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第一八二条へ 第一八三条へ 第一八四条へ 第一八五条へ 第一八六条へ 第一八七条へ 第一八八条へ 第一八九条へ 第一九〇条へ第一八一条 「打ち向こうものには負けて時を待つ、法のみ声か青柳の風。」
枝だれ柳というのは昔からよく歌に歌うのでございますが、風が吹いて来ると、吹いておる方へなびきますから、折れません。これを人間の世渡りに手本にしておる訳で、ここもその通り、風がヒュウと吹いて来ても、風が吹いてる通りに枝をしなやかに風のままにしているから折れんと同様に、人間の生活上でも、打ち向こうて来る人間があれば負けて、そうして時を待っておれば、お互に握手をして仲よういこうぞと言う時が来る。その時を待って打ち向こうて来る者には来いという様な、ちょう戦的な態度はとらん方が神仏の教えに合っているんじゃと、泉先生はおっしゃっています。昔からこういう事も言います。「柔よく剛を制する。」柔いものは強いものに勝つと昔からよく言います。それから「のれんの腕押し」と言いますが、つった蚊張にげんこつを根限りに入れるんです。蚊やは、押す通りに向こうへよっとって一つも穴があきません。打つ方がくたびれて手の方が、鈍ってしもうて、ついに汗一杯かいて、ああもうやめたやめたと言うて、強い方が負ける様になります。そういう風にどうぞ人間同志は無理せられた時分には、よけて通るのがよろしいと思います。
昭和二十六年でございましたが、私は悪党につけられて追われた事がござります。それは私としましては、勝てば勝てん事ありません。警察というのもあります。色々それに対する防禦やってくれるところもありますが。そこへ届けて行けばたちどころに、つまえられてほうりこまれる訳でございますけれども、よくよく考えて見ますと、ほうり込んだ って、その人には家内もあり、子供もあり、親もある。あとの暮らしに困る。それよりか、私一人が、向こうがおどしにきているのだから、よけ回っとったらよいでしょう。 こらえてもろうたら、それで私も無難、向こうも無難という訳で私はこの一八一条に打ち向こう者には負けて時を待つという事を先生が教えてございますから、私はあちこちとまけてかくれまわって、そうして事が済みまして、向こうも無事にすみ、私も無事に済みました。こういう事がありますので、どうぞそういう時には、手向こうていかんのがよろしいのです。て向かえば、こちらもけがしてもつまらず 向こうもけがしてもつまらん。又暗やみにつまえてしもうても、難儀する人が出来るんですから、さか恨みというのがございまして、わがの悪いところはたなの上へあげて置いて、こちらがした事が悪いかのごとく恨むんでございます。恨むのは、恐れはしませんけれども、恨む位の根性になりますと、一人前の働きが出来なくて、悪い事をする様になります。ですから、助からん事になるのです。日に日に新聞によく出ておりましょう、すぐ切もので刺したとか、ピストルで打ったという事がありますが、打ち向かって来るものがあった時分には負けて、そうして神仏を念じつつ 時を待つのが、一番よいぞと、泉先生はおっしゃっとるのです。ほんとうによい教えであります。
(昭和三十五年十月三十一日講話)
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第一八二条 「その時代の人を満足さし得ぬなれば、真の宗教とはいえぬ。」
戦国時代とか鎌倉時代とかいう戦争時代には、ほとんど一般の人が学校へいっていません。学問知っとるのは、お寺のお坊さんか、神主さんかぐらいのものであって、一般の人は学校へ行く余地が無かった。そういう時代に、この親鸞さんが出て来たのでございます。あの親鸞さんは、「南無阿弥陀仏」というたら助かるんぞ、と簡単な教えをなさっています。すなわち、信仰にこりかたまって、南無阿弥陀仏一心に念じたらそれでお陰がうかるのです。むずかしい真言の密教のような議論を話しても、一方には教育を受けておりませんから、わかりません。ただ南無阿弥陀仏でよいのじゃと、こういう風に時代の人を理解さす力が無かったならば、人を助ける事が出来んと泉先生がおっしゃったのはここなのでございます。泉先生は、こういう事をお考になっとる為に、密教をお使いになったのです。むずかしい理論をいわずとも、泉さんのような助け振りであったら、たちまち助かるのです。
よく話する事でございますが、あるおばあさんが、泉先生の所へおまつりしていただこうと思って鶏頭の花を五本持ってきたのです。泉先生が「そうでそりゃ有難う。おばあさんこれもらうが、きれいな花じゃなあ。」と、束にしてあるのを先生が解いて、そして座敷の上へその五本の鶏頭をバラバラにして、あっちへやりこっちえやりなさる。
そして二本と三本とに分けて、「おばあさん、この二本持ってかえってくれんかい。三本もろうて内へさいとくけんな。」そうしたらおばあさんが「先生、折角遠方から私が持って来とるにお祭りなしてつかはれ。」「いや、おばさん、これ祭られんのじゃわ。」「どうしてな、折角先生、遠方はるばる持って来ておるのに祭れんてあるものか」
そこなんです。そのおばあさんは、ご自分の内の畑に鶏頭作っとる。お隣りにも作っとる。並んで鶏頭を少しばかり作っていた。ご自分の内は三本あったのを取ってしもうた。三本でこれ少ないと思ったのか、隣りの鶏頭二本失敬した。それ持って来ると、そこで泉先生は、人の物とるという事はいかんぞという事を教えるよりも、もっとようこたえるお灸をしよるんです。人の物とるなよと教えたところで、あまり人が感心しませんぜ。けれどお婆さんが持ってきた五本の鶏頭のうち、二本は祭れんよおばあさんというと、おばあさんは、先生どうしたんですかとたずねると先生はこういう風におっしゃった。「おばあさん、おまはん所の田圃は細長いんじゃな。一うねはばで、ずっと長い所へ鶏頭作ってあった。」「ええそうです。」「それおばあさん取ってしもうて、三本かはえていなかったの。」「もうお婆さんわかったか。」「へえ。」「へえでないのじゃ、三本はおまはんところの畑にはえとった。あとの二本は、これ外にはえとった様に思うんじゃ、それでわしは祭らんのじゃ、神さんがおきらいになる。」おばあさんが顔赤うにして「恐れ入りました。」とおじぎしとりました。
そういう事で、泉先生は大きな問題を簡単にそういう風に教えたものですから、おばあさんは、なるほどな、あんな草みた様なものでも盗むという事は、神さんがおきらいなのじゃなあ、こりゃ正直にせなんだらお陰が受からんというおおきな問題を覚えたのです。それは、おばあさんが教育がないから、何も知らんのじゃから、先生は簡単にそうい風に「秘密」力で、其のおばあさんを助けた訳なのです。そのおばあさんは一生がい物を盗まなかったでしょう。
正直になったら、大きなほんとうの運のよいお陰が受かる訳なのです。
こういう風に、相手方が、教育があればある様に、なくて悪い事すりゃ悪い事する様に、それを引っぱり出してきてよもや知るまいというところで人を得心さす。その事を書いとるのです。一八二条は、その時代の人を満足さす事ができんのであったら、ほんとの宗教じゃないと、時代と書いてありますけれども、この時代は、人と見てもよろしい。
前へ来たその人の力、そうとうにわかる様に解いて、得心が出来んのであったら、宗教と言えないというのです。
泉先生は、そういう風にお考えになっとるものですから、すべて相手方が、事がよくわかっとる人であったら、わかっとる人の様に、わからん人にはわからん人の様に、その人が得心ができるように、神の力を使うて人を助けたものです。その事を、ここに書いてあります。だからあんた方でも、大勢のお友達がおありになるのですから、向こうさんが間違う事をする。それを教えてあげるのでも、向こうさんが理解出来、得心が行く様なことで教えてあげたら、その人が助かる。怒らしたら助かりません。そういう訳で向こうが、いかにもと得心が出来る様に導いてあげるのが力なのです。泉先生はいつもそういう風にお考えになっております。
(昭和三十五年十月三十一日講話)
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第一八三条 「人をしかったり、憎んだりするのは、その人に、あまり違いがないからである。段がついたら争いは起こらぬ。」
信仰の上で段がついたら大分違います。お大師様と、われわれの様な者とは段がついています。大人と子供みたように。ところが、あまり段がついとらんと怒ったり、しかったり、けんかしたりするのです。あんた方どうです。
子供相手にけんかしますか。それはしかる事はあります。それは教える為にしかるのであって、憎んでしかっているのではないです。憎んだり、怒ったりというのは、両方がよう似とる力同志がやることである。ここをひとつ勘違いの無い様に教えてやろうと思う時に、親切を持って憎まん様にせないかん。そうして向こうを導いてあげたら、いかにもと得心がいってついて来ます。この一八二条と一八三条とは続いている様なものです。怒らしたらついてきません。得心がゆく様になるほど、いかにも道理じゃな、こらそうせなければ損じゃと言う風に、理解さしてあげたら必ずついてきますから、そういう風にしてあげるのがよろしいと泉先生は教えとるのです。
泉先生におつきあいなした人であればわかりますが、ほんとうにやさしい、人を怒らしたりせん様に、しかもああほんに有り難いもんじゃなあと、びっくりする様に人を助けとるのです。こういう風にすれば大変おだやかに人が助かるから、そうしてくれと泉先生がおっしゃった事を私がここに書いたのです。
(昭和三十五年十月三十一日講話)
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第一八四条 「権利を世の中で重宝がるが、元をただせば争いから生まれている。服従という事は、和を元として始まっておる」
このか条大事な事でございまして、こんどの戦争が終りまして、人の権利というものが強くみとめられて来た訳でござります。それもこの戦争に負けた結果、憲法を改正せないかんというので、ご承知の通り天皇陛下までも国の象徴とする。戦争前の憲法では、憲法の第一条に「天皇は、神聖にして侵すべからず」とこうなっておったのです。
それが今度は、天皇は国の象徴とする。まあ国のしるしといいますから、羽織でいえば紋といいます。そういう風に 陛下を非常に低いところへ下してきました。民間の権利、人間の権利というものを非常に伸ばした訳でございます。
国の悪口をいうといきませんけれども、日本は立憲君主国でありまして、憲法おいて君主の国であった、つまり、天皇陛下が主人となるところの国であった。こういう国体でありましたのですが、それを民主すなわち人民が主体となって、陛下は国のしるしであると、こういう風に変えられた事は皆さんご承知の通りであろうと思いますが、この人間の権利というものが伸びますと、どういうふうになりますかと言いますと、もしここに犯罪者であるという印がない限りは、警察といえども、その人をすぐ拘留する事ができん訳で、調べて後でなければ出来ないと、こういう事になる訳なのです。こんど、あの議会の安保条約が通る通らんというあの際にも、議会へあばれ込んでいったのもご承知でございましょう。ところがあばれ込んでいっても、それを罰せられなんだではございませんか。
こういう風に権利というものは、まことにあまりめで度い方じゃないのです。というのは、ここに書いてありますように、権利権利と人は重宝がりますけれども、その与えられた権利というのは、どんなものかといえば、争うて後に生まれたものというものです。もうひとつ言い換えると、無理に自分のからだへ力を国からつけたもので、これを権利というものです。服従という事の反対でご座います。 服従という事は、従うと言う事、従うた結果、自分が自由を与えられる。これは真に平和の自由でございます。権利で自分が威張ってやるという事は力で向こうをやっつけるという事が含まれておる為に、権利権利といいますけれども、まことに感心した事ではありません。
この事に就いて面白い事がございます。私ところの乾倉を西の方へ出しまして、庭を広げた事がございました。その時は寒かったと思います。古い石垣をのけまして、新らしい石垣を西の方へつき出して、そして今の倉を引いていた訳なんです。その時分にたくさんのへびが出てきました。石垣から出る片っぱしから凍えてよう動かんのです。 でも、私がそれをかわいそうに思いまして、捕えてたごの中へ入れまして、きたないけれども辛抱なはれというて、じょう談をいいながらたごの中へ入れて、日向の方へ持っていっときますと、暖かいものですから生き返って、中でごそごそ動いておりました。たくさん出ました。百匹も出たでしよう。
ところがここです、まず人間からいいましたならば、土地は私のである。私の所有権だ。倉も私の所有権だ。他人の所有権の中に住んでいるのは、住んでおる者が悪いのじゃ。つまり権利振る訳です。まあ凍えようが、どなにしようが勝手じゃ。知らん。おまえが入っとるからじゃと、権利からいいますとそんな事になります。併し乍ら、神仏の目で見ますと、何も人間が所有というたところでおかしい話で、わしの物という物はないはずなのです。金を出しておるというだけのことであって、所有者として権利を与えられる。こう考えるから人間がむずかしくなるのです。へびから言いますと、あの石垣の中に住んでおるのに、わしの家じゃ。わしの家を だれがそんな事するのか、そんな事言いません。へびはせられるままに受けておる訳です。つまり、神心です。私は私の家の中に居るのは、わしの自由じゃというようなこというのは、泉先生がおきらいであったので、権利は使うな、こういうお話しがあったのを思い出して助けた訳です。倉を外へ出して庭を広げるという事は、私が勝手にしよるのであって、その勝手にする仕事に向こうが逢うたのがふしあわせなんです。それで可愛相な、権利など言うべき場合でないので私は助けましたがおかしな事には、これがその日私がお参りに行きました時分に、泉先生が拝んでくれまして、私にその時に、こういうのです。「村木さん、おまえさんとこ、倉を西の方へ広げて庭を広うしたのかい。」「へえ、広うしました。」
「その時に百人ほどの人が助けてくれて、有り難いと言うて喜んで、村木家の今後の守りになって一生子孫末代、ここの守りをしてあげる、とそない村木さん言いよるぜ。」「そうでございますかいな。百人て先生、百人とおっしゃるけれども、人でございませんな。」 私が言うと、先生ニコニコお笑いになって「そうじゃ、百人で三貫六百目匁」 百人で三貫六百匁、先生そうおっしゃる。「先生、それは人間でございませんな。」「人間でない。長い人もあり、短い人もあり、太い人もあり、細い人もあり、黒い人もあり、茶色の人もあり、白い人もある。色々じゃ。」「先生 それへびでございますね。」「ええ蛇じゃ。その人が助けられて、村木家こういう慈悲をかけてくれるうちはお守りせないかん」と、こう言うとると、先生がおっしゃる。
それからまだ先生が詳しい事おっしゃるんですが、「その中の一人が言うとるぜ。わしはほうりあげられて、べたと落ちて痛かった。ほどようとほうりあげられた。それもわしらを好かん石屋さんが、石をコンコンとのみで切っていたが、村木さんが頭と尻ぽを捕まえて、その人のうつむきいっとる首へかけた。さあ、その人びっくりして、ああと言うて手で上へ振りあげた柏子に、わしが上へほおりあげられて、高い所から下へ落ちて痛かった。そない村木さんいよる人がある。」「先生まことにすまん事でご座います。宇吉さんという石屋はんがきていまして、その人まことにへびがすかんので、それを私がじょう談にじわりと一匹出て来たのをとらえてきて、宇吉さんの首へかけたんです。そうすると驚いて手ではねのけた柏子に下へ落ちた事いよるんです。」「痛かったといよるぜ。」「そうですかいな まことに相すみません事でございました。」「怒っとれへんけれど、おまはんよう悪い事するな。」と冗談を言われた事がございます。是位泉先生は、まことによくお判りになった。そうして、只判ると言うばかりでなしに、権利ということを振り廻す人間は神様すかんのじゃ。寒い時に放り出され、我れ我れが凍えて死なんとするのを、かわいそうに思って助けてくれて、新らしい石垣へ入れてくれたという、この慈悲に対しては村木家の守り神になると言うことを先生がおっしゃる。まことにこれは、天地の真理を先生がおときになりよるので、人間は権利を張るというと、人間が堅うなって、理屈高うなって、そこにひとつも慈悲が起きてこん。まことによい事をしたと先生がここでほめて下さっているのです。
ところが、その後で先生がこうおっしゃるのです。「へびは我々ごとき下等動物が、人間界の守りをしたげるといったところで信用が出来ないだろう。人間というのは、まことに理屈が高うて、下等動物が人間などの守りになるかとこう皆思うだろう。村木さん、おまえさんとこの子供が今六ツになる子があるが、この男の子が今日から三日後に大熱になるぜ。へびがそういよる。その時にわしら出てきて、みんなしてこの子を助けたげると、そんなに村木さん いよるぜ。」「そうですかいな、有り難うございます。」先の事でご座いますので、私は先生においとまして帰った のでございます。三日も先の事ですから讃岐から帰っても、私あんまり家族に何もいわずに、黙っておったのです。 ところが三日しましたら大熱になりました。四十度あまるのでお医者さんが来まして、調べたところ「これは多分はしかの突発の熱じゃ。こら熱が高いから熱さましはあげとくけれども、冷やさん様にせんといかん。初めから熱が高いから大事にしなさい」と、こう言うてお医者は帰ったのです。そうして夜になりましたが、子供が言う事には、「おとうさん、早うきなはれ」と言うから、私行って見たんです。すると、指さししまして「あっちにおる、ようけはいよる。ああ下にもいるよ。ふとんの中にも来た。ふとんの上にようけおるぜ。ほうぼうようけ這いよるぜ、赤いんや 黒いのが首玉のいっとんや、黄色のや、ようけおるぜ」そういうて指さして、目をキョロキョロするものですから、私にはわからんのですが子供は、もう目をくるくるして指さして、そういうんですから「おまえさん、恐ろしいんかい」「おとろしいない、へびがようけ来て皆熱をくわえていんでくれよる」そんな事を言う。「ああそうで、ほらええ具合じゃな」「お熱持っていんでくれよるけん、すぐなおる」そうしてニコニコして喜んでおります。やがて、スヤスヤと寝まして、あくる朝になりまして、もう平熱です。ひとつも熱ありません。お医者様が来て、びっくりして 「こんなん珍らしい、まあ三日はしかやはあるけれども、こんなにひと夜さで熱が平熱になるやいうようなこと、めずらしい事や、結構でございます」医者も喜んでくれましたが、こういう実例があるのでございます。
私が皆さんにお話したいと思いますのは、人間は、どうも権利という事から悪い事が生まれてきております。権利があるというて権利張るんです。つまり法律で与えられとる権利、その法律で与えられとる権利を振り回すのです。
これは、そういうとおわかりになると思います。権利ばるという事は、たくさんありますから、権利というものは色々なものについて居ります。人毎に権利がある。あるいは物に対して権利がある。この権利ということを振り回す為に、全々信仰をなしにしてしまう訳です。 しかし権利という事も結構な事でございますが、権利を与えられる為に世の中が治まるんですけれども、先生のおっしゃるのは、この権利を振り回して、権利張るなという事なのです。権利という事は争いという事から生まれとるのじゃから、信仰の上から権利張る事はよくないぞと、こういう訳なのです。権利を悪くいうのではありません。 権利を振り回す人を見てご覧なさい、どうも利己主義の人がやる事です。それよりも、向こうに従うておる場合には、ほんとうの自由を与えられるとこうなりますから、ここのところは、権利を悪くいうのではありませんが、権利という事は結構な事でありますけれども、法律で与えられた権利は、結構であるけれども、それを無理に振り回すというと、信仰の道に合わんようになって来るというお話しです。
(昭和三十五年十一月十五日講話)
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第一八五条 「神の道は宗教でない。宗教は人を離れて存在出来ぬが、神の道は人を離れても一糸乱れぬ真理である。」
人間がこの土地へ出て来ていない時、すなわち人間が下等動物の時代、今のような人間の時代で無い時でも、この天地間の事は風が吹き、雨が降り、あるいは夜が明け、あるいは月が出る。こういう様な天地間の事は、一糸乱れずすこしもくるいなく、秩序正しく運行していたのです。天地の真理は、人間が生存しようがしなかろうが、狂いません。すなわちこれが天地自然の真理でありまして、神の道なのです。
宗教というものは、この天地の教えに従うて、人間の生活をすることです。だから宗教というものは、人が出来て、そして後から生まれたもので、天地の道を説いたのが宗教であって、自然にあるものが神の道です。だから、神の道というものは人の生まれん先から一糸乱れずある訳です。ですからこの宗教というものは何ぞ、といいますと、一口で言えば天地の動きに合わして、天地の真理に合わして、われわれが朝から晩まで、その道に合わして暮らしとる、 その暮らし方が宗教なのです。人が天地の道を人間の道に直したものです。これを宗教と申します。 これは神の道というものと宗教というものとを区別した訳でございます。
(昭和三十五年十一月十五日講話)
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第一八六条 「すべて何事によらず、理屈よりも慣れる事が大事である。平常によく知っている事でも、実際にぶっつかると、やりくじるものである。えらい人にもこれはよくある。実際に慣れておらぬからである。こと自分に理のある時によくやりくじりやすい。」
これは昔からイロハかるたにある通り、習うより慣れという事なのです。この理屈、宗教でも理論のお話しすると、なるほどそうか、そうだろうなと理論はわかる。わかりましても実際に当たって、それを使うという事はなかなかむつかしいのです。たとえて見たらすぐわかります。
ここにミシンの機械です。あれは針に糸をとおして、その針を機械にくっつけて、そして針が手で縫うごとく動くように、しかけてある。足で踏むと、ベルトを掛けてある車がまう。すると針が上下に動いて、手で布切をあちらへやり、こちらへやりしますと、ぬうことができます。こういうたら、なるほどミシンの事はわかるが、さてそれを縫うてみいといって、機械持ってこられたら、針に糸通して足で踏むとカタカタと縫います。縫う様に動く手の方へ力を入れると、足の方が止まってしまうたり、なかなか一人前に縫える様にならん。ミシンをお使いになった人はよくわかると思います。その理論はわかるんです。機械を説明してくれたら、さあ実際縫うという事になってくると、ちょっと慣れな縫えません。学校のオルガンでもそうです。あれは足で踏んで、手で押さえて、目で譜見て、口で歌うのです。四つの動作をしているのです。歌に力を入れて歌うていると手が動かんようになる。手に力入れると、こんどは足が止まってしまうたり、なかなか足で踏んで、手で弾いて、音譜を見て、口でうたうという事は、なかなか慣れな出来ません。いくら達者な人でも三月や四月せんと、あれが出来んのです。
信仰でも同じ事でありまして、信仰の方のお話も何事もいろいろ理屈といい、理論というものと、実際というものとが食い違うのです。たとえて見ますと、「笑う門には福来たる」と怒らならん場でも、怒らんと笑うて過ごしていたら運がよいと、こういう事を習うたとします。そうせんならんと思うけれども、ひとつ何か向こうの言い様が悪かったら腹立てて、何と言う事言うんなとやり出して、笑い顔せんならんところが、鬼みたような顔になってしもうて、ああしもうた、やりくじったとこういう事になるのです。それを日に日に教えの通りに練習して癖になりますと、自然と怒る事が止まるという事になる訳なので、理屈というもの、実際というものとは大いに違う訳です。昔から歴史に残っておる偉いお方、そういう方が歴史に残してある事は、一朝一夕にはああいう風にはなれんのです。よほど慣れた場合でないと、後の世まで名が残る様なことは出来にくい訳なのです。
この慣れるという事は、非常にむつかしい事でございまして、又それを取り入れれば、それは何でもないことです。電気ハンマーといいまして、このハンドル一つ押さえたら大きなつちがドンドンと鉄を打っていますが、あの何トンもある鉄の大きな金づちが、ハンドル一つで上がったり、下がったりして金を焼いて鍛えよるのですが、軍艦などこしらえる時分には大きな鉄材を焼いて、それを何トンもある金づちでドンドンと打っていますが、ドンドン土地が地震のように響きます。あれも、ちょうどわれわれが小さい金づちを使うように上手に使います。私は一ぺん横須賀の鉄工所で見せてもらった事がありますが、その時分に海軍工しょうで、軍艦をこしらえておりました。大きな鉄材をまっかに焼いて、鍛えるのです。打って思う通りのかっこうにこしらえよるのですが、ちょうど私らが小さい金づち使う様に、自由自在に使うておりました。その時に海軍で話を聞いたのでございますが、今そのハンマー使の人は、日本一というえらい人じゃそうです。ある日仕事の合間にしたことなんですが、あのハンマーと金床の間へ、自分の子供を寝かしといて、その上から何トンものハンマーを、すとんとそこへ落しても、子供の頭にすれすれになっても少しもハンマーを体へあてなんだ。こういう腕を持っとる人と私は聞きまして、びっくりしました。 よほど自信がないと、そんな芸当出来ません。もうすこし間違うたら子供の頭がくだけてしまいます。そういうあぶない機械の間へ子供を入れて、自分が自由に出来るという事を、皆に見せたそうです。
こういうようなもので、これなども習うより慣れ、慣れとるから出来るんであって、慣れなければなかなか子供どころでありません。堅い鉄をたたくのでも、ごじゃを打ちます。まして、信仰の上には心の事でございますから、所作と違いまして、心というものはコロコロと動きまわるものですから、怒らん様にせんならんと思うても、つい怒ってしまって、あとでああ仕舞うたという訳なので、技術よりも、もうひとつ心の方は、むつかしいと思います。
泉先生は、いつもこの心の事をおっしゃっていました。どうぞ皆さんも、其の点をお考えになって、習うより慣れということでないと使えんということをお考え願いたいと思います。
(昭和三十五年十一月十五日講話)
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第一八七条 「天は人の生きるに、一時も欠く事の出来ぬものは無償で、与えている。人はこの広大無辺の恵みに感謝せずして、徒らに人を損ねる名利にのみ有り難がってはならぬ。」
これをわかりやすく申しますと、天とうさんは人が生きるのに、是非なければならんというものほど、安うにくれとるのです。ものによりますと、ただくれておる。 人間はどうしてもなければならないというものほど高こう売っとります。ここが信仰と実際とが違う所でございまして、生き物がここへできるという場合、天とうさんは先にその生きものに必要なものを先にこしらえております。そうして生きものがこまらんように用意ができて、そこへ後から生きものを出しております。
たとえましたならば、親ほど子に親切なものはないのでございます。子のためには金も、名誉も、地位も、命さえも惜しまないほどの慈悲が親にはあるのでございます。なおもう一つ神仏の慈悲というのは、それよりも大きい。
広大無辺であります。これに感謝せずして、ただいたずらに自分のありがたいという事だけに、ありがたがっておるのは、たいへんつまらん話であると、こういう事を書いてございますが、この広大無辺という事につきまして、お話いたしてみますが、これは、わかりきった問題でございますけれども、わりあいに世の中ではそれを理解しとりません。たとえば、あなた方が、日常息をせずにおられません。その息をするという事は、空気中にはいっておるところの酸素を体の中へ吸い込んで、そうして、その酸素で自分の体の中にある血を洗うのでございます。ちょうど、人間のこの肺臓といいますのは、ふのような物でございます。あなた方があがる「ふ」。ふわふわしておる。その中へ血管がたくさんはいっておるのです。そうして息を吸い込むと、そのふのような中へずうっと空気がしみこんでいって、そうして血管の中を洗たくして空気が外へ出るのです。吸い込んだ時には空気でございますけれども、はきだす時には炭酸ガスになっておるのです。こういうふうに、たいへんこの巧妙に出来ております。実に天とうさんの働きというものは、そういう風に見事にできているのでございます。それほど大事な空気をただくれとるのです。
ここがその信仰者と、信仰のない人とのわかれ道です。信仰のない人は、ああ神様仏様、有り難いというたところで、空気はヘれへんが。こういう事を言うのでございます。なるほど天道はんの悪口いうても、神様の悪口いうても 空気はなしにはなりません。ただくれます。その悪口をいわれても、ただくれると言う所が広大無辺なのです。人間だったら悪ういうたらあげへんでしょう。悪くいおうが言うまいが、とにかく生物を助けるために空気をただくれる。ただくれている空気はどこから出来ているかといいますと、不思ぎな事には山にはえておる松やかし、あるいはたんぼにはえとる所の稲であろうが、菜であろうが、青葉のついておるところの植物は、人間が吐いた所の炭酸ガスを吸うのです。葉の裏から炭酸ガスを吸いこんで、そうしてその炭酸ガスを植物のごちそうにしまして、そうしてこんどぶり吸いこんだその葉緑素の中へそれがとけこむと、今度は葉から又出しているのです。なにが出ているかというと、酸素が出るのです。どうですか、そういう巧妙な仕事を天とうさんが、神仏がこしらえてあるのです。
「あんた方ひとつ木の葉でも、菜の葉でもよろしいが、葉のうらを上にしまして水の中へつけてごらんなさい。その葉が呼吸しよるしょうこには、葉のうらへぽつぽつと空気の玉ができます。それは酸素を吐いているのです。
これは、木の葉が息しているという証拠でございます。それで、山へ行くと空気が新鮮なから体に良いといいますのは、そのためです。
青い松や、いろいろの木が沢山はえておる所へ行きますと、なんとなく空気がしんせんで、気持がよいというのは、その木の葉から出した所の酸素を、人間がおしょうばんするからです。
それから水でございますが、これも人間の生活にはどうしてもなければならん所の品物でございまして、この人間の体はほとんどが水なのです。それで日に日に水をよばれておりますが、この水が又これ不思議な事には、生物が居るだけできよるのです。昔から水が出来過ぎて水びたしになったという事もなし、又水がかれすぎて生物が死んでしもうたという事もないので、ちょうど生物ができるだけ必要な水が出来ている。その水はどうしてできているかといいますと、これは化学の問題になりますが、水素というガス体と、酸素というガス体とがいっしょになりまして、そ して化学変化をおこしまして、水が出来るのです。こういう訳でございまして、天とうさんは、いくらでも水を製造するのです。
それから又この水が出来ますというと、大きなアフリカとか、あるいはゴビとか、満州にもございますが大きな何百キロと続いているところの砂ばくがあります。そんな所は雨がふりません。そういう所へでも、やはり天とうさんは水を運んどるのです。どういう風にして運ぶのかといいますと、水の表面へお日さんが当たりますと蒸発します。
そうして、水蒸気になります。そしてそれが空へ上りまして、空気中を上って行くときに風が吹くと、その風がどこへでも水蒸気を運んでいきます。あの雲が飛んでいるのは、あれは水蒸気です。もう水になっとるのです。そうして冷めたい空気に合うと、それが雨になって落ちてきます。こういう風にして、生きものが住んでおる所の世界は、いつも万べんに水をあっちへやり、こっちへやりしてくれて、生き物は生活にちょうどええようにできとります。
ところがここが不思議な事には、この生き物が住んどらんような所です。たとえば星の世界、ああいう星の中には 表面に空気がないのがあります。この地球のぐるりには、一二〇キロぐらいの厚さで空気が充満しているのです。 それで生き物が、その中の酸素を吸って生きていく。ところが、生き物のない所の星などになりますと、その必要がないがために空気が無いのがあるそうです。あの星がきらきら光っとりますが、あれを今日の科学で調べてみますと絶対空気がない所の星があるそうでございます。こういう風に、天とうさんは生き物がおる所へは、必ず生き物が生きていくのに必要な物はくれてあるのです。妙でございましょう。 ところが、その多すぎず、また少なすぎず、ちょうどええようにバランスがとれていっきょるという事は、どんなそろばんだろうと、これはもう人間のそろばんには合いません。ちゃんと神様が生き物に必要な物だけを、ちゃんと測定してくれてあるようなものでございます。こういう風に、広大無辺なご恩を我々は受けとるのです。
ところが、先刻申すように、信心のない人は、広大無辺の恩やいうたところで、ありがたいと思わなくても、くれるでないかと、こんな事いう人がありますけれども、それはありがたいといわないでも、悪口いうてもくれます。
水もいくらでも飲めます。飲んでもおこられはしません。空気もいくら吸うてもかまいません。しかし、空気を吸い水をのんで一生くらしておる間に、そういう事のご恩をありがたいと感謝する人は幸福にいけます。悪口いうたってくれるわ、そんなに感謝せえでもええわという人は幸福にいけないのです。これが又妙でございましょう。
ああ、ありがたいありがたいというて、その広大無辺のご恩に対して、日夜喜んでお礼を申しておる人には必ず幸福がくるのです。それはあたりまえじゃ。悪口いうたってくれるわや、言う人には妙に不幸がうち続くのでございます。
これが実に天の妙理といいまして、人間の知恵ではわからんところのご慈悲を受けとるわけでございます。それを、知らずして、人間は自分の利益になる事、また名誉になる事だけに力を入れて、そういう名利、つまり名誉や利益という事ですが、その名利だけを有り難いと思うて、外の事を一つもありがたがらんという事は、まことにもったいない事でないかと泉先生がおっしゃったのです。
それで人がお礼を言っておらん所に、大きなご恩があるという事を考えてごらんなさい。それは、お金もうけさせてくれて、有り難いというのもありましょうけれども、それはもっとも小さい事でありまして、そういう名利、そろばんより、もうとてもそろばんにおけんところの大きな慈悲を受けとるという事に目がついた人は、この上ない幸福じゃと私は思うのでございます。
よく私はいう事でございますが、この人の一生には、過去、現在、未来、この三つがございます。過ぎ去った事、 今の事、これから先の事と、こう三つに一生の内を三つにわけてみてみますと、今幸福にいける、喜んでいけるという人は、すでにすぎさった前に過去に天とうさんのお気にいっとる事があるがために幸福をくれとるわけです。それで 今それを感謝して喜んで、日に日にお礼をいいつつ喜んでくらしておる人は、又今度未来、未来にそれを持ちこしていきまして、現在喜んでおる事が未来の収穫になる訳です。こういう風に過去、現在、未来というのは、互いに原因になり、結果になりして続いている訳でございますが、その間で、いかに喜んだか、いかにこの喜びを人に分けたかこういうようにしたならば、幸福にゆけるということを、お互に誘いあい、助けあっていく所の道が、これが信仰なのでございます。泉先生は、ただのおがみ屋さんと違いまして、雨がふってもありがたいというのは、そこにある のです。
水が流れてありがたい。風がふいてもありがたい。 よう考えてごらんなさい。風が吹くのがなにがありがたけりゃといえば、それまででございますけれども、もし風という物がなかったならば、この土地の上へ、まんべんに水を配ることはできません。又この息をするのに必要な酸素をまんべんにおくるという事もできません。泉先生は科学者でありません。その科学もなにもお知りにならん方が、この広大無辺な風が吹いてもありがたいという訳を知っとるのです。水が流れてもありがたいという事を知っておいでる。大学者が及ばんようなところへ、日に日にお礼をなしとるのです。
こういう風に見ていきますと、先生の五尺のお体は、もうまるっきりの神様と見てよろしい様な事になってくる訳です。この一八七条の所で申し上げたい事は、人がいよらん所へお礼がいえるという事が我々の幸福の種を植えるもとになるのだ、徳を植えるという元になるのだと、こういう事を考えたら、ああほんに生きの世で先生のようなお方に会えたのは、我々は実に幸福であると思わなならん事になる訳でございます。この一八七条はそういう訳で、広大無辺の恩という事をここで説いてあるのでございます。
(昭和三十五年十一月三十日講話)
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第一八八条 「世の中は十人十色であって、しかもめいめい自分を信じている 。これが天の妙理である。ほんとうに考えるなれば、一味一色であるべきはずであるが、わが身を愛するがゆえに六道に分れてくる。この六道に落ちたる者をさげすむ心起らば、我も尚六道に迷える者と知れ。身のまわりのものすべてが、たとえわが命を取る者であっても、喜び得てこそ真の極楽浄土に安住したといい得よう。ここにはじめて、神の光明を見られるのである。」
この世の中の人が暮らしておるのを見ると、皆それぞれに考えかたが違うておる。形をみると、ようく似ておる人間どうしでありますけれども、考える事が十人十色である。これは同じ生物であって、同じ土地でくらしておりましても、考えがそういうふうに違いますから、六道が分れてくる。六道ということは結果でございます。六道になるということは、その原因はなんであるか、めいめいの考えが十人十色に違うから十人十色の結果が出来るんである。
それを分けてみると、六道になるんだという事です。ところがこの六道におちておる人を見てみると、どういう種類かといいますと下から順に申していきますと、地獄、地獄道というのは気の毒ながら今日刑務所でお世話なっとるような方、警察でお世話なるような方が地獄の道を通いよると見てよろしい。餓鬼道といいますのは、欲でございまして、人の物でもなんでも欲しいのです。見る物、聞く物が欲しくてたまりません。そうして自分が努めて、それを造ればええのに、造らずして欲しがる。つまり貪欲でございます。欲のかたまり。出すものは出さない。取るものはなんぼでも取りたいというのは、これ餓鬼道でございます。畜生道というのは、これは同じ人間でございますけれども、畜生のように知恵がないのです。考えかたに知恵がないのです。後先を考えずして、ただ今の心のままにやってのけるのです。先でどないなってくるやらこないなってくるやらそんな心配しません。今したい事をしたいままに、ぱっぱとやってしもうて、後で困ってしもうたというような知恵の浅い人のことを畜生道を通っておるといいます。
それから今度は修羅道というのがあります。この修羅道といいますのは、何事でも争わなきかんのです。世の中の事でもすぐに批評するのです。今日の政治界でも、それがあるでございましょう。争う、すぐストをおこします。
何万何千という人が、くんでやったら、それを使いよる人が困ってしまいますから、きかなならんようになるという弱点につけこんでストをやります。これはご承知でございましょう。郵便局でストをおこしますと、小包や郵便物や電話がとおらんようになります。それで一般が困ってしまうのです。それで言いぶんをきく、つまり給料を上げる事になります。誠に気の毒な考えです。それから鉄道あたりでもストをおこします。もっともひどいのは学校で立派な人を作る所の教師の方がストをおこしていろいろ言うとります。これなどは誠に国のために実におしい事だと思います。教育の問題でも、ああいうふうにストをおこしとる事には多少理由がある事もありますけれども、民主政治、民主生活にあわないとか、なんとか言いますけれども、人間の幸福なため、泉先生がおっしゃっているように、極楽世界を作るためには、是非なければならないという事は研究してもらいたいと私は思うのです。
いかにええ事でありましても、極楽世界建設するのに邪魔になる物は、これはのけてもらいたいと思います。標準をお互に極楽世界をここに作るのにええ事しようじゃないか、悪い事をやめようでないかというのならよろしいけれども、そうでないのでありまして、自分の給料をあげてもらうためにストをやる。人の幸福のために、こうしたらええ、ああしたらええという事は誠に結構な事だと思います。こういうふうに考えていきますと、その争うという事が修羅道というのです。何でもかんでも人と争う。これが修羅道です。
それから今度は人間道、人間道というのは普通の人の道です。今まで申した地獄、餓鬼、畜生、修羅、この四つのほかにまだほんとうの人間の道、それは人間道というのがあります。我々は人間の道を通っているので、その人間道の上には天道というのがあります。これで六つになる訳です。天道というのはどういうことかと言いますと、何事でも自由にできるのです。たとえば将軍さんである、王将であるとか言う人は、自分がこういう事やってみたいと言うと、それが自分の権力と財産の力でできるのです。昔の殿さんなんかは天道となっとるのです。殿さん将軍さんのようなくらしが天道です。それで六道になるわけです。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間道、天道、これで六道でございます。 六道は皆迷いの方なんです。たとえ将軍さんでありましょうとも、殿さんでありましょうとも、これは人間道の上のちょうでありますけれども迷いに目がさめとりません。する事がわがままですから天道は六道のうちへはいるのです
この六道というのは、なんでそんなに区別ができたかといいますと、もとを正せば人十色で、こやったらええ、あやったらええと、自分がええと思う方へ進んでいくから、こんな種類ができてくるのです。それなら、どうしたらええんかといいますと、泉先生のおっしゃるのは、六道は、めんめ十人十色の考えを起こすから、お互いに、この人間世界に極楽浄土を作るという一つのことに皆が注目していくんであるなら六道はないようになると先生はおっしゃったのです
なるほどそうでございます。人の幸福のため互に助けあって、ここへ極楽世界をこしらえんかと、皆が思ってするのでありましたら。譲りおうて争いやは起こりません。ああ、泉先生はこれだけ大きな見識をもっておいでるのです。
一八八条はそういう、その大きな議論をしてあるので、これは泉先生が、いつも極楽浄土をここへつくるというようなお考えでありましたから一八八条が出来たわけでございます。
(昭和三十五年十一月三十日講話)
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第一八九条 「天地と共に不朽の仕事は、他を重んずる人に依って成されるものである。」
昔から天地の道というのは絶えません。いつまでも天とうはんは無しになりません。土地もいつまでも無しにはなりません。この天地が続くごとく、不朽の仕事というのは朽ちない仕事です。いつまででも、つづいていける、立派な仕事は、だれがこしらえたかといいますと、人を重んじ、わが事よりも他を重んずるという人がこしらえたんだとこういうのです。これなども、泉先生のお説は大きいです。そういう、極楽世界みたようなのを作るような大きな仕事は、どんな人によって出来るのかというと、自分の身よりも、ほかの事を考えるという人がこしらえるのだと、こういうのです。いいかえますと、わが事を考える人は、六道におちてしまうというのです。人のことを考える人は、幸福な神の道に入ると、こういう事になるのです。一八九条は簡単に書いてありますけれども、そういう深い意味があるのです。わがことばかり考える人は、六道におちるぞと、人のことを考える人は六道の外へ出て行って、安全界へ出て行くぞと、こういうことに、いい換えられるのです。
泉先生は、誠に、毎々申しますが、そういう深いお言葉が出るのです。この天地とともに、朽ちないところの仕事をしたという人は、お釈迦さんもそうでしょう。二千五百年後ますますお名前があがっています。弘法大師もそうでございます。
(昭和三十五年十一月三十日講話)
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第一九〇条 「我を除けば敵は無きものである。」
我というのは二種類ありまして、天地に広がる我という方は大我と申して、誠に欲のない慈悲深い神心で、大きな我でございます。ところが、もう一つの小さい我、すなわち今日損じゃ得じゃなどいよるほうの我です。ここに書いてある我というのは、人間の運命をきずつけることを考えているところの我なんです。その我というものを除いてしまったら、天下に敵はないものぞ、という事を書いてありますが、泉先生のお心は天地に通う我ばかりで、人間の小さな我という方がほとんど見つかりません。私は、長々の間、おつきあい申しましたけれども、実にきれいな、ほんとうに神さんというようなお心でありました。
だいたい、この我と申して、自分というものの本体はなにかと、これを調べぬきましても見つかりません。あなた方ひとつこれをお考えなさってごらんなさい。「わし」という「わし」は、どこがわしだろうか。これをいかにさがしましても「我」というものはみつかりません。結局、たずねあたるところは「欲」です。欲、自分をかわいがるという欲よりほかにないのです。それでは、そんな欲な性根はいつできたのだろうといいますと、これは、何億年前に、我々のご先祖、そのご先祖とは今のような姿をしとりません。ほとんど下等どう物で、あわれ、はかない動物であった時代の遺物でございます。その時代はどういう性根で暮らしていたかといいますと、いつも自分だけよかったらええと、時によると腹がすいたら人をかみたおして食っていたのです。弱肉強食と申しまして、強い物が弱い者を食うという時代の性根が残っておるのです。その時代から我というものが出来たわけなんです。
そういう訳でございますから、この自分というものをのけてしまうと、敵がないのだという事を書いてございます。泉先生は、誠にそういう点が、ご修業が行き届いております。仏さまの方では五智と申しております。五智如来といいまして、大日如来さんのおつむりの上に宝冠を五つ召しておる。その宝冠のお名前が五つなんです。お名前をいいますと、所作成就智、妙観察智、それから平等性智、大円鏡智、それから法界体性智この五つでございますが、我という物をのけるという事に対しては平等性智、平等という事がわかりませんと到底我はのきません。
ずっと大昔を尋ねていきますと、ほとんど虫でありました事は事実でございますが、それが出世していろいろな新たくができて、そのおも屋の出世したのが人間なんでございますから、虫けらに至るまで、皆これ、同類なんです。
同じご先祖なんです。すなわち平等なんだと、こういうお考えを泉先生はもっておいでたのでございますから、ただそういう事を知っておいでるというばかりじゃなしに、先生が拝みなさっていたら、すぐにたぬきにでも、ねこにでも、犬にでも、きぎれにでも、竹ぎれにでも、何にでも先生はなります。なると申した所で、おがんでもろうた方でないと、おわかりになりますまいけれども、先生は何にでもなれるのです。
一例をあげてみますと、讃岐のある大きな大分限者に、年貢の麦を土用干しておった。ところが、その土用干の麦の真中へ子犬がはしりこみ、おしっこをした。そこで家族の人が子犬を棒でたたいたのです。犬はひょうしの悪さ、急所にあたったのか死んでしまったのです。そうしてその犬をすいじ場の近くへ埋めたんです。土をかぶせてありますから、なんにもわかりません。そのところへ、ねぶかを作ったのです。そしてねぶかの横へ貝殼のくずを横へつんであった。こういう事実があったのです。そのおぶげん者の家の奥さんが、泉先生の所へおがんでもらいに来たのです
どうして来たかと言いますと、そこの若だんながご飯を食べず、ねぶかをむいて、なまのねぶかをがりがりかむのです。そうして、またこんどぶりは貝がら拾って、その貝からをがりがりかむのです。という病気なんです。それでそんな物かむのでございますから、体がやせおとろえて、目だけ大きくなってやせているのです。そういう人をつれて先生の所へきました。私は、その横でおったのですが、先生が奥さんに言う事には「奥さん、あなた所のお家は大きなお家で、ことしの麦の土用干に、庭一ぱいにお麦干しやしまへなんだかいな。」「干しました。」「その時に犬の子が走ってきて、麦のまん中でおしっこしましたねえ。」「へえ、そんな事ございました。」そういうた後で、先生が 今度犬になってしもうたのです。犬になってしもうて、声がかわるのです。細い虫みたような声になるのです。
そうして、その犬になってしもうて、泉先生にその犬がつげることばがわかるのです。どういう風にいうのかというと、「先生、私は犬の子であります。その大きなお家の、麦のどよぼしのまん中で、私がおしっこしました。だんなさんがおこって、わたしをたたき殺され、この世を去りました。ただ今は、泉のそばの畑のはたで、埋められております。私の頭の上にねぶかを作って、その横にかいがら沢山おいてあります。先生、このとおり私はつらいのです。」 とこういうのです。すると先生が、こんどは先生にもどって来るのです。「ふんそうか、奥さんどうですか、あない言います。」「先生、もう恐れいりました。そのとおりでございます。」そこでまた先生が犬の子になる。
「私はつらいから、この若だんなに、ねぶかと貝がらを食わせて、悟ってもらおうと思うとります。とりついとんでございません。つらいからでございます。」「奥さん、あのとおり言います。」こんどは先生がおっしゃる。こういうふうに、ちょうど早がわりです。犬になって先生に申し上げると、その先生が奥さんに話をする。その早がわりの芸当と言うものが実に立派なものです。
そういう訳で、この泉先生のお力は、いわゆる平等性智、仏さまの五智如来の五智の一つの平等性智というお力を持っておいでる先生ですから、木ぎれにでも、竹ぎれにでも、犬にでも、猫にでも、なににでもなって先生に申し上げるのです。先生に子犬がそういう話をする。そうしたら先生が、その話を受けとって、そうして患者に話をし、助けてあげる。こういうおどろくべき先生はお力があったのです。
その平等性智という事はむつかしい話になりますが、これも以前に私がよく野崎へ参っていました時にお話しをいたしました。第七識といいまして、人間には八つの心があります。八識あるでしょう。その中の第七識、我という心なのです。第七識は、すなわちそのわれという心がなににでも早がわりするから変化心(へんげしん)というお話を申した事があります。泉さんの第七識は、猫にでも、犬にでも、ご自分の泉先生にでも何にでも千変万化に変わる力を持っておいでる。そういう事がはっきりとここで分るのです。その七識、すなわち我というものをのけてしまってもやはり我というものはあるのです。大きな我というのがあります。先刻お話し申すとおりで、泉先生は、そういうお力を持っていますから、いかなる事でも自由自在にさばく力があるのです。ここは簡単に我を除けば敵は無き者ぞ、と書いてあります。
今申すとおり、我というのには二通りある。神様に通ずる我と、人間の欲に通ずる我との二通りある。その欲に通ずる我というものをなしにしないと運が悪い。その運の悪い我というものを、清浄に変えてしまうと、もう神に通ずる大けな我だけであるから敵はない。非常に立派な人間になれるという事を百九十条に書いてあるのです。
(昭和三十五年十二月十五日講話)
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