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第四〇二条へ 第四〇三条へ 第四〇四条へ 第四〇五条へ 第四〇六条へ 第四〇七条へ 第四〇八条へ 第四〇九条へ 第四十条へ第四〇一条 「この先はどうなるかなあなど考えてみる要はない。今の考えが信心に添うてさえいればそれでよい。先の事は今する事で決まるので、先の事を頼むより、今することを神の心にかなうようにするのがよい。」
誰でも仕事するのに、今こんなにしているが、先でどんなになるんだろうか。そういう事、考える必要はないと言うのです。今している事が、神さん仏さんのみ心にかなうとるかどうか、それさえかなっておれば、先の事は心配せずとも良い。という先生のお考えです。先生は、いつもそういう事をおっしゃるので、あの讃岐の実想寺の裏にお墓場がございます。そのお墓の南の端に先生のお墓が建っとるのですが、先生がお達者な時分に、まだ泉家のご先祖の墓が一緒に寄っとらん時です。あちらこちらに有った時、その時に先生がこういう事をおっしゃったのです。
この実想寺の裏で大けな墓も有り、小さな墓も有るが、草に埋まり、土に埋まってしもうとる人が有る。これは気の毒じゃ。そして盆が来る。先生はお弟子さんに、竹を買うてこさしまして、そうして花筒を切り、その花筒をお盆の十三日までにだれでも花立てます。その時に十三日が来ても、花筒が立っとらん所へ、先生は、お弟子に花筒立てさしたものです。そうしたらこれは、こうする事が先でどうなる、こうなるやいう事、先生は お考えになっておりません。祭られん人は気の毒な、と思うてなさっている事です。ところが、お弟子が、先生がおっしゃる通りに花を立てに行ったのです。すると、一所大きなお墓を取り囲んで、その中に小さな墓が一ツ有るのです。そのお墓が埋まってしもうているのです。そうして、その大きなお墓の囲みの中に無縁仏がいくつも有る。それを、お弟子さんは、ああこれまあ、通りぬくいなあと言って、墓石でせばまっている間を越して、向こうへ行って花を立てたのです。すると帰ってきてお弟子さんの中に、わしは、腹が痛い、痛いと言うのが一人あるのです。腹が痛いと言って、先生所の家のすみで腹を押さえとったのです。すると、先生が「おまはん、そこで、何しているのぞ。」「先生腹が......」「ああ、ここへおいで、ここへおいで。」先生がお聖天さんの前へ腹の痛い者を連れて行ったのです。先生は拝まなくともわかる。「おいおい、これ、おまはん、花立ててくれた時に、石の上へ上がれへなんだか。」「先生上がりました。」「あれおまはん、お墓ぜ。」 「あら、間が通りぬくうて、その上へ上がって越して、向こうへ行って立てたんです。」「ほな、おまはんな、相済まん事しましたと言うて、そうしてな、あの花筒を、そこへ立てに行きな。今ここで寝とってかんまん、言い訳したらすぐなおる。」すると、そのお弟子がびっくりして「ああ、済まん事しました。」と言いわけしました。「先生治りました。」「ほな、今から花筒持って行け。」と言うので、花を立てに行きました。
これを見ても、今している事が先でどうなるか、こうなるかという事は、先生考えておいでんのです。今している事が、神仏の意に添っていると良いんじゃ。すなわちお盆がきても、花が立っとらん。お墓はんが、気の毒な、そう思う事が神仏に届いたらよいのじゃ。お弟子さんは、届かなんだ。花立てるのに夢中で、お墓の頭の上へ上がって、向こうへ行った。今している事が、後の事になるんじゃ、という事です。花立てたのが、かえって良くなかった。それしなかったら、頭の上へ上がりはしなかったのに、頭の上へ上がった。ここです。ここを考えな、ならんのです。それなら、ばちが当たったのか。こういう事になる。泉先生は、そのお弟子さんに、こんこんとお話ししていました。 「これはなあ、おまはんがしよる事が、悪いんでないんじゃわ。ええ事しよるん。けれども、それほど、ええ事しよる者に、教えんならん事がある。今しよる心が、神仏に届くんじゃという事、ところが、おまはん。今しよる事が仏の頭の上へ上がった。わしは怒らん、と言よるわ、その人は、わしは怒らんのじゃ。そういう親切にしよる人は、信仰しよる人は、後に出世ささんならんのじゃから、仏さんから言うたら、後に出世ささんならん者を、恵みを上げんならん人だから、仏というのが、もの言わなんだら、ああ、死んだら土か、と思うようであったら、出世が出来んけん。怒るんでないんだ それを教えてあげるとて、腹の筋を引っ張っとったんじゃ。」と先生がお弟子に教えていました。
これは、よく考えんならんことで。我々は、たとえば、これはいかんのじゃ。あれは、いかんのじゃ、とか言う忌まい事が沢山あります。人間の一生には、いかんや、いくやいう事、人間には、わかりません。必ず先へ、頼んでおいて、私は、わからんのじゃから、どうぞお頼みしますと、言うて、断わっといて、せえと先生がおっしゃいました。そのお弟子もです「おお、これ石やら何やらわからんのじゃけん、向こうへ行くのに、どうしても上がらな通れんけん、こらえてつかはれ」と、もし言うてあったらです。そなに怒られへんのです。 こういう事、先生がよくおっしゃいましたから、あんた方も、よくお気に付けんならん事は、たとえば家の屋敷に、ここへ一ツ、日さしをおろさんならん。というような事がございます。すると、その日さしおろすのが良いか、悪いか、人間わからんのです。これは家の家相から言うと、家相見から言うと、いかんとか、方位、方角から言うといかんとかいう事が有るかもわかりませんが、わたし知りません。ここへ便利の為に、こういう風にさせていただきますと言って、頼んでおいたら、しかられへんという事、先生よくおっしゃりました。
どうぞあんた方も、あるいはお屋敷をこしらえたり、又木を植えたり切ったりという事よくなさるのだから、それはワザワザ拝んでもろうたり、そんな事せいでもよろしい。泉の親さんが言うのは「私はわかりませんから、どうぞ お願いします。」と言うといて、せえと、こういう事泉先生がおっしゃりましたが、なるほど、私が考えてみますと、あのお大師様がお造りになった、三角寺というお寺がございます。お四国へおいでになった人はご存知でしょう。あの三角寺様へ私一ペン行った事がございます。それは山の尾です。山の頂上があって、下へずっーと下がっとる山の尾というのが有ります。その山の尾の三ツがかち合うとる所が魔がさす、というのを、昔からよく言うのです。これはまあ、易とか、方位、方角から言いますと、山の尾が三ツ寄っとる所はいかんのでございましょう。で、そういう事を、よく世間でいう、お大師様は、その三角の尾がおりとる真ん中に、お大師様は家を建てまして、ここは魔がさす所じゃから信仰せん人は、やられるけんな。私がここでそういう教えをする為に、ここへ三角寺を建てるとおっしゃって、あすこで、お大師さんが建てて、お住まいになった跡がございます。三角寺、ここへおいでになった人有りますか。
そういうようなもので、お大師さんも、そういう事おっしゃっております。そういう、ならわしが有るんじゃから、そこでおいいわけして、悪魔の人に、世の中の足りになってもらう、というのでお祭りするのです。だんだんお大師さんは、八十八ヶ所をお建てになる時にでも、大抵は、その土地から言うと、余り良くない所です。そこへお大師様は、わざわざ、お建てになる。これ何を教えとるかと言いますと、人間にはわからんのじゃから、迷うな。お頼みします、と言うて、そこでおまつりしたらええんじゃ。こういう事をお大師さんは教えています。
この高野あたりでは、魔という事を、お大師さん当時から心配しとるのです。何か家を建てたり、棟上げしたりすると、その願文に無魔、魔が無いという事をお願いします。と書いてあります。あるいは式が無事に済んだら、その時のお礼言うのに、無魔にして無事に済みましたから、お礼申し上げますと、こう書いております。無魔、それはどういう事かと申しますと、あの魔という悪い神さんは、良い神さんの善神が八万四千あれば、悪神八万四千有りという事が経文に書いて有ります。悪神じゃって有るのでございますから、それで、お大師さんのお言葉の中に、なかなか面白い事が有るのです。甘酒を造ったら、小ばえがわくね。どうですか。あなた方お造りになって知っとるでしょう。どこから来るのやらわからないけれども、甘酒造ると、小ばえが飛んで来る。これお知りでしょう。それと同様に、魔というのは、どこでわくのなら、これはお大師さんがわかりように教えとるのです。
それはどこにわくのかと言うと、五欲と言うのがたまって来ると悪魔がわくぞ。と、こうおっしゃった。五欲というのは、あんた方御承知の通り、人間の欲でございます。寝る。あるいは名誉の欲とか、あるいは金銭の欲とか、食欲、物を食べる欲、こういうような欲が五ツある。それが過ぎると必ず魔がさす。それをしずめよ、とお大師さんが おっしゃった言葉がございます。だから、どうぞ、皆様も、今している事が神仏はおきらいでないか、お好きなか、という事を考えて、欲を遠慮しといたら、魔がささんとおっしゃった。泉先生もそういう事おっしゃっとる。ここに書いてあるのがこれでございます。今しよる事が先でどうなるか、こうなるかやいう事を案じるより、この今している事が、神さん仏さんのお心に添うようにしたい。そういう風にあんた方、お念じになって、なした事で有ったならば、魔がささんのです。その事を私が書いたのですから、どうぞ、そういう風にお願いいたします。
(昭和三十八年六月三十日講話)
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第四〇二条 「世の中に、不思議の起こらぬ人ほど、気の毒な人はない。人が助かるのも世の中が進むのも、皆不思議から生まれている。気をつけて見よ。不思議の起こる人はしあわせでないか。」
理屈が高い人ほど不思議が無いのです。理屈をよう言う人ほど、不思議が起こらんのです。なぜかと言いますと、何でもかんでも、理屈に合わして判断しますから、不思議が起こりにくうなっているのです。信心しますと、神さん仏さんを向こうへまわして、行きょるのですから、あら、不思議にこれがわかったとか、悟れたとか、こういう事を不思議にするのです。理屈言う人間は、理屈に合わん事しませんからお陰が受からん。こういう事、先生おっしゃったのです。これは、わかりよいようであって、わかりにくい言葉です。 たとえてみますと、こういう事になります。仏さんというのは、ほっといたらええんじゃ。だからほっとけさんと言うんじゃ。そんな事言う人があります。仏さんには僧侶が付いとる。神さんには神主さんが付いとる。そなな事、知らん者がとやかく言わなくても、坊さんと神職さんにまかしといたらええんじゃ。と、こういう理屈言う人が有るのです。そういう人には一ツも不思議は現われません。どうも、この信仰する人には、不思議がよく現われるのでございますが、理屈に合わん事です。
私が知っておりますのは、撫養の林崎での出来事ですが、高げた、はいて、そして、コンコ(沢庵)上げよった人があるのです。そしたら、コンコの石が重くて、足の上へ落としたのです。すると足はどうにもないのに、高下駄のはまが折れて、飛んでしまったのです。そしたら、ああ、こら有り難かったと言って、涙をこぼして喜ぶのが信心深い人です。ところが信心のない人は、ああ足の上へ石が落ちて、はまが折れとるのに、けがせんやいう事有るか、とこう言います。それは、なるほどそうですけれでも、不思議に、そういうやく難から免れる、という事が、これがお陰です。
私は、今の酒屋の裏に、泉を掘った事がございます。ところが、その泉をずっーと掘り下げて行くのです。つるはしで。そうしてずっーと、丸うに石垣をついて、順々についていったのでございますが、その時に、私が手伝っでいたのです。すると、つるはしを振り下ろす時に、私がかがんだのです。そうしますと、そのつるはしを振り下ろしたのが、私のお尻へ当たったのです。掘っている人が「あっ。」と言うて、びっくりしたのです。「どうしたんで。」「ああ、あんた、けがせえへなんだかいな。」「いや、別に、冷たあかったわ、ここが。」と言うて、見ましたら、バッチの横に、一寸まわり位の穴が空いとるのです。そこへつるはしの先が突き立って、先が入りましたからバッチに穴があいただけであって、そのつるはしの先はすべってしまったのです。実に不思議でしょう。私は、いかにも不思議と思ったのです。 振りおろした所へ、私が尻を出したのですから、その上へつるはしがきたんですから、突き立つのがほんとうでございます。つい、つるはしの先が、五寸位は、入ったでしょう。バッチの中へそして穴があいて横へすべって、私すこしもけがしませんでした。
そういう事がございましたが、そのあげくに泉先生所へ行きました所が、先生が「ちょっと、村木さんおいで。」 「へえへえ。」「おまはん、天しゃくをもらう。」私の為に、先生が拝んでくれるのを、天しゃくと言うのです。そして 先生が拝みなはって、帰命天等おっしゃって、それが済みました後で先生がおっしゃるのには「村木さん、この間あぶなかったなあ。」「へえ、あぶのうございました。」「つるはしの、おまはん、五寸も突き立っとるのに、おまはん、けがせなんだだろう。」「へえ。」「あれ、おまはん、だれがそなな事したと思うぞい。」すると、私は「ああ、先生、それは、私はお陰で助かったとは思うたけれど、どなたがそんな事して下さったやらわかりかねております。」「そうかい、おまはん、あの泉掘る前にな。あしこい、米を洗うたのを、おけそくの上へ盛って、そしてお神酒まつっただろうが、横に石を置いて、石の上へそれを祭った。」「へえ祭りました。」「おまはん、あれ泉の神さんに祭ったんだろうが。」 「へえ、そうでございます。」「その泉の神さんが、おまはんにけがさせたらいかんと思うて、突き立つ、つるはしを 横へすべらしたんじゃ。わかるかい。」「やあ、先生、恐れ入りました。ようわかります。」こういう事がございまし た。振りおろしたつるはしの先が、五寸もバッチに突き立っとるのに、私の体がけがしなかった。こういう事です。
ところが、もし人によりますと「そら、つるはしの先がすべったんじゃけん、下へ突き立てへんわ。」と理屈言う人は、それです。なるほど、それに違いない。つるはしがすべったら無論けがしやしません。そら理屈です。そういう人には、不思議は起こらん。一ツも不思議が起こらん、それだから、お陰がないのです。私は、先生に教えていただいている関係上、ああ、いかにも不思議じゃなあ、これ振りおろしたつるはしが、ゆがむ訳がないのです。真っ直ぐに振りおろしとるのですから、それが五寸も突き立っとるのに、それにけがしていない。有り難いなあ。ここで有り難い、と思う心が、お陰になるんじゃ、と先生が教えてくれました。その事をここに書いてあるのです。 四〇二条に、あんた方もそういう事が有るだろう、と私は思いますが、この、不思議の起こらん人は、ほんとうに不思議なしに、大きな問題が起こります。すると、又、不思議が起こる人は、不思議に、又、それがのがれられるのです。どうぞ、あなた方もこの有り難い不思議の起こる人になっていただきたいと私は思うのです。
それは、どうすればええんかと言いますと、訳ないのです。有り難かったと、常に何にでも有り難い、とつけとった ら、それができるのです。不思議が起こるのです。それなら、一ツ、私がためしにお話ししてみますと、この間、よく雨が降りました。それで、農作物がいたみました。大変、お百姓の人は損をなさったでしょう。ところが、理屈言う人はこう言うのです。「ど雨が降りくさって、うちは大け損をした。けたくそが悪い。」こら、理屈言う人です。理屈言わん人は「ああ、これまあ、一ペン雨が降ったら、大きな水が出て難儀しよる土地も有るんじゃ。幸に、家は、もう作物は損したけんど、又作れる。有り難い事であった。」そんなとこへ、人が怒る時でも、有り難いという事つけとるのです。そういう人見てご覧なさい。どういう不幸に会うても、喜べる人は、かけ上がり十年という物を見てみますと、その人の方がずっと、立派な家庭ができております。理屈言うて、ふくれる人は、十年のかけ上がり、後へ見ると大きな損を しています。こういう事を、泉先生がおっしゃるのですから、どうぞ何事にでも、ああ良かった、良かったという風に解釈するようにしなさい。それが信心になるのです。と、いうことを泉先生が教えてくれました。 それをこの四〇二条に書いたのでございますから、その意味でこれをご覧願います。理屈を言えば、いくらでも理屈は言えます。有り難いと喜べば、どんなものでも有り難いと思えるのですから、どうぞ、有り難いと思える方へ考えを使うのが良い、と先生がおっしゃったのです。これが信仰の仕方です。
(昭和三十八年六月三十日講話)
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第四〇三条 「自分の方がまっすぐで、人の方がゆがんでおるという事がはっきりわかっている時でも、すぐに人を責めてはならぬ。見る目が間違っておらぬとしても、この人を責めるという心は、どこから出てきているかとたしかめて見ねばならぬ。慈悲から出てきておればよいがもし、わが身をよくしようという所から、出ていれば悪いことである。」
あんた方、自分の方が真っ直ぐで、人の方がゆがんでいるんじゃ。あんな事するから、こんなになるんじゃ、と言いたいものです。人間は。それがよくあると思います。あんた方、日常生活に、先生は、人を責めたらいかんと言う。よく考えてみい。人を責めると言うのは、必ず自分の心の中に慈悲心が無かったら、人を責めとうなる。 たとえば、お母さんが子供を大きくしている。その子供が悪い事をする。遊んでいて、庭木を植えてあるのを、枝を折っとる。さあだれが折ったと言うて、今度はその子供をヒツケして、えらい目にする事がございます。その時でも、慈悲深いお母様は、おこらん。教えるけれども、怒らんと先生はこう言ったのです。それは、どういう事かと言いますと、ああ、これ遊んでいて、あまり熱中して、角力でも取っていて、倒れて、枝の上へでも行ったんだろう。もう枝が折れたらいかん所で、すもうや取られんぞ。と言うのがお母さん。もし慈悲が無かったら、常に子供しかりつけとる人であったら、頭をはりとばす。これ、だれが折りくさったんなら、と言うて、引っ張ってきて、頭はってはってはりまわす。 そういう事は、いかんので、私は人の悪口言うようになりますけれども、あの朝鮮のお母さんです。朝鮮人のお母さん。これは、よう怒るそうでございます。子供しを。たとえば、木の枝折ったと言うのであれば、折ったという責任を責めるのです。はったり、けったり、つるし上げたりする。そうすると、えらい子供が出来ません。それでご承知の通り、朝鮮は、今の所ご覧なさい。ほんとにあわれな暮らしをして、朝鮮の人は、まことに、政府が治まっておらんので困っております。この頃、そら、そういう所の国民が、理解が無いというと、国が、ああいう風になるのでございますから、泉先生は、その事をおっしゃる。自分の方が真っ直ぐであって、人の方がゆがんでいる時でも、わかり切っとる時でも、人を責めたらいかんといいます。もし、自分の心の中に慈悲という点があったら、ああかわいそうに、こら、こんなになったら、つらいだろういうので、怒ったりする暇で、その人間に教えろと言うのです。これはええ事じゃと思います。 どうぞあなた方も、お子供しを持っておられる家庭でありますと、ようこれあると思います。怒るんを先にせずして、慈悲を先にして、二度とそんな事せんように教えた方がよろしい。これはよくあると思います。お考えなしてご覧なさい。もし自分であったらです。親がなくして悪い事したんが自分であった場合に、言い訳先にやります。言い訳は、なるべくせん方がよろしい。「ああ、わし、間違って枝折ったけん。どうぞこらえてつかいよ。もう今度からせえへんけん。」と言うたら、それをいかる親はありません。ところが、「わしは、じっーと居たんじゃけんど、友達がわしを突き飛ばしたけん、それだから、わし枝の上へいたんじゃ。何にもわし悪うないんじゃ。」と、こう言うて、言い訳してご覧なさい。何やらそこの所に、親御としては、子供がかわいそうにと思わん心になります。いやらしい、という心が先に立つ。泉さんは、そういう場合に、両方に教えをしとります。しくじった者は言い訳先にするな。あやまれ。
言い訳というのは、自分は、よいという理由を立てるのが、言い訳でございます。 この頃は、あの飛行場あたりでも、ただ、飛行機が飛ぶけい古しよりますけれども、七ツボタンの予科練というのがおりました。戦争前には、あの予科練が飛行場で訓練せられよる時のこと考えますと、つい六時に帰って来い。六時の時間より遅れてはならぬ。こういう予科練の法律が有ったとします。それに遅れますと、門衛が居りますから、その門衛の所へ行って、しかられん為に、道でこういう事があって私は遅れました。そうしたら、その言い訳した為に棒でたたかれるのです。こら聞いた事ございましょう。あの軍隊では言い訳という事を非常にきらうのです。
あんた方でも、ご家庭で、言い訳を先になさるよりか、ああ悪うございました、とあやまる方が先の方が大分家の中がキレイです。言い訳しよるというと、けんかが始まります。それを泉先生がおっしゃったので、どうぞ自分が良くて、人が悪い時でも責めるな。又自分が悪い事した時分には先にあやまれ。言い訳するな。これが信心ぞ、とおっしゃった。それだからあんた方が日に日に信仰するんでも、そういう時に言い訳したら信心にならん、これ泉先生のお教えでございます。私は、泉先生の信心のしようというのは、神様の前でするんじゃなくして、神さんの前では時間が短いですから、その間の時間がほんとうの修業場じゃと、こう先生がおっしゃったのです。 こんな事おっしゃった事ございます。「村木さんよ、人間は六時間寝たらそれで良いぞ。一日二十四時間から六時間引いたら後の時間というのは十何時間というものは修業の時間です。拝む時間は、ちよっとか無いぞ。修業の時間が長いんだから、気を付けないかん。」とおっしゃった。信心の仕方が先生違います。
(昭和三十八年六月三十日講話)
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第四〇四条 「腹の立った時の考えは、大抵間違いが多い。その時は、悪魔にさそわれやすい。神様に頼って、心が静まった時に考え直して後でなければ、何事もしてはならない。」
この悪魔がつきやすいということが、大変なことでございまして、これは、おこった時は神信心の真心というものがのいているのです。それで、悪魔がつけやすいのです。それを先生が、教えたのです。悪魔には、種類がいろいろございます。天魔・煩悩魔・死魔等、種類は、いろいろございますけれども、本来悪魔というものは、一つです。
それか、仕事する場により、いろいろと、わかれるのです。どんな時に、悪魔がつけるかと申しますと、人間の五欲が盛んな時に、つけるのです。たとえば、間なしにねむい、だるい、仕事がしたくない。というじぶんには、ぼけますね。これは、年寄りによくあるのですが、ぼけて方角が違うことがあるのです。そういうことがございます。人間は、いつも楽しみを持っていなければいけません。その楽しみが、神さまや仏さまにとおる楽しみでなければいけない。ところが又、それと反対に、なんにも、楽しみがないようになってしまった。もう何もかなわん。金もない、名もない、人にきらわれる、世の中に、何も楽しみもない。このようになった時に悪魔がつけるのです。この五欲の盛んな時にもつけますが、五欲がないようになってもつけます。五欲のないようになった時は、大抵、死魔がつけます。
悪魔というものは、どういう仕事をするかといいますと、人間の目、あるいは耳というものをごまかして、目前に極楽世界があるように見せるのです。そして、こちらへこい、こちらへこいと、だれか向こうで呼んでくれている。 そこへ行くと、川であったとか、あぶないがけですね。行こうとして、踏みきるといけないのです。これが、死魔の仕事なのです。あなた方は、そういう事をご覧になった事があるだろうと思いますが、もう死魔につかれている人は、この、しゃばが、いやでかなわん。どこかへ逃げてやろうとしている。つまり、楽しみが一つも無いようになってしまっている。ひょっと向こうを見ると、美しい花が咲きみだれて、それは、それはきれいな世界がある。こっちへこい、 こっちへこいと招いている。行くというと、どぶんと、水の中へ入ったりするのです。これが、死魔なのでございます
死魔に限らず、悪魔は、すべて、そういう風に人をごまかすのです。
又、天魔というのになりますと、人の出世を邪魔するのです。どういうところから来るかといえば、功徳を積むと、その人の徳が上がるのでございますから、悪魔の仕事場が無くなるので、徳を積まさんように、積まさんようにとするのです。ちょうど、お釈迦さんが林の中で、行をなさっていた時に、波旬 (ハシュン)という悪魔の大将がやってきて、いろいろお釈迦さんを迷わせたけれども、お釈迦さまは、動じなかったので、しまいには、波旬が、毒の矢を弓で、お釈迦さんを撃ったのですけれども、その矢が途中で、バタバタと皆土地へ突きささってしまいました。と、 いうことが、お経文に書いてあります。これなども、天魔でございます。
お釈迦さんがお徳を積んで、林の中で、静かにお経をあげておいでる。静かにめい目して、お経をあげておいでる。
そうすると、徳が積めておいでるから、悪魔の方が、それをそねむわけです。これを邪魔する。こういう風に、どうも、その人の出世を好まぬのが天魔です。
中には、こんな仕事をするのがあります。ただもう物を無茶苦茶に、思わすのです。いろいろなとりとめもないことを思わせるのです。あるいは目に見せる。耳に聞かせる。人から、気違いのようにいわれます。本人は、そうじゃないのです。普通に、言っているのですが、何でも、かんでも心配しなくともよいことを心配する。そうして、功徳を積む邪魔をする。出世する邪魔をする。そういうようなものが、悪魔の仕事でございます。
泉先生は、どんな時に悪魔がつけやすいか、ということをいっています。腹を立てた時はいけない。腹を立てた時は、悪魔がつけやすいから、その時には、ご真言でもくって、そうして静かに、自分の心が、おさまった時分に、思うたことをするのがよいと、こう先生は教えとるんです。これは、又、大変大事なことでございます。よく世の世では、汽車のレールへ飛び込んだり、あるいは、家出をしたり、いろんな事をして人を困らすことがよくありますが、これは大抵がけんかをして、おこっているとか、あるいは物事に失敗して、もう望みがないようになったとか、こういう場合に、おこりやすいのです。
もう一つ、それを裏手から見ますと、頭の中に神さまが、おいでんのです。わがの心ばかりになっているのです。神様、仏さまに頼る心があったら、決して悪魔はつけるものでないのだからです。先生は、それを教えるのに、どうぞ、腹が立つ時は、何事でもあまり処理をせんようにしなさい。そうして、神さんの前で、ご真言でもくって、心が静まるようになったじぶんに、はじめて仕事をした方がよいぞ。そうしないと悪魔がつけるからと、こういうことを先生が、おっしゃっています。
これは、あなた方が新聞に出ているところの、あの人を殺したとか、殺されたとか、あるいは、汽車のレールへ飛び込んだとか、何とかいうことのあった時分に、その人の事前のことを考えてごらんなさい。大抵は、心がそろっておりません。けんかをしたとか、おこったとか、何とか、そういう事故があった時に限り、悪魔がつけるのでございますから、先生はこれを親切に教えています。どうぞ、そういうようにお考えを願いたいのです。
(昭和三十八年七月十五日講話)
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第四〇五条 「道を人に譲って、よけておる時に、人が知らぬ顔をして、行きすぎたとすれば、その時は、ああ良いことをした、人に気苦労を掛けずに、通ってもらえたと、考えるようになれ。」
向こうから人が来る。道狭いので横へ寄っておってあげる。すると向こうは知らん顔して、その前を通りすぎる。 これは、よくあることです。その時は大抵、悪口をいうのです。人がよけてあげとるのに、知らん顔して、礼も言わずに、あいつ行ってしまった。というんですね。それは、その人が一礼しなければならぬのに、それをせずして通るのですから、大たい、向こうが礼儀を知らんのです。悪くいうのがほんとうですが、先生は、その時こそ、自分が功徳を積む時じゃとおっしゃるのです。ああ、わしが道よけてあげているのに、向こうが何にもいわない。良いことをしたと、こう思えというのです。どうですか、ここ、ちょっと間違いやすいのです。人が人に物を施したのです。道を施したのでしょう。道をよけたということは、人に通る道を譲ってあげたということです。 もう一つ言い換えると、物をあげたということです。これは施行です。施行した時分に、そのあげたものを覚えていて、礼を言わなかったというて、おこるのと一緒じゃ、と先生はおっしゃる。私は道のはたでおって、人に道を譲って安全であったので、向こうが礼いわずして知らん顔して通ってくれた。ああ、私は功徳が積めた、というて喜べと、先生はおっしゃる。
ある人が、 よそから物をもろうたんです。 ところが、 中味がはいっていなかった、くれたのがからであったというのです。それは、おこりはしませんけれども、不注意な人じゃ、と人はいうでしょう。ところが、ああ、うちの、くげん(苦患)がのがれた。有りがたい、と言って、喜ぶ人を私は見ましたが、これは、大変結構な事でございます。
私が、ある年、高野山へお参りしますのに、先生のお写真を背負うて、いったのです。そこで、私は、昼食時に、私だけが、お昼ご飯を食べたり、いろいろしたら、かえって先生に相すまぬから、と思って食べんといこう、断食してお参りしよう、と心に決めたのです。先生に別にそんなこと、お願いしたのではありません。ただ先生に、物差しあげないのに、こちらが食べるのはよくないと思って、お参りしたのです。その夜、高野へ行って、お寺で泊めてもらったのです。すると、小坊さんが、おぜんを運んできてくれました。おひつも、持ってきてくれたのです。ところが、そのおひつが、からっぽのおひつです。そこで私、考えました。ああ、これは、くれるものがはいっておらなんだ、先生のおっしゃるのは、その時分は、礼を言えとおっしゃったが、おひつへ物がはいっとらんのに礼をいえという。おかしいけれども、これが、先生の教えです。ああ、こりゃあ、先生が、断食してお参りしたのを知ってくださっとる。それで私は、おひつに、ご飯のはいっていないことを小坊さんに言うのは心配かけると思い、おぜんの上のものだけよばれて「ごち走さまでございました。」といって、おひつを、返しました。そして、寝たのでございますが、腹がちょっとも減りません。朝がきました。又不思議に、朝も、おぜんが出てきましたが、おひつがからです。ご飯粒がついているから、どこか、ほかへ行っていたのが、迷ってきたんでしょう。からっぽです。からっぽのおひつじゃ、ということを、小坊さんにいうと、小坊さんを困らせるから、ああ、ごち走さんでございましたというて、又、お返ししたのです。そういうことが、ございましたが、そのことを先生は、道にたとえておっしゃったのです。 道を人に譲って、向こうが知らん顔して前を通ったら、ああ、功徳が積めたというて、喜べ、決して、黙っとる相手が生意気だとか何とかいって、悪口言うものじゃない。そうすると功徳が消えてしまうんじゃ。こういうことをおっしゃったが、私は、その後、おひつが、からであったということを考えて、ああ、よいことした。私は、かえって入っていなかったのが、うれしいような気ができたのです。先生が、お喜びくださったような気がしました。
これを、もし拝んでもらったら、大抵言うでしょう。私は、拝んでもらいはしませんけれども、拝んでもらったら「ああ、おまはん、高野山へいって、おひつがからであったなあ、先生が、喜んで受けとるぞ。」とこうおっしゃるに違いないのです。私は、心のうちで、自分ながら、うれしい感じがしました。
(昭和三十八年七月十五日講話)
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第四〇六条 「人に親切をして、それが人に届かなかった時には、怒ってはならぬ。親切は、わが身の為にするのではない。人の為にするので、このような時に、おこるのは大ていわが身の徳が足らぬところから来るもので、親切をしたことさえ知らぬのがまことである。」
何か人にあげるとします。その時分に、いついつだれに、何をいくらあげたというのをよく覚えている人がございますが、それは忘れた方がええ、と先生は、おっしゃるのです。これはあなた方が、寄付とか、あるいは人に物をあげる、その時の心がけを、先生はおはなしになっているのでございます。
人に親切をして、かえって、それを受けとってくれなかった時を喜べというのです。親切は人にするのではない。
わが身のためにするのではない。人の難儀を救うために、親切をするのであるから、それを、わがが、覚えとらんのがよい。そのおかげは、何倍にもなって報いられるというのです。これは、世の中によくあることでございますが、どうぞ、親切を人にしたじぶんに、向こうの人が親切にされたことを忘れておると、いついつ、こんなことをしてあげたのに、あんなことをいうた、といっておこる人があります。そうすると、それで親切が消えてしまうのじゃそうです。
どうぞ、人に親切をしたじぶんには、その親切したことさえも忘れてしまえというのです。泉先生は、よくおっしゃいました。
ある時、泉先生が、よそから差し上げた金包みの袋を、そのまま先生がおしまいになった。その時、お遍路さんがきたので、これあげますというて、包んだままあげてしまわれたのです。すると、先生にお礼の包を差し上げた人が、まだ、その横におったのです。その人が「先生、あげたものを、その中味もしらべず、いくらくれてあるやら知らんと、人に、あげてしまう。しんどいなあ。」というたのです。すると先生がニコニコ笑うて「おまはん、わし知らんと思うとるのか、ほんなら、そちらの包み出して見なはれ。」とおっしゃるので、出してみると、「これ、なんぼうはいっとる これはいくら、」とおっしゃった。あけてみると、言われたとおり、はいっとる。「わしは、人から親切をもろうた時分は、よく知っとる。あげたのは、いくらあげたか知らんのじゃ。」こういうことを、先生がおっしゃった事がございます。
大代に、天狗さんという人がございまして、あの方も、人からもらった金のお包みを、沢山入っとるーそのまま、ほうりこんであるのです。それを、学校の子どもにあげたりする。まことに無造作にあげる。それがよいというのではないのです。先生のおっしゃることには、いついつまでも、何ぼう、あげた、かんぼう、あげたということを、覚えていない方がよい、功徳を積んだのを忘れた方が、功徳が大きいのじゃ、という先生のお考えです。
それから、もうひとつ。彼のだるま (達摩) 大師が、支那から渡ってきたでしょう。大師は、 禅宗のお祖師さんです。その方が、支那で武帝という皇帝の前へ呼ばれたのです。その時、皇帝がこう言ったのです。「わしは、五重の塔を建てようと思う、功徳があるか。」と、すると、だるま大師は「無功徳」と答えられたのです。功徳はありませんと言った。それなれば、ばからしいと言って、武帝は五重の塔を建てませんでした。そういうことがございました。そこでだるま大師は、ああ支那はだめじゃ、皇帝があんな考えをしているというので、それから日本へ渡って、 日本で禅宗を開いたのです。あのお方には、そういう経歴がありますが、その時に達摩大師が、「無功徳」といわれたその精神は、五重の塔を建てても、功徳がないといったのではないのです。神さん、仏さんに対しては、功徳はあるが、いつまでも覚えとる、これだけあげたということを、いつまでも覚えとる。そんな気であらば、功徳がないと。 いうことを、だるま大師が言われたのです。あの方も偉い方です。
神さんのお庭をそうじする。あるいは除草をする。おそうじしたり、してあげます。あれをしてあげると思うことがいかんのです。行としてさせてもらう。神さんは、それをしてくれと、おっしゃってはいないのです。それをすることが、功徳を積むことじゃ。それを神さまの前でさせてもらうんじゃ。その方が、ずーっと気持ちがよいのです。
神さん、ちゃんとそれを知っています。泉先生が、それをよくおっしゃったのです。「お前さん、いついつ、あの神さんに、こんな事したなあ、お礼言よるんでよ。」先生は、こうおっしゃいましたが、それは神さんが覚えている。人げんが覚えとるからいけないのじゃ。
どうぞ、そういう風に、あなた方もお考えくださったならば、功徳を積むということが、ほんとうにできるので、よいことじゃと思います。神さんが、知らんのではないのです。神さんは、知っとる。人げんが、知っているのが、いけないのじゃというのです。ここをお間違いのないように。
(昭和三十八年七月十五日講話)
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第四〇七条 「もの事をするのに、早くするのはよいことである。それがために、人を押しのけてまでしてはならぬ。」
あなた方が、よそへお参りにおいでて、汽車に乗ったり、船に乗ったりなさいますね。あの時、こみあいますので、 後から押しはしませんか。強く、つよく押すでしょう。それをするな、というのです。先生が、物事を早くするということは、結構じゃけれども、人を押しのけるといかん、というのです。あの、箱なんかを、ふろしきに包んで持っていて、それを前の人の背中へ押しつけて、箱のかどが当たって痛いことがあります。痛いから悪いのではございませんが、とにかく、人を押しのけるという心が、いけないのでございますから、どうぞ、車に乗る時でも、おくれるといけません。のんきに構えて、間を余計あけたりすることはいかんのです。早いのがよいのです。けれども、人を押すな。
こういう先生の教えですが、どうですかね。これがよくあるのです。東京あたりへ行くと大変な人ごみです。とこ ろが、押さずして、すう、すうはいって行きます。慣れていますから、その方が、すーっと早いのです。ところが、いなかへ来ると、妙に後から押すのです。そうすると、前の人が乗りにくいから、かえって遅うなります。これよく、お考えなさって、乗る時分には、どうぞ、人を後から押したりしないように、早いのは結構じゃが、皆が出来るだけ早く乗れるよう、考えていきたいものです。それから、もう一つ、船に乗って、沢山な人ごみになっている時に、先へ乗っている人が、荷物を並べたりして、広い場をとって、後からきた人が、かしこまって、じっとおらなければ、すわる席がないようなことがございます。これ、あなた方が、船でおいでる時わかるでしょう。その時分に、「ちっと、のいてんか。わしも、おまはんも、切符おんなじでないかい。ちっと場あけてつか。おんなじ、かね払うてある。」こういっているのを聞くことがあります。それもいきませんね。それ、押しているのと同じです。まあ、先へ乗ったからといって、広い場所をとって、人に譲らんというのはいけません。信仰になりません。まあ、後から来る人が、不自由しておればよけてあげる。又、自分の持っている荷物は、まがらぬ片すみへ寄せて、そうして、席をこしらえてあげる、ということが、これが信仰になるんじゃと、先生はおっしゃる。船に乗っても信仰できるのです。先生、そんなことおっしゃいました。
船に乗ったり、車にのったりするのでも、信仰ができるのです。早くするということ、人に譲ってあげるということは良いことじゃ。押したり、押しのけたり、理屈いうたり、せんように。あんた方、よくご覧になることですから、おわかりになると思います。先生は、そんな小さいことで、功徳積みなさった方です。かえって、大きな功徳積むということは、なかなかむつかしいのです。
たとえば、戦争では、大きな手柄をたてるというような、大きな功徳を積むということは、滅多にあるものではありません。しかし、小さな功徳を積むということは、日に日にできることです。先生は、そういう小さいことを積んで、あんな大きなお仕事をなさったのです。あんた方が、雪が降ったじぶんに、雪だるまをこしらえます。丸い雪の固まりをつくり、雪の上をころがすと、次第しだいに大きくなるでしょう。しまいには、大きな雪だるまができます。
あのように、先生は、小そうても、かまわん、それを、日に日に、積むのです。それが、大きな功徳になるのだぞ、と先生がおっしゃいました。どうぞ、そういうふうに、お願いしたいものでございます。
(昭和三十八年七月十五日講話)
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第四〇八条 「何事を見ても聞いても、いやと思うことが少なくなったら、心がみがけたしるしである。もし、いやなことが多かったら、しっかり徳を積むがよい。」
これを、日頃の生活にあてはめてみます。よくお考え願いたいのは、大ぜいが寄った時分に、好かんことが非常に多いというと、その人がおこって、プリプリしとるのです。こういうことあるでしょう。どうですかな。人の不行儀を見て、「ああ、あいつ、あんなふるまいをしている。こんなことしている。」とおこっとるのです。それから、まあ、お参りにいっても、そういうことあります。「あいつ、神さん拝むのに、あんなことしまいよる」と、よくいうのです。そういうことが、すくなくなるほど、功徳が積めたのじゃ、だから、いつも世の中の事が、いやにならんように、 なにを見ても、たとえ人が、もし悪いことをしても、行儀のわるいことをした場合にも、ああ、気の毒じゃ、あのお方は、信仰知らんのじゃ、というふうに、あわれんであげるのがよい。おこってはならぬということを、先生は、おっしゃいました。
これも、あるでございましょう。あんた方、寄り合いの時などに、ごらんになるでしょう。ずいぶん、信心でないらしいようなことを、言うたりしたりする人があります。その悪い所作を見て、憎まんように、憎んだら功徳がおちますぜと、先生は、よくおっしゃいました。どうぞ、先生のお心ぐみを、お酌みとり願いたいのです。こういうふうに、小さなことを積んで行くことが、大きな功徳になるんじゃから、どうぞその点をおかんがえ下さい。先生のお心は、そんなのでございましたから、どうぞ、それをご注意願いたいのです。
(昭和三十八年七月十五日講話)
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第四〇九条 「一ヶ所の神に通じたら、いずこの神さまにも通じると同様に、一つの徳が積めたら、その徳は、どこへでも、光りを添えるものである。」
日本には、随分神さま・仏さまが多いのでございますが、どこでもよい。どんな大きい神さまでも、どんな小さい 神さまでもよい。一ヶ所でおかげをうけて、神さまに通じたならば、どこへいっても、それが神さまの方へ、通じることになっておる。先生が功徳を積んで、ご自分がおかげをもらって、ご自分にも、そう感じられたのです。
先生は、大体、おかげを生駒さんで、おもらいになったのですけれども、生駒さんでもろうたならば、八栗さんにも通じる、金比羅さんにも通じる、どこへでも通じると同様に、人は徳が積めると、それは、その功徳ばかりでなく、どこへでも、どこへ行っても、その徳が高く人に評価されます。何とはなしに、功徳がどこへでも現われてくる。こういうことを、先生がおっしゃったのじゃが、これは、ご自分のことを、おっしゃったのでございまして、大変尊いことでございます。
こういうことがございます。ある人が、五剣山のお不動さんの岩屋へ、おこもりしまして、一週間。そうして、日の物断ちをして、「お不動さん、何かおかげくれんか。」というので、おこもりをしたのです。ところが一週間が暮れましても、別に、お不動さん、何もくれません。そこで、その人が「お不動さん、おまはん、わしに何じゃくれんな。これだけ、日の物断ちして、夜も昼も頼みよるのに、何じゃくれへん。」というので、お不動さんの頬べたを張ったのです。ところが、今まで拝んでいたお不動さんが、不思議に見えんようになりました。よく見ると、お不動さんが向こうむきになっている。ちょっともこちらへ向いてくれない。いくら拝んでみても、お不動さんは、目の前に現われるのじゃが、お不動さんは向こうへ向いてしまう。困ったなあ、と思いつつ、おこもりすんで帰ってきました。
お宅へお帰ってから、こんどは、八幡さんへお参りしました。すると、八幡さんのおずしに戸がたってしまっている。どこの神さまへ行っても戸がしまっている。お留守になっとる。もう困ってしまった。もうどこへお参りしても神さま仏さまは、皆、相手にしてくれません。そこで、泉先生のところへ、神さまや仏さまに縁絶たれてしまったというので、先生にお伺いしたのです。すると先生が、拝みまして(別に何も先生にお話ししてないのですよ。) 、「ああ、神さんが皆、せなを向けとんな、神さんも、仏さんも、みんな背を向けとんな、どこへ行っても向けとんな。」 「ええ、先生、ほんまに困ります。」「そうかい、ここへ不動さんが出て来るけん、よう聞きなはれ、お前はんが、功徳積まんと前へきて、おこもりばかりしてから、おかげくれ、おかげくれ、言いよったのではないのかい。」「先生そのとおりでごわす。夜も昼もおこもりして、頼みよったのでごわす。」「わしの頬たぼ張ったと、お不動さんは、 言いよるぞ。」「ああ、先生恐れ入りました。悪うございました。」「そうかい、これはなあ、功徳を積まんと、おかげくれんのや。功徳というのは、何でもええから、人さんが喜ぶもの、世の中の足りになるもの、あんたがするのや、そういうのを功徳というのじゃが、それを積んで、そうしてお頼みせんというと、ただ、くれ、くれというのは ちょうど、たとえてみたら、あんたが仕事をせんとおって、日傭賃をくれというのと、おんなじ(同じ) じゃ。それをくれる家があるかい。」「先生、恐れ入りました。」「わかったかい。」「ええ、よくわかりました。」「仕事をしよったら、日傭賃は、言わなくてもくれるんじゃ。」と先生は、こういう教えをなさっていました。そして「事がわかったら、言いわけをしといてあげるから、こんどから、そんなことせられんでよ。」「恐れ入りました。どうぞ 頼みます。」と言って頭をさげました。先生が、改めてお願いすると、お不動さんは、こちらへ向いてくれました。 それで、かえってお陰をもらったという話がございます。
これは、私が親しい人がなさったのでございますが、そのことで、先生がおっしゃったのでございます。「一ヶ所で神さんに通じて、神さんが利益をくれたら、どこの神さんへ行っても、どこの仏さんへ行っても、必ず通じるんじゃ。その代わり、一ヶ所でおこられたら、どこへ行ってもおこられるんだぜ。それと同じように、こんどは、人間社会の方で、人とけんかする、あるいは理屈いう、悪口をいう、すると、もうどこへ行っても、それが自分の身についとる。人は、その人のこと知らいでも、この人は、何やら気色の悪い人じゃということが、向こうに通じる。ところが、 功徳を積んで、世の中の足りになって、人に喜ばれるという人であったら、何にも言わずとも、人が喜んでくれる。 村木さん、気をつけんならんなあ。」と、先生からお話がありましたのを、私が、ここへ書いたのでございます。
なかなか、先生は、日常生活に非常に力をお入れなさる方であって、人と人とのおつきあい、家の内わ、と家族とのつきあい、そういうことが功徳を積むもとになるということを、よくおっしゃったのです。どうぞ、そのおつもりでごらんを願います。
(昭和三十八年七月三十一日講話)
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第四一〇条 「信仰は、神さまのみ徳をしとうのであって、お祭りしてあるご神体によるものではない。ご神体は、何であってもよい。この事を世の中で、いわしの頭も信仰からというている。」
中のご神体はどうでもええ。ということを、昔から、いわしの頭も信仰からというておる。こういうことを、先生がおっしゃったことがございます。それを、私が書いたのでございます。神さまをお祭りするのは、どの神さまでも、そのお祭りする神さまのみ徳ですね。生きておいでた時には、こういうことをなさった。ああいうことをなさった。この神さまは、こういうことをなさるお方じゃ。お地蔵さんなら、お地蔵さんは、ご自分のことは、お考えにならずして、雨露にぬれてでも、人が困っておるのを助けなきかんというお方である。
こういう風に祭神のみ徳をまつるのであって、決して、ご神体なるものは、ご神体が立派であるから有りがたいというのとは違う。み徳を慕うのであると、先生がおっしゃいましたが、これには、さぬきの一の宮というところに、一宮神社というて、大きなお宮がございます。そのお脇立ち、言い換えると、末社に小さな二間四方のお宮があるのです。そのお宮は、ある女の人が、非常にご自分が、ご病気で困った。それで、もう、こういう病気は、大へんつらいものであるから、私がなくなったら、こういう病気にかかった人を助けてあげようと、息をひきとる際にいうて、死んだのじゃそうです。その人は、すばくらさんというお方です。一の宮へお参りにおいでた方は、おわかりになります。国幣中社の大きなお堂のよこに、すばくらさんというて、二間四方の小さなお堂がある。そこへ、今、沢山の人がお参りをするのです。そうして、お願いのしるしに、手まり(糸をまいてつくった手まり)を差し上げてあるのです。お堂いっぱいにつりさげられております。先生は「まあ、一の宮へいってみなさい。村木さんなあ、このお屋敷のほんとうの神さん祭ってあるのは、国幣中社じゃ。そのお脇立ちに祭ってある、すばくらさんは、大きなお宮どころではない。お参りがずっと多いんじゃ。」こういうことをおっしゃったことがございます。
これを私が書いたのでございますが、もう一つこれでお話ししたいことは、播州の赤穂神社というのがあります。
それは、内匠の守長矩公、あのお方と、由良之助を祭ってあるのでございます。大体、大石神社といいまして、大石公をお祭りしてあるお宮です。大きなお宮です、湊川神社の鳥居をそこへ移転してきて、そこへ立ててあります。立派な鳥居です。ところが、お脇立ちが、東南のすみにあります。小さなお堂です。どなたを祭ってあるのかと思って、そこへ行きましたところが、浅野内匠守長矩公と書いてあります。ご主人がすみの方へ小さく祭られてあるのです。
これは、お参りするとよくわかります。おいでになったら、ごらんなさいませ。先生がそういうことをおっしゃっていました。
神さんというのは、ご神体が尊いから有りがたいというのじゃないのじゃ。神さまにお祭りする方の、み徳を祭るのであるからして、ご神体は何でもええのである。とこういうお話しをなさったのです。
(昭和三十八年七月三十一日講話)
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