461~470条

TOP

第四六二条へ 第四六三条へ 第四六四条へ 第四六五条へ 第四六六条へ  第四六七条へ 第四六八条へ 第四六九条へ 第四七〇条へ

第四六一条 「世の中の実相が見えるようになったら、自然に自分のなすべき事は決まって来る。これが本当のお陰である。」


これは先生がそうおっしゃったのでございますが、大抵は、この実相というのが見えません。実相というのは、本当の有様という事でございます。大抵間違うて見るのです。どういう風に違うて見るのかと言いますと、お金をためて、そうして、自分が大きな身分になったら、これが幸福である。と、思うとるのです。だれでもそう思うとります。それに違いありません。ありませんが金だけで人は助かるものでもありません。
そういう風に、人はどうでもええ、自分が助かったらええんじゃというように思って進んで行きよりますと、そこに悪魔がさしまして、金はできたが家が修まらん、病気が多い、朝から、家の中では理屈でこね合いをやっておる。
こうなりますと、せっかく金をこしらえても、それがかえって毒になります。これは、よく世の中には沢山ございます事、あんた方ご承知でございましょう。お父さん、お母さんは、余り衣食住に、食う物も、お好きな物も食べず、着る物もボロを着て、朝から晩まで働いて身代は出来た。所が、そこへおい立ってきた若い者が、親の恩を知りません。なぜ知らんかと言いますと、つらい目をして働きよるのです。それが、お年がいってからであると、欲が出来ますから、ついて行きましょうけれども、若いうちは遊びたい、その時分においしい物も食べず、ボロ着てついて来い、働け、一生懸命におい使われたんで根性が悪うなってしもうたのです。親の恩忘れてしもうたのです。そうして相当な年になった時分に、今度は親子がけんかになってきた。親は子を憎み、子は親を憎み、この間も、私の家へ、ある遠方のお方がきてお話があったのでございますが、私は子供ができて、喜んで大きくしたんでございますけれども、今その子供と考えが違うて、朝から晩までにらみ合いで、ああこんなんであったら子供が出来ん方が良かった。子を持って、つろうございます。と言うて、おいでた人がございましたが、そういう風な結果になるのです。そうして、せっかくこしらえた財産というので、年寄ってお喜びになろうと思うて、こしらえた所が、子がそれを知りません。又そういう風に人の事考えずして、我がが良かったらええ、という風にして、働いた時分には必ず魔がさすのです。
それでどうしたらええんかと言うのです。それは、私いつも言うのでございますが、働きなさるという事は結構ですけれども、息災で働けるという事は、これはまことに有り難い事なのでございますから、何とかそこに功徳を積まないかん訳でございます。いわゆるその世の中で、大勢が暮らしとるのでございます。その世の中の恩を受けとるのは確かでございます。
そんなら、あんた方に一ツこういう事をお尋ねしてみますが、天等さんからくだって来て、高天ヶ原へくだってきて一人くだってきて、だれもお友達も、世の中の人もおらん。その時どうなさいますか、何をあがりますか、食べる物も食べられやしません。米を植えて収穫する。麦を植えて収穫する。あるいは着物を着んならんのは、又着物じょうずな人がきものをこしらえる。魚取りのじょうずな人が魚を取る。そうして互いにわがのいる物を、交換した時代がございます。物と物とを交換した時代です。ところが藤原時代になりまして、和同改元というお金が初めてできた。
そのお金で自分の好きな物が買える。そうしませんと、仮に自分が、米がいると言うた所で、米を向こうの持っとる人が、うちは この米で着物買わんならんけんと言うて、売ってくれないとどうしますか。交換してくれないと困ります。こういう風に、世の中というのは、皆お互いに助け合いでないとたち行かんのでございます
「今、金さえあれば、何でも買える。こういうとりますけれども、これは買えますが、家の幸福が買えなんだら、どうしますか、それこそ地獄の底でございます。金持っとって泣かんならん。そういう事を思えば、たとえ着物の一反買うても、ああ有り難い。こんなにしてくれたら、これを分けてもらえる。金で買うんでなくして、昔のように物と換えて行くんであったらという事思うと、物買っても有り難いという気が起こるようなもので、どうしても、この世の中へ人の喜ぶものをして行かないかん。何でもよろしいのです。これを功徳と言うのです。
道迷うとる人があったら、ああ、この道わかりにくいんで、こういう風に行って、こうこうこういう具合になされと教えてあげる。これも一ツの功徳です。それからあるいは又、手足が不自由な人にこうして、こういう風にして治したらよろしいのになあと、いう風に、直る事を教えてあげる。これも功徳でございます。そういう風に人が喜ぶよい事をする。それでこの間も、私が黒板に書いて見てもらいましたのですが、功徳を積むという事は、何でもええ、功徳を積む、積むといっても、積もうと思うたって、それはいかんのです。朝起きたら、寝るまでの間に何かできるものです。どんな小さい事でも、ええ事じゃと思ったら、逃がさずにする事。悪い事じゃと思うたら、これ位な事してもかまわん。ああ世の中で皆しよるのに、内だけがせいでも、ああこの位の事は罪でない。この位の事と思わずして、悪い事は一切しない。よい事は、どんなに小さくてもする。できさえすればする。そういう風にすると、いつの間にか功徳が積めるのです。こういうお家であったならば、お年寄りから、若いしに至るまで、皆が助け合いになって仲よく日が暮れて行く。日に日にが喜んで、ああ、有り難い、有り難い、ただ有り難い、そうして朝から晩まで、朗らかに笑うて暮らしができる。これが極楽でございます。
先生は、どうぞそういう風になったなら、心が清々としとりますから、考える事が間違わないのです。本当の事がわかるのです。ところが自分の心のうちに欲が一杯入っとるとか、腹が立っとるとか言いますと、悪魔が付きます。 目がごじゃさせるのです。そういうような事があってはならないのです。
ある人がこういうお話をしていました。これはたとえでございますけれども、功徳積むのでないのです。将棋を根限りするのです。昔はキセルにタバコをつぎ吸っていました。その時分に、いたずらに火鉢の横へ、赤いトウガラシを火鉢の真ん中へいけておいたり、ダイダイの皮やを生けといたりしました。火かと思うて、吸い付けても付かんから捨てて、又あらたなのを火鉢の中へ。タバコの山ができるというような笑い話がございますが、決して笑い話ではないので、将棋に夢中になっているから、火とトウガラシとがわからないのです。これは極端なお話申しましたけれども、一生のうちに、自分が迷うておるとか、腹が立っておるとか、あるいはけたくそが悪いとか、恨みがあるとか、こういうような悪い事が、もし腹の中にありましたなら、それに悪魔がつけて、ごじゃを思わしたり、ごじゃを見さされるのです。これがこわいのです。あなた方は悪魔やが、中々付くかとか、そんな事があるか、とか思いなさるか知れませんが。いつも面白う無しに、つらいつらいと腹が立つ、腹が立つ、とそんな事ばかり考えておりますと悪魔が付けます。
どうぞ、そういう悪魔のつける機会のないように、いつもお話しするように、清々した朗らかな暮らしで家中が手に手を取って、喜ばしい毎日を送るならば、必ず本当の事が見えるようになります。実相が見える。これをお間違いのないように、と先生がそういう大事な事を教えて下さったのでございます。
(昭和三十九年一月十五日講話)
TOPへ

第四六二条 「世の中に邪推深いという人というのがある。これは世の中の実際を見る力のない人がする事で、本当に向こうが見え抜いたら 邪推も疑いも起こらないものである。」


こういう事を先生がおっしゃいましたが、邪推というのは、何もかも悪く、悪く、とって行くのです。昔からたとえがあるように、人を見たら盗人と思え、火が見えたら火事と思え、こんな事を昔言うたのが残っておりますが、つまり、こういうのが邪推なんでございまして、人を盗人と思え、こういうような事を考えるのが邪推でございます。
ところが泉先生のおっしゃるのは、なるほど、それ位疑うているなら、用心はええだろうけれども、福が付かんと、 おっしゃったのです。何もかも悪く見るのでございますから、おじてばかりおるのです。そこで先生のおっしゃるのは、神仏にすがれ、そうして自分の心を清らかにせえ、そうすると、自然に向こうが見えるようになる、向こうが見透かせるようになる。ああこの人は、こういう人であろう、こういう気持ちの人であろう。それがよく当たるようになるのです。そうすると邪推が出来んようになるのです。邪推するというのは向こうが見えんからするのであって、泉先生がきれいなお心であったという事が見えるからです。前へ回った人が見え抜くから、邪推も何もいりません。見え透くんでございますから。そうすると、その人は心が安らかであるし、運はええ、まあ借りたいのは、神仏の力ぞ、と先生がおっしゃいました。
なるほど邪推深い人が寄ってきますと、良い事できません。近時は社会思想と申しまして、一人一人の考えよりも、一部落の考えという事になりまして、たとえ道路ができるにいたしましても、もう広い部分を見て、ここへ道路をこしらえたらええなあ、こういう風になるんでありまして、昔のように個人個人の考えやいうものは通らんようになっております。泉先生がおっしゃった、この邪推深いという事は、その地方が 没落するぞ、栄えんぞ、とおっしゃった。先生のおめがねは実に大したもので、先生がおなくなりになって、はや四十何年でございますが、四十何年先の事が先生は見えておったのでございます。
どうぞ、邪推深い考えを持ったら、人間はひっそくするから、向こうの見える目をこしらえ、という事を、今から四十何年前におっしゃっております。これを見てもいかに先生のお考えが立派であったかという事がわかります。
(昭和三十九年一月三十一日講話)
TOPへ

第四六三条 「偉い人には邪推も疑いもないものである。これは向こうが見えぬいて居るから間違いが起こらぬ。それであるから人が助けられる。何を置いても借りたいのは神の力である。」


四六三条は、ちょうど四六二条に言うた事の裏を言うとるのでございまして、偉い人というのは、土地を開発するとか、何とかいう、そういうような事を考える人は世の行く先が見える。邪推が少ないのです。これはこうなるという事が、正確に見えるようになる訳でございます。これは後になった事でございますが鳴門市の、大幸、段関あたり鳴門の一部、こういうような所は昔、北麓用水と言いまして、山の根に川の水を引っ張って来る、そうしたならばええだろうという説がたちました事がありましたが、今考えますと、もし北麓用水ができておったといたしますと、鳴門方面は、ちょうど今、北島にたくさん工場がきているように、労賃が安い為に、たくさんな人が入って来るような運命があったのでございます。ところが水が無い為に、鳴門方面はあまり工場が来ません。水のいらん工場でなければできません。工場で水がいらんというのは、ほとんど少ないのでございます。これら北麓用水と言いましたのは、今から二、三十年前でございます。この二、三十年前に今日のように鳴門が栄えて来るというような事は、人間では中々わかりません。
泉先生は、どうぞ先の見える目をつくれ、その先の見える目というのは、自分、自分が我欲を捨てよ、互いに助け合うて我欲を捨てよ、そうすると邪推が起こらん。土地の開発等もできて来るというような事を先生がおっしゃいましたが、実に先生の目は偉いものでございます。今日の事をちゃんと知っておいでたように見えます。
(昭和三十九年一月三十一日講話)
TOPへ

第四六四条 「昔から『窮すれば通ず』という事をいうが、これは困りぬいたら神仏のご縁ができるから助かるようになるので、神仏は間違うた人をわざわざ困らせて縁をこしらえてくれるのである。これであるから困った時は、神にすがる心を忘れては助からぬ。」


これは泉先生のお説でございますが、困るという事は、先生はお好きでないのです。先生はなるべく人を困らせないようにしたいものだ、こういうお考えを持っておりますけれども、一人一人の事を考えると、困ったのでなければ助からんとおっしゃる。困って、困って、困り抜いて、これどうしように、どうも仕様がないというほど困り抜いた場合には、必ず神仏のご縁ができると、先生がおっしゃったのです。これは助かりたいという希望ができますから、自然に神仏に縁が付くのでございます。
これはお名前いうとお差しつかえが出来るので、お名前は言わん事にいたしますが、病気で困る、あるいは世帯に困る、あるいは家が修らいで困る。こういうような原因がもしありましたならば、時には、そこの一家を統率しておるおとうさん、おかあさん、この方は、この上もない心配が始まるのです。この調子では、家はもうたたんでしまわないけん。困って、困って、困って困って困り抜くのです。財政 経済に困りましても、病気に困りましても、やはり同じ事でございます。結局そこの一家の経営者は困ってしまう。で、困った、困った、困ったと思い詰めると、ひょっとすると、一種の精神病を起こす。まあ人間からいいますと、精神病、神さんの方からいいますと、普通で置いては助からんから困らし抜いた、困り抜いたならば、そこに人格の変化が来るのです。これを人が気違いと言うておりますが、泉先生は気違いと言わんのです。そんな事おっしゃらん。お陰じゃと言うのです。 この間、私がお話しをした事がございますが、人間にはわがという考えが神仏に通う強い第八識という、昔からいう魂といいますが、そういう心の外に、自分、わしというわがという心があるのでございます。このわがという心は、宗教では変化心というまして、何にでも、よく変わるという事をお話しした事がございます。 たとえば、妙な事言いますけれども、たぬきにやられたとか、あるいは何かに取りつかれたとか、こう人が言いますけれども、その取りつかれた人の話を聞いてみると、常々言いよったその人の名前と違う人になっております。いわゆる変化心、ご自分の嫁さんをとらえて、おばはんと言うてみたり、自分の子をよその子のように言うのです。
それだから気が違うとると言うて、色々行者はんがお加持をしたり、色々している事を聞きますが、これは泉先生のおっしゃるのはお陰じゃと言うのです。その言っている事聞いてみますと、大抵助かる道の事を説いております。
常々、そこのご主人であるのにかかわらず、よその人みたようになりますから、気が違うとると言うのですけれども 決して気が違うとるのでなくして、これがお陰です。先生は、困り抜いたならば、神仏のご縁ができるという事おっしゃっております。これがちょっと言えん言葉でこざいます。困り抜いたら、神仏にご縁ができる。なるほどご縁と言うと、ご縁ですが、普通は気が違うたとか、あの人は、のぼってしもうたとか、何とかいう名前で、心配なさっているように見えますけれども、泉先生がおっしゃるのは、ご縁ができたんじゃとおっしゃる。
私はこの世の中の出来事をじっーと見ていますと、先生のおっしゃった通り、色々あちらでも、こちらでもそういうのができております。それには色々と因縁があります。先生は、その因縁をお説きになって、だんだんお助けになっておりますが、あんた方もそういう事をよくお聞きになっただろうと思います。
実に意味深い言葉を先生がおっしゃったのでごさいます。これが四六四条でございます。神仏にご縁ができる。 それから家の立ち直りがきくようになるのです。中々意味深い言葉でございます。
(昭和三十九年一月三十一日講話)
TOPへ

第四六五条 「後悔先にたたずという教がある。悪かったと悟れたら、あの時はこうしたらよかったのになど考えるのは愚痴である。そんなひまがあったら直に改めて神仏にすがって、後のことを忘れて 今にお陰をと先を楽しんだら直ちに救われる。」


後悔ができたならば、直ちに改めて、神仏にすがると後は救われるのである。そうして、これをお陰として喜んで行ける時が来る。こう先生がおっしゃったのでございますが、後悔というのは、ぼつぼつお話し聞く事でございますが、あの時にこうしたらよかったのに、知らなんだけんなあーと言うて悔やんでおいでるお話しを聞く事があります。
そういう風に、もし悟れたらでございます。困った時を後悔せずして、これを機会として、神仏にすがったら運の立て替えがきくのでございます。後悔は先に立たんと昔から言う通り、後悔する暇があったら、方針を立て替えと言うのです。泉先生はそういうようにおっしゃったのです。後悔というのは、字に書いてある通り、後で悔やむと書いてあります。それは一ツの愚痴になるのです。あの時こうしたらよかったのにといいますけれども、それほどわかっとるなら立て替えて、ああ方針が間違うとった、これからは方向を変えて神仏に近寄って行こう。その時から後悔がいらんようになって、喜べる時代が来るのでございます。これは、立て替えの時期でございます。そういう風に泉先生は教えておいでますから、あなた方も後悔なさるような方ではないという事はわかっておりますけれども、もしも後悔なさって、つらがっておいでる方があったならば、この泉先生のお話しをしてお上げになって、ともに助け合うて行く事がよいと私は思うのでございます。ちょうど助かる時がきとる時に、後悔しとるのです。見てご覧なさい。後悔しても何にもならんです。後悔する暇があるならば、すぐに立て替えたらええんです。先生はそうおっしゃいました。
(昭和三十九年一月三十一日講話)
TOPへ

第四六六条 「先がたのしめたら後の事のつらかった事が、かえってよかったとお礼がいえる心になる。お礼がいえる心にならねば助かるものではない。すぎ去った後の事を悔やんでいるようでは神仏の心を知らないのである。」


あの時つらかった、つらい目に合うた、そう言うて悔やむのを止めて、ああ~あれがあったんで私は今助かったと、いう風に考え方を変えて、先を楽しんで行けと言うのです。そうしたらそれが信仰の道に合うとると、先生がおっしゃるのです。悔やんだら、これは先へ伸びる力を神さんから借れない。ああ、あの困ったんでよかった。
ある人が、こういう事をしているのであります。お正月に、これは蜂須賀さんも、こういう家例があるそうです。 里芋掘ってきて、皮をむいて、白うに洗うて、里芋を料理するのが、これが料理方でございます。ところが、里芋を畑から掘ってきて水で洗うて、根とともに煮る家例があるのです。これは敵に追われて、縁の下へ逃げ込んでいたそうです。ところが、後からどんどん敵が追って来るので見つかると殺されますから、お寺の縁の下へはい込んで隠れていた。そこでお寺の縁の下で腹がへってかなわん、おなかがすいてきた。その時、そのお寺の炊事をしている人が畑から里芋掘ってきて、やれやれ言うて芋こすりをしている。それを見て、縁の下から「おばさんおばさん」と言うと、 おばさんびっくりしたのです。「だれでそんな所におるの。」「わしじゃ、今こういう訳で敵の目をのがれて、あんたとこの縁の下へ、こもらせてもらっとるんじゃ。腹がへって困っとるんじゃ。この戦に勝ったならば、きっとお礼を上げるから、今おまはんが畑から芋掘って来て洗いよるのを、どろだけ洗うたら早う根ごてたいてくれ。それを、ごち走なったら腹がおきる。早いのがええんじゃ、困ってしもうとるんじゃ。」おばあさん、びっくりしたけれども、 なるほど敵に追われて、お困りだろう。「よろしゅうございます。」と言うて、皮をこする暇がないものですから、水でザアーザアー洗うて、根ごて切って鍋に入れて煮て「サアできました。」と言うて上げたところが、根ごて食べた。
それで戦いに勝ちまして出世なさった。これは、蜂須賀さんもそんな事があったらしいのです。それでお正月には、芋をこすらずして、根ごてお祝いの中に入れて、お目出とう言うたそうです。それで毎年お正月には、お目出とう言うたそうです。それで毎年、お正月には芋を洗わずしてお料理する。こういう家例にするという事を私聞いたのでございます。
それを泉先生がおっしゃる。その困った時に芋よばれた。あゝ、あの困った時に、おばあさんに芋よんでもらってよかった。あれがもらえんのであったら、もう弱ってしまって、どうも仕様がない。ああ、よう困ったものである。その困った時をお祝いする材料にして、家例にしたというのです。
こういう風に、人は一生の間に困らんという事がないとは言えません。一度や二度は、困る事経験しとるのでございます。私も事業中に、そういう事が一時ありました。そのお陰で今楽になりました。後で考えた時分に、ああ、あの時分困ったのでよかったと思うのです。あの困るのが無かったなら、人間が増長して、お陰をよう受けんのに、あゝ、有り難かったと、こういう事を考えます。先生はそれをおっしゃるので、困ったら、困った、困った言うて愚痴を言うてはかえっていかんのじゃ、あれでよかったという風に考えていかんと信仰に慣れん。こういう事を先生がおっしゃっていますが、まことにこれは結構な事じゃと思うて、私が書いたのでございます。
あんた方ご自分の事、あるいはご近所の人の事お考えなしてご覧なさい。必ずあるものでございます。困ったなあという時があるものでございます。それをあゝ、よかったと悟って、そうしてお礼を言う心になったらお陰が受かる。
こういうのです。先生の教えは誠に結構じゃと私は思います。多分この大勢さんの中には、そういうような事をお知りになっとる人があると思います。
徳川家康は天下を取ったお方で、偉い人でございますが、あのお方が出世して天下をお取りになった時分に、こういう事を言うとるのです。心に望み起こらば、貧困の昔を思え。もう将軍さんになっとるのですから、わがままに、いかなる事でもしたいと、こういう根性になるだろうと思いますけれども、さすがは家康で、誠にこうしたらええのにという事を考えるのでしょう。その時には、貧困の昔を思え。こう言ったという事が今に残っております。私は、これは、まことによいお話だと思います。泉先生が、それをおっしゃるのです。困ったという事を後日の手本にせえ、 そういう風におっしゃっております。
お四国さんにお参りに行きますと、お大師様がお困りになった十夜の橋というのがあるそうでございますが、私お参りした事ないので知りませんが、お話し聞きますと、お大師さんがお困りになって、一晩泊まったのが十夜さもお泊まりになった、寝たような苦労したようなお感じがあったという、十夜の橋というのがございます。多分蚊がおって、お困りになったんかと私は思うのです。そういう風に、あゝいう偉い人でも、必ず一度や二度はえらい目に合うのでございます。それが出世の元になるんぞ、と先生がおっしゃったので、どうぞあんた方はお困りになる事はございますまいけれども、もしもそういう事があった時分には、それを一ツの機会として信仰の方で喜んで行く道に使えと先生がおっしゃったのは、これは実によく先生がおっしゃったもんだと思います。
今、泉先生がなさった事を考えてみますと、ワザワザ苦労なさる事をして、それを喜んでおいでるのです。この行、信仰しますのに、荒行というのがございます。心の行で楽に行をなさる人もありますが、荒行と言いまして、ワザワザ滝に打たれて、食べればよいのに食事もせずして、やせこせて滝に打たれて拝むというような荒行の仕方もございますが、泉先生がおっしゃるのは、そこをおっしゃるのです。無茶苦茶な行はせいでよろしい。しかし、食うに食う物が無い、困ってしもうたというような、本当に困る所の事を、わがでに工夫せえ、そして喜んだらお陰になるんだ、そうして喜ばないかん、そういう事を先生がおっしゃいました。まあ苦行は、じいっーと待って、日に日に暮らしましたならば、その苦しいのはきません。ワザワザ自分でに こしらえて苦労せえ。こう先生がおっしゃったのです。なるほど、私も滝に打たれた事もございます。山奥へ行った事もございます。その時分に、山の中へ入りますのに、山には店がありませんから、山の中へ入って物を買うて食べるやいう事はできません。そこで私は泉先生の事を思い出しまして、私はこういう事を考えたのです。ああ、これは困り抜いて、物買うには銭はなし、ああ困ったとい事をワザワザ山の中の店屋のない所へ入って、何日も過ごす、金持っていても使えません。金持っとって、物を店に売りよる所へ行ったら、行ができんのです。腹が減ったらすぐに買います。まあ、ひとつ、うどん食べてこうかとか、何かすぐそんな性根が起こるのです。山の中へ入ったら、買うたって物がありません。ワザワザ困りに行くのです。 その困った時に、先生がおっしゃるのは、つらいと思うな、喜んでそれをしのいで行け、これが苦行ぞ、と先生がおっしゃったが、私も山の中へこもりまして、先生のお言葉どおりの事をしてみた事もございます。
ところが覚悟一ツです。これ買うにも物がないんじゃ、店がないんじゃ、という事になりますと、覚悟ができますから、割合に耐久力があるのです。大抵なら一日位食べないと目が回ってきますけれども、喜んで山の中へ入って、覚悟してやっているのでございますから、一日やそこらではへこたれません。ここに何とも言えん気持ちが起こって来るのです。お陰でございます。
日頃世の中に住んどる時分に、金が一文も無いと考えてご覧なさい。買うたって買えんでしょう。これを辛抱していかんならんという時分に、そこに行ができるのです。無理にそんな事せいでも良いでないかというような人もございますけれども、人間の一生には仮に、例えて申したならば、おとうさん、おかあさんがご病気なさる、先に立って働いて下さる人が病気で何もできん。そこで年端もいかん所の子どもが、おとうさん、おかあさんお助け申さないかんというので、食う物も食わずして、仕事しておとうさん、おかあさんを助ける。ここに不思議や、その子の上には お陰が降って来る。そういう事を先生がおっしゃったのです。
なるほど、考えてみるとそうだと思います。不思議が起こるのです。昔から話のございます養老の滝というのがございます。山へしばを刈りに行って、そのしばを売って、そうしてその日のご飯を、お米を買うて来る。ところが、 おとうさんがご病気で休んでおいでる。今子どもが山へ行ってしばを刈ってきて、それを売った所で、おとうさんの好きなお酒を買うお金がたまらん。どうぞしてお父さんの好きなあの酒を買うて上げたらお喜びなさるだろうと言うて、日に日に山へ行ってしばを刈っていた所が、おじいさんが出て来て、「今度ひょうたん持ってこいよ。」「はい どんなにします。」「どんなにって、お前、おとうさんにお酒買うて上げたいんだろう。」「ヘイ、買いとうござい ます。」「そんなら今度、ひょうたん持ってこい。お酒上げるから。」というので喜んで今度はひょうたんを持って、山奥へしばを刈りに行ったところが、おじいさんが出てきて、「ああ、こっちへこい、こっちへこいと言うて、ひようたん持って、おじいさんの所へ付いて行った所が、一ツの滝がある。「この水を受けていね。」おじいさんがおっしゃる通りに、その水を受けて持って帰って来ると、酒になっていた。こういうのが養老の滝でございます。
私は大阪の信貴山へお参りに行って、その帰り道です。あの角座という芝居で養老の滝をしよるという看板が出て おりますから、それへ入ったんです。所がそれは一ツの催眠術でしているのでございますが、ガラスのビンで、水道の水をくんできさして、それを酒にして飲ました所が、見ている間に酔いました。たしかに酔ったのです。サクラやそんな手品するのではありません。本当に真っ赤になって倒れました。今度ぶり目をさまして、「どうであった。」 もうよう酔うて、からい酒であった。そんな事言うておりましたが、これ養老の滝、すなわち、水に違いないんじゃけれ ども、水じゃと思わずして、水であるけれども、ああ、お酒くんでくれるという思いが、アルコールになって、おとうさんを酔わしたと、こういうのが昔の語り草となっておりますが、私はそれを現に大阪で見ました。
こういう風に、行をするのでも、心をこめて荒行するとお陰が下がる。先生はそれを教えて下さいましたので、それを私が書いたのでございます。喜んで苦労せないきません。という結果になるんでございますから、どうぞ、そういう意味でお聞き下さい。
(昭和三十九年一月三十一日講話)
TOPへ

第四六七条 「一度助かって、心の底からお礼がいえるようになったら、神仏のご縁が濃くなって、それからつぎつぎと喜びがふえて行くも のである。」


一度助かるという、初めて神様に助かるというのが中々むつかしいもので、これは私の事でございますが、私とこの戌亥(いぬい)に蔵が建っておりますが、これが南北のむねであって、庭が狭かったのです。それを東西のむねに広げまして、内庭を広くしようと私が考えまして、大麻比古神社の方除けのお守りを私の父が、お参りに行って、受けてきてあるのを、その庭のすみへ立てときました。私はその時は別に、神仏のご縁がまことに薄い人間でございまして、石屋さんがきて、石を掘つっておる、私はその石を運ぶ手伝いをしておりました。ところが、そのお札が倒れているのです。竹の先にはさんであったのが。それに私は別に気にも留めず、またぎまわって、仕事した訳でございます。ところがそのあげくに、私は左の足がどんなにかすると抜けるのです。歩いていましても、どちらへでもひざが向くように思うのです。痛みもかゆ味もないのです。けれども、歩けません。医者へ行って見てもらっても、色々な名を付けてくれるのです 。一向に直りません。根ように徳島のお医者さんまで行って、調べてもろうたのですけれども、何とか、かんとかいう名を付けてくれるのですけれども、一向に直してくれんのです。まあ仕方がないわと言うておりましたが、多い時は、日に四五へん抜けるのです。歩いていたら、そうして抜けとるものですから、歩きにくいから、すわりまして、立てひざをして、ひざをもむのです。ところが、その時分は、神さんに頼むやいう気がありませんから、道ばたへすわってひざもんだら、コッッーというたと思うたら歩けるようになるのです。やれやれ有り難いと思うて、別に気にも留めずしておりました。
ところが、その揚げ句に、人に誘われて、讃岐の津田に偉い先生がある。そうして何でも知っておいでる。そんなにいうものですから、誘われて先生とこへ行きました。先生はすぐに拝んでくれまして「お前とこは、蔵を方向変えたか。」「へい換えました。」「で、その時に神さん、またぎ回ったでないか、時折り踏んだりした。竹を踏んだりした。」「先生それ知りまへんのじゃ、立ててあったのは知っとります。」「ほうかい、これは、お前さん所から一里ほど西の山の上の神さんの方よけを、お前さんのお父さんが頼んできて、そうしてお守りを竹の先にはさんで普請をする所の庭へ立ててあったではないか。」「へい、そら立ててございました。」「それを、おまはんが、石屋はんと石をかきよって、体でその竹をこかしてから、またぎまわったでないか。」「で、これは神さん怒るんではないけんど、おまはんは、やがて神仏のご縁があって、頼まんならん体に生まれとるんじゃ。それに神さん、仏さん、そんなにお粗末にしてどなにすりゃ。だから方よけの神さんがひざを抜いてあるんじゃが、お前さん左のひざが立つまいがな。」
先生、ちゃんと知っておいでる。「あら先生、左のひざが抜けてますのじゃ。」「痛うないだろう。」「へえ、痛うごわへん。」「ああ、やがて、おまはんには、色々な用事頼まんならんから、今日足ついどいたげる。一生涯もう抜けんぞ。」と先生おっしゃった。先生、よう知っとるなあと思うて感心して、帰ったのでございますが、それっきり私はひざが抜けません。先生は、何もなされしません。言葉で、おっしゃっただけです。
私は神仏に対する信仰が少しもない。まことに、またいだり、踏んだりして、済まん事じゃという事も知らない。神さんや仏さんが、どんなに思うとるやら知りません。方よけっていう事、どんな事やら知りません。けれども、私は、父が受けてきてくれてあるというだけは知っとったのです。先生にその通りにおっしゃられて、教育せられた。
なるほどなあ、これはほんとに、昔から皆が拝んでいる神さんを、庭に方よけを頼んで、立ててあるのに、ころがして、またぎまわったり、竹を踏んだりした事は、これは悪いなあと私は思ったのでございます。不思議に、それから私は足、一べんも抜けません。そこで、いかにもこれは不思議じゃなあ、どうもせんのに、自分の心一ツ、まことに済まんという、悪い事したという心で、早直ってしもうたのです。
そういう風に一度助かったら、心からお礼が言える。そういう風になると、神さんのご縁が濃うなるんじゃと書いてある。先生がそうおっしゃったのでございます。なるほど、それから濃うなりまして、先生の所へようお話を聞きに行きました。行く度毎に、いかにも、ほんにこの神さんというのは形でないんじゃなあ、心で、あゝ、悪い事をした、お許し下さいと心の中からわびて、それに対するお礼です。これは神さんが見てくれているのを知らなんだ。それでは神さんのお手伝いしたらお喜びだろうと言うのがお手伝いです。お世話です。たとえば、道に大きな石がころがっとる。これ目の薄い人がけつまずいたら、けがするというので、その石をのける、これがお礼返しです。お世話なったんだから、そうしておけばけがする人がない。今で言えば功徳です。功徳を積む。そういう事をしていくと、神さんにお世話になって、足が折れとるのが直った。そのお礼の変わりに、私は折々そういうような事をした事がございます。 する度に、泉先生は、この間は世話になったぞ、とおっしゃっるのです。ほんに功徳というのは、積まんならんもんじゃ。ちゃんと先生の方へ神さまから便してあって、先生が神さんの代わりに、礼を言うてくれる。もうお参りするのが、うれしくて、行くと、先生が何ぞかんぞおっしゃるものだから。それから度々有り難い、ほんとに神さんが、そんなにまで喜んでくれよるのかという事が、次から次へと現われて、私はどうも、今まで知らなんだ、というざんげの心と神様にお礼をいう心と、功徳を積む心と、この三ツで今日まで進んで参ったのでございますが、皆様もどうぞ、一度 そういう神さんとのお引き合わせがあった場合には、それから信仰生活に入れるのでございますから、どうぞ今お話したような風にお進み下さったら、先生、お喜びと思います。
(昭和三十九年二月十五日講話)
TOPへ

第四六八条 「世の中に助からぬものとて何もないはずである。縁が無ければ仕方がない。まだ時がきておらぬので、神仏ご自身でさえ時をお待ちになる。」


これは私の事について、先生がこういう事を、おっしゃったのです。私とてもひざが抜けなければ、先生にお世話になれなかったのです。披けたから先生にご相談申し上げた。そういう風に世の中では、いかなる事でも助からんというのは、無いはずですけれども、縁がつかんのです。その縁が付かんという中に、わしはわがでにけがしたんじゃ、 おおけそんなに神様に、お世話にならなくても事足りると、言うてみたり、そんな事あるかと言うてみたり、どうも そんな事あるかと言えば言えるのです。わしのひざ坊主筋が違うとるんじゃ。まあ生きとるからひざ坊主の筋も違うたり抜けたりするだろう、こういえば縁ができんのです。ですからこの縁があったら、そういう人に会うと、それが 不思議な事に助かる。縁が無ければ仕方がない。
弘法大師が生きておいでる時に、おっしゃった言葉が今に残っております。「縁無き衆生はなし難し。」とおっしゃっとるのです。縁が無けりゃ、先生だって助ける訳にいきません。縁というのはつながりです。これは神さん、仏さんに怒られとれへんのかいな、又助けてもらいたいとか、何とかいう事が縁のはしになるのでございますから、縁が付かん間は、もう一ツ言い換えますと、縁が付かんというのは、人間の理屈ばっかりに固まっとるから縁が付かんのです。人間の理屈をやめると縁は付くのです。
どうぞ理屈をやめて、縁ができるようになさったらよいと思います。
(昭和三十九年二月十五日講話)
TOPへ

第四六九条 「時がきておらぬのに無理に助けてやろうとすると、かえって縁が遠のく事がある。よく気をつけねばならぬ。」


これはよくある事でございます。おまはんとこ拍子が悪いのに、一ぺん偉い人に相談してみたらどうぞい。向こうが、神さん仏さんの事いうの好かん人に そういうのです。そうすると、その人も黙って聞いとりゃよいけれども、 「そんな事あるかい、もうわしは仕事しよったらそれでええんじゃ。」と、そういうように言う。その言葉をかえって聞かん前よりも縁が遠のくようになるのでございます。進めてあげるのも、やはり向こうさんが難儀しよる程度を見て、お話してあげるのがよい、無理に縁を付けようとしたら、かえって縁が遠のくような事がある。これは泉先生が、そうおっしゃったのです。縁が遠のく、いやがったら前より悪うなる事ができるというのは言葉が悪いのです。
やれ、それなら、おかしげな事聞いて何にすりゃ、そんなの拝んでもらわなくてもええわ。こんないらん事言うて、かえって縁が遠のくから、迷うた後に、すがって来るまで置いとけというのが先生のご経験です。先生のご経験の上から、そういう事おっしゃったので、神さんというのは、初めから助けてくれるものでない。迷わして、迷わして、困って縁ができるんじゃと先生が おっしゃいましたが、なるほど人間が達者な時は困りません。金が沢山あると、又それも困らんのです。やれお医者へ行け薬を付け、こうしたら直るわ、理屈で固まっとりますから、信仰の縁ができんのです。
だから、そういう風に縁の薄い人には無理に進めたらいかんというのが先生のお説であったのです。ここをよく世の中では間違いますから、どうぞお間違いのないようにお願いします。
(昭和三十九年二月十五日講話)
TOPへ

第四七〇条 「いかな悪人でも神仏の種はあるものぞ、時を待てば芽が出る。」


いかな悪い人でも、信仰の種はあるというのです。これはあんた方、どうご覧になりますか。随分信仰のない理屈一ぺんの人でありましても、困ることはいやです。つらいのもきらいです。そうすると、ひょっとした節で信仰の種が芽をきる場合があるのです。芽を出す場合がある。ですから、いかな不信心な人でも、悪口を言うたり、調子おろしたり、はぜのけたりしてはいかん。まだ時がきていないのだから、まあ、その芽をきるまでじっと待っておって、時が来ると助けてあげると言うのがよいぞと先生がおっしゃったのでございます。
これはどういう事かと言いますと、だれでもその信仰の種が無い人はないのでございまして、あの石川五右衛門が油いりにせられる事がございますが、一番お仕舞に随分悪い事した者を成敗するのは、色々方法はありましょうけれども、石川五右衛門は、油が沸いとる中へ入れられたという事でございます。その時分に、五右衛門の子です。油がしっかり沸いてくるまでつけていたらかわいそうだから、差し上げていたというような話しが残っております。ああいう悪い人でも慈悲というのがあります。
これは小学校の本にも書いてありましたが、ある悪い事する人が、山の腹でお日さまの当たる所で、日なたぼっこしていた所が、その人の前をくもがはっている。足ですりつぶすのは何でもない。足で押さえるとつぶれるのです。
けれども、その悪い人がひょっと考えたのです。ああ、これ、くもがわしの前はって行きよるが、このくもじゃとて親もあり、子も、兄弟もあるだろう。ああ、ほうっておいてやれと言うて、ずうっと向こうへ通らせたと言うのです。
ところが、その悪人が死にました。死んだある日、お釈迦さんが蓮池にきれいな花が咲いとるのをご覧になって、ひょっと見ると、その蓮池の底に地獄が見える。その地獄で大きな責め苦に合っているのが見える。焼きごてを当てられるとか、あるいは針の山へ追い上げられるとか、それがかわいそうにと思うて、お釈迦さんが上からのぞいてみると、極楽の方からくもが糸を引いて、その悪人の所へ行って、くもの糸を引っかけとる。そのくもが糸をすっと持って来て、お釈迦さんの所へ持ってきたと言うのです。
お釈迦さんは、そのくもを受け取って、なるほどこれは助けられた事があるんじゃなあー、そうしてお手で蜘蛛の糸を持っとると、その悪人がくもの糸を伝うてお釈迦さんのお手の方へずうッと登ってきて、お釈迦さんの助けを得たと、こういう事が小学校の本に書いてある。カンダタのくもの糸というのを私見た事がございますが、これは一ツのたとえだろうと思いますけれども、ちょうどそういうもので、助けたばかりに、それが神仏に縁ができる、こういう事でございます。こういう事は随分ある事でございます。どうぞ、皆様もこの縁をつくるという事が大事でございますから、やはり慈悲の心が出ると縁ができるのです。理屈や、わが身息災な事考えとるのでは縁がつかんのです。
そこであれ、かわいそうだとか、ありゃ人が困るだろうか、何とかいう時に自分が思うてする所の所作が縁を作るのでございます。これはよくある事でございますが、功徳を積むという事は随分ある事でございます。 私は、仲須さんから一べん聞いた事がございますが、ある おじいさんが、日なたで孫のサカイキをしていたのです。おじいさんが手にかみそりを持って孫の頭をそっていた所へ、山ばちが飛んできた。プーンと飛んできた。ああ孫を刺されてはどんならんと思うて、かみそりを持った手を振ったのが、誤って子供のオドリコを切ったのです。
オドリコ切ったら血が止まりません。ついに孫はかわいそうに死んでしまった。私は、家族の留守で、子供をこういう風にして殺した、申し訳ない。もう死のう、もうこれは生きておれんと言うて死ぬつもりで覚悟した。ところが、ひょっと思い出したのは、ああ、これ死ぬのもええけれども、手前にお遍路さんが来て、かわいそうに思うて、お遍路さんにお布施をあげた所が、そのお遍路さんが「有り難うございます。これを差し上げます。あんたが死ぬにも死ねん。生きるにも生きられんというような、お困りの時は無かろうけれども、もしお困りの事があった場合、その前に、これ一ぺんご覧なさりませ。それまでは開けずに仏壇のひきだしへ入れておきなさい。」「それは、有り難うございます。」と言うて、お爺さんは仏壇のひきだしへお遍路さんからもらったのをしまっておいた事を思い出し、まあ一ペン見てみようと思うて、それを見た所が、不思議なるかな、その紙切れには、山ばち、かみそりという事書いてある。あら、これはわしが今孫をけがさしたんじゃが、これはもう初めからそういう運が決まっとったんじゃ、わしがあやまって切ったようになっとるけれども、はちに、かみそりという事書いてある。やれもったいない。これは、お大師さんのお知らせじゃと言うので、おじいさんは死ぬのをやめて、孫の菩提を弔う為に信仰に入り、お陰をもろうて 大勢の人を助けたというお話を仲須さんから承ったのでございますが、なるほどこれらも、その神仏のご縁といのが初めから決まっとったのです。
そういう風におじいさんは、一命を拾うて、尚それがご縁になって、大きなお陰をもろうて大勢の人を助けた。
こういう事例があるのです。これは確かなご縁です。色々その不思議なご縁で大きなお陰をもろうた、運勢もろうたというようなお話は随分沢山ございます。
これは、あんたがたも色々とお話をお聞きになっただろうと思いますが、お話しすれば長い事になりますけれども、功徳を積んで不思議な神仏の縁ができたという事は沢山ございます。あの里浦の尼塚さん、これは分神さんに祀ってございますが、このお方も大きな不思議を現わして、神にまつられた人であって、それもどうかというと、功徳の結果という事になっております。どうぞそういう風に功徳を積むという事、すなわち神仏がお喜びになる、あるいは、 人が喜ぶという事が皆、功徳でございますから、もしそういう事がありましたならば功徳をお積みになって、金積むより大きい仕事でございますから積めよと、先生がおっしゃったのです。やはり神仏のご縁は、結んでおいたら大きな徳がございます。
(昭和三十九年二月十五日講話)
TOPへ