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第二七二条へ 第二七三条へ 第二七四条へ 第二七五条へ 第二七六条へ 第二七七条へ 第二七八条へ 第二七九条へ 第二七〇条へ第二七一条「しやすい事を選ぶな。むつかしい事でも何でもよいでないか。世の中の為なれば。」
先生は若い時から津田の町で、色々なお手伝いをなさった事があるそうでございますが、いつもご自分は、大勢が組んでする仕事でありましたら、必ずむつかしい、人のきらう方へお回りになったのです。それでこういう事をおっしゃるのです。しやすい様な事を選ぶなというのです。いくらむつかしい事でも、世の中の為になる事であるなら、しやすいとか、むつかしいとかいう事を考えんようにせよ。これは、泉先生からよくお話しがあったのです。
どうですか、このあと、兵隊さんから徴用に出てこいと言われた事があります。山の壕を掘るという事でございます。自分の仕事であるという事と、国の仕事であるという事は大分違うのです。私もそういう所へ参ったのですが、得てして、仕事は少なくて、暇が多いのです。出来るだけ力のいらん方へ、しやすい方へしやすい方へと回るように私はお見受したのでございますが、どうぞ、そういう事のないように。しやすいのをよって、その方へ行くような事するというと、信仰という事にはならんのです。これを先生はおっしゃるのです。
このいなかで暮らしておりますと、色々と公の仕事がございます。土手を直すとか、道を直すとか、色々あるでございましょう。そういう時には、別にそれが勤労奉仕でありましても、有料でありましても、しやすい方へしやすい方へと回るのは、よくないと言うことです。これは、あんた方は、ご承知の事でございますが、おわかりになると思います。先生はそういうところへ、信心の心をお使いになっとるんです。これが真の信心です。信心というのは、神さんや仏さんの前で色々の仕事をしたり、お願いしたりするのが信心のように、皆世間では言うとりますけれども、泉先生の信心というのは、日に日になさる事を信心となさっとるのですから、その意味でお聞きを願いたいのです。
(昭和三十七年一月十五日講話)
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第二七二条 「世の中に何が一番恐ろしいかと聞かれたら何と答えるか。一番近い「わが心」である。」
世の中で、何が一番恐ろしいかと聞かれたら、自分の心であると、こう言う事を先生がおっしゃったのですが、あんた方どうお思いになりますか。自分の心が恐ろしいと言うのです。考え方によると、そうなるのでございます。どうも人間というものは、得てして、自分の好きにやりたい。もう世の中で一番かわいいのは、自分であると考えとるのでございますから、何が恐いかといいますと、そういう事を思い出して来るところの自分の心がこわいのです。
「思わなかったら」悪い事もしやしませんね。たとえば、あそこに、あんなええ物があるんじゃが、あたりにだれもいない。そこで横着な人になりますと、それが欲しいという事を考える。そうすると罪を犯すという事になるのですが、その罪を犯すときに思わなければ、罪犯しませんね。そこで泉先生がおっしゃるのは、世の中で一番こわいのは何かという時に、自分の心だとそうおっしゃったのです。
そこで私こういう事をお尋ねした事があります。先生が自分の心をこわいと言う事は、わかりました。なるほど、 自分はええ事も考えますが、悪い事も考えるので、考える元の心が自分の心ですから、こわいという事はよくわかり ましたが、先生、そんな事考えて、これ悪いなと思った時、どうすればよいのでございましょうか、と尋ねると、先生がニコニコお笑いになって、「面白いな、面白い質問じゃ。その時には、こうするんじゃ。同行二人と思うんじゃ こうおっしゃったのです。「今こういう事しようと思っとる。いつもその横にお大師様がおいでるとか、自分の尊敬する方が一緒に居る。同行二人だ。一緒に居るんだとこう思うたら、村木さんどうぞいな。」とおっしゃいました。
なるほど、自分の心の内には、まっすぐな事、いがんだ事、これを判断する裁判官がおります。どなたでも、そこで同行二人という事を思うたならば、していいか悪いかはすぐ判断がつく訳でございます。それで泉先生は、そういう風に私に教えてくれました。「一緒に居ると思うたら、村木さん間違いない。」と。なるほど考えてみると、そうじゃと思います。
(昭和三十七年一月十五日構話)
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第二七三条「いかに細い谷川の水でも、流れておる間は凍らぬのを見ても、わが心が、いつも神に通うているよう心掛けがいる。」
高野へ参りましたら、不動坂という坂がございまして、その不動坂を登りつめると橋がございます。その橋の横に小さい滝があるのです。「滝」といいましてね、細い滝が落ちとるのです。まあ、ちょっといえば、キセルのらう位の太さに見えるのですが、あれでも相当の水が落ちとると思いますけれども、そんな細い水でも動いとる間は凍りません。冬の最中でも、やはり水は流れています。そういうような物で、人間が、間違いがないようにしようと思うと、いつも自分の心の中に神さん、仏さんの水が流れとらなければいかんと言うことです。流れとる間は、もう人間の心掛けは、出てこない。つまり凍らんというのです。ちょうど、これは昔の句がございますが「働けば凍る間もなし水車」の句がございます。あの水車がくるくる回っとるから、水が動いとる、凍りつく時はないのじゃ、というような句がありますように、この滝の流れがどんな細い滝でも、水が流れている間は凍りません。滝が止まった事、見たことありません。いたる所の滝へ私は参りましたが、随分凍る滝と申しますと大阪の「鷲尾山」の谷をずっと登りますと、もう鷲尾山の聖天様の近い所に、氷室の滝と言うのがございます。これは三方が岩でございます。切り立ったような岩です。そうして入口が狭くなっているその真ん中へ滝が落ちとるのです。滝しぶきがかかって、冬になりますと全部氷の壁みたようになってしまいます。それでもその「氷室の滝」は止まりません。いつも、真ん中へどうどうと落ちています。あれは凍りそうなもんですが、いつも流れております。私もそこへはいってみた事があります。裸で入って、ひょっと体へ水がかかると、もうお唱えも何も出来ませんね。急いで飛び出るのです。ぐるりが氷の室でございますから、ようもようも、お大師様は行をなさったと思いまして、驚いた事がございます。それほど寒い所の凍っとる滝でも、水が流れて止まるような事は一切ありません。 そういうものと一緒で、人間の心の中に神さん仏さんという水が流れておったと仮定したならば、悪い事は、考えないと言うのです。その水が止まると、つい凍りついてしまう。これは、滝にたとえた話でございます。泉先生は、いつもそういう事を考えておいでたのです。生駒さんの滝でも、先生と一緒に私も滝の中へ入った事がございますが、つららが何尺もさがっておる。その下で水がぱちぱちとあたりますから、先生はおつむの上へ手を広げて、おつむへあたるところの水を、その手のひらに受けておいでるのです。そうしてあの帰命天道を言い出して、おしまいまで、先生は金仏か何かのように、じっとおいでます。「村木さん、一緒に行かんか。」と先生がおっしゃって下さいましたから、先生の横へ、へばりついていたのですが、もう堪えられんので、「先生ご免下さい」と急いで飛び出してきて、滝の一服場へ走り込んで着物を着た事がございます。先生は、もう声一つ変りません。実に頭が下がります。
あの不動さんの滝も、竹の筒からきよるのです。つい一尺位のまわりの竹の管から、引いとるのでございます。
二間ほど上から水が落ちています。なるほど落ち口の横には、つららが下がっています。水は凍りません。まあ泉先生は、あんな所へ、始終にお出でなさっとるから、こんなお話しなさるのです。どんなに細い谷川の水でも、流れる間は、凍りはしない。これと同様に人間の心の中に、神仏のお水が流れとる間は、人間の性根は、凍りつかないと、こういう事おっしゃって、滝の中へお入りになっても、こんな事お考えになっていたのです。
(昭和三十七年一月十五日講話)
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第二七四条 「何事をするにも、先ず世の中の事を考えてせよ。わが身の損得を考えてしてはならぬ。」
これも、やはり先生のお心の内を書いたものでございますが、大低、世の中の人がするのは、こうすりゃご利益になる。こうすりゃお陰がもらえる。こういう風にしたら損じゃ、どうも自分の身にもらえるものが、有るか無いか、手間損か、こんな事考えてするらしいんです。ところが先生は、いつも、これしといたら、世の中の為になろうか、こういう事をお考えになって、ことをなさるのです。ちょっとお参りに行きましても、道の横に山の石がころげ落ちとるとします。先生は直ぐにそれを道の横へころがして寄せなさる。やはりこの二七四条に書いてある事をお考えになっているんです。「これを横へ寄せておくと、目の不自由な人がきても、つまずけへんだろう。」 こういう風に考えなさる。こうやると、冷たいのに損じゃとか、得じゃとか、そんな事考えたりしたりしてはいかんのです。もっとひどく言うならば、これを道のはたへ寄せといたら、お陰になろうか、こういう事さえいかんと言うのです。
どうですか、ここで、お陰もらうと言う事は、自分の得という事ですね。お陰もらう事さえも、考えるなというのです。世の中の目の不自由な人や、足の不自由な人に、つまずかさんようにと、こういうことを先生がおっしゃるのであって、そうしたらお陰になると、お陰を先に考えたら損得じゃから、それを言うなと先生はおっしゃるんです。
これを見ても、いかに先生のご信仰の深さがわかります。先生のなさる信仰には、損得は考えのうちにないのですから、人が助かるだろうか、人が喜ぶか、世の中の為になるか、こういう事ばかり考えておいでる事が、神仏に通うのです。そういう事を考えとる事が、言い換えると滝の水が流れとるという事です。先生のは、損得など言う流れはひとつも流れておらんのです。ここが見所でございます。
(昭和三十七年一月十五日講話)
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第二七五条 「光線というものは、目に見えるものではない。物が光に照らされるから、物が光って見えるのである。これと同じ事、肉の身があるから、神様のありがたみがわかる。ところがこの広大なお慈悲を感謝するのは、人だけである。それだけ生物の中でも人身と生まれたのは、幸福である。」
先生は、いつもお参りの道でも、こういう事を考えておいでるのです。朝、お日様が高くなって、節穴をとおして、家の中へお日さまが入ってくる。節穴を見ると、光っているから、お日様がはいってきていることがわかりますけれども、そのスーとさしてる光線を横からみる場合、塵があるか、煙があるかしないとわからんものです。お日さんや、 光は通っているか、通っていないかは、わからんのです。透き通っていますから。ところが、そこでパッパッと座を立てて見るんです。あるいは、煙をずっと中へ入れてみるんです。お日様の光がどういうふうに通っとるかがわかります。それから、夜、自動車が通ります。ライトつけとるでしょう。空気のきれいな時には、光がスーッと筋になっとるのがわかりません。もやがあるとか、煙があるとか、雨が降っとるとかいう時分には、自動車のライトの光はスッと真っ直ぐに、筋になって、遠方の方へ伸びとる。これを、あなた方はご覧になった事あるでしょう。
ああいう風に、光線という物は、目に見えるものではない。それならどんなときにみえるかといいますと、塵があるとか、煙があるとか、あるいは水分があるとかした時分に、その光線が通うとるのがわかる。こういう事ですね。
同じように人間は、この体があるからして、楽になったとか、あるいは苦痛になったとか、こういう事で神様の有り難味がよくわかるのです。それはそうでしょう。体がなかったら、有り難味はわかりません。神様の有り難味というものは、体があるからわかる。ところが、わかっていても、その有り難いところの広大な神様仏様のお慈悲というのに感謝するものと、せんものがございます。動物などは、あまり感謝しとりません。有り難いというのは、人間だけです。どうですか、これをよくお考えになると、なるほどと思われるでしょう。 日向でお日様があたりますと言うと、犬でも猫でも喜んで日向ぼっこをしています。暖かいから、有り難いと思うのは、人間だけです。つまり感謝ですね。そこで人間は、有り難いと思えるから、幸福がふりかかってくるのです。犬や猫は、そんな事を考えていませんから幸福がきません。 そこで、こういう事が言えます。人間は肉体があるから苦労がある。又お陰もわかる。からだがないようになって死んでしまえば、どうなるかと言うと、お陰は受からんのです。ここをよくお考えにならんといけません。からだがありますから、苦労がある。苦労があるからお陰が受かる。からだがなしになると、苦労はありません。そのかわりお陰もないのです。そこでこれは大事な事でございますが、一面から見ると、ああこれまた人間の世渡りというものは、つらいな、苦労なもんじゃなと、こう言いますけれども、それは体があるから、つらいと思うし、不自由なとも思う、また悲しい思いもするんです。しかしながら、もしその体がなかったら、つらい事も悲しい事も肉には感じません。かわりにお陰がないのです。
あんた方は、仏様を供養する時分に、何年忌というのがございますね。三年忌とか七年忌とか、仏様をお迎いしてお経文さしあげるでしょう。あれは、肉体がもうないんでございますから、向こうさんは、徳を積むことができんのです。それですから、こちらの方から仏様のお喜びになるものを、有り難いお経文とか、あるいはうれしい事とかいうことを、仏様にお見せするのです。そうすると、向こう様が喜んで安心なさる。これが追善でございます。追善という字を見てご覧なさい。追というのは、こっちから向こうへ送って差し上げることを追といいます。善という事はよい事、すなわち向こうが喜ぶ事、喜ぶ事を肉体持っとる方から、もっとらん方へそれを送らなければ、向こう様は徳が積めんのでございましょう。泉先生は、そういう事を、ちゃんとお知りになっているんです。
それでこの肉体があるから、苦労もあるが、楽しみもある。お陰が受かる。だからこの肉体があるのを悲しんではいかん。喜べるようにからだを使えばよい。人間に生まれたことこそ、幸福じゃと、これからいえるのです。こういう事をおっしゃっています。泉先生は、いつもそういうお考えで、先生とて肉体でございますから、寒いつらい事もあるでしょう。それでも、それがあるから喜べるんだとおっしゃった。
この前お話した事がございますが、泉先生が、このごろのような寒の真っ最中に、船にめしとったところが、隣の船がもういかりを上げて船出しようとしとるのに、沖の岩にいかりが引きかかってとれん。いくら引っ張っても岩の間にくい込んでとれん。それをご覧になった先生は、さっそく帯を解いて沖へ飛び込んで、「おっさん上げたるぞ」といかりの綱を伝うて底へはいっていって、いかりをはずして「そら行け。」といって助けた事があります。これ等は、先生、冷とうございますよ。冷たいより痛いくらいでしょう。私も、滝にもよく打たれました。水にもはいりましたが、痛いのはじっとおる水が一番痛いんです。滝の水はパチパチと体にかかりますから、見たら冷たいように見えますけれども、肉体がすぐに赤うなって、その割に、寒うないのです。しかし、じっとおる池の水の中へ、入ってご覧なさい。もうそれこそからだを切るような痛さを覚えます。ちょうど、海の水は、塩水でございますから、余計冷たいのです。その中へ飛び込んで、いかりを抜いて、「さあ船出しなはれ。」と言うて、助けたことがございますが、 そういう風に先生は、肉体の痛いとか、つらいとかいうのを喜んでなさるのです。
これは痛いや、冷たいのがあるからお陰が受かるのじゃと。こういう風に先生は解釈なさるんです。それを、体を楽な様にする。こたつへあたっとって、風が当たらんようにすると楽です。そのかわり徳が積めません。先生は、いつも体を苦しめたら、お陰になるんだと、こういう事をおっしゃっていました。このところもそういう事を書いているのです。ちょうどお日さんの光が、何もないところを、横に通っていたとて光線というものは、目に見えるものでない。そこに塵とか、煙とかがあるというと、それに照らされて、お日さんが通っているのがよくわかる。
それと同様に、この体があるから、神さん仏さんのお陰というものがようわかるんじゃと、ここですね。おわかりになりましょう。光線にたとえて先生が考えておいでるのです。塵や煙がなかったら、光線が通っているのわからんのです。人間にからだがなかったなら、神仏の有り難味がわからないのだ。ここがふつうの人と違いましょう。有難味が分るこのからだを、わかるように使えとおっしゃるのです。
以前に、先生のお供してお参りした事があります。先生とて、やはり人間の体ですから、冷たいのも、寒いのも一緒です。先生とて、暖くないんです。考えが違うのです。こら寒い、これを辛抱するから、お陰が受かるんじゃ、とこういう風に、おっしゃるのです。しかしご病気の人はいけません。それに逆ろうたらいけません。それはやはり静かにして、ご病気を一日も早くなおすようにせないけませんけれども、達者な時は、その肉体をつらい目に合わす事がお陰になるんじゃと、こういう風にお考えになったら、神仏がお仕事の後押しして手伝うてくださいます。
私の事を言うと非常にお恥ずかしいんですが、私は足が不自由なので、どこへもよう行きませんが、限った用がございまして、どうしても、私がいかんならん用ができまして、高野へお参いりしました。高野へ行くといいましても、ほとんど私の戸口から自動車に乗りまして、小松島へ行って船に乗って、和歌山へ行き、和歌山から電車で大阪の難波まで行きまして、難波からこんど電車で山の上へ行くのですから、歩きませんがね。それだから行けるんです。
ところが私の用が済みましたから、お大師様にお礼申し上げするために、お大師様のご宝前まで行かないかんと思いまして、ハイヤー雇いました。あの奥の院の橋から石敷いてあります。あれは通れません。ご無礼で通れませんがあの奥の院の橋を右の方へは入りまして、山の谷を自動車でずーっと行きますと、ご供所の所へ行けるのです。それを通らせてもらうつもりでハイヤーに乗りまして行ったところが、途中で垣結うてあるのです。「ここから自動車通られん。」と書いてあります。ちょうどそれが中の橋位の所です。「もう仕方がない。歩かなしようない。運転手さん、ここで降ろしてもろうて、奥の院へ歩いて行く。」「あんた足が不自由なのに私ついて行きます。」というて、運転手さんがついて来てくれたのです。ところが心のうちで、「お大師さん、どうぞひとつ歩かして下さいな。」と、無理して行きょりますので、「どうぞひとつ、お助け下さい。」と、念じつついったのです。楽なのです。楽々とお参りしてもどってきよりました。ところが運転手が、「あんた、私をだましたな。」「いやだませへん。不思議に楽に歩けた。ほんとうに有難かった。」と運転手さんに話したんですが、これなどもそうなのです。自分の体をどうしても使わんならん時が来ましたら、お頼みするんです。心の内で念じながら、仕事をさせてもらいましたら、手伝うてくれるというのは、ここなのです。私はほんとうに有り難い目に会うたのです。あれ往復しますと言うと、十八町もございますが、楽にほんとうに走れたのです。運転手がだましたなあと言ったが、だましたのではない、不思議に歩けたんでございます。
こういう風に、肉体がありますと苦労がありますから、おかげがあるのです。そういう風に、どうぞ、おからだを 解釈なさる方がよいと、私は思うんです。肉があるから苦労するのです。苦労するから愚痴をこぼす。これ反対でござりましょう。どうぞ、肉がある間は苦労があります。苦労があるから喜ぶ。こういう風に、泉先生がお考えになったように、皆さんもお考えになれば、大変お得じゃと私は思います。
(昭和三十七年一月十五日講話)
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第二七六条 「急ぐ道は、まわれ。負けるは勝、欲しければ捨てよ。商売は損で食う。欲は損のもと、皆同じ意味である、よく味わえば、味わうほど、意味が深い。」
普通、人の言うのとは、反対のようですね。急いだら近道するでしょう。まわれというのです。あいつに負けたらつまらんというが負けるが勝じゃという。これ泉先生のお説です。欲しいのならほってしまえと、こういうのです。
大分違いますね。商売は、損で食う。欲も損のもと。これは皆同じ意味であると泉先生がおっしゃったのですが、例をあげてみましょう。これだけではわかりにくいですから。
急ぐ道は回れというたところで、ここから小森へ行くのに大代へ回って行けというのじゃないのです。これは馬鹿な話です。心の内で急いだ時には、落ち付けと言う事なのです。落ちついて、あやまちのない様にせよということです。これはよくいわれています。自動車でも、オートバイでも、皆機械で走っていますから、いつの間にやら四十キロ出されんというても、五十キロも出ています。早いのに慣れてしまうのです。この頃の新聞を見てご覧なさい。一時間に一人はけが人が出来ています。昔、そんな事がありましたか。そうすれば、平均すると、早いものに乗っとる為に、仕事が遅れるという事になろうとしている。おそいものに乗って行け、というのじゃないのです。早いものに乗った時には、必ず心を落ち付かして、ゆっくり行けというのです。それから、これは精神的な問題でございますけれども まあ、人と何か意見が違うた時分には、負けまいと言うて理屈を言うのですね。理屈に勝ったら、勝ったように思うとるのです。果たして、それが勝ったんだろうか、よく見てご覧なさい。これは親子の間でも、兄弟の間でも、他人との間でも、理屈に言い勝ったところで、感心しとりはしません。感じ悪く思われるのです。それを負けてご覧なさい。
これ位気持のよいものないのです。無理に負けなくともよい。理屈言わなければよいのです。理屈高い人が前へ来た時分には、自分がよけておればええ。そうすると非常に気持がええ。それを言いかってしまったら、こんど他人が敬遠するのです。相手にしてくれないようになる。ご経験があるでしょう。どうですか、あんた方。大勢の人が寄った時分に、理屈だかい人があるでしょう。その人、人に尊敬されていますか、どうです。いいたい事でもあまりいわない。理屈をいわないで、人にゆずっとるという人は、人が尊敬しています。口には、言わなくても、何となしに、 その人尊敬します。泉先生は、負けるのは勝、とはその事を言うのです。
欲しければ捨てよと言うのは、これもおかしい話ですね。これは欲しい物をほうれというのではないのですよ。 仮に商売にたとえまして、利益が欲しい、高う売って利益がほしいと思ってやりますね。その時分にはどうも、あしこへ行くと品が悪うて、値が安くないといわれる。売る人は、そうした方がもうかるんでしょう。欲しければと言う事は、金が欲しければ、その金を捨てよというのです。捨てるのには、お客様には同じ世間に売っている品物ならばよい物を同じ値段で売ってあげる。お客はよく知っています。あしこのは、値段は一緒じゃけれども、品がええなど、あるいは同じ品ならば、値段を幾分人よりも下げるという事になったら、人が寄って行くようになります。結局、金が寄ってきます。欲しければ捨てよ、と言う事はそれなのです。金が欲しいと思うならば、欲を捨て人を喜ばせることです。どうですか、泉先生は、こういう、非常に人が考えとる反対のような事を、先生はいつもおっしゃっていました。商売は損で食う。損したら、そら食えません。この損という意味は、お客さん方へ福をつけよという事です。
まあこう言う訳でつづめていえば、欲を持っとったならば、一生の損じゃと言う事です。世の中を平均して考えて見ますと、分限者になる家もあり、お気の毒に、ひっそくなさる家もありますが、あしこ、よそへ寄付しすぎた、人に物あげ過ぎて貧乏したという家ありますか。ほんとうにありはしません。それをもうけてやろうと思って欲張って、 あべこべに損した家はざらにあるのです。人が良うて、あげ過ぎて、貧乏した家探してご覧なさい。ありはしません。
こういう訳で、すべてこの世話するのに、欲の方には遠い方が、よいのです。泉先生は、そういう事をおっしゃったのですが、まことにこのお説は、お大師様のお説と同じ事です。
この二七六条だけが、実際、ほんとうに、実行が出来た場合には、大したものです。これは、反対を説いとるのですから、極端にやったらいけません。しかし、商売損して損で食えというから、もう元より安うしてしもうてやるわ。それでは、食えんのです。そこに、その上手があるのです。これが誠に日常生活の信仰です。
(昭和三十七年一月三十一日講話)
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第二七七条 「人の世渡りの道はいつもお堂守やお庵守と心得えれば、間違いない。「からだ」と心の用いようで、お堂も、お庵も直ちに立派になる。」
こういうことを先生がおっしゃったのです。私は、よく直接、聞いとりますが、こういう事をもおっしゃいました。
「村木さん、人が、わし、お加持がよくきく、と言うんじゃが、どうだろうか、道ばたへこうすわっとって、拝んみよったら、そこへ人がよおけ寄って来る。次第にそこにお庵が出来る、お寺が出来るというようになってくる様に思うな」
そんな事を、おっしゃったのですが、いかに立派なお堂の中にすわっていましても、そのお堂守が、値打ちのない人がすわっとりますと、神さん、仏さんに、値打ちがないのです。そこはお参り手がなくなってしまいます。けれども、 泉先生のような方がすわっとるのなら、もうそれこそ、すぐそこには、人が集ってきます。
お大師様が、あの四国八十八ヶ所をお開きになった当時、あしこで一月、ここで一年、という風に宿を取っておいでますが、その間お大師様がなさった仕事は、実に目のさめる様な仕事をなさっています。その評判が高かった為に、諸国からずっと人が寄ってきて、盛り上がってお寺ができ、でき、しとる訳です。中には、いざりが足が立ったり、盲目が目があいたり、あるいは、困っている人が運が開けてきたり、お大師様お一人のお言葉でそうなるのです。
あんた方ご承知だろうが、南のさばさげ大師さん、あしこもそうです。あれは牟岐ですかね。牟岐の駅からちょっと行った所にさばさげ大師さんがありますが、あしこは、お大師様が道ばたで一服なさっていたら、そこへさばを馬の背中に積んで、そうして、それを商いしている人が通りかかったのです。その人は、生前の因縁からいいまして、神仏の縁がありますけれども、まだ縁が開けとらんので、運勢が悪かったので、お大師様が助けてやろうとなさったんですね。そのさばを積んでいる人には、お母さんが一人ある。孝行な人です。孝行な人ではあるが、有り難味というのを知らんのです。人間生活をしとったんです。人間から見れば、孝行な人じゃという事なのですけれども、同じ孝行であっても、信仰から出ている孝行とは又、段が違うのです。ただ孝行なだけの事で、日に日につらい暮らしをしとったんです。貧乏暮らしをしとったんです。お大師様が何とかしてこれを直してやろうと思って、お大師さんちゃんと先へ知っておいでます。前を通りかかった時「おっさん、そのさばひとつくれるか。」とおっしゃった。おっさんは、 信仰がないんですが人はええんです。「食いかねよる者が、おまはんにさばあげてどないなりゃあ。」お大師様は、断わられたものですから、黙っておいでて、その男がそこを通り過ぎたところが、しばらくして、馬があわ向けにころんで、足を上へむけてはねまくる。腹がこわったのじゃ。お大師様、そこへ行って「おっさん馬が悪いのかい。」 「またこのお遍路はん、おまはんらにわかるか。」「知らんけれども、腹がこわいよんであったら、直してやろうと思うてな。」そしてお大師様が、そばへ行って持っておいでる金剛杖で馬の腹をついた、馬ははね起きて道ばたの草を食うた。おっさん、びっくりしてしまって「おまはん、お遍路はんかと思うたら、お大師さんでないのか」お大師さんが四国八十八ヶ所を開きなさっている事を聞いとったのです。その人に「わしはつまらん者じゃ、おまはんな、親孝行でお母さんを大事にしよる、ということを聞いたが、おまはんのは信仰がない。それでわしが信仰はどれ位力が あるか見せてあげる。そのさば一つ貸せ。」もうこんどはびっくりしているから、おっさんがお大師様にさば一つ出したのです。背中割って、塩してある。それを「見いよ」と言って、尾の方を持って、お大師様が、沖の水につけたら、泳いだのですね。もうそれから、そのおっさんは、お大師様のお弟子になって、そして、あしこの寺で、お母さんを呼んで、無事に芽出度い一生を終えたという事となっています。さばさげ大師ですね。
これらもお大師さんの実績ですが、実にお大師様はそういう事が、先にちゃんとわかっておいでるんです。これ一切智といいましてね。一切智という知恵を持っとる。向こうから人が来ていても、あの人こういう人や、ああいう人や、とちゃんとわかっている。聞かなくても、助けてやろうと思う時には、そういう縁をこしらえて助ける訳です。縁がなかったら、助かりませんね。そのおっさんも、お大師様に会うて、びっくりしたから、仏様の有り難い事を知って、それから仏門にはいった訳です。大体、そういう不思議に会うて見ませんというと、有り難味がわからん。
私も、方方の山々や寺寺を回りましたが、色々不思議にもあいましたこともありますが、この間、高野の山で、お大師様に足を借りました。足貸して下さったのが不思議でかなわん。あの石の上を走れるんです。ちんばがね。それとお別れのきわに、赤ん坊の泣き声を聞かして下さった。私は実に有り難い事だと思います。こりゃ借った足ですから その時だけしか使えんのです。奥の院を出て来たら、もとのびっこです。あの石の上だけは、楽に走ったのです。
こういう訳で、そういう、理屈に合わんところの事を信ずる力ができないと、信仰はできません。人間の力で疑いまわる事では、まだまだほんとうの信仰になっていないのです。そういう理屈に合わない事、あんな事があるかなと言うようではいけません。会うた者は、現に会ったんですから疑いませんが、一心に考えて、お大師様を思うて居りますと、そういう事に会わしてくれる訳で、一度会いましたならば、もうこんどは疑いなくなりますね。
そういう訳で、お大師様は、いつも人を教育なさっとる訳で、此処に書いてあります。お堂守りでも、又お庵守り小さなお堂やお庵におる人でも、不思議な力をいただいとる人が、すわっているならば、お参りする人が有り難いお陰をいただく。そうするというと、いつの間にか、お堂には花があがる、あるいは燈ろうがあがるとか、こういう風にそこは、にぎやかに、盛大になってきて、皆さんがおかげを受ける様になってくる。このような事を先生がおっしゃったのでございますが、色々昔からの実蹟がございます。
善光寺へ、私お参りしましたが、今のお方は、それは知りません。三代前のあしこにすわっておいでた方が、手判といって昔、印判を押してくれよったんです。お参りしたら額へちょっと判を押してくれる。ふいたら取れますな。
ところがお参りして、その手判をいただく時分に「お前さんこれで三つすわっとるな、三遍お参りしとる。」それが わかる人がおったのです。何遍きとるという事が。そんな事がわかるんですから、実に善光寺さんは、お参りが多い です。柱でも、二人が抱えなくては、抱えられない太い柱ですね。それが、細そう見えます。お堂が大きいから。
それから上へつってある燈ろう、一坪の燈ろうですが、小さいちょうちんつってある様に見えます。そういう風に お堂やお庵におる、すわっておる方が、徳が高い人が坐ると、自然そこの神さんや仏さんが光るのです。神さんや仏さんは、大抵木か石でこしらえてある。坐っとる人の心で光るのです。つまり神さんや仏さんは、自分がおからだが無いんですから仕事なさいません。ご自身は人間の生の体を借って見せるのですから。泉先生は、その一例で、泉先生がおいでる所は光るのです。それでご自分がこういう事、おっしゃったのです。お堂守でもお庵守でも、そこへすわっとる者が神さん仏さんの力を借りたら、そこが盛大になってくると言われました。
泉先生と一度、私は津の峯さんへ汽車で行った事があります。私と先生と並んで腰掛けてすわっておりました。その時先生は、しきりにその横におったお爺さんの顔をごらんになっているのです。おじいさんは、しまいにねてしまって、苦しそうにしているのです。先生がおじいさんとこに行って「おじいさん、あんたおなか痛いのか。」「おなかが痛いんです。」「つらいな、あんた石槌山へようお参りなさった人でないか。」「私、石槌山を十何べんお参りしました。」「そうだろうな、石槌さんが今、おまえ助けるぞ。」 先生が、ご自分の手で、その人の寝て居るおなかをさすると「先生治りました。有り難い。もっ体ない。」といって手を合わして、拝んだ事がありました。「拝んだりしてはいかん、いかん、わしが治したのではない。石槌山が治したんだぞ。」といって、先生は知らん顔されていた。そんな事がございました。つまり日頃、石槌山へよくお参りして世渡りする。そのお参りの道中でも困っておる人を助ける。人にはいやな事はしない。こういう徳を積んでおった人ですね。その人を、先生、ちゃんと知っておいでる。つまりこういう風で、日頃からお庵やお堂守りの人に徳が高い人がすわったら、そこを神さんが、光らすんですね。そんな事先生がおっしゃいました。 .
(昭和三十七年一月三十一日講話)
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第二七八条 「何物でも、何事でも、無から有が生まれるものである。ちょうど「フイゴ」のようなものである。働けば、働くほど、その用は大きい。」
ふいごは、ご承知の通り、中がからっぽですな。かじ屋に使いよるふいご、あれはからっぽである為に風が出るんでしょう。つまりからっぽが用事をするのでしょう。あの中へ物がはいっとったら風は出ません。そういうようなもので、何事でも、無いところから有るものが、生まれてくるのである。先生こんな事おっしゃったのです。
無いと言うのを悔やむなよ。無いところから、物が生まれて来るんじゃ。これはちょっとわかりにくいでしょうが、孝行な人とか、えらい人とかは、分限者にあまり生まれないのです。貧乏でその日暮らしであった時分に、孝行な子が生まれてくる。つまり物が無いという事が、人間をこしらえるのです。先生はそういう事をおっしゃいました。 無から有を生ずる。無いという事から有るものが生まれてくる。昔からよく言います。「国乱れて忠臣出づ」と。
国が乱れてくるというと、楠正茂みたような、ああいう忠義な人が生まれてくる。家が貧乏であって、お年寄りが難儀しとると言うと、そのうちに偉い人が生まれてきて、家の年寄りを助けてやる。金が無くとも泣くな。働いたらできるんじゃと。どうぞ、無いという事が有り難いんじゃ。こしらえたらよいんじゃ。先生は、こういう勇気を持っておいでた方です。お大師さまは、非常におえらい方であるけれども、きゃはんやじゅばんで身をまとうて、寒うなかったらよいと言う程度で、四国八十八ヶ所をお開きになっとります。無ですね。立派な風しない。物持っとらん。お大師さんお金持っとりやしません。それでも、至る所にお寺が出来たと言う事は、無から有が出来たのでしょう。
ご承知の十九番の立江のお地蔵さんなんかでも、お大師さんが、あしこで、三年位おいでになったんでしょう。あしこで、だんだんの歴史を積んでおいでる。あしこのお地蔵さん、小さかったそうですよ。お大師さんの当時には。ところが、お京さんという、あのかねのひもに、髪がもくいついた人や、それから又、あしこに、孝行な女の子の親子を助けた話もありますが、これ、みな無い所から、大きな物をこしらえたのです。ですから、仮に、ここに大きな、分限者の家の、子供しがおるとしますか。金が有ると思ってはいかんのです。家は困っとる人、助けたいんじゃ。よし、働いて助けてやる。こういう風にするならば、たとえ大きな家に生まれても、運が尽きるという事はありません。大きな家に生まれて、威張って、あごでお辞儀して、人を虫けらのように思うたりしているといかんのです。いつも無いというところから有るという物が生まれてくるんだから、「あっても、無いと思うて働け。もし無かったら悔やむな。 それこそ、ほんとうに有り難いんだ。」と。「こういう風に働け。」ちょっと違うでしょう。
今は、どうも物がないというと、悲観したりして、又あべこべにすねたりしてますけれども、泉先生は、そうでないので、無いのこそ結構だ。もし有ったらかえって面白くない。又貧乏の家ならば、わしが働いて、おとうさん、おかあさん喜ばすんだ。じいさん、ばあさん喜ばすのだ。そんならば、少しの金もうけてきても、お年寄は喜ぶ。大きな家であったら、もうけてきても、目に見えない。何より無いのが有り難いのや、という事をおっしゃった。これは、泉先生の性格を表わしているんです。泉先生は、そういう風に無いのをすいとったというお方ですから、どうぞお間違いのないように、無い様にせよと言うのではないのです。無いと思うて働けと言う事なのです。
(昭和三十七年一月三十一日講話)
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第二七九条 「われ人に先立たんとすれば、われは一人、人は万人、これを排することは叶わず。人を先にし、我を後にせんとすれば、人はこれを後にせず。」
これも、人と自分とのおつきあいの上の事を現わしとるのでございまして、「人に譲る」ということなんですね。 座しきへ坐るんでも、「私や偉いんじゃから上へ坐らんならん。」といって、わざわざ上の方へ行く人がございますね。そうすると人は、「あれは生意気な。」とか何とかいって心の中では、その人を下へくだします。尊敬しません。泉先生は、いつも寄り合いの時でも、ちょこちょこと端の方へ坐って、「先生そんなとこどないしますか。」といって、ひっ張りあげなんだら上へゆかない。どうぞこういうふうに、ひとつ先生を見習うて、自分を低くおいでていただきたいとおもいます。
(昭和三十七年一月三十一日講話)
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第二八〇条 「わが身は、世の中にただ一人しかない。この頼りないわが身のみを助けても、世の中への響きは少ないもので、世の中を作っておる多勢の人を助けてこそ世の宝と言われる。」
これは泉先生の例を取って言いますと、泉先生という方は、自分お一人でございます。その方が、いかに偉うても、自分だけがお出世なさったところで、世の中へは響きがこまいのです。ある時、私がこういう事を申したのです。
「先生、あなたは大勢の命の心柱になっておいでるが、俗に言う所の経済という問題から言いますと、先生は、何もおためにならんのですね。恐れ多い事でございますけれども。」と私が言うた所、先生はニコニコ笑い出して「村木さん、わしは、ようもうけよるぞ。」「そうですか。どの位おもうけになりよるんでございますか。」「そうやなあ、わしが、今あまり拝まんけれども、今まで拝んだ数が万を越しとるだろうと思うが、そうすると、小さく見積もって一人が一日一円のもうけをしたとする。信仰の為に。その人が世の中へ尽くす力が一円有ったとする。一万人であったら、一万円。村木さん、わしは、人よりよけいに一万円ずつもうけよるんと、いっしょじゃなあ。」こういうお話なさった事がありますが、いかにもお話の通り、先生は、お偉い人であるけれども、お一人だけが偉いというんで有るならば、一人前でございます。それが仮に、人の何倍の力が有るにした所で、とても三人前、四人前の働きは出来んけれども、大勢の人を助けて先生のそのお気持を、大勢に植え込んだならば、一万人に植え込むと、先生一万人に広がっとる。こういうような事をおっしゃったのです。よほど先生のご信仰は幅が広いのです。
その事を、ここに書いとるのでございますが、人はいくら偉い言うても、ただ一人が、わが身だけに一生懸命に力を入れた所で一人前しかない。たとえ、それが、二人前働けた所で、二人前かないものだ。しかし自分がお付き合いする人に、自分の信仰というものを植えこんで、その人がそれで働いてくれるならば、一年に一万人お付き合いすると 一万倍、一万人力ある訳じゃと、こういう訳ですが、先生のご信仰は、こう言うのです。
私は、いつも感心しとりますのは、世の中の為に働けと申した所で、世の中へどの位関係があるかという事を見てみますと、先生のように考えて行く事が、非常に幅が広い生活をしたという事になると思います。それで皆様は、なるほど、ご自分の体が大事という事はわかっとります。わかっとりますけれども、何か信仰の上に感心なさったとか こうすれば良いとかいう事をお友達に話をして、その人を良い方の道へ入れたげたならば、早二人前です。一人前が 二人前になっとる訳です。こういう風に、どうぞ一ツできるだけ泉先生の流れをくんで幅広い生活をしていただきたいと、私は、思うのでございます。
(昭和三十七年二月十五日講話)
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