹いても柔らかい方から 風が吹くと、木はいたみやすい。固い方は、引っ張りになっておりますから倒れません。木は自性ございません。自分という考えがありません。お日様と風とによって自分の体を作っとる、その作っとる姿が、自性がないのです。 まあ人間で申しますと、大木も有れば、小木もございますが、それには自性がございます。自性というのは、わがという考えです。財産ができたと、その使い方見たらわかります。自性ある人は、それをどこまでも、子々孫々にずーうツとそれを伝えたい。この財産を離すまいという自性があるのです。
ある人が私所へきまして、お分限者の人です。大きなうちの若旦那が、金を荒く使って、まことにお気の毒な状態になったお家があったのです。そのだんなさんが私の所へ見えて「どうも私とこ、手元が不如意で、いくら言うても、 若いものが聞かんのでございます。どんなにしたらええだろうか。」私はお気の毒に思いまして、こういう話をしたのです。「あんた方の川にユル(井堰)というのがございますね。」「へえごさいます。」「このユルに種類が沢山ございます、あの海岸で塩水が入ったら、いかんという所の戸は、海の方へ戸が向いとるのです。それは塩水が押してきたら、たつようになっとるのです。あおり戸です。 ところが、所によりますと、いつも水が流れておる。海の方へ流れておる。それは、真水をかこうて置きたいのじゃけれども、塩水がはいって来ると困るという所に付けてあるのは、内らの方に、あおり戸が付いとる。外に付いとるのと、内らに付いとるのとあります。」と言うと「ええ、ございます。」「それから水をはくのも、入れるのも自由自在にできるが、これが、抜き差しの戸、上げ下げして締める戸がある。つまり、あおり戸が、内らに有るのと、外に有るのと、真中に有るのと、三ツございます。」と言ったのです。すると、その旦那はんが「ああございます。」「さあ、あなたのお家はどうでしょう。このユルの戸に比べたら どの戸になっていますか。」と私聞きました。ところが「そうですね。私所は三代になるんじゃが、出すまい出すまいとしています。」「ああ、そうですか。そうしたら、どの戸でしょう。」「内らのあおり戸ですなあ。」って言うのです。「ほら、水が流れて来たら、つかえるばっかりになって外へ、はきまへん。そのように思います。」その人は、 合点の早い人で、「私とこは内らにあおり戸が掛かっとるユルの戸だろうと思います。」「ところが、内らにあおり 戸が掛かっとるんじゃから、水が余計たまった。お宅それで、たまったんですか。それで大きなお家出来たんでしょう。」「そなに思いますなあ。」「ところが、水がよけいたまったら、どんなになるでしょうか。水がつかえて作物が出来んようになります。」「はあ、そうですね。」「どうでしょうか、失礼でございますけれども、お宅はこの頃 ちょっとお困りでごわへんか。」「へえ困っております。それでご相談にきたのでごわす。」「さあ、ここで一ツ考えてもらいたい。その内らのあおり戸を、外へ出す方法がいりますなあ。そうせんと水がつかえて、せっかく作物を 作ろうと思うて、あおり戸こしらえたんじゃが、出んので困る。」「わかりました。」と大きな声でいうのです。
「そうですか、どんなにわかりましたか。」「私とこ、昔から家のこの財産のできた訳をじいーツと考えてみますと ためるばかりしました。」「ああ、そうですか。するとそこへ、お若いし(若者)というのができてきて、たまっとるに任せて、どんどんと外へはく戸と替えたのでごわへんか。」「そうでんなあ。」と言うて、感心しておいでたの です。「そんならこれからのやり方一ツ、抜き差し自由な戸にしたらええと思います。」「そない思いまんなあ。」
ところがそのご主人、中々合点のええ人でございまして、「いやこれで、泉先生のお教えわかりました。今までユルの戸の入れ方が間違うていました。変えます。」と言うて、お帰ったんでございますが、もう三年になります。
その三年の今日で、家がばん回しまして、とまりました。きれいにご主人がその訳がわかって、そして、お若いしと、日に日にのお仕事なさるのでも、ちゃんと戸を三ツの差別をご子息にやらせているという事です。三年の間に家があぶなかったのが直りました。
それを先生がおっしゃる。この自性というものがあったら、どうもその内らへ、あおり戸が有ってどうもならんもんじゃ。ところが、やりっぱなしになったら、外へあおり戸が掛かって、どうもならんもんじゃ。それにはやはり抜き差し自在の中心がいる。どういう時に抜くと、これが神仏のご先祖の考えと同じかという信仰心がいるんじゃという事が、そのご主人にわかったのです。
こういう風に泉先生は、そういう家のやり方でも、ユルの戸にたとえてお話しなさる。それはそこで、むつかしく言いますと、自分の家の、今から将来に関するやり方ですが、その実相がわかるうちは、これは世の中の動きに合わしとるか、合わしとらんか、そこで、自性というのがないようになって、実相というのができて来る。実の通り見える。自性というのがありませんから、こういう事を先生がおっしゃったので、書いたのでございますが、何でもない事ですけれども、自性というのができると欲心が出来ます。自性なしにやりっぱなしたら、これは始末におえん事になります。そこで信仰心という心で、ユルの戸抜き差しする事が必要じゃ。と先生が教えたのが、五百四十五条でございます。
これは、あんた方皆ユルの戸ご覧になったらわかります。外へ、あおり戸が付いとるのと、あの矢倉のは外から塩水が入らんように、外へあおり戸が付いています。内らへ付けると真水は出んが、塩水が入るという事になっとる。
これもいきません。抜き差し自在の戸を付けると結構ですけど、抜き差し自在の、自在は、だれがするんならというと、神仏に任す。これ信仰心で抜き差しやる。こういう意味深い所のお話を先生がなさったのです。
どうでございましょうか。話は簡単でございますけれども、相当家のやり方に意味が有ると思います。これをその意味で、お考え願ったらええと思います。ユルの戸が、色々種類が有りましょう。抜き差し自在が一番ええのです。 その代わり、抜き差し自在の中心をどこに置くかというと、神仏に置く。こういうふうに先生がおっしゃったが、実に意味の深い事でございます。五百四十五条その意味でご覧願います。
(昭和三十九年十二月十五日講話)
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第五四六条 「信仰の不思議に会った時に人知で、分析判断するひまで喜んでお礼を言うのがよい。人間根性で判断出来ぬものである。ある人が泉聖天さんの道普請のお手伝いに出ておった時、国元から 子供の病気で、すぐ帰るように電信が来た。やみの夜であったが、さっ速自転車で飛んで帰る途中、この登り坂で天ぐに会うた。そして、自転車を先引きしてくれた。自転車は踏まんでもよいからかじだけとれという。その通りした。その早さおどろくばかり、途中でわかれたが、いつもの半分の時間であった。 この途中を普通の人が見たら、ただの自転車のりにしか見えぬが、神仏に通ずる人の目で見たら、不思議な姿が見えたであろう。このような事は人知で分析せぬのがよい。」
これは、私のよく知っとる人のお話でございます。お名前を言うのは、やめときまして、そのお方が、先生とこへおいでとったのです。お参りに。すると、その人のお宅から、病人が出来たから、早く帰れという電信が着いたので す。ところが、そのお方が、誠に信仰深い人でございまして、「ああ先生、今からおいとまします。」と言うてお帰ったのです。ところが自転車です。その時はまだ汽車がありません。自転車でおいでとったのです。ところが、あの大坂山をうんうんと言うて上がった所が、天ぐさんが出て来まして「先引きやったる、お前かじ取っとれ。」そんなに言うもんですから、「お頼み申します。」と言うた所が、もう引っ張る早さというたら、もう目が回る位自転車が走る。そしてハンドルだけ取っておったら、ええんです。本人はそういうお考えでおいでたんですが、もしその時に、通りの人が見たら、どんなに見えたでしょうか。あの人、自転車乗るの上手じゃなあ。早うに走るなあと、くらいに 見えましょうか、ところがその人が、あの大坂の山を越えるのが、たった一時間で越えとるのです。上がり下がりを一時間で越えとるのです。中々、足で踏んでご覧なさい。あの坂を上がって、下がるのを一時間やでは出来ません。
でも、そのお方は、楽に天ぐ様に引っ張ってもろうて、かじだけ取っとったんですから、一時間足らずで山越えた事になっとるのです。
そういう事がございましたが、これが不思議でございます。お手伝い下さる。もし信仰心の無い人にこういう話をしたら、天狗さんやが自転車引っ張ったりするか、そうおっしゃるかも知れませんが、その途中で、そのお方がハンドルに、先生とこの水を入れていただいて、それを病人に飲ますっもりで、お帰りになっていたのです。そうして山越して下へ降りた時に、何やらけつまずいて、石に当たって自転車がひっくり返ったのです。その時に、一升ビンを風呂敷に包んで水を入れとるんですから、こわれんならんはずなのに、一升ビンを手に持っていたという事です。そうしてお帰って、その水を病人にお上げになって、病人は全快しましたが、その後での話を聞いたのです。
その時に「乗り具合どうであったで。」と聞いたら、なんせ、ひも付けて天ぐ様が引っ張る時は恐ろしい位走った。私は、ただ、かじだけ取っとっていたんじゃが、さあ早いたって、道ばたの松の木や、ヒュッーと目に見えん位走りました。そう言うのです。それでよく考えてみますと、その時には、お手伝いが有って足で踏みよるけれども、ほとんど、ちゅうに走ったと言うてもええ位です。 こういう不思議が有るものでございます。もし、わがの足で踏んでいてひっくり返ったら、ビンは割っています。ところが、倒れた時はビン下げとったと言うのです。まあ、これ位、 大きなお陰をもろうて、お帰りよった人でございますから、ご病人はすぐにようなりました。こういう事を不思議と宗教では言うておりますが、まあ不思議と言えば、不思議、人間の理屈では、わかりません。そういう事が有るのでございますから、どうぞ、わがの力と言うのを余り考えないで、助けてやりたいという慈悲心に燃えてお帰りよった訳です。その人の心の内には、病人に、早う帰って病人にこの水飲まして、助けてやりたいとしか思うていなかったのです。その人の目には、天ぐは、見えたのですけれども、もしお連れが有ったら、そら見えません。とても、その人には付いて行けなかっただろうと思います。お連れが有っても、これ位、人間の体には不思議が起こるのでございますから、どうぞまあ、口で言うたら慈悲心とでも申しますか、かわいそうにと、それだけしかなかったのです。それで、そういうお陰が受かったのです。もう今、その人ありませんけれども、そういうお話しを承った時に、ああ、ほんにあり難いもんじゃなあーと私思いました。
あの山を上がり下がりに一時間掛かっておりません。そうおっしゃいました。中々随分達者なお方でも、あれ一時間では行けません。で、ぼつぼつ、私お参りの道すがら、不思議な事もよう有りましたが、その時分には、さほど自分には苦痛しとりません。楽に行きょるのです。まさか天ぐさんが、綱付けて引っ張りよるのが、だれの目にも見えたのでは有りません。ただ、本人の心のうちに、そういう人が引っ張ってくれよるように思えただけの事です。そういう事は、ぼつぼつございますから、どうぞ、信仰を深くなさったお方が助かるという事は、訳ない事です。まあ口で言えば不思議なと言うより仕様がございませんが、そこの不思議という事の解釈は、人間の理屈ではわからん事です。
こういう事よく先生がおっしゃいましたので、それもここへ書き入れたんでございます。
撫養に割り木をよく割る人が有ったのですが、一升というのは、何ぼの事を言うんでございますか。割木を高さ三尺で二間巾ですか、それを一生懸命割るのです。だれが行ってもかなわんのです。私が、「おっさん、あんた割り木割るん名人じゃなあ。何ぞ、あんた心で思うとるんですかい。」と聞いたところが、「私は、割りよるんでない、この手おのの柄見て下さい。」お手打ちのようです。それに、その人の指、握っとる所、指の後がいっとるのです。ちびとるのです。手おのの柄が、「ああこれ位、あんたの手に力入れとるんですか。なんぞあんた、思うとるんですかい。」「いや、何でもないのです。私は、小さい時から、私の親がご真言、急いだ用事する時はご真言繰れと言うてくれましたから、ご真言繰ります。ご真言繰りもって割木割ります。」普通の人は、これ一升割ったら、いくらもうかる、全く勘定づくです。しかし、この人は、もうけや何や、そんな事考えとらん。ただご真言繰りつつ割り木割りよるのです。そうしたら、ちょうど手おのが当たる所へ、うまい事割る木が当たる。パンパン開くんです。そういう人が、撫養の北浜におりました。実に不思議。割り木割らしたら不思議なほど割るのです。
それはせんじ詰めたら、何ぞと言ったら、ご真言を念じるという事しかないのです。その人が私とこへ来て「だんな、不思議なもんじゃない。ご真言ちゅうのは有り難い、それだけか、私考えとれへんのじゃ。」と言いました。これ等も不思議でございます。「おっさん一ツ今度ぶり、浄瑠璃語るか、歌、歌うかして、割ってみたらどうぞい。」 「いや、そんな事しやしません。け我します。私は、親から教えられたご真言で割るのでごわす。」と言うて、ニコニコ笑うておいでました。 なるほどこれは、大きな意味のある事でございます。自性という事、五百四十六条に書いて有るのは、自性、自性無しにせよ。という事です。人間には皆、自性と言うのがございまして、これ一升割ったら何ぼになる。これ自性ですな。わがの考えです。それを、そのおっさんは、これを割ったら、非常に世の中の足りになる。ご真言繰って割った。ご真言繰らずに割ったんと、繰って割ったんと、それ位違う。「私や、歌、歌うん恐ろしゅうごわす。もう割木割り出したら、ご真言ばっかりでごわす。」そう言いましたが、そうすると、私等が片方の手で、割木割る時分には 手おのの柄のあっちや持ち、こっちゃ持ち、苦労もんじゃと思いますが、その人の手おのの柄には、片方に四ツ指の 跡が入っとるのです。片方に一ツ入っとるのです。それは、手が狂わん証拠です。何べん打ったって、そこへ力を入れて手が狂うとらん。これもちよっと、まねが出来ない。手おのの柄見ても、指の跡が入っとるの見て、私びっくりしました。
これは、人間が何ぼ力入れても役に立たないものです。どうぞ、ご信仰には、このように一心になるという事が一番大事なように思います。わが心離して。
(昭和三十九年十二月十五日講話)
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第五四七条 「理上成仏は地図によって、地理を学ぶ様なものである。事上成仏は旅行で地理を知る様なものである。理もすててならぬ。事は尚さら大切なものである。」
「信仰は学問と違う。学問と申せば、お経文研究の学問で、信仰でごわすな。それはちょうど地図をみよるようなもので、地図みて話しすればできます。ところが、実際その地図でなしに自分で歩いて、旅行してみるというと、地図でみたよりか、よほどかわっとります。そんなようなものじゃ。」と泉先生がおっしゃったのです。
なるほど、四国八十八ヶ所を、あの四国の地図を開いてみますと、一番から讃岐へまわって、八十八番で終っとりますが、地図の上でみるというと、山も、川も、野原も、皆はいっていますが、実際四国へ、つえをついて歩いてみると、よほど変わっとります。こういうようなもので、信仰、理屈で、学問で研究すると、なるほど仏様がありがたい事もわかる。助かることもわかるとは書いてはございますけれども、実際に自分がそれを見、行のうて、そうして本当の神仏におつきあいした場合は違うぞと先生がおっしゃったのはここでございます。それを五四七条にかいとるのでございますが、こういう事がございます。
これは、信仰の理屈をきいて、ありがたいというんを聞いてはおりますけれども、やぶの中へはいりまして、そうして月も、お月さんも、星さんも、そう陰が射すほど照っておりません。それに、歩いておる自分のかげが前へ映るんです。それで、これは不思議じゃなあと思って、手をあげてみたら、かげはパット消えてしもうたのです。
それはすなわち、神仏と脈が通うとる間は、自分の事が実際ない事が目にみえとるけれども、もとの人間にかえった時は消えてしもうて、それがない。こういうような風に、本当の信仰が神仏に通うとる間は、ほんとに信仰にはいっとる見えかたになるのですけれども、理屈でいくというと、やみはやみ。照りは照りと、そういう風に、地図と実際とが違うように、信仰の方も、理屈の学問と、実際の信仰とは、違うという事を先生がおっしゃった。
それはいろいろ例がございますが、あのさぬきの大島という所の近くに岩屋があるのです。そこへはいって行を沢山なさるんですが、大きな長いへびが出てきまして、そうして、行者の体を巻くんです。そうして、七日の間、日に日にそういう行をすました人が出てきたのがございます。それは、讃岐の町田という所におった、おばあさんですが、そのまねをして、わしもひとつお陰をもらおうと思って、はいった人があるのです。それでおばあさんは実際に、心から信仰にはいっておいでたのですけれども、あと、わしもいっておかげもらおうと思うていた人は、なるほど岩屋へはいって行をしてみた。ところが、夜がくるというと、なんじゃら音がしたと思うと、海へほうりこまれて、泳ぎ着きかねて帰った人があります。こういうふうに実際地図を見、信仰しよるようなもので、わが身に着けずして、神様、仏様の世界とは、人間と違うと。こういう人がいくというと随分違うのでございますから、先生が気をつけよとおっしゃったのを、私は これは五四七条に書いてあるのです。これは、あなたがた、おためしがあるだろうと思います。人間の目、耳、鼻、口、身というのは、向こうの相手方がまあ、たぬきであったとしたら、たぬきの力があらわれてくるのです。神仏だったら神仏の力があらわれてくると、こういうような風に、まるっきり違うた世界へはいる事ができるんでございますが、人間の力で勉強したら、やはり人間の力で、神仏のありがたみをいうのと、よほど違うんでございます。それをよく気をつけよと先生がおっしゃいました。
(昭和三十九年十二月三十一日講話)
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第五四八条 「自分の苦を救われんとして神仏にすがり、不思議を見て、物に執着して、我を悟らず、そのままを人にうつして得たりとなすべからず。不思議を見ても、それで喜べねば、何にもならぬ。 人の苦を抜き喜ばす事が出来ねば、神仏のありがたみを人に、施す事は出来ぬ。そこで、どうしても一切知を神仏よりいただかねば人が助からぬ事になる。このように慈悲心から、神仏の力を願う人を菩薩というのである。そして、この尊い仏智見を ゆるされた人を悟った人というのである。」
これは今、話した不思議です。その不思議に会うて、そのまま人が助かるかというと、そうではない。その不思議におうて、その不思議の訳を自分が悟って、人さんの上へもっていって、困っておいでる人を、その原因から除いて楽しみの世界へ出るように導くのが、それが本当の事じゃと。不思議に会うたからって、それでたちまち、人が救えるかと、そうはいかん。やはり、そのわけがらを自分が悟ってからでなかったら、助からんものであるぞ、というお話しをなさったんですが、これにもいろいろ例がございますが、ある時、泉先生が、生駒山へおこもりになったんです。ところが、生駒さんがおっしゃるのには、生駒山がおっしゃるって、先生がおっしゃる。思うんです。 「わしの所へは、もうこれでよかろう、さぬきから迎えにきたらもう帰れ。」と。それで先生のおっしゃるのには、 「私は、もうこれで卒業したけん、いねとおっしゃったって、なんじゃ知りません。それで、どうぞまあ、しばらくかよわしておやんなしてつかはれ。」と言うたところが「いや、お前がいうんでないんじゃから、わしがいうんじゃからかえれ。」と、それではというので帰る事にいたしますというて先生がお帰えったのが、先生三五のお年です。
先生はお帰りになりました。私は、お目にかかってお話し聞いたんでございますが、先生は、誠に、このおもうけという方を重きをおいておいでんものでございますから、お金が少のうなったんです。ところが、もろうた子に弁さんという子がございましたが、その弁さんが学校へ行く。「おとう、あした、学校があるちゅうけん、石板こうてくれ。」という。むかしは 石板もっていっていました。「ええ。」とは先生は返事したものの、さいふの中に銭がない。こりゃあ困ったなあと思って、浜へ出ていって、浜へあげてある小さな船の中へはいって、あの船のへ先へ、頭つっこんで、先生が心配なさっていた。これ、石板が買えんがなあって。そうすると「おい、おい。」と外でよぶ人がおりますから、だれかなあと首をつきだしてみてみても、だれもおらん。また、先生は頭をへさきへつっこんで考えても、どうも金ができそうにない。また「おい、おいっ」と呼ぶ。これなんべんも呼ぶなあと思って、こんどは船の外へでてみたところが、「わしや 金時不動じゃ。」あの五剣山の、四の剣の金時不動がでておいでた。「おまえ 金が無くて心配しよるふうじゃけん、明日持ってきてやるけんな、もう帰って寝な」と。ご自分がそうおっしゃる。 それなら、もうおっしゃるとおりせないかんと思うて、お帰って、おやすみになった。
すると朝、先生とこの戸をたたいて「あんにゃんよ、あんにゃんよ。」と先生は、まあ人をおがみなさってからみなが先生いいますけれども、その時はあんにゃんといっていたらしいのです。「あんにゃん、起きてくれんかい。」 「よっしゃ。」といって、先生がおきたところが、若者が番なわで、がんじがらめにくくられとるのを、それをふご (もっこ)でかついできとるんです。「あんにゃん、うちのが荒れて、荒れて、やかましゅう、しょうがないけん、つれてきた。」「あんにゃんところへ行ったら、いうたるわ。ほない、いうけんつれてきたん、頼むわ。」と、「そうか、ほなけれど、わしおがむん知らんのじゃ。」「ほなって、若いしがあないいうのに、たすけてやってくれ。」「そうかいな。」そうして先生のお座敷へ、その若いしをかつぎあげて、なわでくくったまま、先生の横へすわらせたのです。
ところが先生は、おがむすべ知りません。帰命天道はやいうん先生はお知りにならん。最初は、おんきりくうぎゃくおんそわか、だけかお知りにならん。何もしらん。ここが先生の中で、地図の上で世界を知っているのとちがうのです。先生なにもお知りにならん。ところが先生は、神様の前で手をあわせて、おんきりくうぎゃくおんそわかを何十口おっしゃった所が、若いしが「といてくれ。」というものだから、なわでくくってあったのをといた所が、 「これまあ、不思議なことじゃ。わし直ったわ。いっしょにいなんか、兄にゃありがとうよ。」と、それっきり直った。ところが、そのつれてきとる人が、これ兄にゃんに礼せないかんなあと、小さな声で二人が相談ずくで、昔のことでございますから、安いんでございますなあ、五十銭つつんで、先生の横へおいてある。先生がおっしゃるのがおかしいので、これを申してよいか悪いかわかりませんけれども、先生に聞いたとおりを私、申しますが、先生が片いっぽうの手を開いて、五本の指出して、これで石ばん買えるわいと、いうぐわいで、そう先生がご自分でおっしゃる。ここですなあ、まあ経典を研究して、理屈をいうて、お説教をいうた所で、そうはならんです。先生が片一方の 手を出して、五本の指を出して、もうこれで石ばん買えるぞって、まあ、そういうたとおっしゃる。
先生が、それからまあ、その若いしつれて二人は、ありがとうよというて帰ったのですが、先生が又、こんどぶり、もうひとり、もひとりくると、そうおっしゃるもんじゃから、そうかいなあと思ってすわっておいでたら、又来ました。こんどは 若いしが、キャラ キャラ、キャラ キャラ笑うて笑ってしょうがない。やたらに笑う。「兄にゃん、これうちのが、こななことして、仕事せんと笑うてばかりおるんじゃ、これどないぞしたってくれと、さあ、先生がまた、 神様がおがめというものだから、神様の前へすわって「おんきりくうぎゃくおんそわか」とおがんだ。すると今までやかましゅう笑っていた若いしが、ひよっと、かしこまって、ひざの上へ手をおいて、「わいもう直った。」というんです。「わいもうなおった、兄にゃんありがとう」と。これが先生の一番はじめての人助けの元でございます。
それまで、先生は、生駒山へ何百ぺんおまいりしましたけれども、いまだかって口で、そんなことおっしゃった事なかったと先生はおっしゃる。「それでひとりいうんじゃわ、わし知らん。」これが、生駒さんがおっしゃった「わしがいうんじゃけん、おまえだまっとれ、なんじゃ知らいでええわ。」といかにもありがたく感じたと先生おっしゃいました。これが五四七条にかいてありますとおり、理屈の上で成仏した、すなわち、お経文など研究して、それでわかったというのと、たとえてみると地図でわかっても行ってみなければわからん。行ってみると地図に書いてあるとおりではあるが、実際景色が違うというような物で、私がはじめて不思議に会うて、あら、わしがものいうた。あんなことをいうた。言おうと思っていないのに言うたということが、これがまことの旅をしよるようなものじゃと。
で、先生はそういうお経文など習っておりませんが、ご自身がおっしゃって、そうしてそれが、事実のとおりなってきたというのは、これがはじめての先生のおかげであったそうでございます。
このように、信仰というのは、理屈の上で仏さん、神仏のありがたみというのは、いいますけれども、実際自分の身にうけた時とは、まるっきり変わって感じるのです。それでこういうことを先生が、ありのままにおっしゃったのを私承りましたから、書いたのでございます。
(昭和三十九年十二月三十一日講話)
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第五四九条 「慈悲心が心の中にわき起こったら、下に向いては、あわれみの心となり、上に向いては、絶対服従の姿となって表われるものである。この動き方が違うておったら、人間的の理屈がどうであっても、天道にはかなわぬ。」
これは先生が、お経文けいこなさらんけれども、慈悲という事をおはなしになったのでございますが、先生はありのままをおっしゃる方で「村木さんよ、わしはなんじゃ知らんのに、それに、どないせえ、こないせえとおっしゃったり、物見せたり、目に変わったもの見せてくださる。世の中の人は、これを不思議不思議というが、わし、わからんわよ。村木さん、ほなけんどなあ、わしは人を見るというと、こまっとる人を見るというと、自分の子や兄弟がなっとるように思うて、直してやらなおれんのじゃよ。ただ、それだけか思うとれへんのに、あんなに皆がおっしゃる。
それで不思議なけん、わしゃきいてみた。『神様、私は修行しとらんのに、それに、なんじゃかし教えてくださってありがとうて、もったいのうて、しょうがごわへん。』というと、『それはなあ、おまえの心の中に、慈悲心というのが出来とるんじゃ、人と見たら、よその人と、わしとこう区別したら、慈悲心は起こらんのじゃ。もう自分の子じゃ、兄弟じゃ、切るに切れぬというたら、これは人間の理屈なんじゃ。おまえの心は、まことに人を見たら、わが子のように思うとる、それを慈悲心というぞ。』というてくれたわ、村木さん。村木さん慈悲心ってむつかしいなあ。」 そう先生がおっしゃったのをこの五四九条に書いたのでございますが、だれでも慈悲という事はよくいいます。よく言いますが、まこと慈悲というのは、人の身と、わがの身と区別しとらんのを、慈悲心というらしいですね。ここでよくあなた方が、常々お話しの上で慈悲心というのをよくお聞きになると思いますが、この慈悲心というのが、先生が、まことを白状というたら、もっ体ないけれども、ほんとの事をおっしゃって、わしは、つまらんのぞと、わしはこけどっくりで出放題やりよるのに、それに恐ろしいものじゃのうと先生がおっしゃったのを書いたのがこれでございますが、ある時こういう事の例があるのです。
おうばさんが子もりをしておりまして、そのおうばさんが赤ん坊が道の上で、はっておるのを見ていた。それが、ちょうど三階の高い西洋建ての下で、子供が石を拾うては、ほうり、拾うては、ほうりしておるのを、その横でおうばさんがおったのです。すると、どういうはずみかしりませんが、赤ん坊の手が上からおってきたガラスで、パッと指が切れた。切れて飛んだのです。あらツと思って、おうばさんがびっくりした拍子に、おうばさんの指が切れとらんのに動かんようになった。そうして、先生とこへきたのです。そのおうばさんが、そして先生が拝んで直した事がございましたが、ちょうどその赤ん坊の手が切れた時の思いようです。わが手が切れたのと同じに。あらッしまった、かわいそうなことした。その思いが慈悲心でございますから、あなた方が神仏のお話を聞く上に慈悲心という話が出たら、それは人と我との区別がない、かわいそうにと思う心が慈悲心とおぼしめしたらよろしいんです。まあ、なかなか慈悲心ということは、口ではいいよいですけれども、そういう感じが起こりにくいものです。
私がある時、小森から段関の方へはいってきよったのです。すると道でおばあさんが倒れとるのです。倒れているので、寝ているのではありません。ひざ組んだようにして道で倒れとるのです。「おばあさん、どうしたんで。」と、わしが尋ねた所が「どうしたって、私とこの家が今焼けております。」「どこにな。」というて見た所が、南の方が赤くほでっとるのです。「おばあさん、おまはんくの家焼けよるんで、あれおまはんくの家でかい。」「今通った人がそない(そんなに)いいましたけん、びっくりしたところが、腰がシーンとして動けんようになって、すくんどるのでございます。」「おばあさん、あんたが、いよるのは、あの喜来っていよる。あれ喜来の方向と違うでよ。」 「あれは、だいぶ東へよっとるでよ、ほら違う、だれがほないいうたんぞい。」「若いしがほない言うた。」「あれおばはん、おまはんくが燃えよるというて向こうへ走った。」「それはそうかもしりませんけんど。おばあさん、わしが見たら方向が違う。喜来の方はこの真南になるのに、あれは東でないでかい。」「ああそうかいな。」というて、そして、よう見よったら腰が立って歩いて帰りましたが、この思いです。ああうちの家じゃと思いこんだ、その思いで腰がぬけたんです。慈悲心もその通りで、ああかわいそうにと思う心が向こうの人になるんです。今のおばあさんが驚いとったのは、それは間違いであったんですけれども、あっと思う思いが、自分の家が焼けよると思いこんだんです。と同様に、人の身の上の難儀でも、ああほんにかわいそうにと思うと、その人になれる。その人になってしまう。そこでその慈悲心の結果がもし信心であったならば、神仏が教えてくれると、こう先生がおっしゃいました。
思うということが、もとです。でまあ、このすべて信仰は、思うということが基になるのでございます。
(昭和三十九年十二月三十一日講話)
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第五五〇条 「世の中で、おそろしいものとては、我心である。とらや、おおかみは、こわいといっても、めったに人を害するとは、決まっておらぬが、わが身かわいやという、わが身を愛す心は、必ずわが身を害する。もし心に苦痛があれば、これは我心がある証拠と思うて、わが心を詮議して、見ねばならぬ。」
五五〇条に書いてあることでございますが。先生がおっしゃるのには「村木さん、恐ろしい事は余計あるけれども 何が一番おそろしいと思うか。」「先生、動物園へいって、あのライオンよりも、トラが こっちみたら恐ろしいない。」といったら先生が笑いなして「そら、おそろしそうな顔しとるなあ。ほなけんど村木さん、一番恐ろしいんは自分の心ぞ。」それから、そろそろ先生がお話して下さったことを聞いてみますと、自分が思う事には、種々雑多のことを思います。いろいろな事を思います。あんた方でも、そうでしょう。思わずにはおれません。人げんは思うものです。思うという、その思いが先刻お話しするように慈悲心に現われる。あるいは間違うて、だまされる。そんな時には、その思いというのが非常に強い力を持っとるように、あんた方は常に思いなさる事が、人をかわいがると神仏を尊ぶと、こういうような事を思いなさるというと、その思う事が神仏に届くんであって、思わないと届かんのです。
「それで 村木さんよ、思うという事は恐ろしいなあ。今、わしが話ししよるの、 恐ろしくはないけれども、それでもし悪かったら、どうなら。いろいろ欲のために、いろいろみ事を考えると、そうするというと、一生よう出てこん地獄の底へはいるのも、わが心ぞ。またありがたいおかげをうけて、そして立身出世をする、面白い世渡りをするというのもわが心じゃ。それで一番おそろしいのは、我心でないんかいな。村木さん、トラもおそろしいけれども、トラはふせぎようがある。我が心は、ふせぎようがない。思い出したら、それを日ごろ、わし、こんなつまらんことをよう考えるが、それ思うても、それがやまらん。生まれついとるから、それをきれいに洗だくしてくれるのが神仏ぞ。 村木さん、わしはなんじゃ知らんのにそれに、ありがたいと思うとる。わがでに。おしょう天おふでに、こけどっくりいよるのに、それに皆が先生、先生言ってくれるようになった。まことに有り難うもあり、こわいのは我心じゃ」と先生おっしゃった。なるほど考えてみますというと、思うという事ほど、こわいものはございません。
これはお話しした事があるかも知れませんが、私は酒屋を撫養でしとります。あの酒屋の、西に今、学校がございます。あの小学校のあたりに、たいいけといいます池があったのです。そのたい池のはたに、小さいおあんがございまして、おばあさんが、娘さん一人つれておいでたそうです。そのおばあさんが、まことにお大師さんに日に日にお参りする。金光山のお大師さん。あの谷から行くと、金こう山の裏へあがって行くのです。それでまあ、おばあさんは、お参りが好きなので、お大師さんにお供えものもって、日に日においでていたところが、人間の体というのは、いつ病気せんとも限りません。おばあさんが腹がこう、大きいにふくれてくる。次第次第と腹がふくれて、まるで常にしめている帯が、こんなにあわんようになったと娘さんに言うと「おばあさん痛むので。」「いや、いとうないんじゃけど、こないはってきてから苦しいわ。そしてまあ、金こう山へ行くのを、村から谷をこえておいでよ。わたしは、もういけんようになった。そうして、まあ金こう山の下までいって、お大師さんもうここからいけません。」
そして、そこから拝んでおいて、お供えものは、うちへ持って帰って家からお祭りして「お大師さん、もうこらえてつかはれ、もうこれ谷から上へあがれません。」というようになったんです。そうして、しだいしだいと腹がふくれてしもうて、今でいうたら、ちょうまんという病があって、腹がふくれる。しまいには、もう谷どころか、家から出られんようになってしもうた。そこの家に、おあんの家の北側に 窓があって、窓からきんこう山が見える。窓から「お大師さま、もうちょうまんでいけませんから、ここからお受け取りなしてつかはれ。」というて、一日も欠かした事がない。とうとう、そのおばあさんは、まあ金こう山へ行けんようになってしもうた。
ところがある晩、夏でございました。お大師さんに窓から拝んでおいて、かやの中へはいって、もう休まんかといって、まあ、その娘さんといっしょに寝た所が、お大師さんがこんど向こうからおいでて、「ばあさんよ、来られんか。そんなら、わしがきて直しにきてやるぞ。」と、お大師さんが何やらかごみたような物持っておいでる。「そら出せえ。」とお大師さんがおっしゃったところが、いちごみたような丸い固まりが口から出てきた。いくらでも続いて出て来る。盛り上がった。あらこれ、ようけこと、いちごみたようなんが出てきよるというて、腹さすっても腹はしだいとこもうなっていきまして、もう常のようになって、やれうれしゃと言うんで、目がさめて娘さんを起こした所が「うん、ばあ、わしがもっていぬわ。」「いや、もったいない。」というて、あかりをつけた所が、なんにもない。おばあさんの腹は、すぼんでしもうとる。そこでそのおばあさんが、お大師さんにお礼に山へ登って、ここが、おばあさんがお礼にきて、線香立てた所じゃとわし聞いたことがございますが、そういうお話しがございます。
それはこう思うんです。せんじつめると思うんです。お大師さんがもう好きで好きでおれんから、お参りに行っていた。好きだと思う、思うという事が恐ろしや、医者がよう直さんそのちょうまんを、いちごのきれみたような物、 のどから吐き出して、おばあさんに思わして、とうとうそれがなおった。有名な大家のおばあさんの話しが残っとります。まあ、これも思うということが、こういうふうになるというめでたい話でございます。
(昭和三十九年十二月三十一日講話)
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