301~310条

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第三〇一条 「心の力を知る人は、神の代理者となる資格があるものである。」


この心の力というのは、だれでもがあまり考えておりません。信仰するのには、心の力が一番大事でございます
心の力はどれ位あるかという事を知っている者は、これは神さんにお仕えがしよいという事なのです。たとえてみますと、この心の力と言うのは、六根に働くのでございますから、眼の力、耳の力、鼻の力、口の力、体の力、意の力、この六つでござりますが、どれ位の力があるものかといいますと、簡単なようですけれども、わかりにくい問題です。
そこで一つの例をおいてお話いたしますと、わかりやすいのでございますが、この例は何にいたしましょうか。目の力といたしましょうか。人間の目の力というものは、どれ位あるものかというと、どうですか、ここの野崎の土手の上から、徳島の城山の上の、あの天気予報の旗あげとるのわかりますか、一寸わかりません。何やら、揚がっとる位はわかります。ところが三角が揚がっとるか、丸いのが揚がっとるかという事になりますと、わかりにくい。
そうすると、まず二里かそこら位か力がないといってよろしいのです。この心の力という方から調べて見ようとします。これは、私が若い時分にやった事でございますが、この心の力を調べるのは、自分という者が、邪魔になるのです。どうしても自分というものを、おいといては実験が出来ないのです。信仰を実験など言うて、誠にご無礼な話になりますけれども、その力を調べるには、そうせんとわかりにくいのです。
ここに、こういう事やったのです。焼き塩を、あれを細くひくのです。ひきうすで白い粉にします。それから、こんどは、白砂糖の粉です。これも細くひいて、細い粉にいたします。そして塩と砂糖を二つ並べてみると、どちらが塩であるか、どちらが砂糖かわかりません。あんた方、置いてご覧なさい。それは、判りません。そこである一人の人において、自分という性根を寝かせてしまうのです。ちょうど催眠状態にしてしまうのです。そうしてその砂糖と塩とをたくさんの事あちこち、たくさん紙の上へ盛って置いておくのです。何十も。これを見て、指につけて、なめたら誰でもわかります。そういう事せずして、目で見てこれが砂糖、これが塩というふうにして、より分けて下さいと言うのです。すると、その人がハイハイと言うて、より分けるのです。それも、考えこまないで、とっとっと早く、あれこれと、両方へより分けてしまうのです。そうして、そのあとでなめて見るのです。ひとつも間違いありません。こういう人間の目に眼力があるのです。ところがその催眠状態を解いてしまうと、わかりません。元の人間にもどってしまうのです。
こういう例がございますが、これは、どこから力が出来てきたかという事です。もともと人間の心の中には、仏性というのがありまして、神仏と同じ働きをするのです。ところが人間という性根が、それを伏せておるのです。人間という性根で、巻いて、巻いて、巻きまくってあるのです。仏性をぐるりから巻いて、人間にしてしもうとるのですから、その仏性の働きが起こらんのです。巻いてあるふろしきをのけてしまうという事が、自分をのけると言う事なんです。無我という事です。そうすると、はっきりと目の力が出てくるのです。 又、耳の力も随分ひどいのです。耳なんかも、なかなか随分遠方が聞こえます。それから鼻の力なんか、調べて見ますと、あのセパードの犬などは、主人が行った後をちゃんと知っとる。あるいは、警察にもあの犬を使いますが、犯人が夜来まして、物を盗んで帰った。あの犬を連れて来て、においをかがせるのです。その犯人がどちらへ行ったか、ずーっとつけて行くというと、犯人をつかまえる事が出来る場合があるのです。これ位、セパードは、鼻がよくきくのです。ところが神の力を借りた人間に、これをやらせて見ると、なかなかセパードなどは、そばへも近よれません。人間の方がずっと上です。こういう力があるのです。 又、触覚とか、またこういう六つの働きがありますが、これを一口で心の力と三〇一条に書いてあるのですが、その心の力はどれ位あるものかという事を知った人は、自分の体験した人は、神様の代理が出来る。人の助けが出来るという訳です。この心の力というものは、たいした物でございまして、手前にもお話しいたしましたが、ピストルを二丁持って来て、二丁ピストルと言って徳島の劇場でやりましたが、ご覧になった人ありますか。ポケットの両方へ、ピストル入れとるのです。弾丸をこめて、そうして舞台の上で、的を撃つのでございますが、その的も竹の筒に紙を張ってあるのです。それを人に持たせてあるのです。それ撃つのです。何遍撃っても、その竹のつつんぽをたまが抜けます。一寸間違うと、人間の手を打つのです。それでも立派に的をぬきます。これ心の力です。私も軍隊では、ピストルを打った事ございますが、六発の中で私は四発しか当たりません。それがまだよう当たる分なんです。四十メートル位あいとるのです。ところが、ただ今のお話しした。二丁ピストルの人は、ポルトガルの外人でございますが、実にうまいんです。こういうふうに心の力というものは、実に人間の測量の出来ん位の力があるのでございます。
それでよく申します。神仏の力は、全智全能であると、昔から言うのでございますが、全智全能という事はどんな事でも知っとる、どんな事でも出来るという事です。それが全智全能という事です。これ皆、心の力でございます。
人間の心の力、そういう力が、だれにでもあるのでございますけれども、それを会って見た人でなければ知るということはできません。あるいは、自分がやって見たとか、そういう経験のある人は、神さんの代理が出来るという事を先生がおっしゃったのです。心は大事ぞと言う事です。それなら、そういう力はどんなにして、こしらえるのか、生まれながらにしてあるんであるけれども、まい込んでしもうとるのじゃが、どんなにして出すのかと、言う事になります。これを出すことが、すなわち信仰なんです。泉先生も、六○○ヶ条に書いてございますが、この六○○ヶ条に書いてありますような事を、実際に実行したならば、今申す心の力は十分発揮するという訳でござります。
この目であろうが、手であろうが、すべてこの六根を動かす力は、心でございますから、心を汚さないように、いつも朗らかに、心を使うようにしとけ、という先生のお教えでございます。
(昭和三十七年四月三十日講話)
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第三〇二条 「人の前に、自分を飾る事を知らぬ人は、真の人生を味わう事が出来る。」


これは、わかりやすくいいますと、人の前で自分の事を飾らないという事は、飾る事を知らないのですから、飾らないのです。自分の事は考えとらん。一切自分の事は考えとらんという人は、偉い人じゃという事です。泉先生は自分の事を、ちっとも飾りません。ふう見ても、えらそうな風なさらん。先生の風彩をちょっと拝見すると、失礼でございますけれども、いい山のおっさん位にしか見えません。自分を飾りません。それから、もし人の前で、言い訳せんならん事があったとします。先生ひとつも言訳なさらん。たとえば何時までに寄らんならんという時分に、つい故障が出来て時間に行けなんだ場合に、すみませんと言ったらあと先生おっしゃらんのです。こういう具合で、私は遅うになった。そういうことは、尋ねられたら、おっしゃるかも知りませんけれども、先生はそういう事を、私、長年おつきあいしましたが、おっしゃりませんでした。すなわち自分を飾らんという事です。
もうひとついいかえると、無我と言う事です。自分というのがないのです。そういう人、ございましょう。自分の事は軽く見とるのです。言訳を上手に言うのは、これは自分を飾りよるのです。私はわるうないのじゃという事を言っているのです。言訳は、下手なのがよろしい。先生いつもそうおっしゃった。「言訳はせんでもよい。下手な方がいいんじゃ。ほんま言うのがええんじゃ。」とこういう事を先生がおっしゃいました。
これについて面白い話がございますが、これも、以前にお話したと思います。今、まだ生きとる人ですから、お名前を言うのは一寸遠慮さしてもらいますが、先生のお弟子が、先生、ただ今から、八栗山へお参りに行って来ますというてお昼頃に出たのです。先生が「ああそうか、そら結構じゃな。お参りに行っておいで。」と言われた。そうしたところが、途中で、酒好きな人でございまして、酒屋の前を通るのに「おっさん、五合ビンわけてくれんか。」といって五合ビンを腰へさして、お参りに出かけた。津田の松原、今松が少のうなっていますが。はりゅう峠をどんどん行きまして そうして、そのはりゅう峠を越しますと、向うが鴨部になっとります。あの山の上へのぼって一服したのです。聖天様見えて居ります。腰にさしとる五合ビン出して、口からラッパ吹くようにしておよばれした。一寸一口と思うたのだけれど、一口飲めばおいしく、ぐうぐうと飲んで、とうとうビンをあけてしもうた。気持がようなってくるのと、お日様の照るのとで眠とうなってしまって、徳利まくらに寝たんです。ぐうぐうと寝てしまった。そうして、ひょっと目がさめた時には、早お日様は西の山へ傾いてしまっとる。「こら弱った。こらもうお参りせんと今から帰ろう。」
空ビンを腰にさして、津田の方へ向けて帰って来た。そうしてピンは店屋へ払うといて、そうして津田の先生の所ヘ、「先生、ただ今帰りました。」「早かったな。よかった。ほなけど、おまはん、お前様、何か聖天様に来てもろうたんか。おまはんが行ったのか」「へいへい。」「へいじゃわからんじゃないか、どっちぞ。」もうつまってしまうて 「こら弱った。」と頭をかきよったら、先生が、「おまはん、峠で寝たんでないのか。一寸休んだでないか。」 「へい先生休みました。」「そうか、堅い枕しとったんやのう。五合ビン枕にしとった。」「先生、五合ビン枕にして。」「そうか そうしておまえ、聖天様に来てもろうて、こっちへ帰って来たんじゃな。」「ええ 恐れ入りました。 悪い事しました。」「いやいや、悪うない。ほんま言うたらええ。うそいったら悪いんだぞ。」こういう事がありました。実に面白い話がありましたのです。その時でも、先生一つもおしかりになりません。ニコニコ笑うて、そうして言訳しない。自分を飾らんという事をかわいがったのです。その人はまことに正直な面白い人です。
先生に、ほんま言うて、先生がおしかりになるかと思うたら「それでいいんじゃ。ほんま言うたら、罪は無い。自分を飾らんという事をかわいがったのです。その人は、まことに正直な、面白い人です。先生にほんま言うて、先生がおしかりになるかと思うたら「それでいいんじゃ。ほんま言うたら、罪は無いんぞ。」と先生がおっしゃって喜んでいましたが、「こういう風に、人の前で自分を飾らんというのは、真の立派な人じゃ。「その事が良いことであろうが、 悪いことであろうが、人の前で自分を飾らないで、ほんま言うて、あやまっている人には、罪はない。」と、先生はおっしゃった。ひとつも怒りませんでした。怒るどころか、ニコニコ笑うて、かえってかわいがりよりました。
どうぞ皆さんも、おつきあいの上に、真心の人は、しからんのがええと思います。たとえやりくじっても、許すというのが、私はよいと思います。拝み合いの生活というのはそれです。手を合わして拝まないでも、やりくじったって責めない。かえってニコニコ笑うて、それをなだめる事が拝んだ事になるのです。拝み合いの生活という事は実に間柄が濃うなります。ほんとうにきれいなものです。何十人寄ったってほんとに面白くいける訳でございます。
(昭和三十七年四月三十日講話)
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第三〇三条 「いかなる人とでも、快く話せる人は尊い人である。」


これも先生の事を私が書いたのでございますが、泉先生が「村木さん、津の峰さんへいかんか。」と、お出でられたので、「お供します。」といって先生のお供して、徳島から汽車に乗って、那賀郡の方へ行きました。途中で隣の腰掛けに、腰掛けているお爺さんがございます。うつむいとるのです。私は眠たいのかと思うていた。その人に先生が、「ああもしもし、あんたおなかでも痛いんでありませんか。」はや先生は知ってござる。「腹が痛い。あの、私、腹が痛うて、おさえとるのでございます。」「ああ、気の毒じゃ、えらいだろうな。」先生は後から、さすってあげた。不思議と「ああお陰で治りました。有り難うございました。ああ、私、孫の家へ行きよるんですが、行っても困る、寝込んだら困ると思うていましたのに、おかげで直りました。有り難うございます。」先生は「私は別に何もしません。あんた運がよかったな」気持ようにお話しなさる。それを私、横で聞いておりましたが、ああ、先生は、ほんとうに、もうだれにでも気持ように話しなさる。向こうは、それにつられて、喜んでニコニコして話をする。
実にそういう人は、尊いと書いてありますが、これは先生の事を私が書いたのです。あんた方も見てご覧なさい。よそへおいでる時に、道連れがひょっと知らん人でも、愛想ように話して、気持のよい人があるでしょう。又、どんなおかしい事があっても、知らん顔して、顔をしかめている人もありますけれども、どうぞ、泉先生はどちらへ向いても気持よく、人に悪い感じを与えない。ほんとに立派なお方でございました。
これは、ただ心よく話せる人が尊い人じゃと、言う事に書いてありますけれども、つまり、これがこの人の徳の光りです。話が出来るという事も、自分が徳を積まな出来ません。人は人、わしはわし、という人であったら、そういう人になりたいのです。けれども、先生は、すぐ隣の人にでも話しかけて行って、ニコニコして話しなさりよる。愛想がええといいますか。先生は誠に、愛想のええお方でありました。そういう事が、どうかと言へば、徳を積む事になるのです。なぜ、愛想がええのが徳を積むかといいますと、人に感じがええんです。人が喜ぶのです。愛想がええと言うのは、人に感じをよくするという事になります。いいかえたら徳を積むという事になります。あの人は気持のええ人じゃと思わす人は、徳を積んだ事になるのです。たとえ道で一緒になった方でも、気持よく、そういう風にする事がええと思います。
あんた方このお四国参りにおいでた方は、ご承知だろうと思いますが、お四国の道で、向こうがこちらへ向いて、こちらが向うへ向って行く。つまり、すれ違いに行き違いになる場合がある。その時分には、必ず片方の手で前へ、こう拝むようにして、そうして頭を下げて、あいさつするのをご覧になった事あるでしょう。愛想がええでしょう。
それはお四国参りの時分だけなさるんじゃが、そうでない時、道で一緒になっても、汽車でも、どこでも見てごらんなさい。知らん顔しとるでしょう。どこの馬の骨な、という顔しとるでしょう。不愛想です。もの言わなくても、何か感じのええ気持であったら、人にそれがきれいに映るのです。愛想ように映る。もの言わなくても、それが何となしに気持がええ人じゃと映るのです。
それと、これはまあ、人の悪口いうようにあたりますけれども、汽車ばかりでありません。あの船ですが、船の三等室に乗ってご覧なさい。ようわかる。遅うに乗ったら、かしこまって、こまあになっとらんならん。先に乗った人は 足を投げ出しとる。あるいは寝とる。荷物をふしだらに、ほおり散らかしとる。それでも、先に乗ったら勝じゃ、という風になしとる人があるでしょう。これどうですか。ご覧になった事あるでしょう。そうして又、後から乗った人も遠慮しとったら、席貸してくれるんだろうけれども、これも負けておらん。折り折り私聞いたんですが「切符代一緒じゃ。おそう乗ったって、早う乗ったって一緒じゃ。足投げ出したり、寝たりしておって、あとから来たものどないするんぞい。」そう文句言いよる人がございます。「始めから、切符一緒じゃ。」いうて、理屈言うのを「誠にすまんけど、一寸坐らして下さいませ。」というたら、それは「いやじゃ。」と言う人ありません。どうぞ、そういう人と初めて知り合いでもない人におつきあいするのでも、矢張り、愛想のええ方がよろしい。感じがええでしょう。
私はこういう事が一遍あったのです。私が大阪へ行くのに小松島から乗りました。すると、私、今タバコのみませんが、その時にはタバコが好きで、根限りタバコをのんでいたのです。その横に坐っておる女の人が、ご主人らしい人と二人並んでおいでる。一人子供を連れとるのです。私はその前へ坐っていたのです。すると、小さい声で、こんなに言いよるのです。「けむたい。人中でタバコやのんで。けむたい。タバコのまん者閉口じゃ。」奥さんらしい人がそういうのが、私によく聞こえるのです。私、ほんにそうじゃな。大勢の中でタバコのんで、煙がいったらいやなんだろうなと思って、そっとタバコをのむのをやめて、そーっと消して始末したのです。すると向こうが、気に入ったのかしらん何も言いませんでした。ところが船がどんどん行きよる時に、連れとる子供が、あめくれといって、そのおかあさんにねだりよる。そしたら、袋から出して、あめ渡していました。その子があめ食べるのにへたくそで、口のはたから、手からぬりぼたにしとるのです。「ああ、この子ったらきたない。手いっぱいあめつけとる。」又しかられよるのです。おかあさんらしい人に。そうしたら、小さい子がこんど立って来る。私の後へすがりついたのです。
あめがついとる手で、私にすがりついたから、私の羽織にあめがついてピカピカ光りよる。「ああ、ぼいの人に、 あめすりつけた。どうするんで、人中であめたべて。」「私、構いませんよ。子供しは、あめ好きですから構いません。洗うたらなおります。」といって、私が我慢しとると、その人が先にタパコの事いったでしょう。恥ずかしいになったのか知らん、すーっと、どこへやら行ってしまったので、私の所が広うなってしまった。
こんな事がございますが、どうぞその人の事言うてすみませんけれども、そういう風に、いう方も中には大勢あります。けれども、こらえとるのが、一番腹が立たいでよろしい。まあ泉先生は、そういう事に気をつける為に、いかなる人とでも、心よく話の出来る人は、立派な人だとこう泉先生のご人格を書いたのでございます。
心よく話が出来るばかりでなく、おつきあいの上にも、角がないのがよろしい。あの、吉野川橋の下、見てご覧なさい。ばらすがある所もあり、砂がある所もありましょう。あのばらす見てご覧なさい。丸いのばかりです。それは吉野川の上流で山がざれて、ざれた時は角石です。それが何十里も川下へ流れてきて、あちらへあたったり、こちらへあたったり。波の為にもすれ合うて、そうして古川までくだって来た時には、丸くすれとるのです。最初は角があってもご信心なさるとか、おつきあいしているうちに、ほんに角のあるのはいかんなと、自分で悟るのです。下の方へ さがって来た時分には丸うなっとるという風に、人もおつきあいしよるうちに、人の欠点を見て自分が直す。自分の今まで、こりゃほんに知らんとしよったけれども、こうだと考え直す。もうあっちで覚え、こっちで覚えしているうちに、年がたつ。そうすると人格が円満になってくる。 こういう事になるのですから、どうぞ汽車や汽船の中で、どうも気持の悪いことする人がありましたら、それを憎むなと先生はおっしゃる。怒るな。そうして自分に、そういう事しよる癖あるか、ないか、考えて、もし自分にそういう事があったら、これは気をつけないかん。人の風を見て、自分の風を直したいものです。泉先生はそうおっしゃいました。泉先生がああいう立派なご人格になったのも、人がしよる事を見て、自分のを直した、と先生はおっしゃいました。わし悪言うの、すかんから、見せてもろうて、我がの手本にして、直したんじゃとおっしゃいました。
どうぞそういう風にして、自分を磨いておいでる事が、泉先生を信仰した場合に、泉先生がお喜びになると思うのです。どうぞ信仰もそういう風に、泉先生をお喜ばせすると言う事が第一の信仰でございますから、そうお願いしたいものでございます。
(昭和三十七年四月三十日講話)
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第三〇四条 「人の魂を磨く人は、善でもなく、悪でもなく、慈悲である。愛である。」


一般に信仰といいますと、損得の得を得ることがそうである様な事を、よく私聞くのでございますが、本来信仰と言いますものは、そういう経済的な問題でないのであって、つまり、魂をみがく、もうひとつ言い換えますと、人格を高めるという事でございます。それが、神仏の心にかないましたならば、必ず、そこに恵みを得るのであります。
これをおかげと言っているのです。ところが、三宝会の方方などは、本来正当に進んでおいでますけれども、世間一般の信仰をみますと、損得の関係を第一において居りますけれども、これは、大なる誤りであります。自分の魂をみがきさえすれば、必ず喜べる道へ出て行けるのでござりまして、その損得という問題は「従」たるものでございます。主たるものではありません。それを、損得を主におきますと、邪教という事になりまして、間違った信仰になるのでござります。そういう方は、えてして転覆しやすいのでございます。この三〇四条に書いてある事は、人の魂をみがくのは善でも、悪でも、そう言う種類のものでないのじゃ。慈悲心があれば、それでみがけてゆけるのじゃ、という誠に根本的な問題を、先生が見せて下さっとるのでございます。
慈悲というのは、どんなのかといいますと、慈というのは、母親が乳飲み子をだいて、いつくしんどる姿、かわいがっとる姿、これが慈なんでございます。悲というのは、哀れな状況になっとる人を、その身になりかわって、悲しんであげる。これが悲なんでございます。まあ慈も悲も、どちらかと言えば、ひとつのものでございます。人の心になって人を哀れんであげる。慈悲心がありましたならば、自分という事がないようになるのです。みてご覧なさい。
自分が先へ立ちますから、損得いうのです。それは損だ、得だ、だれがな、といえば、自分がという事になる。そういう信仰はないはずなんでございまして、それは人間の損得の問題でございますから、誠に気の毒な道でございます。
信仰の道は、慈悲心さえあるならば、それでひとりでに、心がみがけてゆくんだと、いう事です。ところが、泉先生がよくおっしゃっとりました。幼稚園あたりの遠足ですと、ねえさんとか、おかあさんが、ついて行くのです。
ちょいちょい遠足に行くのですが、そのかわいらしい子供が行きょる途中で、石につまづいてころげる。その時分には自分の家の子がころげた場合には、どこぞ打ちはしなかったかというて、着物をまくって、ひざから足を調べて見て 泣いていたら、さすって、さすって、実に至れり尽くせりの心配をしとるのでございます。しかしよその子がひっくり返っていたら、起こす位はしますけれども、そう自分の子を心配するような事はしない。それは、どちらへ向いても、隣りの子であろうと、遠方の子であろうと、自分の子であろうと、それは等しく哀れみをかけてあげなくてはいかん。
これが信仰の根本ぞ、ということを先生がよくおっしゃいました。その事を、三〇四条に書いてあるのでございます。 まあこれは、前にもお話ししましたが、自分の子が頭にものが出来て、頭がかさぶた頭になっているのでしたら、かゆいかゆいと言うと、かいたら血が出るものですから、なでてやる。さすってやる。自分の子のかさぶた頭であったら、けっこうするけれども、ほかの子であったら、鼻汁出しとんでさえ、ああきたないといって、さわりもせんというのは、これは区別がひどすぎると、先生がおっしゃいました。
なるほどよく考えて見ると、そこです。すなわち慈悲心です。子供に限りません。大人でも、お互いに慈悲心というのがあるならば、もう信仰はひとりでに出来てくるのです。慈悲心がない場合には、必ず、我心と申しまして、自分がよかったらええという心が強いから、慈悲心が起こらんのです。そうなってくると、信仰が我が身息災の信仰になりますから、ほんとうのお陰は受かりません。泉先生は、いつもおっしゃっとりましたが、最初先生は、船に乗っていたんです。漁船に乗り込んで漁に出るのです。そうして帰って来ますと、その分け前をくれる。先生は、分前くれた金は持ってお帰りになったならば、おとうさん、おかあさん、ご家内、子供という風に、人の食べて行くところのものを、お買いになるのです。しかし、その前に人間が食べるものより先に、神さんの前に供える油・ローソク・線香・マッチというものを買いになるのです。その次に、今申したように家族の人が食べる、お米とか、お味噌とか、塩とか、こういう物を買うのです。そうして、あまったらどうするかというと、お参りに出かけるのです。
近い所に観音さんがあります。八幡さん、金比羅さん、それから、雨滝の金比羅さん。山の上にあります。何しにおいでるかと思うと、お参りは、神さんの前へ行ったら、「あい」と言うと、それでいいのです。先生は、その途中で困っとる人は居れへんか、もし困っとる人がおったら、そのお金あげるのです。そして、何もそういう人が居らなんだら、こんどぶりは、あの八粟山へ行く道に観音さんがあります。角に大きな松がありまして、その観音さんのさい銭箱の中へ、ザーッとうつしてしまうのです。これが先生の日頃のなされかたでありましたが、そのなさりよる事をみますと、全く三〇四条に書いてある通りなのです。まずわが家の神さん、仏さん、それから人間、あまった物は世の中の困っとる人に、こういう風にご自分のお家の事を考えると同時に、世の中の人を考える。すなわち、慈悲心がお強いのです。自分のご家内に向いて慈悲をかけるのも、人に向いてかけるのも、同じなんじゃと、そういうお心ですから、別にお師匠さんもなし、お経文読んだんでもなければ、お一人であれだけの立派な生神、生仏と人にあがめられるところの地位までに、お上がりになったんでございます。この三〇四条は、簡単でござりますけれども、大事な事を書いてあるのです。
これはよくわかります。自分でためして見ると。あんた方が、日頃世の中でおつきあいなさる事、家族の間の暮らし方、これをじっとお考えになった時、自分でに慈悲心があるか、ないかわかります。泉先生はそういう教えぶりですから、実に有り難い教え振りでございます。慈悲心さえ出来るならば、家の中、丸うになります。世の中へ向いては人に喜ばれます。尊敬せられます。大事にせられます。そうすると、自然家の運がよくなります。という事はあたりまえでございます。信仰には慈悲が一番大事ぞという事を先生がお教えになったのでございます。
(昭和三十七年五月十五日講話)
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第三〇五条 「万事ぬけ目のない人、必ずしも偉い人とはいえぬ。欲の為にだまされてはつまらぬが、子供のようにだまされやすい人には偉い人がある。」


こういう面白い問題でございますが、三〇四条に申しましたところの慈悲心、その次に三〇五条は反対なんでございます。慈悲心がないとどうなるかというと、万事抜け目がないようになるのです。自分の事を第一に考えるのでございますから、人にだまされん。人に損をかけられん。いらん事には一切出さない。自分の事には使うけれども、まず一円硬貨を二つに割ってでも使うと、こういうような、万事抜け目のない暮らしかたになる訳でございます。慈悲心がなかったらです。それなら万事抜け目のない人というのは、必ず考えのよく出来る人なんでございます。そういう人の中に偉い人が居るかというと、万事抜け目のない人の中には、えらい人がおると言えんというのです。
先生がおっしゃるのは、むしろだましやすいような、子供みたような人に偉い人がいる。出世するえらい人がおる、と先生がそうおっしゃったのを私が書いたのでございます。
よくお考えなさって、ご覧なさい。あのお釈迦さんは、だましよかったといいます。抜け目のない人は、だましにくいのです。どうして、だましにくいのかというと、疑い心がありますので、一も二もなく、人は悪い事をするものと疑うからです。それだからだましにくいのです。お釈迦さんは、「わしだまされてもかまわん。向こうが、助かったらええのじゃ」というお考えですから、無邪気に見えるのです。ごく人がええように見えるのです。そしてだましやすいのです。だましやすいですけれども、だましたんでないのです。向こうさん、乗ってくれとるのです。
こういう事は世の中によくあります。先生は、「抜け目のない人になるよりも、子供のように、だましやすいような人になれ。しかし、わが欲の為にだまされるようではいかんぞ。」と、先生はくさびをさしてあります。欲の為にだまされやすいのは、どんなのかといいますと、「こんどこういう会社みたようなものこしらえようと思う。こんなもうけがあるんじゃ、これにひとつ株式にして、一口五十円にして、株持ってくれへんか、こんなもうけがあるんじゃ。」こういうて来たとするのです。万事抜け目のない人は、それを調べてないと、はいりません。又そういう事は欲に関係がありますから、よくないのですが、だまされやすい人といいますと「ああそうかい。ほんなら私。一株持とうか。」というような、欲の方の算用から、「そいつうまい。」というのでだまされやすいのです。 それではいけないと言うのです「私は、もうもうけいでもよい。私は働いとったらええんじゃ。」という子供のような人は、だましにくいのです。欲の為にだまされやすいのよりか、ええんだと、むつかしい事です。これ、ちょっとわかりにくいところですが、泉先生が、この三〇五条の事をおっしゃったのは、抜け目のないというて、損しないというような人になるなというのです。あずない人になれ、だまされやすいのがええのかと言うと、それは、そうでないというのです。欲の話をしたら、すぐだまされるような、その欲の為にだまされやすい人になるなというのです。
子供らしい、可愛らしい抜け目のない人なら一番よいのです。こういう風に先生はいつも信仰の事には、人間の魂をみがく事をお話しなさっています。信仰のむつかしい理論はおっしゃりません。それよりも、人間をみがくという方向に先生はお力を入れたという、ここなんです。だまされやすい人になれ。むつかしい人になるなという教えでござります。
(昭和三十七年五月十五日講話)
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第三〇六条 「涙は、神に救われるかぎであるが、人に見せるべきものではない。」


これは、どういう事かと言いますと、涙というのは、神さんのご縁が出来るもとだというのです。しかし、その涙は人に見せるべきものではないというのです。どういう事かと言いますと、涙が出る時は、皆さん、つらい時分に出るのに違いないのです。困り切った時に、これどうしように、困ったなあと言う時でないと、涙は出ません。つらいなあ、そういうつらい目に会う事が、神さんのご縁になる元じゃ。神さんに救われるかぎじゃという事です。つらい目に会うたら、神様仏様のご縁が出来る。しかし、つらい涙は人に見せるものでないという事は、どんなのかというと、人に言うべきものではない。それは愚痴になるんだ。神さんの前へいって、「神さん、こういうつらい目に会いました。どうぞ、助けて下さいませ。」と命がけ一筋に願うたら、お陰が下がるのです。おかげ受けます。そうして、先生は「つらい事があっても、嘆くな。神さん、仏さんのご縁が出来るもとじゃ。」と、こういう風に解釈しとるのです。先生は、ここが大変大事な事だと申されました。
一般、世の中を見ますと、「うちはこういうつらい事あるんぜ、ほんまにつろうてな。」と、言うて、人に涙を見せよります。涙を見せると言う事は、口で話しする事も入っとります。それは、ひとつの愚痴になるのです。そういう涙があった場合には、人に見せるべきものでない。神さん仏さんの前へいって、どうぞ、頼みますといえ。するとそれがご縁が出来るもととなる。先生はこういう風に、つらい事をかえって喜びにかえとります。それでご縁が出来る訳です。まあこの困らずして、太平無事に行きよる内に、神さん仏さんのご縁が出来るやいう人は、それはよほど前生のよい人でございまして、慈悲心がはやもうあるのです。慈悲心がある為に、神さん仏さんのご縁が出来るのです。これはお釈迦様が、そうでありました。お釈迦様は、別に、困ったという事ありませんでした。おつらいや言う事もありません。大きな王城に生まれまして、王城に生まれて、太平無事なお暮しをなさっとったのです。 ところが、お釈迦様が門を出られて行きますと、葬れんに出会った。「あれはどうしたのだ。」「あれは、だれそれが死んだのでござります。」家来が申しました。「ああそうか。ああ、あの人なあ。人間というのは、どんなえらい人でも、やはり、年が寄ったら、死ぬのか。どうして死ぬんだろう。死というものは、まことに気の毒なもんじゃな。」そうして、その日は、外に出るのをおやめになって、お城へ帰ってしまわれた。こんど、又出ておいでていると お百姓が田んぼにでている。そして、唐ぐわで、畑を掘っていると、かえるが土の中にいたのを、はり切った。
「あら、唐ぐわではり切った。」はり切られたかわずを見られて「ああ、かわいそうじゃなあ。人間にもあんな事あるんじゃなあ。」けがしたり、病気したりすると、そういうところへ、戸板でかついで行きよる。「あれ何ぞ。」
「あれは、どこそこの人が病気になって、今医者の所へかついで行かれるところです。」「ああ、そうか、病気というものも気の毒じゃな。」こういう風に、見るもの、聞くものがお釈迦様には非常に苦痛になったのです。ご自分が、つらいばかりでないのです。それどんなにかして、そのつらい心を助けてやれんものかいな。この人間には、四苦八苦というものがあるが、どんなにかして、これ助けてあげられんもんだろうか。こういうご苦痛があったのです。
これは、ご自分は太平無事であるけれども、慈悲心があるから、そういう心がおきて来たのです。普通の者は、涙が出るほどにつろうなかったら、神様のご縁が出来ん。だから、つらい事があっても嘆くな。かえって、そのつらい事がある為に、大きなおかげがもらえるんだと、先生は、こう教えとるのでございます。それが三〇六条でございます。
困り抜いたら、ご縁が出来る。まあ慈悲心さえあるならば、困らなくても、思いやりの為に、神仏の道へはいれるんだ。先生はこういう風にすべての事をご覧になっておられます。それで、先生のご性格が、涙というものは、人間は愚痴に陥いるんだ。愚痴こぼさんと、神仏のご縁をつなげと、こういう風に教えとるのでございます。
(昭和三十七年五月十五日講話)
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第三〇七条 「光ある所には、必ずやみがある。やみを透して光を見て、やみを尊ぶのが、真の道である。光のみにあこがれては、いつまでも、光りの尊さはわからない。」


これは、非常にむつかしい事でございますけれども、これを、わかりやすく申しますと、明るいという事は、必ずそこには、暗いものがあるんじゃということです。そうでしょう。お日様が照っとる所で、ひとつ棒か何かを立ててごらんなさい。必ず、そこに陰がうつります。光というものは、必ずかげがあるのである。すなわち、やみがあるのです。その闇を透して、光を見て、暗い方を考えて、そうして明るい方を尊ぶのが、本当の道じゃと、こんなにむつかしいのです。
ただ今三〇六条でお話ししたでしょう。涙が出たら、つらいという時、すなわち暗い時でしょう。うれしいという時は、明るい時です。そこで暗いという事を透して、明るい方を見るというのは、どんなんかといいますと、私は今困っとる。どんなにかして神仏に助けていただかないといかんと困る、とすがって、始めてお陰をうけて、明るい所へ出て行くんでしょう。これを、やみを透して、明るい方を見ると言うのです。むつかしいでしょう。おわかりになり ましたか。やみというものが無かったら、つらいという事が無かったら、人間は出世しないのです。そのつらいというのを、つらいと愚痴こぼさずして、神仏にすがって、明るい道へ出て行く事を教えていただいて、そして明るいところへ出て、やれうれしやという、これが光の方です。こういう風に、泉先生は、お考えになるのです。このやみを透して明るい方を見る。そして、つらい事があったのが元で、わしは助かったと言うたら、そのつらい事が、暗い事が、尊い事になるでしょう。あの難に会えなんだら、こんな有り難い道を知らんのであった。こういう風に考えて行く事が、やみを尊ぶという事です。あんた方、日頃お暮らしの中に、ああ、あのてまえに困った事がなかったら、この有り難い道がわからんのであった。こんな事おっしゃりよる事あるでしょう。尊い神の力にすがっておかげをうけた人は、皆そんなにおっしゃるのです。ああ、あれが無かったら、私は、神さんや仏さんの道知らなんだ。ああ有り難い事であったと、こういう風に泉先生はいつも暗いというのは、必ず明るい反面だからして、暗い事によって明るい所へ出られるんだから、心配すなとおっしゃったのです。
「これは大変結構な先生の教えでございまして、この虚無僧が、尺八吹いて来ます。そして前へ箱つっとります。
あの箱に、明暗と書いた箱つっとるのが多いのでございますが、みてご覧なさい。明というのは、明るい。暗という のは暗い。明暗と、この二つの文字を箱に書いて、首につっています。お坊さんならば、ずた袋といって首へつっておいでます。山伏さんでありましたら、前へ箱つっています。それに明暗と書いてあります。明暗は、何かというとただ今お話したように、お陰を受けて、明るいうれしいというものと暗い、つらいというのとは裏表になっとんであって、ひとつの事じゃと言うのです。見ようによって、二つに見えるけれども、暗い所があるので、明るいところのお陰がうれしい。始めから、明るい所ばかりにおった人ならば、平々凡々になってしまって、おかげが受からんという事なのです。そういう事がよくございます。これは、次の三〇八条に書いてありますからよく見てご覧なさい。
(昭和三十七年五月十五日講話)
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第三〇八条 「あまり、神の恵みが、すみずみまで行き届いている為に、その中に住んで、その有り難味がわからぬ。船室の中にいて、船の進むのを知らぬのと同じ事である。何事も困り抜いた時を考えてみれば、有り難い。死ぬ事さえもありがたい慈悲がわかる。」


三○七条と三〇八条は、裏表になっております。これは、あなた方が、経験なさった事があると思います。大きな分限者で、何もかも金で自由がきく。何ら不自由がない。着物買おうと、おいしいもの買おうと、又よそへ行くのでも、地面を歩かなくても行ける。こういうふうに暮らしている人がありましたならば、神仏の有り難味を知らん場合が多いのです。あまり恵まれ過ぎていますから。お釈迦様のような王城で生まれてさえも、ああいう偉いお方になれたという事は、珍らしい事でございまして、慈悲心があったから、そうなるのです。あまり恵まれ過ぎると、有り難味がわからんのです。そこでごく平和な、大きな、楽な、おうちに生まれた場合には、慈悲心を持たなければ、落第すると言うのは、ここなんです。えてして、そういう所へ生まれまして、えろうない人でございましたら、人をあごで使います。おれはえらいんだと、生まれながらにして、そう思うとるのでございますから、どうも他人を軽く見るのです。
昔、殿様に、馬鹿殿様というのがありまして、幼い時からあごで人使って、気に入らないと、すぐ刀を抜いて斬ったりする。その馬鹿殿様の事は、よく話に残っております。話の事でおかしいのでございますけれども、昔からそういう事を言うております。たとえば、殿様の子が、まことに馬鹿殿様という、若殿様ならええけれども、人が馬鹿殿様という位に事が分らん人があった。ところが、ある川において、若殿様が渡舟で向こうへ渡っている。わしが乗る舟は、外の者乗せんようにしてくれと、お一人乗って、家来連れて向かいへ渡っていたところが、向こうからも渡舟がきていた。ところが、その若殿様が見ると、向こうの舟が早いんで、「あの舟早いな、あの舟何という舟な」、「あれは、殿様、行き違いの舟でございますから、早いんでございます。」「そうか、それなら、こんどわしが乗る時に、行き違いの舟をこしらえと言うとけ。」こういう話を落語家が、するのでございますが、行き違いという舟というのはないはずでございます。こちらの舟から向こうの舟見るから、早うに見える。けれどもその理解が出来ん為に、行き違いの舟に乗りたい、と言うたそうでございます。
こういうように、誠にその身分が高いから、自由勝手に暮らしとりますと、事がわからんようになるのです。わがままになりまして、「オィオィあの屋根の上に動きまわっとる人間見たような、あれなんなら。」「あれ、左官という。 鳥でございます。」まさかそんな事いう、ほんまにする馬鹿殿様ないでしょうけれども、人間というものは、座敷で居るもので、屋根の上のは、あれは鳥じゃといえば、それさえほんとにする。
秦の始皇帝という、支那にえらい、えらいといいますか、支那四百余州を治めた王様があります。ご承知でしょう。 あの満州の北の方に 万里の長城という、山の上に城を煉瓦でついた。万里の長城というぐらい長い。あれは、秦の始皇帝が築いたのです。つまり北の方に強い蕃族が居りまして、支那へ攻め込んで来たら、都合が悪いと言うので、煉瓦で大きな土手を築いたのです。今でいうたら、砲塁ですね。それ位の大きな仕事をした秦の始皇帝なんです。そうして、支那四百余州を治めて、実に並ぶ者がないという、威光を示したのでございますが、その秦の始皇帝のお子さん、すなわち、第二世に、ひとつも事のわからん人が生まれたのです。生まれながらにして、人が自由にお給仕しますから、なにもかも事がわからんようになって仕舞ったのです。慈悲心がありませんから、気に入らんと、すぐに刀抜いて斬ったり、皆がおじていたのです。ところが第二世は、馬と鹿とがわからん。あの背の高いもの、あれなんな。あれ馬か。鹿見ても馬とおっしゃる。馬と鹿と書いて馬鹿と読みますが、馬鹿というのは、そこから始まったと、はなし家は言うのでございます。私は始まったもとは知りませんけれども、馬と鹿とがわからんような事になるのでございます。 これは何かといいますと、泉先生は、おっしゃる。あんまり恵まれ過ぎていますから、つらい事知らんのです。わがままになって仕舞う。こういう人になったらいかんから、恵まれ過ぎておっても、慈悲心を子供に養え、と言うのです。自分がよかったらええという性根は、やがて落第して仕舞う。どうぞ、いかに立派な家に生まれた子であってもそれはご先祖がえらかったので、わしは作ったもんでないと。こういう風に考えて、自分の値打ちを下げて、人に向いて慈悲心を使うという風に教育せねば、家が、年が、あいてしまうぞという事を、泉先生がおっしゃったのでございます。実にその通りです。余り恵まれ過ぎとる家庭でありましたなら、どうぞその財産を世の中の為に、慈悲心に使うように、子供をしこまないかんと、泉先生がおっしゃったのはここです。
ちょうど、この三〇八条は、三〇七条と裏表になっとるのでございます。あまり、すみずみまで、神様仏様の恵みが行き届いたら、その家はもうやがて没落をするぞと。こういう家には、教えがいるんじゃと書いてあります。 三〇七条は涙というのは、つらかったら神様仏様のご縁が出来ると書いてあります。三〇八条はあまり恵まれ過ぎた ら、ぼんやりが出来ると、こういう事を書いとるのでございます。どうぞ、そこを照らし合わせて見て、何が一番大事かと言うと、慈悲心という事、あまり恵まれ過ぎると、慈悲心で人間をみがかないかんと、つらい目に会うたら神仏にすがって お陰を受けないかんと、どちらであっても、これは、つらかっても、ご縁が出来る。あまり恵まれ過ぎとった場合には、慈悲心で神様に救っていただくと、ちょうどお釈迦さんのような訳です。こういう事を、泉先生はおっしゃった。実に名言じゃと思います。
(昭和三十七年五月十五日講話)
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第三〇九条 「愛を母として生れ出た智恵は、真実の智恵である。」


人の心に慈悲というものが表れてこそ、信仰の神仏に通ずる心になるとこういう事です。慈悲といいますと、度々申すのでございますが、慈というのは、母親が今生まれたばかりの赤ちゃんの事を思う心、いつくしみです。上から下へ見て、これをかわいがるという心です。悲というのは、非常に気の毒な立場に立っておる人をみて、その人の身分に思いやって、自分がそうであったらどうだろうかという、同情心です。これが悲、そして慈も悲もよく似とるものでございますが、その慈悲の為にわき出てくるところの知恵、これが、神様に通ずる知恵だとこういうのであって、慈悲でない知恵は、学校あたりで教えとるやはり道徳上の慈悲というのは、力がうすいのです。
このほんとうに向こうの事を思いやるという心は、とても強い力があるのであって、たとえて申しますと、私の小さい時に、私をおんぶして大きくしてくれた、でっちさんがあるのですが、その長やんが戦争に行きました。一人子です。おとうさんは、源さんという方でありましたが、その一人っ子が、戦争に行って、戦死したんです。そして、おとうさんと、おかあさんとが、つい近くの田んぼをなさっとった。まあ二人は、田んぼをしながら、お話しをしておったそうです。「ああ、今頃、健四郎どうしとるだろうな。まあ戦争があったら、こっちは案じても及ばず、随分苦しい事しよるだろう。」こういう話しをして、田んぼをしていたのです。ところが、にわかに、おとうさんが、「ああ、今、健四郎が帰って来た。そうして家へ入って、障子明けたぜ。」と言ったんです。ところが、その妻君は「まあ、おとうさん、そんな事あろうはずがないで、今、戦争に行っとんのに、家へ帰るもんか。」「ああそうかな、ほんに、た しかに今、健四郎が帰って来て、前の障子明けたぜ。」おとうさんは、そう言い切るんです。まあ妻君は「そんなはずはない。」と、人間の理屈を言うとる。おとうさんは「そらそうだ。私が間違うとったかな。」そうしている所へ役場の方から、ほんとに、こんどは公報持って来た人がある。今、人が来たからというので二人が帰ったんです。 戦争の事を心配しよりますから帰ってみると、健四郎はんが、戦死したという公報がはいったという話があるのでございます。これは事実談でございます。 こういう風に、子を思う慈悲です。その慈悲心から、すでに戦死して公報がはいりよるという事が、暗に通じてきとるのです。そういう、神に通ずる力が表れて来るのも、慈悲からです。まあ慈悲といえば簡単な言葉ですけれども、慈悲の力が非常に表れた場合には、自分の命さえも惜しくない、分けてやりたいくらいにまで行くもんですから、慈悲の力というものは、慈悲の力を母として、生まれた知恵というものは、満州でもわかるというぐらいに、驚くべき力を発揮するということを、先生がおっしゃったのを、私が書いたのでございます。こういう例は、いくらもあります。驚くべき力が、表われてくるというのは、大低慈悲の力です。慈悲を欠いた、単に道徳上の道徳の力も悪い事はありませんけれども、理屈にするのです。慈悲というものは、もう理屈を抜きにした、理屈を超越したところの強い力が表われるのです。弘法大師が、色々奇跡を残しておいでる。泉先生が大勢の人を助けて、奇跡を残しておいでるというのも、これも皆、慈悲からです。
ところが、人間という者は、欠点がありまして、自分の子だとか、親だとかいう風に、血筋の通っとる者の外は、比較的あまり慈悲がわいてこない。これは、人間の悪い癖です。偉い人ほど、自分の肉親だとかいうような考えはないので、一視同仁といいまして、だれを見ても慈悲心がわくのです。これでこそ、初めて聖人とか、大人とかいうような、人格が現われる訳なのでございます。
どうぞ、泉先生の常々のおっしゃっとる通り、慈悲と言うのは、だれに向けても、使わないかんと、自分の肉親の通うとる者だけというような事では、肉親の延長が親せきですから、そんな狭いのではいけない。どちらを向いても、慈悲心にわくというような、性質を持っとれば、神に近いところの知恵が出て来るという事をよく先生が言われたのでございます。
(昭和三十七年五月三十一日講話)
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第三一〇条 「愛しようとして愛し得ぬどころか、逆境に立った時には憎しみが湧いてくる。これが人生の悲しみである。ところが自分の真の価値が、外のすべてのものから来ている。たとえそれが逆境に立たされた時でも、その逆境そのものが、やがて来るべき楽土の道筋である事を思えば、何一つとしてよりよく進む大法であると思える。このように見れば死さえも感謝の心が起る。
この心こそ真の愛の心でないか。そしてすべてのものの動きは、 神の司宰である事が直ちに心に写って来て、初めて神に逢えるのである。この神秘な感謝を生み出す道すじは、学問や理屈で研究できない。只儚い人の悲しみから過去幾千万年昔の祖先にさかのぼり、祖先がいかに悲しみぬいてくれたか、そして助かろう助かろうと努力したのぞみが、段々或る大きな力にめぐまれてきている道すじを知って、はじめてこの大きな力、すなわち神の慈悲の広大無辺な事と思えるのである。ここに神に逢える機会ができたのである。逢ってみると、神はそんなに飛び離れたお方ではなく、我が大親であることがわかる。そして又、 何ものでも恵んでくれる、なつかしい親であることがわかる。 ここに至って人の悲しみは一変して、とても人間には味わうことのできぬ喜びに恵まれる。この理解の知恵が、人間のみに許されている事を思えば、人の身を、この世に受けただけでも、 この上ない喜びである。これを喜ばないで、他に何の喜びがあるか。」


えらい長いこと書いてありますが、これを簡単に申しますと、人は境遇のよい方、あるいは悪い方、色々おつらい家に生まれた人もあるし、楽な家に生まれた人もあるし、種々万別でありますけれども、その逆境に立った場合というのは、つらい家に生まれたと言うような意味です。非常に運の悪い、つらい家に生まれたという事が、考えようによると、それがかえって、自分というものを、大きくする元であるという事を考えないかんと、先生はこういう事をおっしゃるのです。まあ金はあり、健康に恵まれとり、家柄もあり、という所でスイスイと大きくなった場合には、そらもう、うどの大木というようなもので、平凡に一生暮れてしまう。かえって逆境、つらいところの家に生まれた人は、非常に心の出世が出来るのである。こういう事を先生はおっしゃって、つらい思いをさせないように、常におっしゃっておりました。
たとえば、大きな家に生まれます。金の価値というものを知らない。ところが、苦しい立場の家に生まれて来る。そうすると、これは実に何事をしようと思うても、思うようにまかせん。どうしても、わが家を起こさなならん。こういう奮発心が出来てくる。そうすると、欲と言うんじゃなくして、父母を楽さしてあげたい。あるいは自分のおつきあいする人に対して、気持のええ感じをさせてあげたいと思う。それにはどうしても、ある力がいる。これを勝って得んとすると、思う事がかなわんのです。そこで、いわゆるひとつの慈悲です。欲じゃない。慈悲です。慈悲の心が湧いて来て、ここにもうひとつ強いところの家庭を作りたいという希望のもとに、働いて行くならば、思う事がかなうのです。あとへ振り向いて見ると、その逆境に立ったという事が、その人を楽にする元になるんですから、かえって逆境そのものが、人を作るという事のたりになるのです。決して、つらい家に生まれたという事を、愚痴こぼすようでは、おかげをうけられない。極端に言うなれば、貧乏の家に生まれて、かえってよかったと、こういう考え方が出来るのである。こういう事をもう一つおし進めて行くならば、こんどは死ぬという事さえ喜べるようになる。
これぐらい泉先生のお説は超越しとったのです。
だれでも死ぬという事は、一番つらいでしょう。ところが、泉先生は、感謝の生活、喜びの生活を得て、それが癖になってくると、死そのものも、喜べるんだと、先生おっしゃったのです。なぜかといいますと、皆さんが、まず神様にお願いするのは、まず健康でしょう。それは結構です。健康を願うという事は結構でございますが、もしも死ぬという事が無かったらどうだろう。もし人間が望む通りに、生き抜けが出来るのであったらどうなら、と、考えてみますと死なんのでございますから、もう人間は力が腐ってしまう。
どういう風に腐るかといいますと、かぜ引いても死なんのじゃ、薬や飲んで何するか、物食べんでも死なんのや、 仕事しなくとも、楽なもんじゃ。冬でもかぜ引かん。雨露にぬれたとて心配ない。死なんのだから。こういう風に、 そのつらい死というものがないという事にならば、もう人間は、実に哀れはかない動物になってしまうのです。努力するという事が、腐ってしまうのです。そういう結果にもなるし、又もう一面から考えますと、死なんのでござりますから人を助けなくてよい。ほっておいたとて死なんのです。戦争したって、鉄砲の撃ち合いしたとて、玉がブスブス抜いてはちの巣見たようになったって死なんので、勝負つきません。
こういう風に死というものが、もしないのならば、人間は努力しません。神さん仏さんに頼む必要がない。こういう風になると、まるで下等動物と同じような性根になってしまう。だから、神様はすべての物を変化させ、こわして新しくするという風にし向けております。人間も、殺して生まれさすという訳でありませんけれども、ある程度になくなって死んで行くというので、はじめて人間世界が進んで行くという事になる訳です。泉先生は、そういう風にお考えになっとるのです。死ぬ事さえも、順に死ぬなれば、有り難い死に様である。ここが泉先生が人と違うところです。
死さえも喜べるんだと、こういう風に先生はおっしゃっとります。
それともうひとつ、こういう事になる。我々がここへ生まれてきとる。先祖の事思うた事あるか。先祖がどんなに苦労してくれたか思うた事あるか。先生おっしゃいました。なるほど、これ、ええお言葉であって、まあ自分の親とか、ぢいとか、ばあとかの時代の事を考えるならば、そんなに考えませんけれども、何十代、何百代、何千代と古くなるほど、祖先は苦労しとります。どういう苦労しとるかと言いますと、あなた方ご承知でしょう。マンモスという目方が何百貫もある大きな象の種類があります。そういうものが、土地から化石になって出て来ています。今大きな、象は残っていますけれども、マンモスのような大きなものは今ありません。それから空を飛ぶところの爬虫類、蛇の種類です。羽根がはえとんが飛竜という飛ぶ八虫類です。八虫類といえば、とかげのようなかっこうして、それに羽根がはえとるのです。歯はのこぎりのような歯を持っています。その目方がどうせ、今の化石から判断して見ますと何百貫もあったでしょう。そんな大きな物が、空を飛び回っておる。そういう時代があった証拠には、ただ今化石になって出てきよります。
その当時に、人間というのは、どんなかっこうで居ったかといいますと、もうさるまで進んどらんというような、 哀れな動物であったという事が、化石の上からわかるのです。そうしたら、人間は武器持っとりませんでしょう。 まあ、つめといったって背中をかく位、歯というたところで、まあ芋にかみついて、食う位の歯です。けんかする歯じゃありません。体には何にも武器持っとりません。毒も持っとりません。こういう弱い動物ですから、そのは虫類時代には、おそらく隠れ回っとったんに違いない。あちらの岩の穴、こちらの岩の穴へかくれて、こそこそと何か食べに出ていて、大きなのが来ると、そらっと逃げ込んでいた。そういう先祖は苦労の世界を「経て来て」下さっとるという事は、論より証拠、明らかなもんでございます。そんな事を考えると、我々は今日、全生物の世界を征服してしまって、生物の王様みたような具合になっとるでしょう。いかなる猛獣といえども、ただ一発の鉄砲のもとに、向こうは、はねかえってしまう。もう生物の世界は、人間が占領しとります。これは、先祖が非常に苦労した結果考え出した、くふうで、わが同類を守るという事になっとるのでございます。その事を考えますと、子孫を、武器一つ持たなくても、こういう立派な、世界に住めるようにご先祖がして下さったという事になるのです。これは、今日の動物学の上から言うても、明らかな証拠がございます。
それで、人間界に生まれて来たというだけでも、有り難いと思わなならん事になる訳です。そういう事を考えた事があるかと、泉先生はおっしゃられた。先生は人間に生まれただけでも喜ばないかんとおっしゃる。私などは、恥ずかしながら、年二十七にして、先生に会うたのでござぃますが、それまでは、人間に生まれてよかったという事は、考えた事ありません。そういう風に、泉先生は、ご先祖の苦労した事を考えて、今我々が世界の生物の王様になっとるという事は、今、にわかに、我々がなったんでないのであって、先祖が苦労した結果、子や孫を苦労させまいと苦労した事が、今日の人間界を作ったもとでござりますから、ただ人間界に生まれたというだけでも、手を合わさないかんと、泉先生はおっしゃった。その通りでございます。ただ、もっ体ない。有難いと拝むのじゃなくして、我々の歴史から、考えてほんとに大きな大恩を、先祖から受けとるという事は、歴然たるものであります。 その事を泉先生がおっしゃるのですから、そういう事を考えて、そしてただ人間界に生まれたという事だけでも、朝起きたら有り難うと言わないかん。つまりこの三一〇条は、ことごとく感謝の生活をせよという事です。
どうですか、あんた方。朝起きて、顔洗うて、まあ手を合わせて感謝の念をささげる方もありますし、そうなさらん方もありますが、どうですかな。朝起きて顔洗うて、もう飯を食うてやろうか、と一番先に考えますか。あるいはどういう事を考えますかというと、泉先生のおっしゃるのは、まず朝起きると、今日よろしくお頼みしますということを、外の神様や、家のご先祖にお頼みする。人間界に生まれたそのご恩を考えたら、それ位の事はせないかんと、先生はおっしゃった。感謝の生活、それからこのお礼を言って行けば、いくらでもあるのでござります。
乃木大将は、日露戦争においで下さった方で、ご子息を皆戦場の露となくした実にお気の毒な大将でございます。
乃木さんは、戦争がすんで、内地へお帰りになって、顔洗うのに、つい洗面器に三分の一位の水がはいったら、それで顔を洗われたそうです。ある日、従卒が、あまり水を始末になさるから、大将に聞いたのです。「閣下は、お顔をお洗いになるのに、ついコップに一杯位の水で顔をお洗いなさる。私は、そのお考えをお話ししていただきたいと思うんですが、どういうお考えでそういう事なさりますか。」と。すると大将は、「いや別に深い考えはない、わしが戦争に行っていた時分に、朝顔洗うたって水がない。谷川で少しチョロチョロ流れておる。谷川へいって顔を洗おうと思うて水を見ると、それが赤い色をしとる。こらどうしたんだろうと考えたところが、その上流でたくさんの者が討死にして、兵隊の血が流れている。思わず手を合わして、部下が戦死してくれた事を、谷川の水を見て拝んだ。それがため、その水を飲むことができなかった。わしは今、内地へ帰って来て、その時の事思うと、ああ、もっ体ない。洗面器にいっぱいも水は使えないと、そう思う位のものだ」と。こういう事を部下に、お話しになった事があります。
だから人間は昔からよく言います。苦労した人でないと話せないと。その通りであって、我々でも、無事な家庭に生まれたら思いません。乃木さんであったら、ほんに、部下が苦労してくれたと思うと、僅かな水を使うんでも、感謝の念がおきるというのです。有り難いと思う時はすべてが有り難いのです。
私はよく思うんですが、私の父が、晩年にすこし体が不自由であったのです。父が方方へお参りに行きたいと言よったが、その時には、電車もなけりゃ、自動車もなし。旅行するのにも杖ついて、歩くよりしかたがない。今頃であったら、おとうさん喜ばしてあげるのに、楽にお参りが出来るのにと思う時には親がないのです。だからそう思いますと、私は今旅行するのに、車に乗って、歩かずしてお参りが出来る事思うと、自然手が合うてくるのです。おやじの事思ってね。ほんにおやじより、恵まれとると、そんな事思う事あるのですが、泉先生がおっしゃるには「村木さんよ、一日になあ、有り難いと思う事の数が多いほど、勝だぜ。」とおっしゃった事がありました。私はそのお言葉を聞いた時分には、さほど感じなかったのですが、私が年をとるに従って、おやじの事を思い、私の兄弟の事思い、あるいは、私の友達の事を思うと、ほんに早くなくなった人は、気の毒だなあと。
ただ今でしたら、これまあ例をあげてみますと、腹が痛い。やりきれん位腹が痛い。お医者にみてもらうと、盲腸だ。開腹手術やって、盲腸切り出したら、もとの通り直るんです。ところが昔はその術が出来なんだ。わずかに早、大正から前は出来なかったのです。明治時代の人は、腹がこわり死んだという事は、よくありました。医学が進んでいなかった。そういう事から考えますと、今日入院して横腹へ穴あけて、一週間したらすぐなおる。そう考えると、ああほんに、これあの人も腹が痛いと言うて死んだ。ほんにそうすると、我々は今恵まれているところで生きとる。
それに自分の昔の人に比べて、結構な時代に生まれとるという事を感謝せなければならん。こういう風に、私は思います。
ところで、播州の大石神社へお参りした事があるのです。あれ、いくさ(戦争)の神様ですから、たくさん傷ついた軍人が道ばたにおるのです。そうすると、中には、砲弾があたったんだと言うのですが、胸が半分飛んでしまっている人があるのです。肋骨というものを、バネでこしらえて、その上へゴムの袋をきせて、息する度にふくれたり、すぼんだりするのです。それを兵隊さんが見せて「この通り私はけがしてもどって来ています。あんた方にこうして道ばたに立って、ご報謝いただいております。私はお金を沢山こうしていただいて、うれしいんですけれども、ほんとうは、失礼ながら、もとのからだで働く方が、だいぶんうれしいんでございます。こうして皆さんにお金いただいて、実に涙の出るほどうれしさを感じていますけれども、本来、おとうさん、おかあさんにもろうた、あの健康な体で胸に こんな大きな傷もせずして働く方が、私はうれしゅうございます。」というて演説しているのです。その前を通った事がありますが、そのまま、ただでは通りません。多少なり、その人の前へおさい銭でも、差しあげなければ通れんような感じがいたしました。ところが私は、今無事な体でこうして日に日に皆さんとおまじわりが出来るという事は、ああ有り難いという事を感じるのです。
こういう風に、泉先生は「だれに向けても、慈悲心から有り難いと考えないかんぞ。」「無理に、神さん、仏さんに参って、遍照金剛言うて頼まいでも、日に日に、私は恵まれた、有難いお慈悲をいただいて暮らしとりますと言うて、感謝の念でおると、神様が喜んでくれる。」とこんな事おっしゃいました。つまり三一〇条は、そういう感謝の暮らしをせよという事を教えとるのでございます。
私はもう一つお話し申しますが、信州の御嶽さんへ行った事があるのです。その時分に昔の事思い出したのです。
ここに川中島の戦争があって、上杉謙信と武田信玄とが戦争した。ところが武田信玄が城へこもって、上杉がそれを攻めておった。ところが長い間この戦争は一年や二年ですんでおりません。長い長い間戦争しとったんでございますが、ご承知の通り、山国でございますから、塩がないのです。塩が取れない。何年も戦争しとった為に、その塩を運んでる道を絶たれてしまうたのです。人間は塩がなければ、ほんとに健康は保てんのです。それをかわいそうに思って上杉の方から、塩が無いらしいから塩を送ります。戦争は戦争として戦争しませんか。塩を送るといって武田勢の方へ送り、戦争をしたという故事のあった遺跡が残っとるのです。
その時に考えたのです。ああこのあたりは、昔は、大変塩がとうとかったのじゃと。子供におやつやるのにでも、あの塩を入れてあった俵です。その俵は、塩けをふくんでいます。塩がわらにしみこんでいるのです。そのわらを、二寸か三寸かに小さく切って貯蔵しておく。子供が無理言うた時に、おやつとして塩のついたわらを子供にやったという話も残っております。ところが、今日はどうですかな。我々塩に苦労はないでしょう。私は、信州へ行った時分に思ったのです。日に日に、塩という事についてはありがたいと感じなかったけれども、川中島の戦争の所を通って見ると、昔の事を思い出す。時代の進むという事については、あたりまえになってしまって、その時代のおかげというものを感じとらん。泉先生は、有り難いと思う数が多いほど恵まれとるぞと言われたが、なるほどと思います。私は泉先生にお目にかかってからは、有り難い事は、この川中島の土地を通っても、ほんに有り難い。塩のことを考えただけで有り難いと思える。泉先生はえらい事を教えて下さったということを初めて知ったのです。
こういう風に考えていけば、世の中には有り難いと思う事は、たくさんあります。子を持って知る親心。小さい時は知らんけれども、年が行くに従って自分の子をみても、私が子供を思いやるのと同様に、私を思うてくれたんじゃなと、親の有り難いということ。お礼が言える。こういう風に日に日に朝から夜寝るまで、有り難いと思う、これが真の信心じゃないかと泉先生がおっしゃった。なるほどそう思います。
どうぞ今日は慈悲心という事についてお話しいたしましたが、慈悲心がわいてくるほど、人間は幸福になります。
足る事を知るという事になるのです。金でも、二万円位出来たらと思って願うて、働いていたら十万円出来た。こんど百万円と言うと、欲望にははてきりがありません。足る事を知れば、人間は楽に生活が出来る。家族和合して、日に日に朗らかに行ける。お友達とおつきあいしても、不足なしに出来るという事になるならば、何を望んで苦労しますか。働かねばいきませんけれども、お陰で結構にいけるようになったことを知る事が大事じゃと先生がおっしゃいました。
なるほど、そういうことについても、ほんに有り難いなあと思えるのです。どうぞ、今日は、不足は言わずして、自分の心に慈悲心をわき出させて、そうして人の事を考えて、世の中に足りになる事を考えていく事が信仰の元になると言うことをお話しした訳でございます。
(昭和三十七年五月三十一日講話)
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