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第三一二条へ 第三一三条へ 第三一四条へ 第三一五条へ 第三一六条へ 第三一七条へ 第三一八条へ 第三一九条へ 第三二〇条へ第三一一条 「尊い方は言うに及ばず、自分より目上の人が使われた品とか道具とかは、自分が使ってはならない。又、自分が使う品は、その品より程度の低いものを求めるのがよい。この世の中でよくいう「位負け」がするということがあるが、これは位負けというよりも、上からのお慈悲がいただけぬようになるのである。」
日常生活に一例をとりますと、普通の人は、座敷から庭へ降りる時、他人のゲタの上へいったんあがって、それから自分のゲタを探してはく、というふうにしているようでございますが、先生は人のゲタの上にあがらないのです。 先生は上からじいっと見て、自分のゲタと思えばゲタの上へポッとおりるのです。それを見て先生に私は、つぎのようにお尋ねしたことがあるのです。「先生、失礼でございますけれども、他の人のゲタの上へおあがりにならんようになしておいでると私、おみうけしたのでございますが、先生、どうしてでしょうか。」「ああ、わしはどうもあまり他の人の履き物の上へはあがりたくないのでなあ。私は、自分の物と人の物とを区別するようだけれども、そうでないのである。又、位負けがするということをよくいうが、位が上じゃの下じゃのいうのではないのであって、よその方の物を、私が着るということは、遠慮するんじゃ。」とこんなにおっしゃっていました。
一つ例をあげてみます。私の知っている方で、少し身体の悪い方で、その人は事がわかり、人をおがむことのできる人でありました。その人が、少し足が不自由なんで、つえが欲しいというので、神様のお堂の中に置いてあった棒を、お借りしてつえについたのです。その人自身は別に悪いことのように思うてはおらないだろうと思います。
ところが私の所へ、ある日使いがきまして、「今、私の家の者が、足が立たんようになりました。どういうわけでしょうか。」と言うのです。それで、「わしはおがんでみることもせんのじゃが、おまはん、神様の道具をなにかに使ったのではありませんか。」とお尋ねしたところが、「ええ、神様のお堂に毛やりの折れたのを置いてあったのです。その折れたのをお借りして、つえにしましたのです。」「ああ、それあんまりよくありませんね。自分の足に使ったのですから。あれはお祭りに使うおねりの道具です。それはな、お返しして、あやまった方がよいと、わしは思うんじゃがな。」といいますと、その人はさっそくお帰って、きれいに洗ってお返しして、言い訳したら、すぐあくる日、足が立ったことがあるのです。泉先生はつねに「神さんの道具を自分の道具にするということは、よくないのじゃ」と、よくおっしゃっていました。
これは位負けがすると、世の中でいいますけれども、そうでないのであって、お陰がもらいぬくいことになるのです。先生などは絶対人の物をつかいませんでした。これは、私よく知っております。止むを得ぬ時分に、雨がさを借りるとかいうことは先生もなさるでしょうけれども、本当に先生はご自分の物はご自分の物で、他の物は一切使わないと、こういうお気分でございました。この三一一条は、位負けがするということを先生がよくおっしゃったのは、これなんです。 位負けといいますと、いろいろ話がございますが、これはよくお年寄りがいうことですが、神様の庭に植わっている木を自分の庭に植えないという人がございます。これなどもこの種類で、何も木を植えたからどうのというのではありません。神さんのお屋敷に植えてある木とおなじようなものを、自分の屋敷に植えるというと、神さんと同格になるわけです。位負けがする。先生が、そんなことをよくおっしゃったのです。これは何も迷信でありませんので、目上の人に遠慮するということです。そうしないとお陰がもらいぬくいとおっしゃっていました。そのことを私が書いたのでございます。そういうことがよくあるのでございます。
もう一つたとえてみますと、ある家に神さんの門としてつくってあった、くぐり門を新しく建てかえになったのでそれをわけてもらって、自分の門にしたのです。そうしたら、しかられたことがある。これは神さんのお道具、そのままわが家の道具に使うたのです。そういうことは、やはり位負けがすると先生はおっしゃりました。
おい出になった方はお知りだろうと思いますが、あの神戸の楠公さんをおまつりしてある湊川神社のご門は、大きなご門でございます。それを新築しましたので、古い門を持って行き場がない。楠公さんのようなお偉い人の門だからというて、どこにももらい手がないのです。位負けがするといって。そこで播州の赤穂神社の門に、それをもらって建てました。それは、大石さんのような偉い方ですから、ことに忠義の方ですから楠公さんのもらってきてもさしつかえないわけなんです。大石さんへおまいりなさった方はお知りでしょう。大きな門です。あれは湊川神社の門を持って来て、大石さんの門に使うたわけです。
あんた方の日常生活に、そういうような種類がよくあるのでございますから、上の方の人がしているふうを、まねしないということが、やはりそれにあたるのです。自分に必要でないことはしないということもいえるわけです。
(昭和三十七年六月十五日講話)
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第三一二条 「種々の因縁を知る眼をもらうと、人を助けることが出来るばかりでなく自分が腹がたたぬ、愚痴も出ぬから、自分がまず助かる。」
例をあげてみます。泉先生とこへ、「先生、私見ていただきます。」と、たくさんの人がおい出るのです。先生は「はい、よろしい。おまはんの方からなんにも言いなさんなよ。」と、先生の方から止めるのです。そうして、先生が帰命天等のお称えをおっしゃった後で、すぐその人のことを言っています。決して相手に先生はいろいろとききません。相手にかたらせると、それではお陰になりにくい。黙っておって、こちらから向こうへ因縁をきかしてあげたら、その方がお陰がもらいよい、と先生はおっしゃっていました。大ていの拝む人は、話を聞いて、それからおがむもんですけれども、泉先生は「なんにも言わんようにしてくれ。」と、止めておいておおがみになるのです。
このことを考えますと、この因縁を知るということは、なぜ、向こうがお陰をもらいよいか。その訳は、自分のことは、自分よりほかにだれも知るまい、と思うているものです。一般に世の中に知れたことは、誰でもが知っているのでございますけれども、自分のことは自分だけが知っているものでございます。どなたでもそうでしょう。泉先生は、知るまいと思ったことを出すのです。そうしますと、「ああほんに悪いことは出来んもんじゃな、神さん、早、知っておいでる。」あるいは、「悪いことでもよいことでも、神様知っておいでる。」おがんでもらっている人が、ああもったいないという心が出来るのです。これが菩提心です。これを発菩提心というのでございます。「ほんに、神様っていうのは、もったいないなあ。」と思う時に早、お陰になるのです。ですから、先生はいつも「黙っとんなはれよ。言わんでよろしい。」ということをおっしゃったのです。普通のおがみ所と違うところの先生のお話でございます。
ところが、その因縁というのは、どうしてわかるのか。つまり因縁がわかる眼を持った人は、人が助かると先生は よくおっしゃいましたが、これは、だれでも何の何べえという名前がついとる自分のことをよく知っとる。何もかも自分本位に暮らしています。これは「私が得じゃ」、「私が損じゃ」、「これは、人のことや」、「こりゃ私のことじゃ」とどうです。あんた方が、よく子供を見てご覧なさい。小さい時には、人の物とわがものと区別がないのでございます。お陰が受けよいというのは、ここにあるのです。ところが、少し大きくなると、人のものと、自分のものと区別して、自分のものは人にやらないとします。区別をするのでございます。あの小さい子が、お母さんの乳を飲んでいるときに、お母さんがよその子を抱きますと、その小さい子は怒ります。あれは、お母さんを「わがもの」としているのです。おいしいお乳をくれる人は、わしのもんじゃ。そのわしのものを他の人に占領ささないという根性がはたらいているのでございます。これが、おそらく人間性根というのです。
だれでも自分というものと、他人というものを非常に区別しておるものです。川の向こうの火事はおおきいほどおもしろいと、こんなこと昔からいいますが、わが身に関係がないと、人が焼けても、そんなに悲しみません。このようにわが身を第一に考えるのです。そういうわが身大事と世上物騒といかないでも、世上のことは、まあまあすてておけ、わしの身でなかったら結構じゃという癖がついているのです。ところが人間は、信仰が進むにつれて、人の難儀しておるのを見ますと、「ああほんに、かわいそうな、これが私の身であったらほんとにつらい。ああ、なんとかしてあげたい。」と、こう同情するようになって来るのです。 信仰しますと人間ばかりではありません。虫けらに至るまで、難儀をかけないような気持になるのです。信仰が進みますと、虫類に至るまでかわいがるということになります。すなわち、自分がよかったらよいというような根性前が薄らぐのです。人も自分も同じじゃ、屋敷が変わっとりゃこそ、人じゃといって平気でおるけれども、家族であったらどうしようにという気持で信仰するとできて来るのです。これが神さん、仏さんに届くのです。そうしますと、人のことを思うという心が強くなるのです。だから因縁がわかってくるのです。
こういうお話がございます。ある西洋建ての大きな高い鉄筋コンクリートの建て物の下で、お母さんが、小さい子を遊ばしていたのです。小さい子は、高い高い建てものの窓の下で四つんばいして、あっちへはいこっちへはいして バラスをいらって遊んでいたのです。ところが、どういうはずみでありましたか、高い所の上の窓のガラスが一枚抜けて来て、下へ落ちてきたのです。そうして、赤ん坊の指の先へ「タッ」と落ちたのです。赤ん坊の指が一本飛んでしまったのです。それを見たお母さんです。「アラッ」と言ったまま、その飛んだ指を拾って、子供かかえてお医者さんへとんでいったのです。もはや飛んでしまった指はつきません。お医者さんが血を止めて治したのですが、ついに指が一本なくなったわけです。すると、見よったお母さんの指がけがもしていないのに、一本動かなくなったのです。それはかわいそうにと思う情の為に、自分の指の神経が切れたのです。このような実例があるのです。
つまり、人のことを思いやるということになると、人のことが通うようになるのです。今いったのは、けがでございますが、人がなんで苦しんでいるのだろうか、どんなつらいめに合っているのだろうかと、ほんとにかわいそうなと思うことが通うようになるのです。これが、人の因縁がわかるということになってくるのです。人をおがむから、わかるのではありません。人の事を同情する慈悲心ができる。こういうことになりますと、向こうの事がわが身に通って来る。よく通うようになりますと、わかってくるのです。人の事がわかるのです。つまり泉先生のごとき、あるいは弘法大師さんのようなお方になりますと、ご自分のことよりも、人の事を余けい思うておい出るのですから、それが、おのずとご自分の心の中へ浮かんで来るのです。はっきりと浮かんで来ます。それだから、よくわかるのです。わかりますと、この人がどういう事をしているとか、ああいう事をしているとかいう事がよくわかりますから、人を助けることができるのです。すなわち因縁ということを、知らしてあげて、人を助けるのがほんとのたすけ方です。
泉先生の生存中に会うた方は、無論知っておいでると思います。こういう事がありました。お母さんが小さな赤ちゃんを背中におうて、そして、八栗さんへおまいりに行ったのです。その赤ちゃんは、かんの病気で、お乳飲むと、かならずキイキイと言って乳をかんだりするのです。これほどかんが強いのです。その子をおうて、八栗さんへおまいりに行ったのです。八栗さんでおたのみして、かえりに津田の泉先生のとこへ寄ったのです。その人の順番がきて、 「今度おばさんか?」「はい、そうでございます。どうぞ、おたのみします。」「ああ、よろしい。」といって、 先生がおすわりになって、「帰命天等......」のおとなえをおっしゃった後で、こうおっしゃるのです。「おばさん、 おまはんの子は下痢するか。」「へえ、いたします。」「キイキイ言うか。」「へえ、言います。」「これ、かんじゃな。」「へえ、そうです。」「ええ、何にもさわりたたりもないでよ。今日はおばさん、八栗さんおまいりに行っとったな」「へえ、八栗さんへおたのみして来ました。」「ああ、八栗さんがきいて下さっとる。もう心配ない。 なおりますぞ。八栗さんが言っている。おまはん、下げ袋もっとるのかい。」「へえ、持っています。」「あれ、おむつを入れとったんでないかい。」「へえ、おむつ入れとります。」「そうか、あのな。その袋の中、二つにしきれとんなあ。」「ええ、そうです。二つにしきれとります。」「八栗さんでうけたお札をおまはんあん中へ入れとれへんか。」「ええ、入れとります。」「そうだろう。八栗さんがおっしゃんりょる。わしはかまわんけれど、わしの名を書いてあるお札をな、おしめといっしょにしといたら、おまはんが、おかげようもらわんぜ。」「あらあ、先生入れとりますわ。」「そしてお札がさかとんぼになっとるといいよる。まあ見てみなはれ。」と、先生がいいますと、おばはんがびっくりして、そのさげ袋あけたところが、八栗さんのお札が入っている。それがさかとんぼに入っているのです。頭が下になって、足が上に向いとる。字がさかさまになって、おむつのかばんの中に入れているのです。
そこで、そのおばさんの考えは、中は二つにしきれとるから、片一方おむつ入れてあっても、片一方は何も入れて ないのだから、かまわんだろうと思うて入れたのでしょう。しかし、かばんからいうならば、おんなじかばんですものなあ。そうしたら、おばさんびっくりした。「あら先生、もうまあ、ありがたい。びっくりいたしました。どうぞおこらえなしてつかはれ。」といって、かばんから八栗さんのお札を出して、いただいて、そしてお言い訳していま した。先生が、「おばさん、そのおまもりさん、わしにかしない。」といわれたので、先生にお渡ししたら、先生が 「ああ八栗さん、あいすまんことでござりました。どうぞ助けてやって下さいませ。」といって八栗さんのお札で子供の頭をなでよりました。そうしたら子供が、その日きりキイキイといわないようになりました。お礼にきて、話をしているのを私、聞いたのでございます。
病気したのは他の事で、食べ物か何かの都合で「かん」をわずらっているのです。が一方、神様にたよるために、八粟さんにたのんで、なおしてもらおうと思っていたのです。ところが先生のところへ立ち寄ったさい、おふだのことを先生がくわしくおっしゃいました。これはすなわち、ここに書いてある通り、因縁を先生が知っておいでる。
ああ、そんな中に入れてある。しかもさかさまになっとる。こういう因縁を先生、ちゃんとおわかりになっておいでるのです。
因縁というのは、おばさんが今までしてきた歴史がわかっとるのです。先生がその歴史をおばさんに話ししたら、おばさんが「やれやれ、もったいない。まあほんとうに、あいすまんことをしておった。」とあやまった時に、早、 お陰を受けとるのです。つまり、お陰というものは、心で「ああ、もったいない。」と思うたのが、身体にしみこむのです。ただ一方は、赤ちゃんは、先刻もお話ししました通り、人と自分と区別がないのでしょう。そういう、まだ性根ができていないのでしょう。それでおばさんが思ったら、すぐに子供に通うのです。人と我との区別があるようになって、年がいてきますと、その間に関所が出来てくるのです。「人と自分」という関所ができているのです。
子供には、関所が無いのでございます。親の心、そのまま子の心になっている。だから親がびっくりして「ああ、 もったいない。ありがたいことじゃ。」と思うたら、子に早さっとそれが通うのです。お陰を受けるのも心、お陰の受からないのも心、バチがあたるのも心、すべて心でそういうことができて来るのでございます。そうして、一人の人から又、一人へ通うのです。
家の中で、一人ご信心な人がありましたら、その家のものがよいというのは、通うのです。これをお経文では瑜伽といいまして、通うていくという事になっているのです。それが、家族の人が五人あったら、五人がそろっていたらなおよろしい。学校の運動会で二人三脚といって、肩組まして走るのを、お知りになっていますか。あれと同じで、二人が肩くみまして、三本の足になっているので、二本いわえている足は、二人が気が合わなかったならこけるでしょう。信心も二人三脚とおなじです。家族の人で、二人三脚しているのと同じ事で、めいめいかってに考えたらこけます。進みません。けれど心合わせて行けば、一人歩くのと同じなのです。それと同じように、おかあさんと小さい子は、二人三脚しているのとおなじことです。通うのです。だから家族の人がみなそろうて、一まとめになって神様仏様を信仰なさると、よくお陰が受かるというのはここでございます。
どうぞ、ここに書いてあります通りに、家族でも、こうやったらおとうさんがどう思うだろうか、こうやったら、おかあさんどない思うだろうかと、こういう事を常に考えて、その人を安心さすように、生活をしていくならば、おおかたわかるようになってくるのです。人をおがんだだけでわかるのではありません。思いやるからわかるのです。
これが本当のわかり方なのです。ですから、家族の人がお互いに、むこうの心がわかるようになりましたら、あいてを怒らせるということはないでしょう。家族が皆、そういうふうになって、思い合いをしましたら、一家すべてが、肩くみまして、二人三脚しているのとおなじです。お陰を受けるようになって来ます。
どうぞ、信仰なさるのには、一人でも反対がありますと、学校の運動会の二人三脚みたいに、それが為にこけますから、心をあわすようにしなければいきません。それには因縁を知る。むこうさんの心を知るという働きがあれば、心をあわせていけるようになるのです。心があいませんと、二人三脚で走れないようになるのです。こういうことをお考えになったら、信仰はわかりよいと思います。
(昭和三十七年六月十五日講話)
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第三一三条 「自分のからだの片輪はよく知っているが、心の片輪を知る人は少ない。」
片輪にも二通りございますが、身体の片輪、たとえば、手が一本無いとか、足が一本無いとかいうようなことは、人が片輪といいますが、それは目で見たらよくわかるのです。ところが、心の片輪は、体の片輪のように手がとれていたり、足が取れていたりしているようにはわかりません。心の方では、心が、たちが悪うございましたならば、それは心の片輪です。わが事だけか知らぬのは片輪です。人がどんなに思っているやら、おかまいなしで、自分さえ良かった らよいというのは、これ一種の心の片輪です。
泉先生がおっしゃるのは、世間では人の片輪をよく知っている。自分の片輪もよく知っている。なるほど、手、足 目、鼻、耳、こういうものがそろっていたら、片輪でないのですけれども、けがするとか、あるいは、病気の為に、それがかげておると、片輪と人がいうけれども、それは形の上からであって、心は決してけがするものじゃない。心は、「性根がいがんでいる場合、それを片輪というんじゃ。」と先生がよくおっしゃいました。
目に見える片輪は、だれでもよく知っているけれども、心の片輪を知らないのです。だれも自分はよいように思っているのです。ところが、世の中へ出て行って、多勢の人におつきあいしてみると、どうもわしは敵ができてしかたがない。人にいやな事言われる。どういうわけだろうと、こんなことを考える人がございますが、そういう人は割に少いのです。普通は、あんな事言うのはけしからん。不都合なと、頭から人を悪者にして、自分の欠点があることは、余り考えないのでございます。泉先生は、ここのことをよくおっしゃいました。
もし、人から自分の気に入らぬことを言われたら、人をとがめる前に、わしは片輪じゃないかと、よく調べてみよ。 そうすれば、けががない、という事を先生がおっしゃっていましたが、いかにもその通りであって、形の片輪は、人は憎みませんけれども、心の片輪は憎みます。人に憎まれるということは、自分のうんが悪うなるということでございますから、人にかわいがられなければだめです。人にかわいがられるようでないと、神さん、仏さんにもかわいがられませんから、よく気をつけよということを、先生が常々教えて下さっておりました。誠に、先生の教えは、よくわかるのです。
片輪も、二種類があると。心の片輪は、自分でに発見してそれをなおさなければ大きな損をするぞということを先生はおっしゃっていましたが、その事を私が二一三条に書いたのでございます。どうぞ、人の事を調べる前に、自分の事をよく調べて、あやまちのないようにする事が、先生がお喜びになるのですから、そういう風にお願いしたいと思います。
(昭和三十七年六月十五日講話)
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第三一四条 「人の苦悩は無明から来ると仏は教えてくれている。つまり、暗やみで向こうが見えぬから、疑い深くなるのである。疑い深ければ、必ず善く考えるものでない。何事も悪い方に考える。 そうすると人からその通り仕返しを受けねばならぬ。ところが わが事を知るほどの知恵が無いから、人を恨む。又は事をくやむようになる。だから向こうさえ見えれば、何も疑うことはない。従って心の光明は、わが身は助かり、人の身も助けるようになる。そうなれば、この大切な向こうをみすかす心の光は、 どこからくるかというと、これは神仏に差し上げた灯明からくるといってよい。」
このように何事も非常にむずかしい。向こうが見えなければいけない、と大きなことのように考えますけれども、決してこれは大きいことでないのでございます。あんた方は、も早、長らくの間、先生のご信仰に徹しておいでられる方々でございますが、見える見えぬというのは、お大師様のおっしゃる実の如く己を知ると申しまして、信仰に徹するほど向こうがよくわかるようになるのでございます。神様にお燈明をあげるのは一般にすくないのですが、仏様にはよくあげます。つまり神というのも、仏というのも根は一つで、先生は一つとしてお扱いになっておいでます。
手に数珠をもくうて、そうして帰命天等と神さんであろうと、仏さんであろうと同じ仏壇でおがんでおいでる。これを見ても、根は一つということがわかるのでございます。
そこで、この神仏にお燈明あげますことは、どういうことから始まっているかと言いますと、心のうちを明るくさしていただくためになすことで、これがお燈明の祈願なんでございます。お願をかけるしるしに、お燈明をさしあげているわけなのでございます。又心の暗い事を無明とか、あるいは煩悩といいますのは、これはつまり、心のうちを夜の暗いのにたとえたものでありまして、無明というのは、明かりが無いということです。明かりが無いということは何事を考えても知恵が無いのでございます。生まれたままの赤ん坊のようなのでございます。これが無明なんでございます。知恵が無い。そうしますと、心の中は向こうが見えぬのでございます。わがだけはわかるのです。向こうが見えぬ。そういたしますと、大きくなるにしたがって、これはどんなになるんだろかと。すぐに向こうを疑う心が一番先に起こるのでございます。これは無理からぬことでございまして、あなた方は目がおみえになるから無明でないのです。ところが、私の申しますのは、明るいとか暗いというのじゃなくして、心のうちの明るい暗いというお話をしているのです。
たとえてみますと、暗がりだったら向こうが見えません。その時にどうなさいますか。さぐりつつ向こうへおいでになっているのです。一生懸命に無茶苦茶に走ったりしません。向こうがわからないのに、どこへぶつかるやらわかりません。すなわち、この自分の向こうを疑うということが一番先に起こるのでございます。この向こう、どうなっているのかいな、溝があるのかいな。板べいがあるのかいな?石ころは無いかいな」と、このように疑っているのは当然のことでございます。それと同様に、心のうちが暗やみになりますと、すべてに疑うのです。疑うということは、えてしてよい事を考えないのでございます。警察又は裁判所へ行きますと、罪を作っとりはせぬかということを、まず調べるのです。よい人なら調べる必要ありません。これと同様に、疑うという事は、必ずよいことは考えぬのです、悪いこと考えます。疑い深い人の前へ参りました場合、なにやらあんまり打ちとけて話が出来ず、なんだかほがらかさを欠いで、暗い冷たいような気がするものでございます。そうすると、自分の事わからずして、その相手方の冷たい態度を見てです。あの人疑い深い人じゃ。私はなんにも考えていないのに、それになんだか気色の悪い目を使こうて、疑い深い目で人をみている。つまり、自分が向こうが見える力が無い者に限り、相手方がその人にむいて、よくしないのです。どうですか。私がこう申したら、あなた方はそうかいなとお思いになるかもしれませんけれども、世の中へ向いて、じっと静かに考えてご覧なさい。自分の方から朗らかに出て、自分のお母さんにもの言うような調子で言っていけば、必ず向こうは打ちとけてきます。
けれども、この人、どんな事言うやらわからん。気色の悪い人じゃというふうに人を疑ごうて、その人にもの言うてご覧なさい。むこうが、うちとけるか、うちとけないか、決してうちとけるものじゃありません。何だか冷たい感じでむこうから来るのです。そうすると、わがことがわかりませんから、人だけを見て、ああこの人疑い深い人じゃないかとみるのです。「なあにそうじゃない。原因は自分にあるのです。」そういうようなふうに、向こうが見えるという事と見えないという事とは、人生において、大ちがいです。向こうが見えぬ人に限り、疑い深くなる。疑い深い人に限り、根性が悪うなる、という順序が、えてして多いのでございます。まあ、十人が十人ながらそうだとは、私申し上げませんけれども、えてしてそういう事が多いのでございます。 泉先生がおっしゃるのは、疑い深くないというのは、むこうが見えるからだと。この人、多分こうだろう。ああだろうということが、こちらにわかりますから、疑わないのです。そうすると、うたがわないと、どことなく朗らかな気持ちを人にあたえるのです。朗らかな態度でつきあうと、相手方から朗らかにでてきます。すると話がしよいという結果になるのでございます。ですから、決して人をこちらの方から疑ごうてはならぬということを、泉先生がおっしゃるのです。自分はもう大平楽で朗らかにおつきあいしなさい。もしも相手の人が冷たく暗くて、何か人の腹の底を探るような気がする人だなあと思うても、決してそういうことを返してはならないと、泉先生はおっしゃいました。
自分がもしも相手の気持がわかるならば、疑いを持ちませんから、相手に向かって気持良くおつきあいができる。
たとえ相手が悪い人でありましても、おつきあいができるんだと、こう泉先生がおっしゃいました。私、考えてみますと、原因が自分にあるように思います。
あの警察の探偵なさっている、すなわち刑事の方が、大勢通っている所に立って、見張りしている場合、犯罪を犯している人が、わかるそうです。それは、どういう具合でわかるかといいますと、その人の目つき、それから顔つき、心で思っている事などです。犯人は「もう警察きとれへんかしらん。」「やられへんかいなあ。」「あの人銭持っとる、どこに持っとるのだろう。」「どこへ入れとんだろう。」「ポケットへ入れとんだろうか。」「ふところだろうか。」こういう事ばかり考えていますから、犯人の目の使い方が違うのです。それは妙なものです。目の使い方が違うものです。それから、顔付きも違います。それですぐに、ちょっとあんた失礼なけんど、尋ねたいことがあるんでちょっとこっちへきてくれんかというふうに、警察の方から質問にあずかる場合があるのでございます。 これなどを考えてみますと、自分が犯罪を犯しているということを、はや自分が知っているのです。だから心が暗いんでございましょ。暗がりの心が外へ向いとるのです。一つ悪いことをやって、もうけてやろうというような暗がりの心が、腹の中にあるのでございますから、ちゃんとわかるのです。それで警察の方に感じられ、そこで尋問を受けると。こういう結果になるのでございます。
これは、悪いこととして法律に尋ねられるお話しを申したのでございますけれども、そうではない。我々が常々おつきあい申す人の間においてです。かくのごとく、もし疑いがあるのであったら、何事も進みはしません。皆さんが力を合わせて、きれいな考え方でいけばこそ、世の中がおさまって行くのでございます。決して、疑いをした場合には、そう治まるものではありません。今日はだんだん、その政治がひらけてきまして、一般の人には、できるだけ税金を課せない方針をとっています。
一例あげてみますと、健康保険というのが出来ておりまして、ほとんど全部の方が健康の保険の税金を出しております。それの半分は国から出すと、そういうふうな事にして、お医者さんにかかるようになっております。近頃になりますと、ほとんどがみな保険をかけるようになり、お医者さんにかかっているわけでございます。あのソヴィエトのごときです。これはほとんど国営、国の力でもって、お医者さんの方へまかのうてあるので、無税でかかれるそうでございます。そういうふうに、世の中はみな、互いに助け合い、おがみあいです。互いに助け合うというふうが、近頃は盛んになっております。ですから、敵をこしらえるというのは、何が一番原因しているかといいますと、疑いあうという根性です。おがみあいの反対です。疑いあい。これはどうぞ一つ、みなさんお考えになって、助け合いというような生活になりますと、ほんとうにきれいな誠に安心のできる社会が生まれて来ると私は思います。
泉先生は、そこへご着眼になって、疑い深い眼を使わないようにと。それには向こうが見えるようにと。向こうが見えるということは、お燈明があがるようにと。こう先生はおっしゃるのです。それで「心の中が暗がりであるのは、お燈明が足らんのや。」と先生はおっしゃった。ただし、お燈明が足らんということは、お燈明あげ、と先生おっしゃるのではなく、信仰心を持てということでございます。これをお燈明にたとえて、先生はおっしゃったのでございますから、三一四条は、あの、神さん、仏さんにさしあげるお燈明の力によって、自分の心のうちが明るくなる。朗らかになる。疑わない。そうすると家の内は無論のこと、運はよくなる。国全体がよくなると、そういうことを先生がおっしゃった。実に、これを書きましたのが、今から四十年前の私の若い時分のことなんでございますが、四十年後の今日、そういうような時世になってまいりました。皆が手をひいて、そうして、あの疑いあいの、あの根性を捨てんというとお互いが損だということが、ありありと目の前へ浮かんで参りました。どうぞ、その意味で三一四条を、ご覧を願いたいのでございます。
(昭和三十七年六月三十日講話)
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第三一五条 「自分の好かぬ事を、人にむかってすると、人からは自分の好かぬ事をしかえしして来るのが普通である。自分から何も悪い事をしむけぬのに、人から悪い事を仕向けて来る場合もある。 これは自分の前の世で、人に悪い事を仕向けてある仕ほどきに違いない。よくよく考えてみよ。まちがいはない。このような 時は善いことでむくいねばならぬ。」
仏教の方では「善因善果」といって、よい事をしておけば、その報いによってよい結果が来る。悪い種をまいておけば、悪い種がはえてくる。これは、当然のことでございまして、「うりのつるには、なすびがならん。」という、たとえがございます。自分がした通り、人から自分の方へ仕向けて来る。泉先生は、その理を知って、若い時分から、ちゃんとなさっているのです。根限り、ご自分でなさっても、人には申しませんが、神さまは「正直正来」に持って来て下さっていると、先生はそうお考えになって、人をおがむ時でも、おっしゃってございます。「正直正来お聖天さん」と、人ごとにおっしゃったものです。これは、先生が、おがみなさっている時に、お聞きになった人はお知りになっているだろうと思います。正直正来聖天さんということよくおっしゃったのです。これは、聖天さんに限りません。神さん仏さんは皆、「正直正来」です。そのことを三一五条に書いてあるのでございます。
自分の好かんことを、根限り人に仕向けるくせのある人があったとします。そういう方は、どこ向いてもやるのです。人からはその人は信用されません。昔からよく言いますが、「川向こうの火事は、大きいほどおもしろい。」と、 こんなことをいう人があります。それは、わがよかったらよいという人の言うことでございます。何事も、自分のこのむものをもって、人の方の事におつきあい申すと、これが一番よいのでございまして、自分の好かん事は決して人の方へ 持って行かないように、自分の好きな事、気持のよい事、それをすることがだいじです。「よいことを人の方へ向いてしてあげるということは人が喜ぶ。」という話をなさっていたことを聞きましたが、私はこのあいだ、お四国さんへ行った人からきいたことです。その人のいうのは、「道迷ってなー、家は遠し、聞くのに困ったところ、ちょうど来あわした人があって、その人に道をきいたら、親切についていってあげると言って、そうして、あっちこっちの道 を教えてくれました。誠にありがたかった。」ということを。大へん喜んでおいでた。ご自分が、ああ、気持ちがよかったと、ほんにあの人の親切は本当にうれしかったと思うた場合には、その気持ちを、今度は又、第三者にそれをしてあげるということが一番よいと思うのです。泉先生は、その事をおっしゃるのです。
自分が悪い事を仕向けますと、必ず人からはその通りに仕向けてくるものでございます。自分の方がまず悪い事を考えているのにもかかわらず、人が、根性が悪い、こういうふうに言いあいをするものでございます。泉先生は、そういう事では、世の中が進まんから、決して悪い事を仕向けられた時には、これは自分が悪いんだ、だからこういうふうに仕向けられるんだ。決して、人を憎まんように、自分が改めて行くということが一番よろしいとおっしゃったのでございます。
ところが、それはそれでよろしいが、ほんとに自分は真心で、ものを言っているにもかかわらず、人の方から悪う仕向けて来る場合があるのです。これは、不思議なことに、ご先祖が犯したところの罪が今に残って、その人の心の中へ入っとるのです。それを知らずに、おるのでございます。こういうことがあります。もと大きな分限者であったとか、もとさむらいであったとか、もと家柄であったとかいう家へ生まれたお子さんですが、男であろうが、女であろうが気が高いのです。もと、お父さんとか、お母さん、じいさん、ばあさんの時代には、りっぱな家であった。大きな家であった。あるいはさむらいであった。なんかそういう人に、ずぬけたところの力を持っておるご先祖が、わがままやって、いばっとったので、それがある時世によって、家運が衰えて小さくなった。そこへ生まれてきた子供が先祖のことを知らない。その先祖の気運だけ持っとるのです。なんとなしに頭が高い人です。人におじぎしない。おうへいなといわれています。世の中にそういう家に生まれた人を見てごらんなさい。私は、泉先生がおっしゃったから、私は方々いろいろの人におつきあいします。そういう事を見てみますと、実に気の毒でございます。
ご自分は、別に何も知らんのです。けれども、生まれながらにして気が高い、人に負け惜しみが強いというようなわけで、自分が知らんのにかかわらず、人からは、おうへいなとか、生意気なとか、理屈高いとか、言われるのです。
どうですか、あんた方、そういう事をお気づきになった事ありますか。私は、そういう人におうた事があります。
その人がいうには「私は別に高い気持ちでおらず、負けぎらいなということもないのですけれども、人がそんなにいうのです。どうしたのでしょうか。」というて、私は聞かれたことがございますが、そこで私はその人に申しました。「それは、あんたは、誠に真面目においでよる。けれどもあなたの二代前の時代考えますと、それは、実にいばった大きなお家の暮らしをなさっとったときのことが、あなたの心の奥へきざみこまれとるのです。自分が知らぬ「くせ」がございます。それを本能と言いまして、自分にはわからんのですけれども、何となしにそれが出て来るのでございます。」というお話を申したのです。そうすると、そのお方が私に話がありまして、「なるほど、私考えてみますとその通り、私の家は、大きくて立派な家柄だと人に言われたそうでございます。それでは、その風が今に残っているのですかいな。」「私はそう思いますから、お気の毒と思います。」とこういうお話を申したところが、その人はえらい人でございますから、「どんなにすればよいのでございましょうか。」と、こういうことを私に聞くのでございます。私も泉先生に聞いたお話をいたしました。こうなのでございます。そういう場合には、必ず人から仕向けて来る事が、おうへいなと思ったら、必ず自分の方から低うでるのです。ていねいに出るのです。あいさつしても、今日は、というて、しとやかにあいさつをして、おつむを下げる。そういうふうに、人から仕向けて来ることが、あなたのお気に召さなんだ場合には、あなたのお気に召すような態度で、反対の事をなしていたらどうですかと、私が話しましたところ が「いかにも、そうですねえ。」と言って、その後そのようになさいました。すると大いに、きれ変ってきましてりっぱな人になれた実例がございます。
泉先生は、これなどよくおっしゃってございますから「わしは、そんな気もっとれへんのに、他が悪いんじゃ。」と、こうおっしゃらずして、やはり、自分の方へむかって、私はどうであろうかと考えてみて、「なるほどなあ、ほんに前生の因縁というものがあるから、これは簡単なこというわけにはいけない、なるほど泉先生の言う事は、ごもっともだ。」というようにお考えになってお話しになる方が、お得でございます。
どうも、これはあなた方が、御経験のことがあるかもわかりませんが、又、お知りにならぬ方があろうかと思いますので、どうぞこの三一五条に書いてある事は、そういう意味のことを先生がおっしゃって、自分は知らんのであるけれども、人がそういうふうに因縁をつけられておるんだというふうに、お考えになるのがよいと、私は思うのでございます。この因縁といいまして、自分の生まれる先に、親がしておるところの事が、身についておると、これが、親の因縁が自分のからだにできておるということなんでございます。
これは、あなた方が人間の方で考えてもわかりますけれども、草木でお考えになったらどうでございましょう。
草や木、それから動物、そんな物は、はっきりとそれを残しております。あのにわとりですが、シャモという鳥があるのご承知でしょう。あのシャモが卵から生まれましたら、早もう喧嘩でございます。親が喧嘩をしておるのでございますから、その卵からかえったシャモの子が、はやもうけとばします。お友達でも、こつんとあの口ばしでやります。これは、生まれながらに、知らずして、先祖がした事をやるのでございます。
それから、土佐犬という犬がございます。これは、土佐では、けんかをさしまして、そうして物見に使うたりする犬でございますが、大きな犬です。これが、生まれだちには、はやもうけんか腰でございます。他の犬見たら、目を三角にして、怒っとります。これは先祖がそういうことをしたから、子がやるとこういうようなことになっとるのです。こういう例は、あなた方がたくさんご承知でしょう。たくさんこういう事がございます。先祖がやっておる事が 子供の時にその通りになって来るという事は、ご承知だろうと思います。
又、植物の方でございますが、あの南の国によくできますあのバナナというくだものがございます。食べたらおいしい。あれは台湾とか、ああいう所にできるものなんでございますが、近頃は土佐あたりにも作っています。バナナは熱帯植物ですから、台湾あたりの気候とよく似ているようなふうに仕向けるのです。そうすると、あのバショウの木に、くしのようなものがたくさんなりまして、熱帯産とまったく変わらないものができるのです。かりに温度あたえずしてこのあたりで作ったら、どうかといいますと、こういう草木でも、温度が親が受けた温度だけのものを受けないと子供が成長しないのです。
そういうふうに、ご先祖が味おうた、いろいろな事を子供に、そのまま譲ってあるのが、これが生きもののくせでございます。特に、人間のごときは、親がしたところの精神が、そのまま子供にうつる場合があります。皆さんは、ご家庭をお持ちになるにも、おとうさん、おかあさんにおなりになるにも又、りっぱな子供を教育するにも、一つみならいになるとよくわかると思います。今、自分がしたということが、後の世の事績になるのを因縁といいます。これは、悪い方ばかりじゃありません。よい事も、よい因縁のは、種をまいたらよくなるのでございます。この三一五条には、その事を書いてあるのでございますから、どうぞ、その意味でご覧願いたいものでございます。
(昭和三十七年六月三十日講話)
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第三一六条 「自分の苦痛を逃れたいと土地をかわってみても、苦痛は身の外にないから、どこまで行っても安心する所は無い。それよりも 自分の心の掃除をすることがよい。これはよくわかっている事であるが、なかなかできない。」
人が、ある地方で、どうもここでは商売がやりにくい。口すぎしぬくい。人がどうも気にくわん。ちょっと土地をかわってやりなおしてみようかといって、土地をかわってなさる人がだんだんあります。が、それも一つの理由はあるのです。土地の利、あるいは交通の利がわるいために土地をかわったりすることはありますが、苦痛があるから楽な所へ行きたいというのはダメなのです。というのは、この、心の苦痛というものは、決して外から来るのではなくして、自分の身体の中にあるものが、わざわいするのですから、土地をかわっても、やはりおなじ事でございます。
土地をかわっても、自分の値うちというものは決して上がるものではありません。心の掃除、すなわち、修業をして、その土地で人にうけるようになりましたら、もうどこへ行っても大丈夫です。心の働きは、たとえ人があっさりしとろうとも、ねばねばしとろうとも、それはいっしょでございまして、人情というものはかわらないのです。ですから一地方で信用のない人は、どこへ行ったとておなじです。
それで泉先生は、船に乗って、各地へずっとおいでた方でございますから、よくご承知です。どこへ行っても、おんなじじゃ。ああ、人間というのはひどいものだ。自分の心のとおりの安心を得られるもんじゃ、どこまで行っても自分の心を喜べるようにしておかないと、人からはかわいがってくれないのじゃ、と、こういうことをよくおっしゃりました。三一六条は、自分が楽しんで生きれるか、苦労せな生きれんか、ここは気苦労な土地じゃとかいうんじゃなく して、自分が苦労するのは、これは自分の修業が足らんのであると。自分の心のうちを、自分がみて、そうして、自分が修業していくのが一番よろしい。つづめてもうしたら、そういうようなことに、泉先生がおっしゃったのでございます。
先生は、もと三十五才までは、津田においでたのです。三十五の年に初めて大阪へおでましになったのでありますが、津田におる時から、津田の「あんにゃん」「あんにゃん」と、みんなに慕われて、けんかがありましても先生が入ったら、すぐに仲直りする。漁師と漁師とが争いしても、これも先生が行ったらすぐ仲がとける。もう津田では、 なければならぬ人でありました。それが事情あって、大阪へお出ましになったのでございます。漁師の船に乗る商売はなさらずと、陸の上でいろんな事をなさったのです。ひどいのは、先生は、あめ湯までお売りになったそうです。 けれども、あめ湯でも「あの庄太郎のあんにゃんのと。」いうて、待ってくれるくらいだったそうです。何になっても、どこへ行っても、先生は「あんにやん」「あんにゃん」としたわれて、ついには生駒山で、あれほどのりっぱなご人格をつくりあげなさったわけでございます。
(昭和三十七年七月十五日講話)
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第三一七条 「わが心の色ほど、恐ろしいものはない。世の中が、その心の色のとおりに見えるもので、その世の中の様がわが心の色から来ると知ればまちがわないが、人は、そのわけがわからぬから、まちがいをひきおこすもととなる。」
これは、色にたとえたのでございまして、青い色のメガネをかけますと、世の中が青くなります。赤い色のメガネをかけると、世の中が赤くなります。と同じようなもので、自分の心へ色がついておりましたら、その通りに見えるのです。ちょうど、職業にたとえてみますと、自分の職業が晴天でなかったら困るというような仕事をなさっている方は、天気であることを祈ります。雨が降るとどうも困った天気だなといいます。ところが、雨が降るとよい商売があります。それは雨傘屋です。あのかさは、雨が降らなければ、用がないのでございます。雨がよく降る年であると、よい年まわりだというふうに、職業からでも、自分の心に色がついております。
そういうようなもので、あなた方、世の中をじーっとみてごらんなさい。職業でもいろいろな職業がございます。
法律を職業としている人があり、あるいは、罪人ばかり扱っておるところの、あの刑務所でおつとめの人がある。 みな、それが自分の心に色がついております。大石蔵之助の芝居を見ても、法律家は、あれは第何条に当たるなといって、法律のヶ条でその芝居を見るのです。自分の心が、法律にかたまっておりましたら、必ず法律でものをいうのです。義理も人情もありません。法律でさばいてしまうのです。まことに自分の心の色というのはこわいものだと、泉先生がおっしゃったのです。
たとえ、自分の職業が何であろうとも、人間の心は、仏心でなければいかぬ。神仏のような、りっぱな心で何の商売でもしたらよいのじゃと先生がおっしゃいましたが、実に、ほんとによく考えますと、人間の心にはみな色がついております。めいめいには、気付かないけれども、理屈がましい人は、心に理屈の色がついておる。何でも無い事を理屈がましいに言って、問題をおこしてしまう。穏やかに言ったらよいものを、理屈がましいに言うのは、心の色だなあと私は考えます。実に心の色というのは、誠に、こわいものであると思います。ここを一つ、あなた方が心のうちでじーっと考えて下さい。大抵の人が、無色透明に色なしにはおりません。何かそこに色がついております。
たとえば、一家は、隆盛でなければならない。一にも金、二にお金、と金に執着し、一円の銭でも、無だ使いしてはならんと言うので、出すべき場で断わって、出さないで貯蓄をするというような人があります。この人の心の内には金という色が着いているのです。
というようなわけで、心の色というのを、じーっと考えてご覧なさい。ほとんど色のついていない人は、信仰している人でなければありません。信仰しておる人でありますと、割合に心に色が無いのです。本当にきれいな判断をいたします。泉先生は、こういうところへ気をつけておられるのです。みな人は、心に色があるけれども、この自分の色を知らずにすごしている人が多いので、自分は、色がついておるかおらんか、ようくためして、色の着いていないような生活をしなければいかない。もし、色がついておると、まちがいがおこるものです。泉先生は、常に心に色をつけてはならぬとおっしゃっていました。
それであなた方も、一つ社会一般の人を静かにみて考えてご覧なさい。必ず、心には「くせ」があるものでございます。たとえくせがありましても、それを憎んではならぬと言うのです。わるいくせをにくんでは、かえって自分の心に色がつくようになるから気をつけよと、先生がおっしゃいましたから、なお、それも私はつけ加えておきます。
(昭和三十七年七月十五日講話)
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第三一八条 「肉眼の見えぬ人でも、心の目の見える人は、疑いもなければ、苦労もないが、たとえ肉眼が見えても、心の目が見えぬと肉眼が見える為に、かえって苦労を増す種を作る。」
心の目が見える人は、ありがたいことで、物事がよくわかります。けれども、先刻申した心の色というのがついておりますと、見まちがいをするのです。ところが、心の目を開かしていると、肉眼は見えないけれど、心がりっぱな人になってきますと、泉先生におつきあいなさった方は、おわかりだろうと思いますが、泉先生はあの津田の家の中においでながら、遠方からおいでる人のことを、さも実際に見ていたかのようによくご承知でありました。
これは、心の目です。肉の目で見よるのでありません。心の目が見えているのです。私が、一番最初、津田へお邪魔した時は、今のあの大坂山の新道路が工事の最中でございました。私は、山形の清さんと二人で、自転車に乗ってその道を行ったのです。そうすると、まだ道路の工事中でありましたので、ついに行き詰まりになりまして、「あらここまでかこられん。」と言うので、もう止むをえず、下の谷の方へおりて行ったのです。ところが、その谷から上の工事しているところを見ますと、ざわざわいって、下へころげてくるものがある。何だろうかと見ますと、ずっとしばがころげてきているのです。よく見ると大きな石でございます。その石が私ら二人の方へ向いて、ころがって来るのです。これは大変じゃ、危ないと二人は自転車をかついで、松林の方へ道をかわしました。そして坂本へおりて行きました。それから自転車に乗って、津田へいったことがあります。昭和三年でございます。古い昔です。もはや、 四十何年になります。そして、先生の所へ行って、先生におがんでもらいました。先生は、帰命天等は日天月天のあの お唱えをなさいまして、おっしゃるには、「お前さんは、二人が自転車で来たのかい。」と。「はい、自転車でまいりました。」「山を越えよったなあ。」「へえ、越えてきました。」「道が出来とらいで、谷へおりたじゃないかいな。」「ええ、谷へおりました。」「大きな石、二つが上からころがってくるので、自転車かたいで、松林へ逃げこんだなあ。」「へえ、逃げ込みました。」「ああ、危ない事であった。それから、自転車に乗って来たんじゃな。」 「へえ、その通りでございます。」そういう先生のお話がありましたのです。先生は津田にいらっしゃるので、肉眼ではそうした様子を先生はご覧になってはおりません。いわゆる心の目ですね。先生は、心の目で、私ら二人がいたのをご覧になったのです。こういう心の目の見えるのは、心眼と言いまして、ありがたい目です。こういうふうに心眼は狂いませんけれども、肉の目は狂いますから、気を付けねばならぬと先生がお話しなさいました。
昔の学者に、塙保己一という学者があったのをご存じでしょう。大勢のお弟子を集めて、本の講義をなさっていた時です。ぱっと、あんどんの火が消えたのです。それで、弟子達が、「先生、ちょっと待って下さい。今、火が消えましたから。」というと先生は、にこにこ笑って、「さてさて、目の見える人は不自由なものじゃなあ。」と言って笑ったそうです。それくらい心の目というものは、大事なものでございます。
泉先生は、常にそういうことをおっしゃって、目の見える者は結構で、ありがたいけれども、心に色がついていたら、まちがって物を見るぞ、気を付けなさいということを私はきいて、あっ、ほんに、いかにも泉先生は、心理学を知っておいでる。深い学問した人が、かなわんくらい修業なしておいでるなあと私は思いました。誠に、泉先生の知識は、りっぱなものでございます。
(昭和三十七年七月十五日講話)
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第三一九条 「人の作ったものは、人の手でなおしやすいが、神によって造られたものは、神の手によらねばなおらぬ。」
人が作ったものは、人の手でなおしやすいが、神様の造ったものは、人間の手でなおしにくい。あなた方は、どんなに解釈なさいますか。簡単なことですけれども、たとえば、田んぼへ水をふむところのあの水車。あれは人が作ったものです。あの羽根の板が取れたとか、天の木が折れたとかいうのは、大工さんがいてなおしたら、すぐなおります。あれは、人が作ったものですから。ところが、天等はんの造った物は、なおりにくいと先生おっしゃった。どうです。天等はんが作ったものとは一体何でしょう。
たとえてみますと、風は、人間が作ったものでございません。天等はんが作ったのです。すなわち、神さんが作ったのです。それが汚れる場合がある。どんな時に汚れるかと言いますと、あなた方ご承知でしょうが、この頃、名古屋の大きな建物で、相撲とっとります。相撲取りが、何百人も入っております。そこへ又一万からの人が見物に入るのです。そういたしますと、さしもの広い名古屋の相撲場の空気が、人間の息で汚れてしまって、蒸し暑くてしかたがないのじゃそうです。しかし、そうすると、それをなおすのは、なかなかなおりません。神さんが造ったものでございますから、人間の手でなおしにくい。どんなにしているかと言いますと、それには酸素、大きな酸素をいれた筒です。
酸素ガスですね。あれを持って来て、ガーッと中へふかしとります。それでもなかなか蒸し暑いのはなおりません。
又、あなた方が、船に召して大阪へ行く時分に、あの三等の縁の下へ入ってご覧なさい。なんだか暑い時分には、蒸し暑くって、あそこ入っただけでも、酔うような気持になります。あれをなおすというのは、なかなかなおりません。
そのようなもので、天道はんの造った物、なかなかなおりません。それから、この間、九州で大雨が降りまして、大勢死んだのでございますが、あの雨も、これは人間が作ったものではございません。天等はんが造ったものでございますから、降り過ぎたら、それをさばくのに、土手でさばけなくて、大水になりまして、九州では沢山人が死にました。
新聞に出とるでしょう。こういうふうに、なかなか天道はんの造った物は、人間細工でなおすことはできません。
それから、まだもう一つひどいのは、この頃、人間が工夫しまして、原子爆弾を高い空でダアーッと、破裂させます。そうすると、毒の灰が降って来るのです。きれいな空気が、きたなくよごれてしまうのです。どうすることもできませんでしょう。時を待たなければ、きれいになりません。
このように、泉先生は今から四十五年も前のお方でございますから、あの時は、原子爆弾ありません。けれども、ちゃんと、そういう事を知っておいでる。神さんの造ったものは、神さんの力でなければなおしにくい。人間の作ったものは、これはなおしやすいもんだ。ことに、神さんのお仕事は、大きくりっぱであるけれども、人間がちょっとなおしにくい。こういうこと、先生がおっしゃいましたが、いかにも、そのとおりでございます。先生は、学問なさっておりません。漁師として海の上に浮いておいでたお方ですけれども、先生のお心は、大学者が、かないません。実に不思議な事をご承知なんです。
例えてみますと、人間は、怒るということは誠に簡単なことだけれども、これはわるいことだ。あの人間の脈が、怒ったら狂う。怒るということは、健康の上には、非常に悪い。こんなこと先生がおっしゃったことがございますが、今日、あの医学の方が進みまして、脈はくは、健康なので一分間に七十一、二打っているものでございます。それが怒ったら早くうつようになるのです。八十も九十も打ちます。色が青うなったり、赤うなったりして、怒らしてご覧なさい。もう脈がどんどん打ちます。こういうこと、先生は、はやちゃんと知っております。
もし、心臓が悪い人であったら、すぐ病気してしまう。たとえ心臓が悪くなくとも、そういう事を、しじゅうしておったならば、身体が悪くなるから怒ることをしないのがよい。負けていたら、すこしも腹が立たん。すると身体がたっしゃであって、働きがしよいと先生おっしゃいました。これは、今日の学問から言いますと心理学と、衛生学とは深い関係のあるものだと、今日やかましく言い出しましたが、なるほど先生は、ああいう信仰のほうからおきづきになっていたのだけれども、今日の大学者がかなわんくらいの見識を持っておいでた。それでむつかしいところの病気でも怒る心をもたなかったら大抵の病気はよくなります。ことに、あのバセドウといいまして、目玉が大きくなってから、病気するのは怒りさえせなければ、しぜんになおってしまうというくらいのものでございます。
こういうふうに先生は、実に医学でも、生理学でも、化学でも勉強なさらずと、自然に知っておいでるのでございます。誠に、おえらいお方でございます。
(昭和三十七年七月十五日講話)
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第三二〇条 「人を助けんと思う慈悲の念願さえあれば、神はこの人に力を貸すことを惜しまない。」
例えてみますと、信仰で不思議に向こうが見えるという力、これは神が人にかしているのでございます。人間の方からいいますと、助けたいという慈悲の心が強ければ、その力をもらえる、と書いてあるのでございますが、こう申すとなんだか向こうの見えるという力が非常に簡単なようにみえます。けれども、この慈悲の力というのは、なかなか口ではいえないものでございまして、実にここに書いてある通りでございます。戦争があります時に、ちょいちょいこれが起こるのでございまして、常にはあまりわかりません。 たとえてみますと、撫養で酒を造っております私のところの隣りに大工があります。その大工さんの息子さんが、徴用せられて東支那海を航行していたが、ちょうどその時にアメリカの潜航艇にねらわれまして、ついに東支那海の底に沈められたのでございます。そういう事実が親ごのもとに公報となってくる前、ある晩夢にこの若いしが帰ってきまして「もうわしゃ、向こうへ行けんようになったから、もんて来た。」と、いうて、立っておったそうです。ああ夢を見た。ところが夢でございますから、別に気にもとめませんでしたが、その後に公報が入りまして、潜航艇により 東支那海で沈んだということが明らかになったのです。これなども、人間の力ではわかるはずがないのです。けれども子が最後に親を思う心、それが、親が子を思う慈悲にかようたのです。こういうことはよくあることです。 これも私の友達でございますが、七条武夫さんというて、酒を造っておるお家があります。そのおとうさんが綾三さんといいまして政治家です。その方が胃病「ガン」でございまして、京都の病院へ入院なさった。武夫さんが、留守番をなさっとったのですが、座敷の戸をあけるため、おも屋から座敷へおはいりになった。そうすると、座敷の中は暗いのです。まだ戸があいておりませんから、それなのにそのふすまの間からおとうさんが横へ通った。確かにおとう様が横へ通ったと、武夫さんは思ったのです。ところが、通るはずがないのです。京都の病院へ入院なさっとる。
「ああ、これ妙だなあ、はっきりお父さんの姿を見たんだが。」ふすまの間を横ぎった、ちょうどその日におとうさんがお悪いという電信が入ったのでございます。こういうふうに、非常に、そういうさしせまった時には、妙に親ごと子との間におこるのです。敬愛の心が通うとります為に、後に残る人に、向こうが見えることになるのです。
これは一つのたとえでございますが、ここに書いてありますのは、人を助けようと思えば、慈悲心が強ければ神様は向こうをわからす力をおしまないと書いてあります。ただ今お話しましたように、危急存亡の時には、常に思い思われている間柄でありますと、向こうがわかるのです。これは「どうしても助けたい。」「ああかわいそうな。」という親子相互の慈悲が通うておりましたならば、神は人に力を貸すことを惜しまないというのです。神様はそうでございましょう。ちょうど泉先生がそういうお方でありました。
人を助けるのに、色々種類があります。心配しておる人、あるいは案じておる人、又運の悪い人、そういう苦労をしておる人の心に、先生がなりかわってしまうのです。そうすると、先生には、なぜそういう苦労を生じたかという原因が、ちゃんとわかる。その原因を除いて、そうして、人を助けるというのが泉先生です。ここに書いてあります通りに、 慈悲心が強いのですから、先生は、通うとるのです。通うとるから、わかるのです。わかるって、写真機で向こうを写してわかるようなのとちがいます。向こうの心の中へ。はいり込んでいけるのです。慈悲心が常にない人であるならば、たとえわかっても助けることができるようなわかりようでありません。ただ、わかるというくらいのことです。
ここに書いてありますのは、人を助けようとする慈悲心の念願さえあるならば、神様はそれを助けるのに力をかすと、こう書いてあるのです。先生は、常に人のことを考えるということに、ご自分のこと考えるよりも、強いお考えをもっているので、だれが前にまわりまして、拝んでもらいましても、先生の助けようとなさっている心がはたらいているので、その人のことがよくわかるのです。同じわかりましても、わかりようがいろいろあるのです。慈悲にもえておると、ほんとうに助ける道がわかります。ところが、慈悲心でなくして、非常に人の短所をさがしまわる疑い深い人が拝んだならば、人のかくしておることを引張り出すことに専念しとりますから、それだけになってしまって、助けるという大事なことを忘れてしまうのです。その人の事はわかりますけれども、助かることとは違うのです。ここが大事なところです。泉先生がおっしゃったのは、ここなんです。人を助けようとするとき、親が子を助けるような真心でないと、助からんわけでございます。慈悲心というのは、これ位大事なのです。
前にもお話し申し上げたことがありますが、おばあさんが、小さい子供を西洋館の下で遊ばしておりましたところが、どうしたはずみか、高いところのガラスが抜けて落ちてきたのです。下で遊んでいる子供の手の上へ落ちて、指が切れたのです。その子はまだ赤ん坊の、はいまわりよる子です。するとおばあさんの手の指が動かなくなった。
「可愛いい、可愛いい。」と思っているそのおばあさんの慈悲心が、赤んぼうに通うたために、自分の指の神経が飛んでしもうたということです。こういうふうに他の方の心と、自分の心と、かようものなのです。それを先生がお書きになってあります。この慈悲ということは、非常に大事なことでございます。ただわかるというんじゃなくして、慈悲の心でないと、人が助からんのでございます。
(昭和三十七年七月三十一日講話)
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