391~400条

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第三九一条 「親切に、ほんとうの事いうてあげても、それがために、その人が死んだとしたら、その人はうそを言うたよりも、遙かに大きな罪を作った事になる。神の心は助け一点張りで慈悲ばかりである。」


人の苦を抜いて、楽な世界へ導いて上げるという事が、宗教ばかりではありません。世界一般の声なんですが、先刻お話し申しましたように、世界中の問題でも、助けるというんじゃなくして、力を強くして、勝ってやろうというのが、先に立つからいけない。泉先生でも、それをはっきりおっしゃっております。又、お大師さんにしたって、お釈迦さまにしたって、助けるという事が、先に立たなんだら、いかに理屈が良くても、それは、駄目なんですから、泉先生は、三九一条でおっしゃってある通りに、とに角、助ける事だ。先生ご自身が日に日にのなさる事は皆それでございます。自分が、拝む力が有るぞ、や言うのではありません。なるほどそういう所へ力は出来てはおりますけれども、助けるという事が一番だ、というご精神であった事は、一例上げて見ますと、よくわかります。
先生は、松原の岩清水八幡さんと、あの浜の金比羅様へよくおいでられていました。ある日、冬の寒い日に、亀太郎さんを連れて、岩清水の八幡さんへお参りにおいでた。すると、八幡さんのあの仁王門の所で、かがんで腹をおさえとるお遍路さんがおりました。先生は八幡さんの方へ向いて、「アィ」と言うといて、お堂の方へ、お行きもせず、そのお遍路さんの所へ行くのです。そして「お前さん寒いか。」「はい、寒うございます。」「腹が痛いかい。」「ヘえ、腹が痛うございます。」「ああ、これは、ぬくもったら直る。ささ着なされよ。」と言うて、ご自分が裸になって、じゅばん一枚になって、その人に、着物着せた。そして亀太郎さんにも「亀太郎はん、お前も脱げ」、とうとう二人が着物を脱いでお遍路さんに着せ、そして、八幡さんの方へ向いて、お辞儀し、そのままお帰りになった事があるのです。 これを見てもお参りが主体でないという事がわかるでしょう。お参りするという事は、助ける力をもらい度いという為にお参りしているのであって、そこにたすける人間がおるのに、八幡さんへ行く必要がない。「アィ」と言うて、お辞儀しておいてかえりました。こういう事も三九一条に書いてある事と同じ事です。
人をたすけるという事が、神さんのご意志です。それだから拝む暇があったら、それたすけたら良いでないか、そして有り難うございましたと、八幡さんへ、お礼言うといて、弟子を連れて、お帰った。これもう、論より証拠でございます。それで私は、三九一条に親切という事は、ほんとう言って上げてもその人が死んだら何にもならん。その人の為になる事であったら、ほんとうだの、うそだの、そんなのは問題でなくして、まず助けるという事じゃ、と、こう先生がおっしゃった事を書いたのでございます。
(昭和三十八年五月三十一日講話)
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第三九二条 「山は焼けても山鳥は立たぬ。」わが身に火がついても子は焼くまいとする。これが誠の信仰である。日常の暮らしに向いて、 この神心が持てるか。」


これはよく、山へおいでよる人が、よく話をする事ですが、山鳥が、卵を生んで、巣をつくってぬくめて、子がかえった。そのひな鳥の巣の所に火事がおこる。山火事がいく。その時分は、親が子を羽根の下へ、かかえ込んで、自分の毛が焼けるのに飛び立たない。こういう事をよく言いますが、浄瑠璃にも、山が焼けても、山鳥は立たん、という事は、うとうてあります。誠に、自分の身を捨てて、そうして人をたすける。
この捨てるというのは、どうして捨てたか、捨てるという事は、考えとりやせんのです。助けるという事を一点張りにやりますから、身を捨てるようになる。そういう事にならねば人はたすからん、泉先生も、ご自分がそれなんでして、ご自分が漁に行きまして、よその漁船に乗り込んで日当くれます。その日当の中で、神さんのお線香だとか、ローソク、その次にはご家内の食料、それのけるのです。余った物は、皆人の方へやってしまう。これを見ても、先生は、信心な信心なと人は言います。なるほど、信心な方ですけれども、信心というのは、まず人を助けるという事です。先生は始終おっしゃっております。
それには、まず第一に、家の和合というのがなかったらいきません。そういう考えでありましても、家族の方が不服を言って、けんかしもっては、出来ないのでして、家族が揃うて、そういう気になって、初めてできるのですから、先生のお家が、いかに先生がお家を丸くして、おいでたかという事は、私よく存じております。皆様も、ここが大事なのでございますから、なるほど世の中の為になって、人を救うという事は良い事に違いありませんが、まずそれで、家族を苦しめないように、まず第一に、家族を安楽に暮らせるように、皆が和をもってして、その余禄を人に持って行く というのであったら不服は無いと思います。
ところが、それと反対に、今度は人を助けるんじゃ無くして、ご主人は自分の方のわが身に金を使うて、ご家族を苦しめる。これは一番悪うございます。まず第一に、ご主人は、家族もろとも家の中をきれいにする。和合する。そして余った物を、世の中の足りにするという事がたいせつです。それが信仰の本旨です。先生はよくお参りにおい出ます けれども、お参りというのは、慈悲の心を養うんであって、それが出来なければ、お参りは、うそぞ、と先生おっしゃったのです。いかにも、私は、これは、結構な事じゃと思うて、山鳥の話をここに書いたのでございます。
ただ山鳥が飛ばんという事を見て、感心じゃなあではいかんのであって、その心をしらねばならぬ。子というものと、親というものとは、実に深い因縁がありまして、子は、すなわち我が身という事になるのでありますから、自然に慈悲の行ができるところがありがたいです。先生はそれを広げて、人の方へ向けて、使えよとおっしゃったのは、ここに有るのです。それが出来ると、信仰はすぐに成り立つものじゃ、というお話しがありましたので、書きました訳ですから、どうどそのおつもりでご覧下さい。
(昭和三十八年五月三十一日講話)
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第三九三条 「神と尊ばれ仏と敬われているお方は、皆山鳥が 子供に向いて持つ慈悲心を、世間一般に向いてせられたお方ばかりである。 信仰という事も、この偉いお方に命がけで、すがりついて行く事である。そうすれば、いつの間にやら助けられて行くようになる。これをお陰というので、拝むばかりが信仰でない。」


これは、前の三九二条と続いとるような問題でありまして、まず例を忠臣蔵にしましょうか。山が焼けても山鳥は飛ばぬと言うが、それは、子をかわいがったのです。泉先生はそれを伸ばせと言うのです。人の方へ伸ばせと言うのです。忠臣蔵でも、ご自分は、上野介の首を取ったら、時のおきてに触れるものですから、無論、切腹は覚悟です。
ところが切腹ばかりで事足らず、それが自分の家内にも、子供にも及んで行く。それではかわいそうだと言うので、先ずそれをたすけなならんというので、あの大石公が妻君に暇出すでしょう。離縁状書くでしょう。そして家内を去ってしまう。子供はなるほど、主税というのは、浅野内匠守のちょう愛受けておりますから、連れて行っとりますけれども、その弟があるのです。これは勘当しとります。親子の縁を切っております。そうすると、昔は、勘当したり 離縁したりした場合は、その方へ罪が伸びんのじゃそうです。それで、そういうわが身に火の付く事前に妻子の縁をきり、そうして自分は覚悟して主君に奉じておる。そういう事が、ちょうど三九三条に書いてある事と同じ事で、自分の身に火がついたとて、それは恐れるな、そうして人を助けなかったら、ほんとうのものでない。これは、全くの信仰でございます。ちょうど、芝居にすると、忠臣蔵という芝居は、実に面白いが、それは、面白い上に、その裏手が信仰になっております。
信仰の力というのは実にどれほどあるものか測量出来んものであって、あの四十七人という人は、ほとんどが足軽でございます。足軽と言えば、芝居に出てくるやっこでございます。何人扶持と言うて、何石を取っとるというのでなくして、ふち付きです。日当でございます。その位、身分の低い人が多いのです。あの 四十七人の中には、無論剣道とか柔道とかいう事は沢山なさっておらんのです。ただ、心で、どうがこうでもやり遂げなならんというので固まった心が、すなわち信仰心です。家内を去り、子供を勘当してでも、罪がそちらの方へ行かんようにしといて、自分は火の中へ飛び込んで行く、というような事をなした四十七人、不思議な事には、敵の方は武者修行といいまして、日本中を武芸で旅行して渡ったことのあるものばかりです。そういう人々を、百人もかこうてある屋敷へ飛び込んで行って、 剣道も柔道も達者でない人が、その百人を皆殺しにしてしまうて、四十七人、一人もやられておりません。これは、芝居で御承知でしょう。それ位力が出るのです。
又、もう一ツお話ししてみますと、一心になったという事は、非常に強いという証拠は、あの養老の滝というのがございます。孝行な子が、山へ、日に日に、しばを刈りに行く、そしてお父さんが、家でお留守しとるのに、そのお父さんがお酒が好きなお方であって、お父さんにお酒を買うて上げる。いつもしばを売って、そしてお酒を買うて、お父さんにあげていた。どうぞ、お父さんに好きなだけのお酒を上げたいなあ、せめてこのひょうたんに一杯でも、上げられたら良いのに、と思っても、それがもうかりませんので、日に日に、少しばかりづつは、お父さんに上げても、余計は上げられません。ああ余計あげたいと念じて山へしば刈りに行きました。ところが、ご承知の通り、ある日、不思議な人に会って、今度はひょうたんを持ってこいよ。と、その人に言われて、ハイハイと言うて、ひょうたんを持って行った所が、この水を中へ入れというので、滝の水を入れよるとは思うたけれども、そのおじいさんが、神さんのように思えるのであったから、これをもって帰って飲ましたら、お父さんが喜ぶだろうと思うて、持って帰ったら、その滝の水が酒であった。お父さんが非常に酔うて、おいしかったという話があります。これ等も、水を酒に変えてしまう力がある。
こんな事を申すと、うそのようですけれども、私は先年、生駒さんへお参りに行きまして、そして船に乗って、こちらへ帰って来るのに、少しまだ時間が余りますので、千日前で、芝居でも見ようかというので、入っていた所が、 看板が出とるのです。「昭和の養老の滝」というのが出とるのです。ええ、昭和の養老の滝、こら面白いなあと言うので、はいってみました所が、つい四十余りの若い人が舞台におるのです。おおよそ、四、五百人の人が入っておりました。そこでその人が「私は、昭和の養老滝というのをご覧に入れます。」と水をくんできて「私が念じたら、それが酔うのでございます。」そんな事をいうて「私はサクラを使いませんから、どなたでも良いから、この中から出てきてください」というので選挙して、観衆の中から五人の学生が出てきました。その人に水をくんできてもらうのです。水道のどこからでもええから、ガラスのビンにね、くんできました。今度は、コップの中へそれを入れて水に違いないという事を客に見せて、ためしといて、その五人に、これが酒になりますからと言うて、それを飲ましたのです。見る間に、顔が赤うになりました。そうして、舞台でよう立っとらんと寝てしまいました。舞台の上で、これくらい、水が酒になるものかと私驚きました。
これはまあ、催眠術でございますけれども、催眠術にしたところで、原理は一緒です。酔うと思い込んだら酔うのです。これは、催眠術の原理でございますが、この催眠術の若い衆が、この通り一心に念ずれば、ものがかなうのでございます。とこういう話をしとりました。いかにもなあ。そうだ、泉先生は、一生懸命に人を助けたいとお思いになった事が、助けられるようになったのでございますから、私は、この三九三条に書いたのは、そういう意味からでございます。昔の偉い人は、皆、助けたい、助けたいと思い込んでいるものでございますから思う通りに、人がたすかるのです。
泉先生がおっしゃるのには、「村木さんよ、わたしは、てばなしの専売特許と言うんじゃ」、こらまあ、先生ようおっしゃった。てばなしの専売特許という事は、薬も何も持ちはしない。ただお話一ツで、向こうが感心して、神さんのお陰が受かるんだ。こういう事をおっしゃったが、ちょうど、この三九三条に書いてあるように、神さん仏さんとして、後の世までも尊ばれるお方は、皆、生の世の時分には、自分の身を殺してまでも、人をたすけてやるという念に燃えて居たのでございます。
あの忠臣蔵の四十七人も、今お話する養老の滝の孝行な子も、これはうそではありません。思い込んで、そうしたら お父さんが酔うたんでございますから、これは、うその話みたようでございますが、うそでございません。現に私は 大阪で実演しているのを見たのでございますから間違いありません。
このように、先生のおっしゃった事は、まことに不思議な力が出るのでございます。どうぞ、あなた方がご信仰なさるのも神様にお参りするばかりでなく、お参りするのもよろしゅうございますが、それは自分に不思議なお陰をいただきたいというお参りであって、それなら、もらったらどんなにするのならというと、人を助ける、たすけるという事と、拝むという事と違いますが、拝まなくとも人は助かるのです。日に日に、田んぼしたって人はたすかる。心でたすかるのでございますから、そうなって来ると、その村は、何事があっても治まります。不幸な人が出来ません。 お互いに手を引いて、そういう風に進むようにした事が泉先生のお喜びと思います。だから、泉先生にお参りするのも結構だけれども、泉先生の心を、心として日に日にの暮らしの上に、それを使うという事が、先生をお参りしたのと同じ事になるのでございますから、どうぞそのように思うていただきたいと思います。
(昭和三十八年五月三十一日講話)
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第三九四条 「何事もああ困ったと言うひまで、今、何をするのが一番良いかという事を神様にご相談する心になったらよい考えが出て来る。」


これも、先生の日常のお心掛けを私が書いたのですが、誰でもああ困ってしもうたと言うて頭を抱えて、うつむき込んでしまうのが人間の癖です。所が、先生は、それをいかんとおっしゃる。困った事が出来たら、ああ、これどうしたら良かろうか、どうしたら良かろうか。という事を考えるのを神さんに、相談せえ、と先生はおっしゃったのです。
神さんに相談するのは、どういう風にするのかといいますと、神さんが前においでると思うて、どうしましょうか。どうしたら良いでしょうか。という相談する気になって考えたら、一人でに、自分の心の中へ、こうしたらええと思う事が出て来ると、先生がおっしゃった。そらそうでしょう。先生は、いつもそういう風にお考えになっとるのです。困ったという事は言うなと先生はおっしゃった。
なるほど、人間は、一生の内には、困ったという事も出来ます。出来た時分には困ったという暇が有ったら、神さんに相談してよい方法を教えてもらう。こうなれよ、とおっしゃるのです。先生は。これは、私、良い事じゃと思います。
あの三原山は、ご承知の通り、火がふいとるのですが、火山です。そこへ飛び込む人がよく有るのです。死にに行くのです。その道に札立てて、「一寸待て」と書いて有るのです。ああ、一寸待て。なるほど、わし、今飛び込みに行きょるんじゃが、"一寸待て。そして踏み留まって考えたら、もう死ぬのが止まって、ええ方へなれるという為に制札を立ててあるそうです。私見た事はございませんけれども、行った人がそう言います。それと同様に、困った時には、一ペンそこで困ったと言わずして神さんに相談かけえと、先生がおっしゃったのです。これも良い事でございます。
それから、あなた方は、お地蔵さんやお不動さんが立っているところは夜であると、あぶなそうな所とか、いやな感じのする所へよく建ててあります。あるいは又、人が落ち込んだりして死んだとかいう時分には、お地蔵さんを建てます。小森のあの池ができた時分に、何人も落ちこんで死にました。小森の信心なお方がお地蔵はん建てて、身替わり地蔵というのを建てて供養した事がございます。それからはあそこへ人が落ち込んで死にません。不思議です。
そこへ行って飛び込んでやろうと思っても、お地蔵さんがある。このお地蔵さん、身替わり地蔵、あら、身替わりになってくれるお地蔵さん。そんな事考えよるうちに飛び込むのを止めて、助かる人が出来るのです。先生はその事をおっしゃる。心で困ったという暇に、神様仏様に相談するという気になったら良い方へ向くと言うのです。
どうぞ、先生はそういう事をおっしゃって、人を救うところのお考えを起こしたのでございますから、どうぞ、そのお積りで困ったや、おっしゃらんように願います。
(昭和三十八年五月三十一日講話)
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第三九五条 「物事は形にとらわれたら間違いが起こりやすい。又わが身の事を大事と思うても間違いが起こり易い。この二ツの事を考えず、慈悲心で世の中を渡れば、間違いは起こりにくい。」


形にとらわれるという事は、どんなのかと言いますと、うちの方角は家相が悪いとか、方角が悪いとかいう、その形にとらわれて、それを直す暇が有るのであらば、神さんに頼めというのです。それから、自分の事を第一に置いて考えたら間違いが起こる。こういう事するのは皆、世の中の為になるだろうか、あるいは神さん仏さんが喜ぶだろうか。まず、自分より神仏を第一に置いて考えたら、良い方へ向く。形の事を考えるよりも、信仰の方が良いんだ。
こういう事を先生がおっしゃったので、どうぞ、信仰は形にとらわれんように、自分を第一に置かんように、この二ツを考えたら、真っ直ぐに行けるぞ。こうおっしゃったのを私が書いたのでございます。どうぞそういうつもりで、 何事ができましても先生のお心に添うようになさった事が、お陰が受けやすいと思いますから、どうぞそういう風にお願いいたします。
(昭和三十八年五月三十一日講話)
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第三九六条 「冬子供が、かぜをひいた時、このまあ寒いこと、かぜをひいているのに困るなあと天に愚痴をこぼす暇があるなら、その手間で室内をあたためてやったらよい。身も心もおちついて喜べる。」


これは、よくある事でございまして、天地自然の事は、恨んだって仕方の無い事です。先生のおっしゃるのは、子供がかぜをひいた時の事をたとえにしておりますが、子供がかぜをひいたら、もう風が寒かったからなお悪いというので、親はまあ子供が風邪引いて寝とるのに、これは寒いので困るというて愚痴をどこでもこぼします。
ところが先生は、愚痴は大変きらいなんで、そんな事言う暇があるのであったら、どうしたら、これをぬくう出来るかという工夫せよというのです。それで部屋をしめきって、その中へ火鉢でも入れて、そして火鉢だけでは室が乾燥し過ぎますから、それに茶びんをかけて蒸気が出るようにして、ちょうど室内が夏のようになるのです。湿りを持って室内が暖い。夏の風はなおりやすいと言いますが、そういう風にしてやれば、子供が楽になる。先生は、愚痴をこぼす暇があったら、天とうはんの助けをもらえというのです。先生はいつもそうおっしゃる。
それから、こういう事もございます。矢張り病人がある時分には、犬がワンワンいうて鳴くのです。ああやかましい。あんなに言うたら病人寝られへんと言って犬をしかりますが、これ等も、もし病人がなかったらどうかというと、盗人の番になるというて喜ぶ。同じ犬の鳴き声でも、これ位違うて来るのですから、泉先生は、自然に起こる事は逆らってはいかんとおっしゃる。ああ犬は寝んともりしてくれよる。という風に考えて、天地自然のできごとを恨んではならんとおっしゃる。これは先生の日頃のお心掛けでありまして、風が吹いても雨が降っても、天地自然の間に起こった事には、先生は何も愚痴をおっしゃらん。死ぬのでも、人間が死ぬという位、悲痛な事でも先生は愚痴をおっしゃらん。それはこういう事が有りました。
先生の親御、お父様がお達者になさっている時に、ヒヨッと夕方になりまして「庄太郎はん。」庄太郎はんというのは先生のお名前です。「庄太郎はん、済まんけんどな、今から火打山の奥の院へ行ってくれるかな。」「お父さんどうしたんですか。」「あのなあ、火打山の奥の院のお大師さんに、あの隣の人が腹が痛かったのを直してつかはれと頼んであるんじゃ、それ良くなってお礼参りに行っとらんけんな、おまはん、行って来てくれへんか。」「ヘイ、参ってきます。」それが夜です。しかも火打山と言いますと、造田のずっと向こうの山のてっぺんにお祭りしてあるお大師さんです。そうとう道が有ります。それでも先生は、「ハイ行って参ります。お父さんどうしたん、どなになはるんで。」「うんわしは、もう帳面がもう済んだけんな、国替えしようと思う。今晩、親せきに寄ってもらって、明日位は出ようと思う。」先生は びっくりしたけれども「そうですか。」と言うて 造田へ走って行って、お大師さんにお礼を言うて、「お父さんただ今帰りました。」「ああああご苦労であった。もうこれで神さん仏さんに頼んだ用事を皆ご案内したけん、済んだように思う。」これ位、き帳面なお父さんです。 又先生は、そのお父さんの言葉を聞いて、ちょっとも反対なさらん。「ハイよろしゅうございます。」そうして、「国替えせんならん。」とお父さんおっしゃるのに「そんな事言うて、どなにするぞい。」とはおっしゃらんのです。
先生は「ああそうですか、そんなら親せき呼んできます。」と言って、ずっーと親戚へ便したら皆集ってきました。 津田ですから、あまり親せき間が遠くでありませんから皆きて、そして親せきの人々は、けげんな顔しとるのです。 お父さんが、平気でおいでるから、一ツも悪そうでないのです。「どうしたんで。」「あのな、もう国替えしようと思う。まあ今晩、面白うに、お話して明日お別れしようと思うけんなあ。今からご馳走無いけんど、食べてつか。」と言うて、お酒を出してご馳走出して、ご自分は召しあがらんと、それを見て喜んでおいでる。親せきの人たちもあきれてしまって、どこも悪うもないのに、そんな事言うものでございますから、これ、ほんとうかいな、と疑うていたんでしょう。そうして、一晩、面白い話をして、明くる日になりまして、「庄太郎はん、もう大分近寄ったけんな、木の葉取って来て、おまはんが先にな、水つかはれ、親せきが皆木の葉に付けてな、水もらうで。」と言うて、木の葉というのは、しきみの葉です末期の水です。笑いもってそれをもろうて「有り難う、今からすまんけんど、おかゆをひとつあたためてつか、たいてつか。」「ヘィヘィ。」と言って、これは奥さんがなさるが、奥さん体が弱いから、先生がなさる。おかゆこしらえて、「お父さん、おかゆできました。」「そうかいな、ほな、よんでつか。」と言うて、おかゆを三杯召しあがったと言うのです。どこも悪うない。「ああ、こんで体がぬくもった。ああ、有り難とうよ。ああ皆寄ってつかはれよ。もう時間が迫ったけんな。」さて、そんなに言うものじゃから、どこも変わりはないけれども、 親せきが皆、お父さんの所へ寄りました所が、お父さんは火鉢にもたれかかって、「さようなら、皆ご気げんよう。」 と言って、うつむいたそのままでございます。こういうお父さんを先生は持っておいでるので、ここにも書いてありますように、まあ先生は、子供がかぜをひいた事にたとえてございますが、愚痴を言うたり、悔やんだりせんと、今どうしようかという事に力を入れたのが先生でございます。お父さんを、できるだけ喜ばして、向こうへおいでると言うのを逆らわなかった。さようならと言って、向こうへ行ってしまった。こういう立派なお父さんを持っておいでるだけに、先生も日頃、愚痴おっしゃりません。ほんとうに、きれいなお方でありました。
(昭和三十八年六月十五日講話)
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第三九七条 「言いわけは、わが身が助かろうとしている心から出る、それよりも、相手方の心を悟って、その人が喜べる方へ、力を入れるのが神の道。」


人間は、妙に、言い訳をしたがるものです。何とか、かんとか言い訳したがるものです。だが先生は、言い訳するより、相手方の人の心を悟って、その人が喜べるようにしてあげるのが信仰の道ぞ。と先生がおっしゃった。
あんた方もお知りでしょうか。笹木野の飛行場へ予科練というのがきとりました。若い兵隊さんがきて、飛行機のけい古をしておりました。この予科練が、日曜あたりには外へ出してくれて、遊びに出るのです。そうして元の隊へ帰った時分に、ヒョッと時間の都合で遅れる人が有るのです。そうすると門衛の所へ行って、私はどういう訳で遅れたとか何とか言うと、すぐとドーンとかしの捧でなぐられる。軍隊ですから、あまり教えがきついのですけれども、それくらい軍隊では言いわけをきらったのです。泉先生は軍隊へおいでていませんけれども、その事をおっしゃるのに、言い訳は、自分が助かろうとする一ツの策略だから、それはいけない。それより、その人が喜べるように言え。これが信仰の道じゃとおっしゃったのですが、これはよく有ります。
我々でも、日頃、時間のお約束して、寄り合いに遅かったら、よく言っております。何々の具合で何々の具合で、という事を、よく言うておりますけれども、先生は、あまりそれをおっしゃりません。遅くなりました。とは言いますけれども、あまりおっしゃらん。自分の言い訳はせんと、向こうの人の気合いを取り立てて上げる。喜ばして上げる。そういうように工夫して言うのが信仰の道じゃと、なるほど、それは、言い訳聞いた人は、いかにもそんな訳で違ったのかという悟りはできますけれども、それより、面白くお話しをして、自分が助かる道を話しするよりも、相手方が喜べるように考えていけ。こうおっしゃった先生を、私、じっと考えてみますと、いかにも先生はそういう風でありました。
先生の事申して、まことに相済まんのですけれども、何やら、先生がごきげんが悪いのを初めて見たのです。いつも、ごきげんが悪いという事ないのですけれども(これは沖野の彦はんが知っております。)先生が、お召物をふろしきに包んで、それで背中へ負うて、黙って家を出ておい出たのです。そこで、これはどこへおいでよるのか。先生、何じゃおっしゃらんけれども、彦はんが後から付けて行ったのです。どこへおいでよるかと思うと、そうすると、松原というのが有りまして、大きな太い松がずっとはえとるあの半ば頃まで行った時、先生が後へ向いて「彦はん、ああ、もういぬで。」と言うて何もおっしゃらんと、彦はんと一緒に帰って来て、着物をしまって知らん顔なしとる。その一事を見ても、先生は言い訳せんという事がよくわかるでしょう。
「それは後で聞いたのでございますが、先生が怒ったのではございません。漁して、大きなたいが取れたのじゃそうです。そのたいを、先生が、どこかへ上げようとした所が、奥さんと意見が違ったんです。そこで先生がちょっと、お気に召さなんで、お参りに出かけて行ったらしいんです。けれども、彦はんが後から行って、彦はんの顔見るというと、「ああ、わし、もう帰るで、彦はん。」と言われて、他の事おっしゃらなんだ。ニコニコ笑うて、お帰った。もどってきても、お帰っても、奥さんにおっしゃる事でも何もおっしゃらない。信者の人が沢山寄っておりましても、何もおっしゃらんと、ニコニコ笑うておいでる。これを見ていかに先生のご人格が高いという事がわかるでしょう。ちょっとも、つゆほども、ご気げんをそこねたという事を見せもせず、言い訳もせず、彦はんにも、言わんのです。一寸おかしい、 子供みたような所もございますが、その事を先生が三九七条におっしゃっているのです。
(昭和三十八年六月十五日講話)
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第三九八条 「同じことをいっても、人を逆らわずに言えるものである。たとえば、寒い時に、子供が寝ておって、ふとんの中からのり出る時に、「のり出してはいかん」と言わずに「りこうだから、ふとんの中にいなさい」と、いうた方が子どもがよろこぶ。」


これはたとえなのです。先生は、いつも信者にお話しなさるのに、そらいかんとか、そんな事言うてはならんとか、止める事なさいません。逆らいません。黙って聞いておいでて、そうやなあ、と言うて、そして先生のお考えをおっしゃるのです。それは、いかんわ、とか言って人を止める事はなさいません。向こうさんの気分をそこねんのです。ここに先生の偉さが有るのです。
それはあなた方が、日頃お付き合いの上に考えてご覧なさい。色々こういう事有ると私思います。「おまはん、そんな事して、どなにするんな、という事聞く事が有るのでございますが、先生は、それをおっしゃらんのです。ニコニコ笑うて「こうやったらどうぞい。」と言うのです。まことに相手方の気合いをそこねんところの偉い所があります。
これは、先生の真似をしたら、大変良い事じゃと私は思います。人を止めないのです。止めるという事は、わしゃ反対じゃ、と言うのと同じでございますから、そんなに言わなくとも、自分の意見だけをソロソロ言うたら、相手方がわかったら付いてきます。先生は、いつもそういうお方であった為に、先生と話したら、吸い付けられるのです。何か、こう吸い付ける力が有るように思います。先生とお話しすると、いつまでもお話ししたい、そういう感じのある方です。つまり、人の事を、真っ向から止めて、違うとか、きらいとかいう事をおっしゃらんのです。それくらいのお方ですから、無論、人の悪口も言われず、人の批評もしませんでした。絶対に、人の事はおっしゃいません。良い事が有ったら、ああ、あの人ああいう事なさいよるんかいなあ。感心じゃなあとはほめなさるけれども、そらいかんわとか、あんな事しよるとかいう事は絶対言いません。人の事は、先生一寸もおっしゃらん方でありました。
この事を見ても、お大師様によく似とる。お大師さまが、あの高野山の御影堂という低い平たい建物が有ります。これは、お大師さんのお居間であったのですが、そのお居間の入口に額を掛けて有った。その額を、今あなた方高野へ行った時、よくお泊まりになる。光明院、光明院の裏の座敷に掛けてあります。これはお大師さんのお筆じゃと言いますが、それはまあ、お筆で有るか、無いか知りませんが書いて有るのを見ますと、「人の事を言わず、我が名誉を説かない。」と言うのです。わがの自慢を言わない。人の悪口を言わないと書いてあります。これはお大師様が日頃、高野の山の上で、大勢の方とお付き合いなさる上に、たとえそれが弟子でありましても、その人の悪い事言わん。お前それいかんわと言わずして教えるのです。笑顔で教える。無論お大師さんは、ご自分が偉いという事は、自慢話は一切なさらなんだ証拠にそういう物が今残って居ます。私はその軸物を拝見しましたが頭が下がります。これだけでも立派な信仰が届く訳です。
人の批評はしない。人の欠点話はしない。人事は言わない。わがの自慢話はしない。実に立派なもんじゃと思います。泉先生は、やはりそれとよく似とるのです。ご性格がよく似とります。そういう方でありましたから、三九八条に書いてある事だけでも、もしそれが一生実行できるならば、立派な高い人格と人に仰がれるに違いないのです。
その意味で、これをご覧になった方が良いと思います。
(昭和三十八年六月十五日講話)
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第三九九条 「人の一生のうちで自分のために一番悪い事は、名をけがすということであろう、又仕事の中で悪いことは何かといえば、人のため御国のため害の有る事をする事であろう。ところが、この世へ務めに来ているのであるから、仕事が大切である。この重い任務を果すには、わが身を第一と思ってはならぬ。」


これは、日頃先生がなさっている事を私が書いたのでございますが、一番先に先生がなさる事が、又おっしゃったりする事が人に害が有るか無いかという事考えておい出るのです。もし先生がなさりよる事が人にさわるとか、人の感情を悪くするという事があったら、先生なさらんです。それから又、お仕事でもです。これが人の為になる。あるいは国の為になるという事で有ったら、なさりますけれども、先生がなさった事が世の中の邪魔になる。人がきらう事はなさらん。これを日頃考えておったならば、信心は一人でに、高あになって行くという事を、先生からお話があったのです。これは簡単なようですけれども、なかなかむづかしい事です。
先生が、道歩かれていても、あのガラスのカゲとか、なわの丸うなったのがあったら、先生はつえをついておいでて、それをパッと、道の端へ持って行くのです。これ考えてみますと、これ、はだしで通る人があると、足の裏へ突き立ったら大変じゃと思うて、そのガラスを道の端へのけられているのに違いないのです。なわを、丸うにくくってあるのがあったら、目のうすい人が両足突っ込んだら倒れる。それで道の端へやってしまう。こういう風に、先生は一事なさるのでも、人のために害になる事、あるいは国の害になる事は一切なさらぬという事が、始終先生の頭の中にあったに違いない。
それから又、国とか人とかいう考えは無しに、それはのけておいても自分の為にという事は先生なさらんのです。
必ず、人の為に、まず言うたり、したりする事が人にさわれへんかという事考えておいでるのです。これはまことにしやすいようでございますけれども、なかなか、むづかしいのでございます。
まあ、仮にお客様があるとするのです。そこの主人が、猫や犬しかっても、早お客さん感じが悪いのです。猫が悪い事して、それしかっているのでも、お客様がある時は猫しからん。犬をしからんという風に、自分が何でもない事であるけれども、それが人にさわるという事を、先生は考えておいでるのです。これどうですか。皆様、お客が来とるのに、そのお客しかったので有りません。自分がしよる事です。猫をしかったのです。そんな簡単な事でも、わしがしかっているのを聞いたら、お客さんがつらいだろうと思っておっしゃらん。しよい事ですけれどなかなかできんのです。お客がある時には、猫さえしからんのです。犬さえしからんのです。しよいようですけれども、これ考えてご覧なさい。余ほどむつかしい事です。
先生はこの様に日に日にお暮らしなさる上にでも、先生の声を聞いたら、うれしいような感じがするのです。
というのは、人を害して、人の耳を害してはならん。人の目を害してならんという事を考えておいでるからです。 それから、先生のご用事する人は、座敷を掃いたり、お供物したり、花を生け替えたり、色々先生のご用をする人、におそのはんという人がありました。これは奥さんの妹さんです。そのおそのはんを呼ぶのでも、先生が言いますと、 おそのはんと言う、そのおそのはんを呼ぶ声がです。偉い人を呼ぶ感じがするのです。自分の連れ合いの妹ですから 、荒うに普通の人だったら言います。自分の家内の妹だったら呼びつけたりするでしょう。荒くたいものの言いようします。それが一般の習慣ですが、先生は奥様に仕えとるのでも何でもないのです。人が聞くと、きたなく聞こえるという先生のお考えで、おそのはんよ、と言う声が、偉い人を呼ぶ、よそのお客様を呼ぶような気配がするのです。
用事頼むのでも、花をよそからもろうて、きれいな花を生けてもらうので「ああおそのさん、だれそれが、こんなきれいな花くれてありますからね。生けて下さいよ。」どうですか。自分の妹にさえもそういう言葉を使う先生でありました。
これは、先生の日常生活に接近しておいでん人はお知りにならないけれども、私はそれに感心したのです。ああ、先生は、ご自分から言えば妹なんですから、どんなに呼んでもかまわんけれども、自分という考えを持っておいでん証拠は、人が聞いたら、どんなに聞こえるかとおっしゃる。お考えになる。こらどうぞ一ツ先生のお気合いをくんではしいと私は思います。
(昭和三十八年六月十五日講話)
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第四〇〇条 「なまける心が出るのは、神様のご縁がきれかけている事で、今の我が心が神に添うているかどうかを考えてみよ、必ずよろこばしい考えが出て来る。」


これは先生がおっしゃった事ですが、神様にお灯明上げたら、良いけれども、からだが疲れているからとか、しんだいなあとかは、これはなまけです。それからもう一は、朝など起きると、神様のお花の水をかえる。お燈明上げるという、ならわしがあるとしますか。ところが、時によると疲れとる事があるのです。体が非常にぐたぐたになっている時があるのです。その時に、まあ、一ツ朝飯食べて、それからゆっくりと神様の事をしよう。これなまけです。
その時には、先生がおっしゃっていました。神様仏様の用事は、いくら、しんどうても、先にせえ。人間の方の事は後へ回せ。先生はそうおっしゃいました。私も折々しくじる。今日しんだいなあ、とおもって後回しにする。先生にそういう事聞きましたが、なるべくそういう風にしたいもんじゃ、と私思うております。これが先生の信心の心掛けでございました。
(昭和三十八年六月十五日講話)
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