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第三六二条へ 第三六三条へ 第三六四条へ 第三六五条へ 第三六六条へ 第三六七条へ 第三六八条へ 第三六九条へ 第三七〇条へ第三六一条 「波のある時、船にゆられて陸へ上がると、土地も家もゆれておるように思うが、これは土地や家がゆれておるという人はないけれど、人生の荒波にゆられた時は間違えて、他の物がゆれていると誤解しやすいものである。」
太平無事な時には何でもございませんが、仮にあんた方が、船に乗ってお参りなさるとき、風がなければよろしいが、すこし風があると、船が揺れます。すると、中には酔うたりなさる方があります。その時分に、船が着いて、岡へ上った時分には、やっぱり揺れとるように思うものです。また道端の家もゆれとるように思う。それは決してゆれておるのではないのであって、自分の感覚が揺れておる。そういう事、ご経験になった事あるでしょう。どうですか。感覚が揺れたという事は、ひどいもんでございます。 これは船の話をしたのでございますけれども、人が世の荒波に揺られる。すなわち人が生活しとる間に、非常に大きな問題が起る。こんども、神戸の船がひっくり返った。衝突して、たくさん亡くなりました。ああいう大きな問題があった時分には、人の心が揺れるのです。勘違いする事がよくあるのです。それを、先生はおっしゃった。ちょうど船から岡へ上ったら、岡が動いとるようなもので、大問題にぶっつかった場合には、その人の心が間違うて、世の中が見えるものなのです。いかにも、その通りでございます。
たとえば、旋火輪と言いまして、お線香に火をつけて、それをくるくるとまるく廻してご覧なさい。線香の火は一点でございますから、一点が丸く廻るように見えたら、ほんとうなんでござりますけれども、それがそう見えないで火の輪が見えるようになります。どうですか、やってご覧なさい。決して火の輪でないのでありますけれども、それが回りますと、火の輪があるかのごとく見える。それは人間の心が間違うとるのです。そして火が回るように見えるのです。
それから又もうひとつ例をあげてみますと、私が若い時分に前川の監獄所から出た人が、私の方へやってきたのです。しかも、二十三べんも悪い事して、前科がある人です。その人が私の方へ金をもらいにきたのです。その時、私が「お前さんが監獄所から出て、世の中のぶげん者の人を見たらどう見えるか。」と聞くと「鬼のように見える。」と言いました。自分が金沢山持っていても、金ひとつもくれはしない。自分はぜいたくして本人には渡さない。いやらしいに見えたというのです。それは私が今お話し申す通り、三百六十一条に書いてある事なんでございますが、自分が、監獄所へ何十回も入れられとるのでございますから、心が揺れとるでしょう。普通の人とは違います。従って世の中をその人が見ると、いやらしいに見えるのです。人が鬼のように見える。それだから切ったり、はったりするのは、何でもないようになる。そんなに、その人が言いました。 これを泉先生がおっしゃるのです。人は大問題に会うたら、心が揺れて世の中が真っ直ぐに見えない。よく気をつけよと、先生がおっしゃったのはここなんでございます。話があとにもどりますが、監獄所からきた若い人と、私が色々とお話したら、ついに改心したのです。全く改心しました。そうしてお世話申して金がたくさんできたのです。
もう暮らしには心配無いだけの金が出来て、方方へお参りにも行っております。おとうさん.おかあさんのお墓も建てて、信心になったあげくに、私聞いたのです。「おまえさん、この頃どうかな。非常に裕福になって、人相まで違うてきた。立派なだんな様に見えるようになってきた。だい分金が出来たんじゃなあ。」と言うと「ああ、冗談言うてはいきません。そんなにできはしません。しかし食うのには、不自由ございません。」と私に言いました。
その時に私聞いたのです。「この頃、お前さんが世の中の人を見ると、どのように見えるか。」「そこでございます。だんな、ほんとに、私、恥ずかしい事でございます。監獄所から出た時分には、世の中に、ようもようも、こんないやらしい人間ばかりがあるぞと思って憎らしゅうて、ほんまに、きったりはったりするのを、何ともなくやりました。けれども今日、私がこうして、楽に口すぎをするようになって、神や仏のご恩をいただいて、ああ有り難い、有り難いと日に日に喜んで暮らしておりまして、この心で人を見ると、皆お地蔵さんの顔に見えます。世の中の人が、お地蔵はんの顔みたように見える。」私は感心したのです。「そんなに見えるかい。おまはんが監獄所を出た時には、鬼のように見えた。やはり、世の中は、その時と同じじゃが、おまはんの目には今の世の中の人が、お地蔵はんの顔のように見えるかい。」「ヘイ見えますとも、拝みたいような気がします。」
どうですか皆さん、ここです。決して世の中は変っておらんのでございますけれども、その人が非常に恵まれて、 裕福になって、そうして人から尊敬せられるようになって来るというと、心が違うてきておるのです。心が仏に近寄っておるのです。それだから、人の顔が、お地蔵さんのように見える。拝みたいような気がすると言いました。ここを泉先生がおっしゃるのです。どうぞ人間は、自分の心を修養して、大問題に会うても、動搖しないようにせないけない。自分の心が動搖しとると、世の中がきたなく見えるから、たいした間違いを生ずる。どうぞ、そういう事の無いように、何時も心は朗らかに、笑うて、喜んで世の中を暮らすのがよろしい、とこういうお話を先生にいただいた事があります。これを書いたのが三百六十一条でございます。
(昭和三十八年二月二十八日講話)
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第三六二条 「昔からいつの時代、国のいずれを問わず、成金というものは建築癖のあるものである。」
これはあんた方が、大阪へおいでになったら、よくわかりますが、あの大阪城です。立派な城でしょう。城の石垣に、一つが畳の八帖も十帖も敷ける大きな御影石をつかってあるでしょう。ああいう、ぜい沢な広い大阪城を、天下をとった秀吉が築いた。先生はこうおっしゃった。「家はあまり立派にしたらいかんでよ。まあ不自由でないように、仕事がたくさんになったら、家も広くいる。又、大きな仕事にかかると、どうしても、家は広く持たないかんようになるが、立派な家をする必要はない。地震にこけず、雨がふらずしたら、これで結構じゃないか。あの秀吉でさへも、大きな普請をして、ぜいたくして、敵が寄りつけんようにしたけれども、内からわいて、火事がいて滅びてしもうたではないか。」先生、そうおっしゃったのです。「着る着物も、お粗末でなかったらよい。垢が落ちとったらよい。又、家も、立派なご殿のように建てる必要もない。衛生的にしたらそれでよろしい。」先生がおっしゃったのは、そこなんです。
ところが、又、面白い事は昔の江戸です。今の東京、あそこへ行きますと、徳川家康が暮らした、あのただ今の陛下のおいでる皇居、昔の千代田城がございます。あれを拝観すると、誠にお粗末です。石垣だって大阪城のそばへもよらんような、まことにお粗末なものでございます。ざっとしとるのです。家も低い建築でございます。家康は「人民からたくさんな税金を取って、城を建てるんであるから、そんな金のかかった物はいらない。城の中に住む者が神仏に可愛がられる人間であらば、城が続くんである。いかに堀を深く堀っても石垣を高う築いても、内からめげるぞ。」といいました。こんど東京へおいでたら、皇居をご覧なさい。大阪と比べたらお話しにならん位ざっとしとります。
先生がそれをご覧になって「奢るなよ。事が足りたらよいのじゃ。おどるなよ。」という話をして下さいましたのを私が書いたのが三百六十二条でございます。
(昭和三十八年二月二十八日講話)
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第三六三条 「いかな荒馬でも、仲好しになれば、その人だけには、荒れぬものである。」
私が兵隊に行った当時の、岡山の二十七連隊、そこは砲兵隊であったのです。そこへ私は入営したのでございますが、戦争で、ロシヤから持って帰った立派な馬がおりました。それは、体格といい、毛並みといい、日本の馬などはそばへもよりません。それはそれは、立派な馬です。ところが、この馬がかみつく、けるで、聯隊内では馬にかみつかれて、背中に丸いものがついとる人が沢山ありました。それが、私にあたったのです。弱ってしまいました。そこで私は考えたのです。「私は馬に乗るのは下手糞じゃ。この馬にけられるか、かみ殺されるかして、小さい箱の中にはいってかえらねばならないか。」と思うて、一晩考えました。ついに考えた事は、馬と仲よしになる事だと思い、毎晩かくれて菓子を買うて、帰り、馬に食わして、間があったら、馬と仲よしになるようにつとめました。するとちょっとも私を落としません。大事に乗せてくれました。これが連隊の評判になった事があります。
その事を先生がお聞きになって「ああ、それはよい事じゃ。これは馬ばかりでないぞ、人間もそうじゃ。」とおっしゃった事を私が書いたのが三六三条でございます。どうぞ、これを人間の人生にもあてはめてお考え下さいませ。
(昭和三十八年二月二十八日講話)
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第三六四条 「だれも願いはかけるが、行が足らぬ。行さえ届けば願は叶うものである。」
人は誰でも、健康な時、又、病気その他、災難苦労に合った時には、神仏に向って、それぞれ幸福にとか、災難の除去をおねがいすることは強くするが、一般は神仏におねがいし放しで、別に神に対してのあこがれを持っていない。神さまや仏さまは、人を幸福にしたり、災難をのがれさしたりする請負師でない。一般の人は、神仏を請負者のようにみて、色々の願いごとをするが、神仏がその人の願いをかなえてくれるということは、自分自身が行をつまねばならぬ。
つまりお願いするということは、神様に近づいてお頼みするのでなければ、おかげはもらえぬ、神に近づくということは、日常の生活において、神の思召にかなった行をすることであります。神の可愛い子になるための代償をはらわずして、願いをかけても届かぬということです。神さんに願いをかけるということには弐巻に書きましたが、一つは神さんにおまいりして神さんの前へお供へをする、そうして神様の前でどうぞこんどは、こうこういうことをお願いにあがりましたお聞き届け願います。その代りにこういうことをしたいと思っております。といって神様におねがいするのが一つの願いの仕方で御座います。
これは有相の願いと申しまして、形のある願いで御座います。他の一つは、これはそういう形はいたしません。 ただあけてもくれても、こういうふうに守っていただきたい。こういう風にしてほしい、神様の前ではお約束せんけれども、心の内で思うとるのです。願いは掛けんけれども、思うている。これを無相の願いという。形はないのでございますけれども、これが一つの願いになるわけです。祈るということは神さんに近づいて、お頼みすることだから、それはしなければいけません。これは誰でもすることです。忘れてはならないことは、さきにも申しましたが行が足らぬのです。行さえ届けば、自然願いは叶うものぞと泉先生は申されております。
行さえ届けばという、行とはどうすることかと申しますと、一口に云えば、神の心を心として日常生活に具現して いくことです。神様は平等で、慈悲で万物をはぐくんでくれて、差別はいたしません。そうした心を人が自分の心として人界で行うことです。その為に日常生活を信仰的に考え実行することです。具体的に申しますと施行、忍行、戒行、精進行といって、四つの行を日常生活におりこんで自分の心をしょうじょうにし、生活を通して人界に奉仕することです。こうして、自分の心が行によって神に近づいた時、神仏に願いをかけた時に、はじめてとどくとおっしゃっているのです。
(昭和三十八年三月十五日講話)
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第三六五条 「からだを、チギにかけて自分が力こぶをいれても目方はへりも増しもせぬ。へらそうと思えば土地を押せ、増そうと思えば土を引け、目方の増減は自由にできる。神信心もこれと同じこと 自分の力では何事もかなわぬものである。」
この世の中のことは、ほんとは自分の思う通りになし得ると思っておりますが、なかなかそうはまいりません。
凡人には、我といって、自分のことしか考えないくせの欲心というものがあります。何事をするにも、自分ということの利害得失をまずそろばんをはじいてからしております。だから、自分の欲から出て、自分の思う通りになったとて、それが果して神仏に通じた行であるかどうか、うたがわしいものです。我欲が動機でなすことには立派なものは割合少ないものです。天等さんの鏡にてらしてみると、はずかしいものが多いものです。それに人は、何事も自分の思い通りになると考えておりますが、そうはまいりません。我々は、自分の心を清浄なものにするために、我欲をなくし、神の心にそうためには、他から偉大な力をからねばなりません。
この世の中に、自分の自由になるものはあるか、自分の自由になるものは何一つない、と泉先生はおっしゃっております。自分の自由になるものがあるということを、思う数が多いほど、神様に縁に遠いことになるのです。泉先生は何一つとして人間の自由になるものはない、というお考えであられました。
例えてみますと、自分の体の以外のことはさておきまして、自分のこの五尺のからだの中で、自分の自由になるものはどこにありますか。ありませんでしょう。夜ねていて、知らないでも呼吸しております。心臓は動いております。胃袋は働いております。このように、自分の体内に、いろいろの器械が働いておりますが、それらの器官を、自分の思う通りに早めたりおそめたりとめたりと自由にすることは出来ないでしょう。このように何一つとして自分の自由になるものはないのです。然し、ここに一つ自由にできる方法があります。それは信仰より外にありません。人間根性では、自由にならないというものばかりと見てよいのです。身体以外の天候であるとか、あるいは作物の生育であるとか、これまた人間の都合通りにはなりません。かように泉先生は、この天地の間で何一つとして自由になるものはない、
けれども、天地の力に従って仕事をするならば、天地が力をかしてくれるとおっしゃっております。泉先生は、常に「天地の力をかれ、神さんの力をかれ」と始終おっしゃっておいでました。
天等はんの力を借りるということは、例えば、たんぽを引くのにもトラクターでたがやし、脱こくするのにも、すべて電力とか石油をつかってやっております。そうすると短い時間で多くの仕事が出来ます。人は、これを自分の働きでしたように思って、この世の中のことは何一つとして人間の力で出来ないものはないと考えているのです。
しかし、これは人間が大きな仕事をしたのではありません。天地の真理を生かすことを神から力を借るということで、天地宇宙にある真理は人が作ったものでなく、神が作ったものであるからです。
又例をとってみますと、稲を作るにしましても、稲の種子の中に伸びていく力が天から与えられておる。それを、お世話をして米作をするのであって、それを人間は自分が自力で製造したように考えております。今日農学が進みましても、その粒一つさえ製造することができないでしょう。しかし、自由になるものをただ一つ天から授けられてあるのです。それは何かといいますと「如意宝珠」を授けてくれてあるんだということです。人間の心の中に仏心というのがあります。仏心といいますと第八識、又魂といっておりますが、人にそれが出ますと思うことが自由になる時代が現われてくるのです。泉先生は、わが自由になるものとしては何一つとしてないものぞ、とおっしゃっておきながら神にたよれば 自由になるものだとおっしゃっておられます。その神にたよれば自由になるものぞ、ということが、 すなわち八識をみがき出すならば、思うことがかなうということなんです。これが信仰の本旨なのです。何事も自由になるものは何一つないのだ、ひたすら神にたよって神の仕事をするならば、何事も自由になるのです。もはや、これは人界を脱しておるわけです。即ち即身成仏ができたということになる。
(昭和三十八年三月十五日講話)
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第三六六条 「罪があるということは、ものを差別する心から生まれた事である。平等の心には つみは生れぬ、あのおさな子のすることを 誰がつみとみるか。」
罪は、差別する心から生れ、平等の心には、つみは生れぬ。憎らしいと憎んでいる相手に対しては、なんとかして相手の不利を計ってやろうと心が働くものである。恨みをもっている人は、そのうらんでいる相手に対して、なんとか恨みをはらしてやろうと、あれこれ相手の傷つく道を、心をくだいて考えるものである。こうしたことは、人と我との心の差別から生してくることで、思うことそのままが仏教では罪とみなされる。
中国の昔、弥子瑕という美少年が、衞の国の王様に大変可愛がられておりました。当時、衛国の法によりますと、許可なく王様の車に乗るものは、罰として足を切るということになっていました。ある日、弥子暇のお母さんが重病であるという知らせをうけた弥子瑕は、心急いで、許しも得ずに王様の車にのって、見舞いにかけつけました。このことを聞いた王様は、「弥子瑕は親孝行なやつだ。お母さんに早く会いたいために、足を切られるという重刑を忘れてかけつけたのだ」とほめました。それから或る日、弥子瑕は、王様と果樹園を歩いて果物狩りをしておりました。弥子瑕は、熟した桃をとって、一口食べてみますと、大変うまかったので、「あまりにおいしいので、食べかけでありますが、いかがでありましょうか」と王様にすすめました。王様が食べてみると、いかにもよい味いであるので、王様は感心して、「弥子瑕は私を本当に大事に愛してくれるあまり、うまい桃を食べてしまわないで、私に食べさせてくれたのだ。」とほめました。所が、その後、王様は、弥子瑕が気に入らなくなってしまいました。そのうち、弥子瑕が何か悪いことをして罪をおかすと、怒った王様は、かってはほめた弥子瑕の行為を罪状に数えあげました。「あいつは昔、だまって私の車を引き出して乗りまわした。又私に食い残しの桃を食べさせたのだ」と、うって変った仕打ちとなった。同じ行為が気に入っている時には、することなすことがよいこととして、ほめたたえるが、一たん気に入らなくなると今度はつみとなるという評価は筋の通った話ではありませんが、こう云うように、好きだ、嫌いだという感情によって、見方が逆になってしまうというのが、お互、人間の弱い一面です。心の差別で、一つの行為が罪視されるということは、やはり、差別観は、自然、罪を伴っている心であるということがいえます。
又、一例を申しますと、秋祭りの日に嫁がおはぎをつくりましたので、療養所にいる義母のところへ、主人に届けてもらいました。所が主人は、母にその妻がつくったおはぎを渡す時に「このおはぎは妹が作って、お母さんにといったので、持ってきましたよ。」と、うそをいいました。というのは、この母と嫁とは、どうもうまが合わないというのか、しっくりいっていないので、嫁が作ったというと、母が気げんが悪いということを、主人はよくしっていたので、妹が作ったといってしまったのです。この妹さんというのは、一度縁づきましたが事情があって婚家を去り、それ以来実家に帰って、一つ屋根の下に住んでいるので、母にとっては、この不運な娘が可愛いくて、しかたがないという様子でした。妹が作ったと聞いた母は、殊の他の気嫌で、目を細めて、そのおはぎを「うまい、うまい」といって、よろこんで食べたそうです。そして帰ってきた主人は嫁に、「お母さんが、うまい、うまい、と大変喜んで食べてくれたよ」と報告しました。そこでその嫁は、大変感激して、日頃めったに人をほめない母が胸を病んで、いよいよ気むずかしくなった母が、ほめちぎってくれたのだと喜んで、例え、母がよそよそしい態度を示されたとしても、こちらは親身になって、又おすきなものでも作ってあげねばと自省したのでした。それから一週間ほどたって、今度は嫁が療養所へ見舞いにいきました、すると母が又先日のおはぎの事を話して、「とてもよい味加減でうまかった。」とほめてくれました。それで心の中では有頂天になりながらも「まあ、私の作った不加減のおはぎが、そんなにお母さんのお口にあって、本当にうれしいですわ。」とけんそんしていいました。すると母の態度が急に変って、キョトンとしています。
おかしいぞーと思っていると、しばらくして母が口を開いて、「じゃあ、あのおはぎはあんたがつくったのね。どうりで、甘すぎると思ったよ。」と、それだけ云うと、お気嫌悪く、横を向いてしまいました。私(嫁)はその夜、主人に今日の訪問の事を話しました。すると主人は、すっかりきょうしゅくして、くわしく本当のことを妻に話しました。 それにしても、おはぎの味が作り手次第で、うまくなったり、まずくもなったりするのですから、世の中は、おもしろいものです。このおはなしの、おはぎの味に変りはありません。同じおはぎの味です。しかし、自分のが不運なだけに可愛いくてたまらぬ娘の作ったおはぎだと思えば、その味加減がよくて、ほめてやりたくてたまらない。所が、おなじおはぎでも、気の入らぬ嫁の作ったのと思えば「どうも甘すぎたと思ったよ」と、先にほめたおはぎの味が、今度はまずくなって文句をつけたくなるのです。これは、味そのものを味わっているのではなくて、感情で味をつけているのです。こういうように、娘と嫁で何事も区別して、感情的に見るというようなことでは、楽しい家庭というものはつくれないわけです。この弥子瑕の話や、おはぎの味の実例からわかりますように、なかなか物事を公平に観るということは難しいもので、しらぬ間に、えこひいきをしてしまっているのです。それだけに公平に物事を観る目を養う必要があるのでありまして、この公平な心を養うのが仏様の境地にいたる信仰の道です。仏様の御心は公平無私であるからです。
(昭和三十八年三月十五日講話)
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第三六七条 「人からつらくせられたことがあると、だれでも人の方を我が便利なようにかえたがるが、それはよくないことで、自分の心をかえてゆかねばならぬ。」
人は何事によらず、常に自己を反省して、自分の心をかえていかねばならぬ。自分の心をかえずして、人の心をかえさせようとすることは、よくないことで、信心の面からみても、お陰がもらえないことになる。又、運もよくならない。
人を責める前に、自分を責めるのにきびしくなければならない。人はそれぞれ、前世の因縁によって生れてきているので、心の住所が違うものであります。それであるから、自分がそうだと、これは正しいと思っても、他の人は、その通りでない場合があります。そんなときには、決して人が間違っていて、自分のが正しいと思って、人の考え方を自分の便利なようにかえさせようとしてはならないのである。自分の思いと違うからとて、又、つらくあたられたとて、その人をにくんだり、間違っていると考えたりすることは、我が身を有利に導こうとする心根であって、又我が身を強いと思っているからであります。我が身が強いと思うようになって、自分のことを反省し、よりよき自分を作ろうとしなければ、やがて我が身の滅びる時が近づいていると思うべきであります。常に自分は弱いんだと、つつましく考え、他人のつらくあたった時には、しずかに我が身をふりかえる。我が心をかえていくことが大切であります。
我々は、多くの人と生活をして、平和に共同生活を営なんでおりますが、一人一人の個性をみてみますと、皆因縁によって異なっております。人は、此の世を我が世界とふるまっておりますために、することなすことに満足感が得られません。それをそのままにしていきますと、争いということが起こります。世の人の思いを、我が思うようにしようとしても、とてもなるものではありません。又環境がそれぞれ異なっております為、自分の思い通りなる世は百千万劫たってもきません。環境はいかなるものでもよろしい。たのしく、うれしく生活が出来るためには、結局自分の心をかえて、環境に適応させていくということが信仰的な考え方であります。自己を堅く主張し、自己独善の姿は信仰者のとるべき態度ではありません。
(昭和三十八年三月十五日講話)
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第三六八条 「宿かさぬつれなき人のなさけにておぼろ月夜の花の下伏し」
この歌の意味は、直訳しますと、作者が一夜の宿を請うたところが、無情にも宿を貸してくれなかった。そのおかげで花の咲いた所で野宿したので、おぼろ月が眺められて、うつくしく、又楽しかったということをよんだのです。これを信仰的に解釈しますと、何事にも人をにくんではならぬとか、心一つのもちようで苦にもなり楽にもなる。
何事もありがたいと受取ってくらせという意味になります。この意味によく似たことが、一巻第一六条に「心一つの持ちようで、すべてのものが毒にもなり薬にもなる。」又同巻の第二八条に「心一つのもちようで世は楽にもなり、 また苦にもなるものである。」又第三〇条に「事のよしあしをとわず、何事も神のご都合と思え。」又第二巻の第五一条に「人は皆それぞれの心の世界に住んでいるから、自分の思う事と違うからとてにくむなよ。」以上のか条を参照し、三六八条の意を汲みとって下さい。
(昭和三十八年三月十五日講話)
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第三六九条 「人のえらいのは、人からきいてもわからぬ、写真を見てもわからぬ、直接に交わってみて始めてわかるように、神仏も此の通り、お詣りしている内にしたわしくなってお陰をいただいて、はじめてありがたさがわかるものである。」
人間界において、人のほんとのえらさを知るのは、直接に交わってみてわかる。人からきいても、写真などをみてもわからないというのです。なるほど、まじわってみて、その人の仏心にふれてみて、わかるものである。これと同じように、信仰面からみてみますと、神仏のありがたさは、人からきいても、神社や寺院の建物をみただけではわかるものではない。やはり自分が神に近づき、神のおかげをいただいたときに、はじめて神のありがたさがわかるものである。人と人との交際、即ち人間関係によって真心がわかるように、神仏に常に近づき、おつき合いをしているうちに神の存在を知り、神のありがたさがわかるものである。第一巻第二条「天地のうちに神のみ徳をうけておらぬものは一つもない。」このか条を一読下さい。二一〇条「澄んだ水は、浅いようでも実際は深いように、人は徳が高いほど、えらそうに思えぬが、つきあえばつき合うほど偉さがわかる。」第二一七条「神信心する人は、物をはなれて神様に近寄ろうとするが、物を通して神様をしたうようにならぬとお陰がうすい。」を参照して下さい。
(昭和三十八年三月十五日講話)
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第三七〇条 「人は 何も別にむつかしい行はいらぬ。ただ我というわがまま根性をのけて、神仏と仲よしになればよいのである。人々の癖そのままが、神のすがたに変わるのである。」
これは、むつかしく書いてありますが、一口に言いますと、別に信仰するからといって、型を変えなくてよいという先生のお説であったのです。泉先生は、別に信仰の型という事は、重きをおかずともよい、と言うお考えでございまして、日頃言うたり、したりする事そのままが、神仏に通うんだと、こういうお話しでございました。要するに信仰というのは、自分の心そのものが、神に通うと言う事なんです。別に、こうすれば神さんに通る、こうすれば神さんのお気に入るという型に重きをおかずともよい。
ところがそう言えばしよいようですけれども、くわしく言うとむっかしいのです。「だれにでもわし、あるいは私というものがあるんだろうか。」とある学者がいいますと、「魂というものがあって、その魂、自分の魂が我というんじゃ。」という人があります。けれども、魂やいうものはないのです。お釈迦様の教え、お大師さんの教え、あるいは泉先生の教えは「魂やいうものあるのではない。心が二つあるんだ。一つは天地に通う所の我と言うのであってその我というものは、もう滅多に出てこない。死にしなにちょっと出てくる。死ぬ前に、たわ言いってるとか、あるいは 寝言いっているとか、人が言いますけれども、あの時がほんとうの人間の本心じゃ。常々自分、自分言っているのは どうもそのわがまま根性で、我がよかったらええと言うようなところがある。」ここを皆さんがよくお考えなしてご覧なさい。凡そ世の中で何が好き、かが好き、色々で、すきなものと、きらいなものとありますが、何が一番すきか といえば自分でありませんか。自分という者が一番好きなんだ。こう言えるのでないかと私は思うのでございます。 たとえばこの間、地震がありますと、あれは徳島県では小さな地震でしたけれども、福井県ではたくさん家が倒れたそうです。そういうふうに地震がありまして、ガタガタと搖ってきた時に、一番先に助けないかんと思う人は、自分のことでありませんか。子を抱いたり、お年寄りの手を引いたりして、行く人もありますけれども、それは極少数な人であって、いざと言ったら、一番先に自分が走るのではありませんか。そういうように、自分というものは、何もかもかわいがる中で、一番かわいがっとるという事になるのです。それだから、世の中の交際する上におきましても、自分というものを中心にやりますと、自分をかわいがるという事と、人をかわいがると言う事とが、相いれない事が多いのです。
たとえてみますと、ここに背中が痛い、背筋が痛うて困るといっているお友達があったとする。それを見た人たちは、どうするかというと、自分は背中が痛うないんだからといって知らん顔しとる。知らん顔せんでも、さすってあげたところで、わがが痛いほどに覚えません。あるいは又、昔から言い伝えが残っていますが、川向こうの火事は、大きいほど面白い。どうですかな。一寸口が悪いか知りませんけれども、自分の身に関係が無いからです。風が吹いとって、風上に火事があったら、自分の方へ燃えてこないかと思うて心配する。しかし川向こうですから燃えてきやしない。火は、移りはしない。川向こうの火事は大きいほど面白い。それは一つの冗談言葉でありますけれども、自分の身に火がつくほどには感じない。言い換えますと、自分が一番かわいいんだと言う事がほんとうでございます。その自分という根性がどうも得手勝手をするのです。
たとえば学校へ行く時に、「早う起きなはれよ。学校もう時間遅うなるでよ。」うーんと言うて、ふとんの中で、 そり返って、もうまぎわにならないと起きてきません。それはなにかと言うと、自分のからだをかわいがっとる。 そういう風に自分、「わが」と言う根性心がないようになると、神様に好かれるんだと、泉先生はいわれる。どうでしょうか。ここが皆さん考えどころでしょう。自分と言う事を第二において、あるいは、おかあさんが言う、お友達が言う、あるいは世の中の人が言う、その言葉を第一に聞いてあげる事が、神さんにとどくのです。神さん、仏さんは黙っとるでしょう。別に目にも見えない、お礼も言わない。その神様の前で、私はあんたのお屋敷の草を抜いてあげます。あるいは、おそうじをいたします。ところがそうじするのには、自分のからだを使わないかんでしょう。
面倒くさい。いやじゃという、わが根性から言うと、つとめてやっていることになります。この自分と言う根性を使わずして、神様をお喜ばせするという為に、庭を掃いたり、あるいは草を抜いたりする。それが神様仏様に好かれるんじゃと、こう先生はおっしゃるのです。なる程考えてみたならば、信仰するという事は神様へお参りに行くんだ、と思うておいでる人もありますけれども、お参りに行ったら何を言っているかというと、手をたたいて、おさい銭を少しばかり投げまして、家内安全、息災、延命、商売繁昌と大きな事頼みよるでしょう。そうしたら、余計借った事になるのです。ところが、別に願い事はないが、神様のお屋敷をきれいにしたいもんだと言うので、おそうじをする。 草を抜く。神様有り難うおっしゃらない。それでも、そんなの言うてもらわいでもええというつもりでしよるのが、 これがほんとうの信仰じゃと、先生はおっしゃるのです。神様仏様に有り難う言うてもらうと思うてしよると、それは商売根性です。向こうさんは知らん顔しとる。要するに、自分というわがまま根性を捨てて、そうして人が喜ぶ事に力を入れるというのが信仰じゃと先生はおっしゃったのです。
先生の信仰ぶりは、神様の前でお参りして頼むのでない。先生は神様に貸しとけ貸しとけとおっしゃった。なるほど銀行あたりであったら、お金持っていて通帳に付けてもらう。印押してもらう。ところが神様は印も押さず、有難うもおっしゃらん。その黙っとる、知らん顔しとる、神さんのところへ行って、自分の手間を掛けるのが、ほんとうの真心である。自分をかわいがると言う性根を放らなければ出来ん事です。泉先生の信仰は大分違うでしょう。
どうですか、ここが違うところです。おかげというのは形にあるのでない。心にあるんじゃから。お礼言うてもらおうと思うてするのではない。私はこういうえらい人を祭ってある所をき麗にするのが、好きじゃと言って、自分の手間を掛けるのが、真の信仰ぞと、先生がおっしゃった。誠に、そのちょっとわかりよいような、わかりにくいような所がありますが、この味がわかったら、ほんとうの信仰が出来るのでございますから、どうぞそのおつもりで。
どこへお参りに行っても同じです。お地蔵さんお参りに行っても、お墓へお参りにいっても、神様へお参りに行っても、おなじですから、向こうさんが坐って聞いてくれよる、見てくれよるという積りで、自分と言うわがまま根性をおさえ込んで、向こうさんが喜ぶようにという事に力を入れるのが、まことの信仰じゃと先生がおっしゃった。 ここのところをどうぞ、そのお積りで、見ていただきたいと思います。
(昭和三十八年三月三十一日講話)
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