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第三七二条へ 第三七三条へ 第三七四条へ 第三七五条へ 第三七六条へ 第三七七条へ 第三七八条へ 第三七九条へ 第三八〇条へ第三七一条 「太い竹の筒で火を吹き消せぬように、つずまりのつかぬ心では世の中に役に立たぬ。天地に通う大きな心で人に向かえば、何でも成就する。火吹竹の細い穴の風の力が強いようなものである。」
火吹竹というのは、ご承知のない方もありますけれども、竹の筒の節を抜くのですが、末端の節だけには小さい穴をあけて、それで火を吹くと、いうものです。あれの末端の節まで抜いてしまうと、吹いてもこたえません。底の無い竹の筒で火を吹いてご覧なさい。大きな筒ですから、吹いても火がおこりません。これを人間にたとえてみたら、どんなことかと言いますと、口が大きければ、あつかましい事言うけれども、つずまりがついていない。それが竹の筒で火を吹きよるようなもんじゃと先生がおっしゃった。世の中ではよく言うでしょう。あの人はおおふやとか、あるいは、ほら吹きとか言うでしょう。先生は、こういう風に物事を たとえて言うのが上手なのです。よくわかります。ところが竹の一番はしの節に小さい穴をあけて火を吹いてご覧なさい。ヒューッとすぐ火がおこってきます。
どうしておこるのかというと、穴が細いので、つつの穴から出る風が一筋になって、つよくあたるからです。こういうのが火吹竹というのです。これは先生が誠によくたとえておいでる事であって、物事の小さいところへ注意して、しかも人が助かるような、ためになる話しをする人が、真心のある、まじめな人であると、人が評判しているのはこれです。どうですか。
こういうお話しをしてみると、おわかりになると思いますが、中にはほらを吹いて、大きな事を言うて、日に日にの仕事に、ひとつも力を入れていない人があるでしょう。そういう人は、世の中で生存競争に負けてしまって、何にも役に立たない。自分は小さい者と考えて、自分を小さくせよと先生がおっしゃった。
これについておもしろい話がございます。火吹竹というのは、一番底の節に穴があいとる。ところがお手伝いさんが、火吹竹を使うのに、火にさしつけてヒューッと吹く。よくこたえるけれども、火吹竹が燃えるのです。そこの御主人が「火吹竹を燃やさんように」と、ことばで注意したら、それまでですけれど、その御主人はえらい人で、火吹竹の先の方の横がわに穴をあけておいたのです。そうすると風がもれるからして、どうも先へこたえない。尺八見たように指で押さえて吹かな仕様がない。ところが穴は先の方にあるので、火吹竹を火にさしつけて使うと手が痛い。すると、おのずから、手を持っていきません。火にさしつけないで吹くようになった。そうすると、火吹竹を燃やさないですむ。こういう風に、言葉を長たらしく言わなくても、大事な所だけを向こうさんのきげんそこなわないように、物事をしむけたら通る、そんな事を私よく考えたのです。泉先生は、そういう事を火吹竹にたとえておっしゃったのです。
それからもう一つ、私はここで言いたいのは、あいさつから始まって不必要なことをしゃべって、肝心の用事を、チョコチョコと短く言うてしまう人もおります。あいさつするのは、三年位まえからする。一昨年はどうでございまして去年はお世話になりまして、今年も又どうとかこうとか言っていると時間がかかる。泉先生はそんな長冗舌をやめて、かんたんに必要な事だけいうのが、ほんとうによろしいとおっしゃいました。あんた方が日に日にのおつきあいの言葉を聞いてご覧なさい。いらん事長う言うて、いる用事を短うに言うてしまう。用事の方を気をつけて、間違わんように言うて、その後で愛想のお話しをするのは構わない。こういう風に泉先生はお話しがありました。ここでも、やはり火吹竹に先生がたとえておっしゃってあるのが面白いです。
(昭和三十八年三月三十一日講話)
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第三七二条 「世の中につまらぬ事に力を入れる人は、大事な時には力が出ぬ人である。」
つまらぬ事に、必要以上に力いれる人は、大事なことに力が抜けるものです。これはよくあるでしょう。私がお話し申し上げるまでもなく、日頃あんた方がおつきあいなさる上にでも、世の中に、こう言う事たくさんあると思います。
いらん事に力を入れる人は、大事ないるところに、力が抜けてしまうんじゃと、こういう事をよく言いますが、これはお考えになるとたくさんあろうと思います。いらんところへ力を入れてする。そうして自分の考えが外へそれてしもうて、入るところへその力がいらない。
たとえば、よそへ行って用事に行くのです。「今日は。ご免下さい。」とはいって行く。「おいでなさい。」とあいさつし何の用事かと思うていると、「この頃お寒うございますな。まだ桜も咲いとりませず、遠方の山には雪がありまして。」と、そんな事から始まって、「温度がまだ十度まで来ていませんので寒いですな。家の裏の柳の芽なんかまだ芽がはっていません。」と長いあいさつ。まあこれも結構です。愛想話は結構です。この人、何しにお出でとるのかと思っていたら、何十分ののちに「一寸すみませんが、うちの方の唐ぐわ一つ貸してつかはらんで。」唐ぐわを借りにきたのかなあと思う。それよりも、「今日、私、唐ぐわを探したんですが、子供がどっかへ持っていたのか見当たりませんので、相すみませんが、お貸し下さいませんか。」と、用事を先へ言うて、向こうさんがお暇のように見えたら、色々の話なさると言うのがよいのであって、いらんところへ力を入れるのはよくない。いるところを、言わないきません。これについて又面白い話がございます。
ある家の若いしが東京の学校へ行っていまして、国元のおとうさんのもとへ手紙をよこす。その手紙に「この頃は大分春めいて参りまして、柳の芽も大分青い芽が出てくるし、庭の桜ぼつぼつ咲き、桃の芽がふくらみ出して、もうやがて麦も大きゅうなりますから、雲雀がピィピィ鳴くでしょう。」おとうさん、手紙見よって何を言うてきとんかいなと思います。「ちょっと相すまんけど、小使が入りますけん、一万円だけお送り下さい。」一万円の金送ってもらうのにひばりを鳴かしたり、柳の芽を出したり、ももの花を咲かしたり、何を言うとるんじゃと、おとうさん笑うた、という話を聞いた事がありますが、それも悪い事ありません。ひばりも結構でございます。麦の大きく成った話も結構です。しかし用事を先へ頼んでおいて、そうして、あとから愛想を言うように、これは泉先生のお話です。 あんた方は、そんな事ございますまいけれども、用事言うのにひばり鳴かしたりしないでよい。先生がおっしゃるのは、そこにあるのです。用事にきとれば、その用事を向こうさんによくわかっていただいた後で、向こうさんがお暇であったら、色々と世間話をするのがよろしいと、こういう先生のお心を私が書いたものです。
それからもうひとつ、お話しいたします。いらんところへ力を入れて、いるところに力が抜けるという話です。
遠方へお参りに行くとしますか。お伊勢さんなら、お伊勢さんへお参りに行きよる。そうすると、道々に、がいに力を入れておいでる人がある。どこそこのトンネルがどないになっとって、崖がどないやなっておって、それから道がカーブが多くて、くるくるまい回るとか、そういう所へ力を入れておって、お伊勢さんへ来ておるのがわからん。 どこで降りるのやら知らない。お伊勢さんへきた所が、お伊勢さんをどこに祭ってあるのやらわからん。あしこは外宮さんと内宮と二つありますが、外宮さんの方、先にお参りするの忘れてしまうて、内宮さんを先におまいりしてしまう。こういうように、いるところへ力を入れずして、いらん所へ力入れとる人もございますが、どうぞ、そういう事の無いように。道々の事、覚えるのは結構ですけれども、お伊勢様は、こういう所で、どなたをお祭りしてあるんであって、こうじゃこうじゃと言うように、いる事を先へ覚えてからにしなさい。こういう事を先生がおっしゃった。
それから余談でございますけれども、お伊勢さんと言うのは、国のご先祖の神さんであって、あしこの橋を渡って 内宮さんの方へはいって行きますと、鉢巻ねじあげて、向こうへ行くのは止められます。はち巻を取って下さいと言われる。頬被りしとっても、ほおかぶりとって下さい。尻からげとっても、お尻おろして下さいと巡査がいうのです。 それを忘れて、色々なさる人がちょいちょいあります。そういう風な、ここでは、どうせんならん、こうせんならんと言う事は、よく覚えておって、あまり面倒かけんようにした方がええな、と言う事を泉先生がおっしゃいました。お参りなした人がよくお知りだと思います。もっとも、お参りするのに、はち巻ねじ上げてお参りする人ござりますまいけれども、寒いとほおかぶりします。それ取ってくれと言うのです。あそこは、一寸お参りの仕方が違う。そういう風に、お参りする所毎に、色々風習も違いますけれども、どうぞ、そういうような大事な事を先へ覚えた方がよろしいと、泉先生はおっしゃっていました。その事を私書いたのでございます。
(昭和三十八年三月三十一日講話)
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第三七三条 「徳をもって人に向かう者は強く、我をもって人に向かう者は弱い。」
徳をもって人に向かう者は強いと言うのは、向こうさんを尊敬するのです。泉先生が、尊敬するというのは、どういう事を言うのかと、お話なさいましたが、お四国さんへ行きますと、お遍路さん同志が出合いますと、両方がお辞儀をして、そして道を通り過ぎる。知らん人にお辞儀して通り交わします。これは徳をもって向かうておるのです。
それはどういう人かわかりません。身なりを見ると、お粗末な風をしていても、そのお粗末なうしろてには、お大師様という方が守ってござる。どういう人に、どういう人がついとるかわからんから、あいさつをするんだ、という風に徳をもって人に接するのがよいと先生がおっしゃったが、いかにもそうでございます。
こちらが心の中に思う通りに、向こうさんがそれを受けるものですから、徳を以って人に向かうのは、強いのです。
皆、人ごとに、守り神さんがついとるのでございまして、たとえ人が、それは盗人であろうと、あるいはスリであろうと、悪い事をする人であろうと、それはわかりません。ですから、お四国さんなどは、どういう人がおいでとるかわかりませんけれども、そのおへんろさん同志が、あいさつのしあいをしているのは、おへんろさんを守っておいでる弘法大師さんのえらさのせいである。そのお守りをしている弘法大師さんに、ごあいさつをして、通りかわせをしている。とういう風にしているのを、泉先生が非常にほめるのでございます。これは俗人の目には見えませんが、お大師様が守って居るという為に、お辞儀しよる。又お大師さんでなくとも、人には一人の守護神と言う守り神さんがついとるから、その人にお辞儀をするんだ。これは徳をもって人に接すると言う事なのです。
これは、私が聞いた事でございますが、実際お参りにおいでたらわかります。高野山の燈明堂の手前に、無明の橋というのがあります。今はご普請して、新らしい石の橋が出来たそうでございます。その橋を渡る前の右側に人間ほどの大きさの仏様を祭ってあります。あれは明遍上人と言うお坊さんを祭ってあるのでございます。それは大きなお地蔵さん見たような方を祭ってございます。それから橋を渡って、奥の院の燈明堂へお燈明をあげて出てゆく。こういう風なお参りの仕方になっとります。かって、明遍上人さんが、お大師さまをお参りに行きよったのです。紅葉谷という谷においでたお坊さんです。奥の院の弘法大師さんへお参りに行って、お大師さんの前で色々有り難いお経文を読んで、「お大師様、ただ今帰ります。」とごあいさつして、燈明堂から出てきて、そして無明の橋を渡って、こちらへお帰りよったのです。いついっても、お大師さんが送ってきてくれる。あの橋を渡ってお大師さんに、お辞儀するときには、必ずお大師さんが送ってきてくれとる。これはもう気の毒な事じゃ、我々のつまらん者がお参りしとるのに、お大師さんに送っていただいて相すまん。
そこで明遍上人がお大師様に申し上げた。「お大師様、いつもお参りする度に、あなたが送って下さる、まことに恐れ多うございますから、どうぞ送って下さるのだけは、ご遠慮下さい。」というと、お大師さんのおっしゃるには「明遍よ、おまえは、そんな事言うて、わしを遠慮するが、私はいかなる人がきても皆、この橋までは、送って来ているんじゃ。おまえだけ送りよるのでないから、そんな遠慮はいらぬ。」というて、お大師さんが、ニッコリ笑いなしたという。それで明遍上人の姿を橋の手前におまつりしたのでございます。こんどあんた方が高野山へお参りなさったならば、あの無明の橋へ向って右側の橋の袂を見てご覧なさい。大きな人間よりちょっと大きい位の石で刻んだ、 お坊さんをまつってございます。あれが明遍上人です。こういうようなものでお四国参りに行っても、あるいは、よその神さんお参りに行っても、そのお参りに行きよる人の後には、守護の神仏が守って下さいよる。神さま仏さまがついておいでる。それでもし行きかいになった時分には、その人の守護神に向って、挨拶をして通るのがよいと、こういう言い伝えになっとります。為に、お四国のお遍路さん同志は、そういう風になさっているのです。これが、徳をもって人に向かうという事です。その人が悪い事したとて構わないのです。その人を守護しておるお方にお辞儀するんだからして、そうせよと、先生が教えたのです。
「我」をもって人に向かう者は弱いというのは、その反対です。人と会うたら、「あの人、おかしいな。まゆげ八の字にして、人相が悪いな。これスリでないんかいな。」そんな事思うて、その人と通りかわしてご覧なさい。気色が悪い。これは我をもって人に向かうという事です。人相が悪かろうが、どうしようが、構わんでしょう。ほうっておいたらよいのです。そんな人相の悪い人でも、その人には守護神というのがあるのですから、神仏が守護しとるのですから、その人に向かって会釈して通りかわすのがよい。あるいは、又こういう事があるのです。スリとは、ご承知の通り、すれかわせに物を取ったり、人ごみの中で、ひょっと財布を奪ったりする。そういう人は、巡査がどこかで見ていないかと思うて、目をギョロギョロして、捕えられるのを、こわがっておりますから、どうも挙動がよくないのです。それを警察から見れば、この人間、目付が違うぞと、よく捕えられる。世の中には、目付の悪い人もおろうし、 挙動の悪い人もあります。色々そんなに尊敬できない人がおると思います。よそへお参りに行っても、どこへ行っても、そういう人があると思いますが、泉先生はそういう人にでも決して悪く思わんように、徳をもって接するのがええ、とお言葉を出したのでございますが、あんた方、どないなさっていますか。
このお四国なんかお参りになったら、まあ札挟みを首にかけて、笠をいただいて、金剛杖をついて、そしておいでになるでしょうが、通りかわせに、お遍路はん同志が、言葉はあまりかけませんが、片方の手をちょっと前へ出して拝むような格好で会釈なさるのをみませんか。あれが、泉先生がおっしゃるところの、徳をもって人に接すると言うことです。どうぞ、お四国の道ばかりではありません。お参りしなくとも、人とおつきあいする上には、いつもその心掛で。拝むというと変に思いますから、拝まなくてもよろしいが、心では向うを尊敬するような気持で、今日は、といわなくても、何だか挨拶するような気持で、人とつきあいするのがよい。そうすると何か、何げなく尊く見える。人が高尚に見える。人に悪い感じを与えないという事になると思います。泉先生はそこまで注意なさっているのです。ただ神さんや仏さんの前だけで、手を合わして拝むのではありません。人間そのものを拝むと言う、先生は高いところの信仰を持っておいでるのです。最も、神さんの方へ向いて拝まないでも、神様怒りはしません。人間に通りかわせに、あのつらどうなと言うてごらんなさい。怒ります。どうぞ、人と人との間のおつきあいを大事に考えてみなさいと、先生はおっしゃいました。これは信仰の内へはいるのでございます。
(昭和三十八年三月三十一日講話)
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第三七四条 「仕事をして身をそこねるものではない、心を痛めた時には身をよくそこねる。」
体使うて病気する人は少ないと言うのです。言い換えたら、仕事をして、からだが悪うなったと言う人は少ない。けれども、心配して体を悪うした人は多い、と先生はおっしゃる。そこで先生面白い事をおっしゃいました。「えらい人は心配しないから体が達者じゃ。病気という字は、気を病むと書いてある。病気の病の字はやまい、気の字は人間の心を痛める者は体が悪い。これを病気と言うのじゃ。えらい人は心を痛めないから、病と言うのじゃ。あの人は病んでおいでる。病と病気とは違いますよ。」それはちょっとおかしいのです。病も病気も同じですけれども、それを先生が面白くおっしゃったのです。えらい人は病気しない。病はするけれども病気はしない。これは先生がおっしゃる通りに、心がいつも面白くない、つらい、ほんとにつらい事じゃ、そんな愚痴をこぼしとる人は、体が弱いのです。
取り越し苦労といいまして、いらん心配するのじゃから体がくたびれる。それが病気です。心を痛めると体が弱くなるから、いつもニコニコと朗らかに、面白く生活するのがよいのです。そして、それは信仰の内になります。先生の信仰は、そこまで徹底しとるのです。常々心がける事でも、取り越し苦労の心配していたら、それは信仰の内にならんとおっしゃった位に、先生の日頃の注意がいきとどいとるのです。大分、普通のお方と違います。この先生の有り難い教えをまねたら一生涯得です。
人間は、よく笑いますので、「笑う門には福きたる」といいます。怒っとる、鬼みたような顔しとるとこは運が悪い。笑う顔しとる人に運の悪い人はない。笑うて、心を痛めんように、又人の心をそこねんように、人の心を痛めんようにして渡りたいものであると先生おっしゃいました。これは簡単ですけれども、大事な事です。どうぞ、運よう行こうと思ったならば、取り越し苦労せんように、笑うて、面白く朗らかに暮らすのがよいと思います。
又、子供しが学校へ行っているご家庭ならば、親御がそういう風に朗らかに行くと、子供が楽々と伸び伸びと、大きく成長します。縮みあがりません。まあこれは子供しの為なり、人の為、家の為、どうぞ心を痛めないようにして行く事がもっともよい事であると思います。
(昭和三十八年三月三十一日講話)
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第三七五条 「天地の仕事は、いつも相変らず規則正しく続けて居る、いかなる時でも変った事がない。人も心念を天地に通わせ。この動かぬ態度がほしいものである。不動様の御教えが、心にはいらねばならぬ。」
真言宗あたりで、人が亡くなりますと四つ旗というのを立てます。この頃は、告別式で四つ旗などは立てませんけれども、四つ旗は意味がございます。四つ旗というのは、諸行無常、是生滅法、生滅滅己、寂滅為楽の四本の旗でございます。ここに今読みました三七五条と言うのは、諸行無常、是生滅法という事を書いとるのでございます。ところが、これを知りませんと、人間は病気したら死ぬかも知れない、年が寄ったらもう先が短いとか何とか言うような事を嘆きやすいものでございます。泉先生は、お国替えの前に、わしは山へは入るとおっしゃってニコニコして、さもたのしげにおっしゃったのでございます。すなわち、その事を私が書いたのでございますが、おおよそ、この世の中に、変化のないものは何もないのです。あのお日様のごとき、昔の神武天皇もお日さんをご覧んになったでしょう。何千年たった今日でも、そのお日さまは同じでございましょうが、しかし、あの黒点と言う、お日さまの一部分が変化しよるのでございまして、お日さまがお年をめしたと言う事です。何億年間の内には、お日さまでも、さめるのです。もう月の世界なんかは、ほとんどさめきってしまって、もう、生物はあしこで、そのままでは住めんという事が今日わかってきていますように、おおよそ世の中には、命のないものはないのです。だれでも生命はあります。そして、又それが尽きる事があります。
こういう方面から考えますと、諸行無常という事になるのです。何事でも無常なものである。これ、あわれなように聞えますけれども、それは一部分を見よるからでございまして、宇宙全体という物を見るならば、ひとつも変っておらんと言うのです。さめては、又新しくでき、できては又、方方へ飛び、宇宙全体から言うならば、決して、増えも、減りもしとりませず、変化は無いのです。ただ、形が変わるというだけじゃから、年寄ったら死ぬんだ、これは死んだのだろうけれども、宇宙全体からいうならば、増えも、減りもしとらんので、その人間は宇宙の中へ、母家へ帰ったのでございます。決して増えたり、減ったりしたんでない。死んで無いようになったのではないのでございまして、宇宙の一部分としては、やはり同じく続いているのである。これを昔からズーッとくり返していて、ひとつも変化はないという事を泉先生がおっしゃるのです。今日、天文学の大博士がいっているような事でも、泉先生は知っておいでたのです。宇宙にはそういう大生命があるのであって、「生老病死」位の事で驚くかというような、大盤石の上にお不動さんが立ってるような、先生のご精神でありました。
この三七五条は、そういう事を教えとるのでございまして「年が寄ったじゃの、病気したじゃの、戦々恐々とするな。生きても死んでも天地はわが家である。生きとる間はしゃばにおったらええ。死んだら母家へいんだらええ。そして又しゃばへ出てきたらええ。」 こういうように、気安うに、先生はお考えになっとりました。実に天文学の大博士でも、かなわんようなご精神を持っております。又それに違いないのでありまして、今日、われわれがお日さまを、ひとつのように思うとるか知りませんけれども、お釈迦さんの時、見てごらんなさい。三千大千世界という事を書いとります。これは世界がたくさんな事あるんじゃと。お日さまなんぼでもあるんじゃ。お日さんを中心として居る世界がたくさんな事あるんじゃ。数知れんという事を三千大千世界というのです。三千大千世界ということは以前にお話し申しました。この、お日さんが出とる、この太陽の世界、まあ、我我がおる所のしゃばの世界です。この世界、お日さんを中心とするこの世界が、千寄ったものが、中千世界、中千世界が又、千寄ったものが、大千世界、この大千世界が三千寄ると言うのじゃから、こらお話しにならんでしょう。三千大千世界の、それぞれにお日さんがあるんだとこういう事が、二千五百年前のお経文に出ております。あんた方ご承知で、お読みになった事あるでしょう。三千大千世界というのは有名な文句でございますが、今日の天文学で、なるほどこの地球なんかは、太陽の世界である。太陽系の世界である。お日さまを中心として月や地球が回っているのである。こんな物が数知れず有るという事は、今日の天文学で、学者が言うとります。これは間違いない事です。
こういう風な大きな世界を考えたならば、地球も年が寄ってしもうたら、めげてしまうんでございましょう。そして又新しい地球ができる訳で、出来ては消え、消えては出来ていく事が、全体から見たら、ひとつもふえも減りもしとらんのです。不増不減のものであるというような、むつかしい事を先生がお知りになっとるのです。その事を、私がここに書いたのでございますが、こういう風に、天地の間はひとつも、へらないものである。すなわち、生きても死んでも、天地はわが家である。我の小さい問題でビクビクするな、大きな心持っていなさい。人間の運命は神さんや仏さんに、任しときなさい。今、われわれは何をするのが任務であるかと言う事を、考えていたらええと、先生がそうおっしゃいました。これは実にたいしたお話しでありました。今日の有名な、仏教の中心になるところのお話とひとつも変りません。先生がざっとおっしゃった事と同じ事でございます。そういうような大きな考えをもって、少し損した、あれ少し得したというような、そんな小さな問題で戦々恐々とするような生活をするな。日に日に面白く互いに手を引いて、笑うて行くのがよろしいと先生がお話しした事です。これが三七五条でございます。
こういう風に先生のお話しは、大きいのです。 仏教全体をくるめたようなお話しを先生はなさいます。と言うて、そんなら先生は仏教の研究をされたかというと、そうじゃないのです。教典一字読んだこともない。それにああいう大きなお話しが出来るのはなぜかといえば、すなわち先生は人間根性がないのです。天地に通うとる心はお持ちになっとるけれども、人間のような損得のこまい考えなどおもちでないという事がわかります。そういうような事で、おいでになれば、日に日に面白くお仕事をなされる。又健康に家族団らんして、世界がそういう人ばかりになると極楽世界が現われて来ると、私は思います。
(昭和三十八年四月十五日講話)
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第三七六条 「木が朽ちれば虫がわく。いきいきしている木には虫はわくものでない。又人が疑いの心を持つと、そしりというて悪い事を言う人の言を自分の中にとり入れ、自分の心を腐らす。木に虫が わいたのと同じ事である。確固不動の信念でいきいきしたいものである。」
これは、木にたとえて、先生がおっしゃっとるのでございますが、生き生きしているのと、死んでいるのと、どんだけ違うのか、これは口で言えません。つまり息が止まった人間は死んでいるのでございますが、死ぬと虫がわき、腐りもしますけれども、生きていると、不思議な事には、あのやりこい胃袋の中に入れた硬いものがこなれてしまいます。 これは生きとるからです。死んだならば、胃袋そのものがすぐに腐ってしまいます。又、木などを見てごらんなさい。生きとる間は木の性として芽が吹きます。春夏秋冬をちゃんと知っとります。それが木の年輪の数を読むと年がわかるという位のものでございます。
ところで、あの木の中には不思議な力がこもっているのです。咲きにおう吉野の桜の木を切って見よ。割ってみよ。 どこに花が咲いとるのか、なるほどわかりません。ところが、あの木の中に、花が咲くもとがちゃんとこもっているのです。生きとると言う事と死んどると言う事は、それ位違う。
そんなら、人間どうしたら、生き生き出来るんな、といいますと、怒るな、疑うなと先生おっしゃるのです。人を疑うという事は、向うが見えんから疑うのです。先生のようにえらい人になりますと、向こうが見えますから、人を疑わんでええのです。ところがおかしい事には、人が疑って何かを聞く。それからどないなったんで。うん、うん、それからどうなったん。先から先へほじくって聞きたがる人がおります。これは人の疑いを、わが心の中へ植え込むのです。ちょうど木が腐っておるようなもので、悪い事が出来てきます。それで泉先生は、生き生きとしとる木のように、いきいきと暮らして行けるのには、どうしたらよいかというと、怒るな、人を疑うなと、こうおっしゃったのです。どうですか、あんた方、よく考えてご覧なさい。この疑うという根性のある人ほど、人が信用しません。なんやら あの人、気色の悪い人じゃなあと言います。そしてたとえ悪かろうが、善かろうが疑わずして、平々凡々におつきあいしている人になりますと「あの人、人がええ、きれいななあ。」と、ちゃんと人が知っとるのです。
そういう風に、疑うと言う事は、木であれば生き生きしとる性根を失う、と言う事になるのです。すぐに虫がつきます。先生は、なかなか、そういうところのお医者見たようなものです。疑う、疑うんで性根が腐るんぞ、と言う事をおっしゃりましたが、そんなら、疑わないと損をするではないか、と言う人もあります。なるほどそうでございます。疑わないで、人にだまされる事があるかも知れませんけれども、慾さえなかったら、人にだまされても、たいしたけがしやしません。わがが、慾なからだまされるのです。人を疑わずして、慾が無かったら、きれいなものでございます。ひとつ、あんたが想像してごらんなさい。疑いのない慾のない人は、ほんとうにきれいな、生き生きしとる。木であったら、 ずばえ (伸びだちのこずえ)のようなものです。
どうぞ、そういう風に人を疑わんように、怒らんように、悪口言わんように。そういう事をしよると、木が、芽生えがとまって、枯れたようなもんじゃ。しまいには腐って、しんこまで腐ってしまうぞ、と言うような事を先生がおっしゃりました。この三七六条は人を疑うという事から、性根に虫が入るという事を先生が教えておいでるのです。
なるほど、私はよく考えてみましたが、いかに先生がおっしゃる事違いないと、今に感じとるのでございます。
どうぞ、そう言う風にお願い申します。
(昭和三十八年四月十五日講話)
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第三七七条 「慈悲をしたさに、身をつめて質素にするのは、人を助けたさに行をするようなものである。」
質素にする、しまつにする。先生は、慾気の無いお方でございました。すこしも慾がない。親御があった時代からでも、もうけてもどって来ると、神様のローソクと線香と、それと家族が食うところのお米、おかず代、そんな物を引いたら、あの津田の乾(いぬい)の観音さん、大きな樫のはえとる観音さんのさい銭箱の中へ、ぐわっと入れてしもうたということです。それ位、慾のない先生は、非常にしまつなんです。ご自分が着るものでも、もめんの着物、筒っぽにきまっとるのです。そして前だれなさる。暮らすのでも、家は派手な事いたしません。誠に始末な先生です。
なんでそんなしまつするのかと言いますと、それは人にちっとでも、よけいあげたいから、しまつするんじゃ、と先生はおっしゃいました。どうですか。そういうような、しまつの仕方する家が。果たして何軒ありますか。まあ、しまつしよる家を、じーっと見て居りますと、ちっとでも金ためて、銀行の通帳がもえるようにと、そういう事思っておいでるようでございますけれど、人にあげたいからしまつすると言う人は、少ないと思います。そういうお家が、ずっと栄えるのです。そうして永代、孫子末代に至るまで、安泰な家ができるのです。
私の知っとりますお家で、だんだんそういう芽が出ているのを見ております。なかなか神様にもお参りに行きます。又神仏へ差し上げる物でも、何々、何々と、金が有るものでございますから、さしあげます。それも私感心したのです。しかし、その願い事をじーっと、私が考えて見ますと、ご自分の家が長く続くようにとの外に考えておりませ ん。あの人、いとしいから助けてあげよう。この人、かわいそうじゃから、恵んであげよう、と言う精神からしまつしているのではないのです。一口で言うならば、三七七条に書いてあるのをしないのです。慈悲がしたいからしまつすると言うのじゃないので、わしが家、大きいにしたいから、しまつしよるのです。
ご覧なさい。この徳島県でも、殊に北山には古墳というのがよくあります。昔の豪族をうめたもんです。昔の大分限者をうめて、石の棺に入れて、朱で詰めたり、なかなか厳重な事して埋めます。ところが、古噴が、だれの古墳であるかはわかりませんが、新聞などによくその発見されていることがでています。兎に角、えらい人の古墳であるという事はわかっとります。こういう風に、豪族さえも、子孫が続いとりません。それから又、民間でお話いたしますと、千年続いとる家が、まことにないのでございます。国勢調査で見ましたが、徳島県で三軒しかない。なかなか千年続いとりません。あとの旧家の子孫は、どこやらさっぱりわからんようになっています。
何に依って無縁仏が出来るのでしょう。先生の おっしゃるのには、物をためるというんではいけないと言うのです。慈悲をしたい、かわいそうな者を恵んでやりたい。哀れな者を救うてやりたい。すなわち慈悲心です。お大師さんのように、「生老病死」で苦しんで居る者を助けてやりたいと言うので、四国八十八個所をお開きになったというお大師さんのご精神はそこにあるのです。わらじを召して、手甲やきゃはんで身をかためて、おいづる負ってすげかさに、つえを突いて、四国八十八ヶ所をお大師さんがお開きになった。その姿を、今日のおへんろさんが、まねして回っとるのでございます。別に何もおごった事はないでございましょう。おへんろさんが、絹布にもぶれておごったというのはありません。皆、質素に、しまつにお参りしとります。 そのしまつは、何をするかといいますと、困った人に恵みたい、かわいそうな者を助けてやりたいという慈悲心からするのです。先生がそれをおっしゃるのでございます。「家が続きたかったら、慈悲をせよ。しまつせよ。」とおっしゃって「慈悲をするためにしまつするんじゃ。」これを間違わないように、と先生がおっしゃりましたが、実に先生のおっしゃる事は名言じゃと思います。
日本は、わずか三千年かそこらの歴史かございませんが、大和地方へ行きますといたる所に古墳があるのです。
それだれの古噴かといいますと、わかっているのは、ごくわずかです。こういう、ありありとした所の証拠がございます。家の大きい小さいは、わかりません。楽に食えたらええのでございます。そんなに大きくなる要はありません。お互いに助け合いの生活をして、拝み合いをしたい。こういう先生のご精神をくんで、あんた方が、しまつなさる事は結構である。しまつは、何が為にするかと言いますと、先生の教えの慈悲行をしたいからするのであると言う事ならば、子々孫々、末代まで狂わんところの家がたくさんできてきます。そうすると、極楽世界ができて来るんじゃと私は思うのです。どうぞ、この先生のまことに立派な教えを、皆さんにしていただきたいと思います。
(昭和三十八年四月十五日講話)
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第三七八条 「竹を曲げるに火であぶらねば曲げられぬ。火は天の力、曲げるのは人の力。神人同一の妙もこのようなものである。」
あんた方が、つりざおの曲がっているのを直すときは、わら火をたいて、あぶって、竹が油をふいて柔かくなってきたのを好きな格好に直すでしょう。これをもし、火であぶらずしてためますと、うまい事いきません。まげても、又元にもどります。そこで先生がおっしゃるのは「あぶるという事は、天道はんの力だ。火は人間の力でない。天道はんの力、言い換えると、神さんや仏さんの力、それをよい格好に曲げるのは人間の力じゃ。竹は自分では動かん。人間が曲げるのじゃ。そういう風に天の力、言い換えると、神の力と人間の力とが合うて、はじめて立派なものが出来るのじゃ。」これを考えてみますと、なるほどそうであって、ただ神様が、人間をこうしてやりたい、ああしてやりたいと思うたとて、生きてご飯を食べるところの人間に、神様の精神がうつらねば教えできません。神さんは、肉身がなければ、働きができないのです。人間を教える事は出来ません。やはり、応身仏と言うて、生きの体に神仏の力を借った人が、この世の中へ出てきて、はじめて我々が助かるのでございます。その応身仏というのは、泉先生のような方、弘法大師様のような方で、神さんの力が宿った聖者でございましょう。
天の力、神さんの力と、人間の力とが合うて、はじめてここに立派な仕事が出来るのであると先生がおっしゃいましたが、いかにもその通りでございます。それでございますから、この信仰するのも、一生懸命、神さんだけを拝んで いたらよい、人間の方はほったらかしといてええと言っては、神様が受けとりません。人間の前で、立派な慈悲の行をしたい為に、神さんの前でけい古をすると、先生そうおっしゃいました。それで神さんの力を人間が借って、仕事が出来るのである。人間の力だけではいけない。又神さんだけ拝む力ではいけない。神さんと人間とが一緒に働いてこそ、ここに有り難い信心の力があらわれる。神様と人間との力が合ってこそ、はじめて、ここに有り難いと言う事がわかるのです。こう先生がおっしゃっとります。
ここで一言、私が申したいのは、この神さんと、人間の力とが合一する、合うと言う事が、一番大事なんでありまして 神さんと言うのは、人間がまだここへ出来ておらん時代に矢張り神様はありました。しかし神様は神様、人間が受け とっておりませんから、働きがありません。そこへはじめて、釈尊という方がお生まれになって、そうして仏教という教えを作りました。すなわち、神の力を人界に及ぼすところの神人合一の力がここに出来たのです。それが仏教でございますから、やはりあんた方がお参りなさるのは誠に結構でございます。それは結構でございますが、神さんの前でけいこしたことを、人間同志の間で行なうという事が又大事な事でございます。泉先生はそれをおっしゃってございますから、どうぞそこをお間違いのないように。
神さんの力と人間の力と、両方が合わんと、いかんのでございます。無縁仏がようけ出来るのです。無縁仏ができると、誠にお気の毒な事になりますから、そういう無縁仏になった人のお世話をする。自分が無縁仏にならんように先生の教えを守ろうという事が大事でございます。
(昭和三十八年四月十五日講話)
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第三七九条 「心が神に通えば、人間以上の自由が許される。神に通うという事は、自分という人間性根をはなれて神にしたう心である。」
心が神様に通う。すなわち信心ごころが出来ると、その人が持って生まれた人間の力以上の働きができると言うのです。これはよくわかるでしょう。お大師さんや泉先生を見てもよくわかります。神さんに通うと言う事は、自分という人間根性を離れて、そうして神様のような慈悲深い心になると言う事だ。こう先生がおっしゃいました。 いかにもその通りでごさいます。ところが、ここで気をつけなければならないのは、神さんに通う方法と言う事です。それをわかりやすく言いますと、あんた方が目をさまして、寝るまでの間、その十二時間の間に、有り難いと思った事が何べんあるか、と言う事です。泉先生のごときは、ほとんどそれが続いとるのでございます。何事でも有り難い有り難い、と先生はおっしゃっとりました。これはただ面白半分でなくして、たとえてお話してみますと、水が無かったらどうですか、生きていけますか。ああ水が自由自在に使えて有り難いなあ。こう考える。反対に、信心のない人は、有り難いと思わなくても、水はどこでもふいて来る、流れてくるんじゃ。何が有り難いものかと言うのです。その考えは鬼の根性です。又空気でも、これ、なかったら大変じゃ、こういう風に考えたら、有り難いと思えるようになります。
米でもそうでしょう。すこしもなかったら、生きることができません。おかげで、毎日食べられてありがたいことだと思う心が大切です。こういう風に有り難いという数を多く持った人が、神様に好かれますから、どうぞそうゆう風に お願いします。
(昭和三十八年四月十五日講話)
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第三八〇条 「神に力を許された人は、神の力をもろうたと知らぬもので、神を慕うておるうちにいつの間にやら人間根性がぬけて、人の苦難をわが事のように考えるようになる。この時の心は神心というてよい。」
皆さんが信心なさっても、私はお陰をもろうとらんとか、もろうとるのがわからんとかいう事がよくあったのでございます。津田の先生のおひざ元で、先生がおっしゃるのには、「今もろうたというものはわかるものでない。神さん慕いよるうちに、いつの間にやら、それがしみ込んでしまうと、人の事とわがの事とが区別がつかんようになって、 かわいそうにと思うようになった時には、その人の心は、もはや神心になっとるぞ。」とその事を私が書いたのでございます。そういうお陰を受けた、つまり聖者の心になると、助けたげるや言う気ではないのです。
私が考えるのに、オッパイを飲ましよる母親は、赤ちゃんをかわいいと思う心より、そうせなおれんのです。この慈悲心が神心と言うのです。赤ちゃんがギャアギャア泣き出す時に、この子、腹が減っとるので泣いているか、おなかが痛いから泣いているか、針か何かが突き立っているのではないかということを、母親はそれを聞き分けます。お医者さんが聞いてもわかりません。それは慈悲が無いからです。おかあさんは、赤ちゃんの泣きかたで、その原因を知るという事は、すなわち神心です。神さんから、お陰もろうたや言う事は、そんなにわかるものでないと先生がおっしゃったのはこれです。どうぞあんた方も、先生のお言葉がどこにあるかと言う事をお考えになって、人の事をわが事のように思うという事が大切です。
人は人、わしはわしと言うのであれば、いつまでたっても盲です。向こうは見えません。むこうを思いやるという心が出来てはじめて、この人はよい人であるとか、悪い人であるとか、よい考え持っとるとか、妙ないがんだ考えを持っとるとかいうのが見透せるのです。これがお陰です。向こうが見えるお陰です。先生がそうおっしゃいました。
皆さんはどんなに言っても、このしゃばに生まれたら、人とのおつきあいせんという訳にいきません。えらい人もあり、えらくない人もあります。多くの人とおつきあいするのに、向こうが見えるほど結構な事ありません。疑い根性といって、あの人疑い深い人じゃというてきらわれますが、そら向こうが見えんから疑い根性が出来るのです。 向こうが見えたら疑わないでも、ちゃんとわかっとる。相場がちゃんとわかっとる。相場だけのおつきあいするから楽にこの世が過ごせる。一番大事なのは、向こうが見えると言う心であると先生がおっしゃいました。 向こうが見えるようにしようと思うなら、どうしたらよいかと申しますと、今申したように、わが事のように人の事を考えてあげる。この心があると、これが慈悲心です。ちょうどおかあさんが膝の上へ赤ちゃんをおいて、オッパィ飲ましているところの、赤ちゃんに対する気もちと一緒です。
これはよく言う事でございますが、山火事がいって火がせまってきても、きじは羽根を広げて子をかかえ込み、わが身が焼けても飛ばんというのです。どうですか。山は焼けても山鳥は飛ばん。その親心が慈悲心です。ところが、わが子に向いてはできますが、人の子に向いてはできにくいのです。出来るようになったら神心と言うのです。ここのところをおっしゃったのでございます。
えらいむつかしいに書いてありますけれども、要は人と自分と区別はない。どこでも同じように考えるようになると、お陰がもらえるぞと言う事です。どうぞ、そのおつもりでお願いします。
(昭和三十八年四月三十日講話)
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