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第十二条へ 第十三条へ 第十四条へ 第十五条へ 第十六条へ 第十七条へ 第十八条へ 第十九条、第二十条へ第十一条 「信心していくには、家の「不和」をせぬのが肝要である。」
不和はこの三つから生れます。その貪、瞋、痴を三毒と申します。次の話は讃岐のことでございますが、八幡さんの馬場先に一軒の家がございまして、そこのご主人は大変信心なので、日々朝うすぐらい時から起きて、ほうきをかついで、手桶を持ちまして、お屋敷を掃き清めて、谷の水を吸んでおちょうず鉢の水をきれいにすることを毎日なさっておりました。「そこのおばあさんは朝寝したい。これは身体の都合でそうなさっているのでしょうが、そのおじいさんが、ほうきをかつぎ、片方に手桶を持って八幡さまへ行くさいに「こらっ、いつまで寝よる、わしはこうやってほうきかたいで八幡さんへ手入れにいっているのに帰って来るまでに茶わかしておけよ。」おばあさんは、おじいさんの言い方がきびしいから、ほがらかな返事が出来ぬ。「まあ、その返事なんな」と、おじいさんは怒り飛ばして八幡さんへ掃除にいくのがさいさいだったのです。ところがおじいさんが、少しぐあいが悪く先生のところへおいでて、「先生相すみませんが、私この頃、息切れがするので、先生一つおかげがいただきたいのです。」はいはいというと、先生がまた例のようにきちょうめんにお珠数をすすいで、又お口をすすぎ、神様の前へおすわりになった。「さあ、おっさん、おいで」帰命天道をおっしゃって、その後で先生のおっしゃるのには、「おっさん、あんた八幡さんのお宮のすぐ前かえ」『へえ、そうでございます』「すぐ八幡さまの馬場先でございます。」「うん」「八幡さんのいうことには、おまはんにきてもらって、色々お世話してもらうの気の毒だがとどいていないと言よるぜ」 「へえ、先生とどいとらんとおっしゃったって、あんたわたしや、日々あの八幡さんの掃除にかかっとる。「それは わかっている。そのほうきは自分でにこしらえたほうきか。」「へえ、先生自分でにこしらえた竹のほうきです。」 「ほうきこしらえたのまで八幡さんはご存じなんだ、おまはんの手製のほうきは神さんよろこんでおるのじゃが、そのほうきかついでわしの所へきかけにいよることが気の毒でのう。」「先生それはなんのことでございますか」「いや何のことって、お前さんくのおばあさんて、朝ねするのがすきでないかい。」「ええ先生、朝ねするにもていどがある、日が出ないと起きんのでございます。」「ふうん」「それは身体がよわいのではないかい。」「早う起すと、 頭が痛いといいまして」「それはええんじゃが、わしのやしきをはきにくる時におばあさんを、ぼろくそにいって、もどってくるまでに茶をわかしておけよと、あんなにいうとわしは、せっかく来てくれても気の毒でなあ」「先生恐れいりました。」八幡さん悪うございました。神様は、あんなに、聞いておいでる、見てござる。神さんによろこんでいただけるというふうにすることが、おかげをうける一番大切なことであるということを、泉先生はよくお教えになりました。
ある日泉先生は、こんなことがありましたと、沖野彦十郎さんがお話しなさっていました。 先生のような偉いお方でも、つい奥さんのいい方でお気に召さんことがあるのかしらん、だまって着物をお包みになって背中へ負うて、すっすと出ていっているのをひょっと私がみとめて、後からかけつけたところが八栗さんの方へお出になっていた。さあ何かおっしゃって、どんなになさるおつもりであったのか、知らんが、後へ向いて『ああ、 彦はん、わし、もういぬわ』それも、何のことやわからないが、すぐ帰っておいでて奥さんにきげんように話しなさっておいでた。沖野さんはその様子をみて非常に感心したということです。成程、ほんに先生は人に教えるだけあって 、不和ということで神さんところへいくということはいかぬということ、先生ご自身がそれをお手本をおみせになった。沖野さんは非常に感心なさっていたのですが、私も泉先生には長らくお仕えいたしましたのですが、いつもおまいりにいく前特に心の内を清浄にします。
お山へお参りに行くときには、六根清浄六根清浄といってお参りなさっていることは、あなた方もご存じのことと思います。これは行者さんなどに連れられていっている方はよくそういうことをおっしゃっています。これは、六根即ち 人間の眼、耳、鼻、舌、身、意、この六つです。その六根清浄をとなえるのは、即ち心の中にきたないものをおいてはおまいりしても神さんに相すまぬということを意味していると私は思うのです。口に六根清浄ととなえることは、口だけではいかぬというのは、まあ理屈でございますが、口でいう位でありましたら、六根清浄にしなければならないという事も心の中に思うのですが、真に六根清浄といって山へ登ることは、いかにも泉先生が教えたこの十一条に書いてある。 その中に意味が含まれていると私は思うのでございます。形だけでも六根清浄といえば、何と無く目にいろいろなことを浮かべてみたり、あるいはまた、耳に聞いたことを思いだしてみたり、心の中に色々神さんのお好きにならん事を思うというようなことが減ると思います。またお参りにいく時に、ご真言をおとなえする方もありますが、やはりご真言をおくりになっていますと、即ち心をきれいにするということになっておるのでありますから、やはりこういうことを、泉先生は始終信者の人へ向かって教えて下さっているのです。で、先ず、神信心する者はお参りする道であろうと、家であろうと六根清浄にすることは一番おかげをうける近道だとかいてありますが、これでおわかりになっ たと思います。
取越苦労するは神に不足をいうのと同じことだ。
神信心するものは我が心をだましてはならぬ。
十一条は、信心していくには、家の「不和」をせぬのが肝要である。もうガラスばりで、内も外も同じにしておらないといけない。また心の中で貪、瞋、痴をいだいておって、お参りすると、それは、効用にならんということの三つをお教えになったのです。
泉先生は、信仰については、人間の日常生活の上に使えるようにおっしゃったのです。とくにお参りの時だけとか、 或は皆さんがおよりになって、信仰するという時だけでなしに、日頃お仕事なさるとき、そのお仕事の中、その仕事そのもの、その仕事の最中、その仕事を信心の心ですることが一番よいのだとつづめて申したらそういうことになります。どうぞ信仰と日常生活とを別々にせずして、一所にとけこますといいますか、信仰と日常生活とをないあわせるといいますか、まあ一つに考えなさることが泉先生のお心であったと私は拝察するのです。そのようにお進みを願いたいと思います。
(昭和三十二年八月十五日講話)
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第十二条 「ああ、ありがたいと思うた時がおかげの始まり。」
「ああ、ありがたいと思うたときがおかげの始まり」と、いうことは、まことに文字の上では簡単ですが、意味からいいますと、これが発菩提心、非常に大切なことになっております。
大体、人はお腹がすいたらご飯を食べなければならない。即ち食事です。食事というのは、身体を養いますが、お腹が満ちたら、それで人間は生きられるかと申しますと、そればかりではありません。心の食事というものがあります。その心の中に、出来るだけ自分のよろこべる楽しい方向へつきたい気分があるのです。いいかえますと、心にお腹がすいているわけです。何か楽しみなことをききたい、したい。こういうことになる。その気持をみたすものは何かと申しますと、信仰ということになる。それで身体には食事がいる如く、心にも食事がなくては、人間は生きていけないことは、おわかりになると思います。
その食事でございますが、それはなかなかむっかしいものでございまして、たとえてみますと、ここに病人がございます。と、病人は身体の具合が悪いと感じている。それがために大変な苦労をしております。けれども、この心の中の苦労というものを分解いたして考えてみますと、病気の後に続いている死ぬというものがあります。
死、病気の後に死にはせないかということがついているために、病気そのものを大変苦痛に考える。病気そのもののおもさよりも、死ということを案じる。それが苦つうの七、八分をしめているということになるわけです。そこで この病ということを考えてみますと、病気したら必ず死ぬものではありません。まあ病気のうちに死ぬことが続いて おりますために、そう考えているのですけれども、病気と死ということとは別物であります。お医者に手をきられ、何べんも大手術をやっても死なずして助かる人もある。そうでなくして、病気せずしてこっとりと死ぬ人もある。
このように、病気というものと、死というものとは別物なんです。然しながら、大低が床について病気の姿で死ぬ人が多いために、病気というものと死というものとつけて、それで病気をして死を思うということで、苦痛を増すようになっているわけです。ところが、その病気というものと死というものとを別に離すことができたならば、大変かるいのです。そうしますと、気を病むのでなくして、病気じゃ無くして、病ということになる。身体だけの苦痛ということになる。そうしますと心の上の苦労というものがなくなります。そうしますと、身体の方に自然に生いたっていくところの機能が与えられているのです。心の苦労さへ除けば、すくすくと生い立っていく宝物が天とうさまから与えられておるのです。お薬師様のご利益というのはそれです。ところが、その自分の身体が生いたっていって達者になれるのをじゃまするものは何かと申しますと、今申すところの余分な心の苦労です。これが生い立っていくところのものをじゃまするということになります。
ここに畑を耕すとしますか、種を蒔きます。それにおろこばえが生えてくる、草もいっしょに生えてくる。そうなった時には種も、草も両方成長していることです。そうなると、種子が養分を吸うのをじゃましているのは何かというと草です。で、その草と、大切に植えたところの種との生えているのを別にする。つまり、草を除くことは、あんた方も始終なさっていることです。除草です。薬でのけるとか、手でのけるとか、機械でのけるとか、いずれにしても草をのけるということが、種物の生いたっていくことを促進する。種物の生い立っていくのは種物自身に生い立っていく力を天道さまから与えられておるのです。光線とか、あるいは肥料とか、根張りとか、いうようなことをじゃませねば、すくすくと生いたっていくというところの力を、あの小さな種粒の中に、天から与えてくれているのです。
そこで、草を除く如く、丁度人間の心の上にもすくすくと身体が健康になる。丈夫になるという力を与えられているのを邪魔するもの、即ち人間の心配なんです。苦労なんです。取越苦労、その苦労をのけるならば、天から与えられたところの伸び伸びとのびていくところの伸張力は、自由自在に出てくる、意のままになるのです。
前に申しましたが病気ということと、死ということをくっつけるからいけないんだということが、わかりましたが それでは、その苦労をどうしてのけるか、いいかえたならば、病気というものと、死というものとを別ものにきりはなしてしまう。これはどうしてできるかといいますと、もはやこれは人間の力ではできないのです。何にあるか、 即ち信仰です。信仰によりまして、病気というものと、死というものとの間にかべを一つ作ってもらうと、不思議に助かる、ということになっているわけです。それで、信仰は、そのような大きな力を持っておるのでございます。
けれども信仰がまちがいますと、迷うた人間になってしまう。本筋の信仰と、邪道の信仰とが大いに人間の生活に関係するということを、お考え願いたい。毒にもなり、薬にもなるのでございますから、ここは大変考えなければならないところです。
このようなお話があるのですが、生駒さんの坂を登りますと、左の方にお滝のお不動さん、右の方へいきますと、少し道が遠うございますが、般若の滝の不動さんに私が先年お目にかかったのが、年の頃七十才位のお年寄がおこもりしておいでる。それがまるで、耳が全くきこえない。まあその人に話しするのは、手帳に書いて相手に見せる。向うはそれを見て、言葉は自由なんですから話をしてくれる、筆談です。
そのお方が、もと大阪九条の電話番号二つ持っておいでる大きな家のご隠居さんですが、その方が脳溢血、卒中風で亡くなられまして、その阿部野という焼場なんですが、あそこへ箱に入れて持っていかれたのです。そのご隠居さんが、やかれているかまのあくのを待っている親類の人々、箱がことこと音がしだしたのをききつけ、周囲へよってきますと、中で箱をむしっている音がする。こんこんたたく音がする。あけてくれ、なんですね。今度は声が聞えてくる。あけてくれといっている。早速釘を抜きましてあけたところが、ぱっちり目をあけて、ああ、わしゃ、死んでいたのだな!、こういう話なんです。ところが耳が聞えない、紙もってこい、そして紙にわしや箱から出してくれなと書く。「わし昨日死んだんじゃ、所がお不動さんが出てきて、そうしてお前はもはや人界の身ではない。この箱のまま生駒の般若の滝へかいていってもらえ、耳は病気する前よく聞えたが、今は耳をとりあげてあるから耳は聞えない。字を紙に書いてもらえ。口はきける、病気はなおった、然し、家へ帰ったらもうこの世の縁は切れるぞ。このままかいてもらえ、もう家へは帰らん。」こういうことを話すのですね。それで親類の人も、早速そのままかいて生駒山の般若の滝へおたのみしておいてもらうことになったのです。そうしたところが、その夜、生駒山へ行った時分に箱から出したのです。着物きかえたのです。 にこにこ笑ってどこもわるくない。それから、ものがたりしたのだそうです。「わしが死んどった時に、もうお前九条へはかえられんというから、すまんけれども着物や食料はここへ運んでもらいたい。わしにあいたければ来てくれたらよい。わしはもう家へはかえらんぞ。」そう親戚に話をしよる。仕方がないからいう通りにしておきました。
その後一週間すると、お不動さんが出てきて、「お前生きかえったんじゃが、生きかえらせたのは用事がある。その用事はこれから教えるから、いかにも神信仰するということは、総ての点に徳があるんだということを、大ぜいの人に教えてあげてくれ。それにはお前によいことを教えてあげる。つまり自分の持っている不動の剣、この剣を振って そして力をあらわすということを教えてあげるのだが、今のままではまだ行が足りないから教えられない。今晚迎えにくるから滝で身体を清めて待っていてくれ。」こういうわけです。
これは、その隠居さんが自分でにそう感じているのです。お不動さん滝のお不動さんと拝んでいるとそう感じるんです。それでお滝にうたれて新しい着物を着かえて待っていたところが、夜更けて、さあこいといって案内の人が来たもんですから、それで、知らない山ばかりずんずんずんと深い山へはいっていくような気持だった。
広場へ出てきたときに「行」をさせてやるから穴を掘れ。それで根限りシャペルや唐ぐわを持ってきてくれているので穴を掘ったそうです。丁度首位はいれる穴が出来たときに、ここへはいれという。その中へはいっていると、手伝ってくれる人がだんだんきてから首ぎり埋めてしまった。そうしていうことには、これから一週間の「行」、お前さんは動けないのだから、食物はこんできてあげる。そのあいだお不動さんを念じたわけです。そうすると、もういよいよそれが生き変りになる。身体を土に埋めて、これから仏の姿になるのだから、辛棒しておれ、というわけで、 隠居さんは死んでいたのが生きかえっているのだから、もう喜んで「はいはい」というて、ありがとうというたところが、もう何じゃわけのわからんその食物を送ってくれる。手が埋っておるのだから食べさしてくれる。とてもおいしい、それが七日続いて。それならもうよかろうというので、ほりだしてくれた。「もうこれから帰れよと、もうお前には不思議な力、不動の金しばりという不思議な力をゆずってあるから、大勢の人にそれをみせてあげ」というの で、つれてもとの般若の滝へもどしてくれた。そこで私が参ったのです。ノート出すもんですから、色々私がノートに書いてお話したわけです。今私がいうような話を向うさんがきかしてくれたのです。
「不動の金しばり」というのは、どんなにするのかといいますと、私が参った時には九条の警察の方が来ておりましたが、昔のことですからまだ刀をつっていた時代だったのです。巡査に刀を抜いてもらって、わしを切ってくれ、 そしたらそれが切れるか切れんか、わかるから。警察の人は危い、若し切ったら大変じゃから、棒切れにでもせんかというて棒を持って来て振り上げた。そうしたら、その隠居さんは、手を合わして何か心のうちで、多分お不動様のご真言だろうと思います。何か唱えなさっている。「さあ、よろしい。」とご隠居さんがいったときには、もはやその振り上げている剣は動かない。どうすることも出来ない。すくんでしまっている。目をぱちぱちさせている。 「ご隠居さんはにこにこ笑って、身体を隠居さんの手にさえると、それで不動の金しばりがとけるのです。そういう不思議な力を授かっていました。
それからもう一人、こういう力をさずかった人がありました。般若の滝の水の落ちるところへすいか位の丸い石をおく、その上へ滝の水が落ちてきている。そこへお座りになって、そして奉書のような紙を折って剣のような格好にしました。そして、それを持っていて、お不動様のご真言をくります。そして力を入れて「えいっ」と言う気合いを掛けると、その石がころりとうごくのです。こういう力を持っておりました。そして、その大きな力をもらった訳を 大勢の人にお話をしよるのです。そのお話がききたい、又見たいというのでたくさんの人が集まっておりました。
このお方は成程お不動さんを信仰なした人ではありますけれども、そのお方の話なさるときにここが大切なんです、とその人がいっておりました。即ちそれが、ああ、ありがたいと思ったときが、おかげの始りということ。それは、あんた方よくあるでしょう。例へば、ご病気なさると、夢心地に泉先生が出ておいでて、「ああ、お前さんは今病気しとるが、もう三日したら起きられるのでなおるぞ。」こういうように、ありありとみたとしますか、まあそうすると、 あなた眼が覚めて、ああ~ありがたかったとそう思うでしょう。ああ、ありがたかったと思うときには、病気ということと、死ということが、切れたのです。病気しているから死ぬやらわからないと思うから苦労が絶えん。苦労が絶えんから種物に草といっしょに生えて種物が大きくならん。邪魔せられる。こういうことといっしょなんです。ちょうど 病気と死というものが別物だということ、そこではっきりとわかるでしよう。
病気している時に、もうお前三日したら起きられるぞ、とこういうの聞いてごらんなさい。も早死なない。病気はしているが、死なない。病気と死と切りはなす。ここにおかげがうかるのです。そのことを、泉先生は、『ああ、ありがたいと思うたときが、おかげのはじまりとおっしゃった。これは自分が夢を見たんですけれども、泉先生のような徳の高い人におがんでもらった時に、おっしゃったことが、病気というものと、死ということと、きれるということに、なるのです。
私が一ぺん左のひざが抜けて困りまして、何処の医者へ行ってもなおらないのです。電気をかけてみたり、あるいは、注射してみたりしてもなおらないのです。先代の山形清さんに連れられて、始めて泉先生のところへ行ったのですが、その時先生、おっしゃった。「お前さんところは十一月に、倉を建替えやせんか。』「ええ建てかえました」『南北の棟であったものを東西にして庭を広げたな。』こうおっしゃる。「はい。そうです」『その時に、たくさん蛇が出て来て、それを助けたな』「えそんな事ございます」『ところが石屋さんの中に蛇をごくきらいな人がおったな。』「へい、おりました。」それは大代の清兵衛はんの弟さんの宇吉さんという人です。まことに蛇をみたら色が変る位こわいのです。私がいたずらに、宇吉さんがうつむきになってのみを「こんこん」とたたいていたので、蛇をこっそりと首へかけたら、宇吉さんとび上って「わあっ!」と両方の手を上へはね上げたんです。その時分に蛇が大分高く上へとびあがりました。蛇は高いところから「ぱたん」と落った。これあまりおかしげにしよったら、死んだらこまると思うて、急いで私が拾って温いところへおいたんです。宇吉さんが怒って「若はんたら悪いことばかりする。人が仕事しよるのに、きらいなことばかりしてなにするので」といって私をおってきたので、私は逃げたのです。その後、宇吉さんが「この石かいてつかはれ、これ大分重いんぜ」という。三十貫位の石であったのです。この 重い石「ようかけえへんぜ」と、いうものだから、それならかいてみるわといって、二人がかりでかいたんです。 私がかくのを宇吉さん、あとからおしたもんで私がひょろけたんです。よわいのに、悪いことばかりすると、かたきうちじゃねー、そのひょろけた時に私の父が、大麻はんでうけてきたところのお守さんを竹の先へっけて、庭へ立ててあった。それを私が、ひょろけて踏んだ。それを泉先生がおっしゃる「お前さんは、あの倉庫の造作の時分に蛇が ごくすかん石屋さんがおったのを、あいてにして悪いことしたな。」「へい、いたしました」『その時分に石をかきよって、ふまれたという神さんがあるぜ。』「ええ、ふみました」『さあ、そのふんだ足が今抜けとんじゃ。」まあ、私はびっくりしたんです。実は大麻さんを踏んだのです。よくも泉先生って、そんなことまでお知りになっているものじゃ。ところが、泉先生のおっしゃることに「神仏の手伝いをせんならん身体じゃから、ちょっとやいとすえとかんと踏んでもなんともないと思われると困るからと大麻さん言よる」「ええ、先生おそれ入りました。ほんならこらえてつかはるかい」「ええ、こらえたげる。」もう帰る途中は抜けんぞ、こういうわけなんです。 「私は自転車にのってもどるのです。清さんといっしょに、一つも抜けません。それ以来今日まで私の足は元より丈夫な足になったわけです。その時分にどうですか、私は足がどうしても一日に四、五へん抜けて、いたくも、かゆくもないのにぷらぷらしてとても歩けないのです。その時分に先生のおことばが、「今日かぎりなおるぞ、わしをふんで知らぬ顔しているから、とりあげてあったのじゃがもどしてやる」この言葉が実に私の心配を除いてくれた。 どういう心配であったかと申しますと、こんなに足が抜けていたら、危いところへも行けず、涯から落ちたら困る、一生こんなのでないかしらんという心配です。病と死とをくっつけているように、足の悪いのと、一生の「ちんば」 をくっつけとるのです。それを病というものと、こちらの心配するものとは別物であるということを、泉先生がはっきりと教えて下さったのです。その教え方が神の力でおしえて下さったのですから、すくすくと直って、しまったのです。
このように、その時、ああ、ありがたいものだな!ほんに宇吉さんと石をかいていて、お守を足でふんでも知らぬ顔していたのだが、ひどく怒られた。私は一生なおらないと思うていたのにありがたいと思った。ああ、ありがたいと思ったときがおかげの始り、それから、ああ、ありがたいと、ありがとうございますと、神さまの前でお礼を申す心になってから、天から与えられた再生力というものが身体にできたのです。これは簡単なようなことでありますけれども、これが信仰の上では、一番大切なので、ああ、ありがたいと思う数が多い人ほどよいのです。つまり神様に心のうちでお礼をいよるのです。それを、こういうわけで、こうなったから、こうなるんじゃ、などというと、おかげがうからないのです。 「ある人が高下駄をはいて「おこんこ」あげよって、その石を足の上へ落したのです。高下駄のはまが、ぽんとおれてしまっているのに、その人の足にきずがついていなかったのです。まあ、ありがたいことじゃ、これはどういうことか、まあおかげって不思譲なもんじゃと、その人は益々信仰を深めたのですが、もし、ああ、ありがたいと思わず 石が落ちたのだが、なにかあの間へ、やわらかいものでもはさまっていたのかいなあ、着物でも、はさまっていたのかなあ。下駄の鼻緒の上へ石の角がいたため足にこたえなんだのかいなあ。それがはまへこたえたので、はまがおれて、足へきずがつかなんだのかと、人間の理くつからいいまして、ああ、ありがたいという心かでなかったら、 ただ下駄のはまが折れただけで、けがしなかっただけの得しかないのです。ああ、ありがたかった、大きな石が落ちたのに、下駄のはまが折れただけで、足に傷がつかなかった。ああ、ありがたいと思う。そのように、ああありがたと思うた心へ神さまの方から益々運をくれるということになるのです。だからここのところを先生は、何を教えておられるかをお考えになってもらいたいと思うのです。
もう一度くりかえして申しますと、病気というものと、自分の心配より以上の取越苦労しておるものと切り離すところの心によって有難いと思えるのです。あなた方がかりに「もみ」をほしている時、南の空から黒雲が巻きおこると、その時には、大低物を乾かすということと、ぬれるということを予想します。ところが雲がよそへ、それてしまって天気がよくなった時分、ああよかった有難かった。信仰にはいっている方は、感謝するのです。ありがたかったというのです。ところが信仰にいっていない方は、どのようにいうかといいますと、ああ、南に雲がにげたのだから、 西の風がつきとばしたもんじゃから逃げてしまったというのです。理屈ですますのです。「理屈は抜きにして、あー ありがたかったと思えた時がおかげのはじまりぞ』このように先生はお教えになったのです。理屈をぬきにして、いつも、ああ、ありがたいと感謝する機会が多い程よいのです。ありがたいと思える心こそ発菩提心ということでございます。これは大切なことであります。
(昭和三十二年八月三十一日講話)
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第十三条 「何事も真心でするのが、神のみ心」。
神様は、いつもわたくしたちのま心をみていらっしゃる。真心は神の心であります。神様には、まことがあって邪なるものはありません。神様は、いつもわたくしたちを助け給はっています。宇宙の真理は神の姿です。わたくしたちが何事をなすにも、自分をすてて慈悲でするならば、何事もなしとげられぬことはない。慈悲は他人に喜びを与え、人の悲しみをとりのぞくことです。慈悲のこころこそ真心のあらわれと申されましょう。神は姿なき、声なき、存在者であり、ただ「たましい」だけをもたれたかたです。そして神様はいつも人間を苦の世界から、さとりの世界へと導びき給うのであります。ところが神は姿なき存在者であるために、人をして仕事をなさします。されば、人とは神の心を体した人です。神の心を心として、人間界で人助けをなさる方であります。神はこうした人に神の力をおかしになるのです。そんな人を「応神仏」といっております。「心だにまことあれば、祈らずとても神や宿らん」ということばがあります。真心慈悲心をもって祈って、霊魂のないのが不思議だと泉先生はいつもおっしゃっていました。
普通この世の中で申しておりますのは、祈って、そして、おかげを受けたものを不思議におかげをいただいたといっておりますが、泉先生は、それと反対に祈っておかげがないのが不思議であると、祈ったらおかげがあるのがあたりまえだ。祈っておかげがないのは、真心が足らざるが為であると。この祈るということは、一種の禅行でございます。六波羅密行の禅でございます。
この禅には色々種類がございまして、お参りするのも禅、お頼みするのも禅、一心におとなえするのも禅であります。ともかくとも祈るということは禅なんでございます。ところが此の禅行の時分には、人の為に、ああ気の毒なという真心でお祈りします。それは慈悲の禅でございます。信仰で祈るということ、日常の暮しにおいて真心の生活とを別にしてはおかげがないとおっしゃいましたが、その先生のおことばを解釈いたしますと、六波羅密行を全部しなければおかげがないということです。神様を中心とし、神様にご奉公するという意味で行した場合、すなわち真心で行をした場合、神のみ心にかなうことになるのです。
たとえて言えば、施行するにいたしましても、物を施す、物施といいます。信仰の上で人をみちびく、すなわち法施ですね。ところが、施して忘れるものでなければ真の施行ではない。あとでお礼が来るだろうなどと打算的な施行には神のみ心にそわぬ行である。どこまでも忘れる施行即ち真心での施行こそ尊きものであります。 泉先生は、そのように、人界のことを真心で暮し、真心で功徳を積んで、そうして祈ったのが神さんにすぐに通るので、通らないのが不思議でないかとおっしゃったものです。
(昭和三十二年九月三十日講話)
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第十四条 「神信心するものは、肉眼よりも心眼を開け」
神信心するということは、普通一般には、神社まいり、寺院まいりすることを神信心と考えているが、それが信心の全部ではありません。一部に過ぎない。ほんとうの信仰は、日常生活の宗教化にあるのです。つまり、わたしたちの日々の生活において、六波羅密行のうち、施忍戒精の四度行をなすことにより、又禅行を修することによって大円鏡智即ち仏知が得られるのです。その仏知こそ心眼とでもいいますか、時所かまわず察知し得る力であります。
実例を申しますと、それは泉先生がご生存中の事でありましたが、「村木さんよ、長らくこうしておつきあいをしたが、わしはもう山へはいる時が近よったと、今から三年すると、お前さんは、神様の前へお供へするものを作るようになると思うが、必ずその前に一ぺんお前さんところへ知らしてあげるぞ」こういうお話があったのです。
その後、先生と長の別れをいたしましたのですが、それから三年、早いものです、月日は流れました。あるばん、先生がお出ましになって「いよいよ三年の月日がきた、今年はもう、くれるが、年あらためて、神様の前へお供えするものを製造することになる」とのおつげがありましたのです。もはやその時には、先生はおなくなりになっていたのですが、ちょうど、撫養の四軒屋というところに、仲須正吉という方がありました。その方が、大変な重い病気におかかりになって、私にあいたいということでまいりました。その時にはおつむりの上は、こしきの湯が立つが如く湯げが立っており、体熱も四十度余りになっていました。この方は、次第次第と此の世の、のぞみがうすくなってまいりまして、最後に私の手を握って、「旦那さん、真に一生涯のおねがいであります」「それはなにですか」「申しかねますけれども、私には家内と子供がございますが、これを養ってくれとは申しませんから、どうぞこの私がとりつきました事業のあとをお継ぎ下さいませんか。仲須正吉の名儀をきずつけないようにする人は他にありませんから 此の点はどうぞおききとどけを願いたい」とこういう話がありましたので、ご親戚の方々とも相談申し上げましたところ、満場一致でありましたので引き受けたのが撫養の酒屋でございます。
こういうわけで先生のおおせられた通りになりました。このように、先生はおなくなりになる三年前に、はやみぬきみ通しのことをおっしゃられました。これ泉先生に心の眼、いわゆる神通力眼をもたれていたのです。又、これも先生のご存命中におっしゃったことですが、「今から三十年程すると世界中に火の雨がふる時が来るぞ。その時にはわしが手伝って、大きな仕事をお前さんにささんならん。これも出ていて時が来たら知らせるから何も考えずに安心しておいでなさい」と。その後三十年ほどしまして、今日申す大東亜戦争が始まったわけなんです。即ち世界中に火の雨が降ったわけなんでございます。こんなに先生は未来のことがおわかりになっていたのです。これも先生のご信仰深きための結果と拝察するのでございます。
(昭和三十二年九月三十日講話)
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第十五条 「親の心を、子が知らぬように、神の恵を人は知らぬ」
親はこどもの為に慈悲をたれられ、わがみに寄り来る年の波も忘れ、養育されているまことに尊き神の存在であります。しかし、こどもは親の慈悲に甘え、親のご庇護によって成長していることも忘れ、一人大きくなったように思っています。いわゆる親のそうした心をこどもがしらない。それと同じょうに、神様は我々人間を平等に生かし助けて下さっている。それに、その恵が大きいため気づかずに、不孝をつづけて甘えているのです。いま神の慈悲の大なることを、例をもって話しましよう。『天地のうちに神のみ徳を受けておらぬものとてはない。此の天地のあいだに生きているものは、すべて草であろうが、木であろうと、虫であろうと、人をかむような「ハミ」であろうと、犬であろうと、馬であろうと、人間はいうに及ばず、ありとあらゆるものは、すべて神のみ徳をうけておらぬものは無いと先生の目にはうつるのです。
実例をもってお話を申します。空気は窒素と酸素との混合したものであると科学者は化学的にのべておりますが、 この空気の中にある酸素でございます。この酸素がもしなかったらどうなるか。又これを製造するものだったらどうなるか。生物は死滅してしまいます。この尊いところの空気即ち天地の神のみ徳です。われわれは空気という神のみ徳をいただいているわけです。
大変おいしい果物があります。そのおいしい味というのは、誰がこしらえるのかといいますと、それは、人が作ったように思っています。けれども農学博士といえども味をつくりだすことはできません。これも天地の恵でございます。又夏がきますと、よくたべものがくさります。又動植物も死にますと月日のたつうちに腐敗いたします。 人は食物がくさりますと捨てますが、神様は食用に適しないようになりますとこれをくさらします。くさったものを今度ぶりは、好きなもののところへ持っていってくわしてやる。魚肥などもその役目をしています。稲などはよろこんで食べます。またこんな事実のことをききました。
仲須さんの工場で、お仕事なさっていた女の子が髪の毛がシャフトにまきついて「あっ」というまにどうすることも出来なくみるみるうちに、頭の肉がくるっと帽子をぬいだように取れました。いそいでスイッチを止めましたからその位で足りました。すぐ様医者へ走りました。不思議に血があまり出ていなく、消毒して、それをひっつけたところがもとのようになおって、大けがしたことの後がわからぬようになりました。これも人がけがをすると、ちょっと色が青くなるでしよう、脳貧血を起します。貧血なんですから血が出ないのです。余り多く血が出ましたらひっつきません。ついてもはげになります。その脳貧血をおこすということは天の働きです。その天の働があるがために人間は目をまわすということになります。けれども、その結果傷なんかとてもなおり易い。こういうおかげを受けているのです。人は神様のお慈悲を見い出して、ああ、ありがたいありがたいと感謝をささげ一生を送ることが大切です。
(昭和三十二年十月十五日講話)
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第十六条 「心一つの持ちようで、すべてのものが毒にもなり薬にもなる。」
このか条は信仰上から言いますと、まことに重要な問題でありまして、心一つの持ちようで、世の中が幸福にも又不幸にもなります。また、からだの方からいいますと、すべて見たり、聞いたりすることが、毒にもなり、薬にもなります。そのように千変万化するもののもとは、何であるかというと、心の持ちよう一つにあります。すなわち宗教上一番大切な問題です。日頃私が申し上げる「如意宝珠」すなわち、心に正直、正来の思い方に、意味が深いという事になるわけです。
たとえて申しますと、あなた方が日頃ご覧になる動物、植物でも心一つの思いようで、その思いがかなっているということを日々お気付きなさっているはずです。あの海に住んでいる「いか」ですが、あの「いか」はご覧のとおり、なんにも敵を防ぐ武器を持っておりません。やわらかな手足、柔らかなからだ、あれで、もし敵が襲撃してきた時分にはどうすることもできないのです。骨一つないのですから、直ぐやられてしまいます。そこで「いか」は、これはどうも自分の身は軟体動物と言って、やわらかいからだなんだ。だから安全に暮らすのには、どうしても敵に隠れなければいけない。隠れる工夫をするより道はない。こう「いか」は考えたためにあの「黒べ」です。ああいうものを身の中にこしらえたのです。こしらえたと申したところで、いかがこしらえたのではありません。どんなにかして身を隠したいという気もちはあったのですが、自分が造ったものではないのです。なんとかして強い敵からのがれ、安全に暮らしていきたいが、自分の住んでいるところは澄みきった海の中で、ガラス張りのようなところで、自分のからだをかくすことは容易でない。 どうすればよいか。自分のまわりが、真っ黒になってこないと隠れられない。ところが、その黒い汁をまくには、どの位のものを身の中へいれるとよいか。そんなことは、いかは考えてはいなかったに違いない。しかしあのすみきった海の水の中、あるいは海にはえている海草、そういうものを「いか」が食って、心の内になんとか自分のからだを隠す方法がないものかと、こう念じておったのに違いないのです。
ところが不思議なことには、思いこんで報いられたものは腹の中に墨ができたことです。ご承知でしょう「いか」を料理しますと、あの黒い墨、あのすみが今科学者が研究している海の中へ溶く絵の具でも、なかなかとけるものじゃありません。 ところがあのいかの「黒べ」というものは、一ぺん指にでもつけて、水の中へ入れてご覧なさい、 見るみるうちにぱーっと広がって、その周囲が黒い墨を流したようになります。そうすると、そのあたりはもう真っ黒になってしまいます。こういう天の恵みを受けた訳なのです。それでいかが他の強い動物に襲われた時分にはあの「じょうご」のような口からすーッと黒べを吹くのです。そうすると、そのあたりは、もう見るみるうちに黒い煙幕が張られて、いかが、どこにおるかわからないようになります。
これを考えてご覧なさい。いかがそういう科学の研究をして、そういうものを造ったのではありません。ただ自分のからだが弱い、強敵には向かうことはできない。何とか隠れる工夫をしたいものだなあと思うたのには違いないのです。あの海の中に墨というものは一つもありません。ところがその海草の中に、含まれているところのものを分解して、身に墨をこしらえるという結果が出来たわけなんです。 これも泉先生のおっしゃった、心一つの持ちようで、すべてのものが毒にでも、薬にでもなるという。すなわち薬ができた訳なのです。
これは一つの魚の例でございますが、これを人生に織り込みますと、どなたでも、こうありたい、こういう風になりたい、こういうご希望があるのに違いありません。そのご希望を心一つに、教えの道によって、善悪を分けまして神仏の好きな道に、一心になるならば、いかなることにも恵まれるということになるのです。 泉先生はご承知のとおり漁をなさっていた方でありますから、漁関係のあることをよくお話しになったのです。
もう一つの例は、アメリカにいる魚でございますが、湖の中に住んでいる魚で、半年はよく雨が降って池になる。 半年は水がかれてしまって陸地になる。このようなところに住んでいるところの魚なんです。まず形は鮒に以ているのです。そうして水のある時には、水の中で泳いで普通の魚と同じように水を呼吸しているのです。その息をするというのにも、水の中に溶け込んでいるところの酸素を吸うているのです。これが魚の「えら」でございますが、人間でいう肺に当たるのです。水の中へ溶け込んでいるところの酸素を吸うて、息をしている。ところが、この湖は半年干上ってしまうのです。そうなってくると、この魚のえらでは息ができません。やはり人間のような、この空気を吸うところの肺が必要になってくる。そこで此の魚の先祖は苦労したのに違いないのです。なんとかこれは、どうも陸地を歩く所の足が必要じゃなあ。此の湖に住んでいると、水がすくなくなったり、又水がたくさんあったりする。これは水の中で息ができるように、又水が無い時には、陸の方で、空気で息をするようなことにならないと、我々は命がない。このような心配をしたのに違いないのです。魚のご先祖は、そこで半年は水中で「えら」で息をする。 水が干上ると、今度は余分にもっているところの肺で息をする。このようにして水があっても、無くても生活が出来る。つまり学者はこれを水陸両棲といっております。水と陸と両方で生きられる、水陸両せい類といっておりますが これもこの魚のご先祖が心一つに思いこんだために、そういう恵みを、天からもらったのです。魚が自分で製造したものではありません。そうありたいと、心一つに思いこんだ結果が、水中で息するえらと空気中で息する肺との両方ができたわけです。
このような種類はだんだんありますが、蛙もそうです。蛙ももとは魚であったのです。皆お知りの通りに、蛙の小さい時は「おたまじゃくし」といって、「なまず」によく似たかっこうをしております。あの時代には、えらがありまして、やがてその後は尾が無くなって、手足がはえてきますと、陸の上へ上がってきます。その時には肺で呼吸します。それで蛙などは水陸両せいなのです。
ここにはただ一例を述べたのですが、自分の生活を安全に守るために二つの息をする道具を天から恵まれた。神様からいただいた。このようになるわけです。これも第十六条に書いてあります通り、 心一つの持ちようです。 困った、どうしように。これは、もうつまらんなあ。もう自殺でもしようかな!ということは、心一つでありません。 心一つで、どうぞ生き延びていきたい。子々孫々に至るまで、天地の教えに従って喜んで生きましょう。やけくそを起こさない、喜んでいきましょうと、心一つに思い込んだために恵まれたんでございますから、かなわんというので、やけくそはいけません。そこを何とか、切り抜けたいと心一つに教えの道に従うて生活しているといつかは恵まれるわけです。 次は人の話をいたしますが、これは私の友人のあらさがしをするようになりますから、名前だけはいうのはご免こうむって、私の友人としておきます。その友人が若い時分にある女の人と約束をした。 「将来一家をかまえて行きましょうと」 「はい、よろしうございます。」というのでお約束をしたのですが、その縁談が家庭に認められなかったので、反対を受けたのです。 そこで友人は、これはまことに気の毒なことだ。どこまでも自分と一緒に家庭を作る、どんな難儀をしても作ろという強い意志を持っておるのか。自分と別れる気持か、一ぺんためしてみてやろうと思い まして、ある日、餅取り粉を一さじづつ赤い紙に包み持って出たのです。そうして、その女の人の所へいきまして、「さてわしは、お前さんと新家庭を作ろうと思うたけれども、どうも周囲の状況が許さない。それであなたに、まことに気の毒なわけなんだが、解消してもらいたいと思うんじゃが、あんたは解消してくれん。どんなかん難辛苦しても、新家庭を作りましょうとあんたが言ってくれるので、わしとしてはもう進退がきわまった。後へも先へも行けない。それでもう一生不幸なようであるけれども、此の世を去って、そうしてあの世でお前さんと新家庭を作ろうと思うので、今日は用意してきている」といって、赤い紙二つを出した。そうすると女の人は、「そうですか、まことに親ごに対しては不幸でありますけれども、私は新家庭を作れんとすれば、あなたのお供をいたします」 と、いうもの ですから、ついにその包み二つを分けて飲んだのです。ところが友人は餅取粉でこしらえたもので、向こうの心をためしているのですから何ともないのです。ところがあい手の女の人の方は、いよいよこれは薬だと心一つに思いこんだために、のんでしばらくすると顔の色が変ってしまって、くるしみだしました。友人は、これは餅取粉に違いないのに大変じゃ、こんなに苦しまれては困ってしまう。ほんとうのことをいってやらねば仕方がないというので、「時に、あなたが、そこまで苦しむとは意外だった。実はお前さんがどこまで勇気を持っていてくれるか、飲んでくれるか、くれないか、と思って実は失礼ながらためしたのだ。餅取粉なんだ。心配ないのだ」と、話をしたのですが なお、苦もんが続き医者を呼んできまして、その訳を話しましたところ、ええそれは心配ございませんといって医者が注射して薬をくれたのです。それで翌日ようよう直りましたが、その時はまさに死ぬかと思うほどの苦痛があったわけなのです。これは、つぶさに私は目の前で見たことなんでこざいますから間違いありません。 心一つの持ちようなんです。友人はもち取粉と思う、ところが女の人は毒薬と思っている。心一つの持ちようで毒にも、薬にもなるんだということが、この例でよくわかります。
その後、私の友人はめでたく家庭をお持ちになって、結構なお暮しをなさっています。ほんとうに心一つの持ちようで毒でないものが、毒になるということを充分体験して信仰生活にはいって、おめでたい家庭を作っております。 そういうわけで、泉先生がおっしゃられたことはまことに有難いお言葉であります。こういうことを信じるあなた方は御遺訓のようなか条になりますと、ついおわかりにくい方ができてきますので、こうして私が例をあげて、お話申しますとご理解していただけると思います。
それからこんなのがあります。これは「祖谷」の人でございますが、これも私の友人でございます、満州へ行かれておりまして、今度の戦争で抑留せられたのですが、なんでも一千人あまりそこへ仰留せられたそうでございます。 その中で六人は、死刑の宣告を受けたようなもので、銃殺かなんかやられるのでしょう。 その千人あまりの抑留者の中で私の友人も、六人の重罪犯の見込をつけられて、ろう屋へ入れられたのです。ろう屋の中で考えますのに、こりゃどうも殺されそうだ、どうかして逃げないかというので、窓をこわしてとび出たのですが、向う側に人声がする。 靴の音がする。これは、こちらへ行くとあぶないというので、また谷を伝って下へ下へくだって行くと深い谷川があって、もうこれは平地だろうと、はい上がったところが畑があったそうです。その畑のどこかに隠れる所はないかと 思って捜がしておると、きたない話いたしますけれども糞つぼがあったのです。その肥をなみなみと入れてあるその上へ、ちょうどあの里浦にしてありますように、草で屋根をふいて、水が入らないようにしてある。もうそこで今度はしばらくおらなければ仕方がない。向こうの方で、また馬の足音がしてきた。あぶないというので、もう止むを得ず、三人が肥つぼの中へはいった。そうして一心に念じておる人もあり、色々めいめいその心念をこらしておったのです。それで私の友人は日本におる時から、お不動様を信仰しておったので、一心にお不動様を念じておりました。ところが実に不思議なもので、そこへお不動様が真赤な着物を着ておいでになった。「ついそこへ、敵の騎兵隊が来るから、早く、逃げてゆけ、ここにいるというとすぐやられてしまうぞ」 こういうことがはっきり目に見え、耳に聞えたわけで、急いではいだしたのです。そのきたないからだで畑の「たかきび」の中へ逃げたのです。
その時、連れの二人を誘うたのですが、そんなこといったって足音が聞こえるのに行けるかといって出なかったのです。私の友人だけ一人とびだしたのです。そうして道の一町も行かぬ間に、その馬のひづめの音が近よってきて、丁度つぼと思うところで馬が止まりました。ああよかった。逃げてよかった。そうして音をたてんように、そろそろ、そろそろと遠方の方へ逃げて行ったところが、「びしゃー」と音が聞えたんです。びしゃっと、これまさしく、槍かあるいは、なんか銃剣かで突かれたんでしょう。最後の声を聞いた。そこで思わず手を合はして、「南無阿弥陀仏」と友を念じておいて、それから、そろそろと音をたてないように逃げたそうです。さいわい今度は、川のところまできましたので、その川できたないものを洗い、ぬれたままそれを着て逃げ、おかげにて友人は九死に一生を得ました。 その後、内地へ帰られまして、鳴門の岡崎で立派にお暮らしになっています。そのお方は、わしはもうその時に無い寿命じゃ、お不動様に救われたんじゃ、それで不動さんの代わりに、この世で困っているお方のお手伝申したいというので、いろんな慈善事業をなさっております。非常に立派なお方なんですが、此の時も先生の心一つで、すべてのものが毒にでも薬にもなる。もしお不動様がお見えになって、そういうことばをきかなかったら、その人は殺されています。ただひとすじにお不動様を念じた。その心一つが、自分の身の上には大きな助けになって帰られたということを、会うたびに聞かされたのです。まことに、一心にすがればこういう不思議な奇跡が現われるのです。
それから極く身近な例を申しますと、渡船に乗っても酔う人がありましょう。つい自動車ならば、半日も走ればまるで大病人のようになってしまう方があります。特に女の方などはよく酔います。 酔うと、にわかに大病人のようになります。ところがこのお方は揺れるから酔のかといいますと、そんなら揺れるのなら道を歩いてもからだはゆれます。これは理屈から言いますと、色々考え方はありますけれども、決してそうではない。「ただ私は船や車に弱いのだ」と、こう思うことが弱くなるのです。
私の知人で女の方にそういう方がありました。その方のご主人が今度の戦争においでとりまして、大変なけがをなさって、足も手も使えない。それで呉市まで帰ったという知らせがはいったので、さあもう立ってもいてもおられません。さっそく行って主人のお世話をしたいというので、「私今からさっそく行って世話がしたい」と親に話したのです。ところがお父さん、お母さんは、「そらまあ兄を世話してくれるのはありがたいけれども、お前さんは八丁を自動車にのっても、立道あたりまでに酔うではないか」「そうでございますけれども、私は酔ないと思います。お願をして行ってきます。」 もうそう言い張るものですから家族の人も止めかねて、それでは「いてくるか」というので付け人をつけまして、子供があるのを一人背負って、高松から宇野を経て、岡山から汽車で呉へ行くという難儀な道をおいでになったのです。ところがその間約十時間もかかったのですが、そんな長い間船に乗り、車に乗りましても一つも酔いませんでした。呉市に着いた時も元気なものでした。とうとうご主人の看病をして、ご主人はよくなりました。これなどはどうですか。この方のご主人が、さぞつらいことだろう。 手も足も大けがをして、まことにお気の毒な早く行ってお世話をしたい一心だったのです。 そうしますと、不思議なことにはすでに舟、車に弱い方が、 すこしも酔わないという強い力ができたわけです。
この力はどこからできたのでしょうか。自分が製造したのではありません。自分が、心一つに御主人のことを念じられたその慈悲心に、その力が授かったとしか考えられません。そうして、不思議や船、車に強い、人にもまさって強いところの力が得られたということになります。それで十六条に書いてあるとおり、すべてのものが心一つの持ちようで、毒にもなり、薬にもなるものじゃということが、この例からいいましても、はっきりするわけであります。
又これは悪いことでございますけれども、死刑の宣告をうけて、露と消えなければならないというお気の毒な方があります。その人のご家族の人が、日頃酒がすきなんですから、何とか最後に好きな酒を飲ましてやりたいと当局の許を受けて酒を飲ましたそうです。もともとお酒が好きなのですから、あの一升徳利を口からラッパ飲みにいたしましたが、酔わなかったそうです。あの「百薬の長」という酒でさえも、その人をおかすことは出来ない。
なぜなれば、今わしは数分の後に絞首台上のつゆと消えなんからだであるという、その心一つの思いようで、あのよくきくところのアルコールが、その人を侵すことができなかった。このような例は外にも色々とたくさんございます。
(昭和三十二年十月三十一日講話)
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第十七条「何を食べても、神の恩を忘れず、ありがたしと思うていただけ。」
「食物をいただくのに、有り難いと思うていただけよ。」これにつきまして実に不思議なことを私は大阪で見たのであります。あの大阪の角座という寄席があります。あすこで私は丸山さんといっしょに、生駒さんへお参りして帰り道でありましたのですが、あの角座の広告に、昭和の養老の滝実現という大きな看板がかかっとる。これはどうも 面白いなあ、まあ一つはいって見よう。幸い船の時間が二時間ばかりありましたので中へはいりました。
ところが、年令が四十四、五才でございましたでしょうか、洋服姿で舞台に立っております。前にテーブルを置きまして、白い布を掛けてあるのです。そうして、そのテーブルの上には、コップが五つと、ガラスの透き通っているところの水入れ、茶びんが置いてあります。その時お客さんは五、六百はいっておったと思います。テーブルに立った人が言いますのには、「私は、今晩皆さんに養老の滝をお目にかけて見ましょう。この養老の滝と申しますのは、 まことに孝行な親思いの子供が、日に日に山へしばを刈りに行く。ところが、そのお父さんがたいへんお酒が好きなんで、なんとかしておいしいお酒を買って、お父さんに差し上げようと思いますのですけれども、何といっても、子供のことでありますから、たきぎをきって、それを町へ出して、お金にかえて、一家の費用にあてるのですから、なかなかお父さんのお酒を買ってくるわけには参りません。たいへん苦労して何日も何日も山へまいっておりましたところが、白髪の老人がその子供をみつけまして、『お前さんはまことに親孝行じゃ、で今度は"ひょうたんを持ってきなさい。私がおいしい酒をあげましょう。」こういうわけで、次の日にひょうたんを持っていきますと、老人はその子供をつれて、山の奥へ奥へとはいっていきました。すると、そこには一つの滝があります。その滝の水をひょうたんに受けて、さあこれを持って帰ってお父さんに上げなさい、お父さんはお喜びになります。これはお帰りになったら、酒になっていますよ、というので持って帰ってお父さんに差し上げますと、たいへんおいしい酒であった。このような昔話があります。私は今晩皆様の前で水を酒にして見せます。」このような前ぶれです。
これは面白いというので、私は見ておりますと、その洋服先生又いわく「どなたでもよろしいから、此の中で、今ここにガラスの茶びんがありますから、この中へ水道の水をくんできてください。私は決して皆さんの目をだますような事はいたしません。世の中には「さくら」というものがあって、水をとりにいくといって、酒を入れるとかいうようなことをしますけれども、私は決してそういう皆さんをだますような事はいたしません。特に、今晩は孝行の養老の滝というような有名な話を実現するのですから、そのような不都合なことはいたしません。だれでもよろしいから皆さんの中で、選定して一つ水をくんでいただきましょう。」と、こういうことになりまして、その中の二、三人が評定してくみに行くことになりました。そうして水道の水を持って帰りまして、 テーブルの上に置きますと、今度は「今くんでいただいた水はお疑がいではないでしょうが、なお念のためにお客の一人に飲んでためしてもらいました。まさしく水に違いないことがわかりました。「次にここにコップが五つありますから、どなたでもよろしいから 五人だけここへあがっていただきます。ご婦人でも、大人でも子供でもだれでもよろしいのですが、ついご婦人の方がお酒を召してお酔いになったりするとご迷惑かけますし、又ご老人も同様お酔いになると私ども、心配になりますから、どうぞ年若い学生さんでよろしい。」こういうわけで、その中から、五人の学生さんが選ばれて舞台へ上りました。そうして先刻くんで来てある水をコップ五つに入れました。そうしてその学生さんに向って、「今ここに入れたのは皆さんのご試験によって、水に違いありませんけれども、これをあなたが召し上ると、たちまちにして酒になり、すぐ酔うのです。」こういう前おきをして、「さああがってごらんなさい。」というので五人はコップ五つを手に取って、めいめいに飲んだわけです。私ら見ておりましたのですが、見る見るうちに顔がまっかになりました。 そうして舞台の上を歩かしてみると、ひょろひょろしてしまいました。やがて洋服の人が「ご覧のとおり、お酔いになりました。それで今からこの酒の酔いをさまします。」というので五人の背中を二、三べんずつなでますと、もとの通りに酔いがさめまして、にこにこした顔に変ったのです。
さて、これを考えますと、そのコップの中へ入れたのは水に違いないのですけれども、その飲む人の心が孝行な子供、そうしてお父さんを酒に酔わせ喜んでいただくという信念にはいれと言われたそうです。その舞台の上で、そういうことを思うて、一心になって、それを飲んだためにまっかになったわけなんです。もとよりこれは催眠心理学を応用したものでございますけれども、心でそういうことを思うたに違いない。思わしたのにちがいない。その信念が子供にうつりまして、水が酒になった。こういうようなわけでたいへんなできばえでありました。
私はこういうことを見せられまして、いかにもほんに、食事のときには、つまらんことを考えるものではない。 有り難い、うれしいことを考えることが、たいへんからだにはよいのだと、こういうことをつぶさに目の前に見せられたわけでこざいます。ここのところを泉先生は何をいただくにも神様の思を忘れず、有難いと思っていただけよと このようなことを教えられたのです。
これは又話が違いますけれども、これは東京の大学で実験したことがあるのですが、一匹の犬を持ってきまして、そうして銀の細い細い管針を、犬の胃袋へさすのです。次に、その犬の頭をなでて、おいしい犬のごく好きなものを 持ってきて、「おお」「おお」というてかわいがってやると、その銀の管針の先から「ぽつ」「ぽつ」と露が落ちて来るのです。そうして、そのつゆを別におきまして調べてみると、食物が大変よくこなれるところの立派な胃液が出とるのです。今度は反対に、そのごちそうのところへもってきて、猫を連れてくるのです。すると猫がそのごちそうを食べにいこうとする。犬が猫にとられまいというので、大変怒って、きばをむいて「うん、うん」とうなり出す。その時にはもうぽとっと、先刻銀の管針から出ているところの水がとまってしまいまして、すこしもなくなり、かえって悪いところの水が出るという実験をしたのでございます。
これを考えますと、喜んで食べる時分には、胃の中へ、それを消化しようとする薬ができるんだ。又怒って腹が立つ、憎いというような事を考えた時分には、かえって、胃の中へ毒ができたんだということの実証になるわけです。 これは化学上の話でございますが、このように心の方からでも、たいへんからだがめぐまれるというところの結果をきたします。又化学上からもそういうような立派な胃液が出てくるということがいえます。
このように、化学的あるいは精神的いずれの方面から考えましても、信仰の上で先生が言われたところの、何をいただくにも神の恩を思うて、そうして喜んでいただけということは、いかにもと、私は感心させられたわけでございます。
それから、又これは話が変わりますが、あなた方のお家の食器ですが、お茶わん、おさら、あるいはおわん、こういうものに模様が入っておりましょう。花であるとか、あるいは、景色であるとか。また、椀の如きは蒔絵と申してご承知のとおり、高くもち上った、りっぱな蒔絵が書いてあります。これは何のためにしてあるかといいますと、その模様を見て、ああ、きれいだなあ、いかにもきれい、この感じを食べる人に起こさすようにこしらえてあるわけです。また食器ばかりではありません。そのごちそうをいただく室、 茶の間に軸物が掛かっている。りっぱな花が生かっている。座敷はそうじができている。テーブルがきれいにふいてある。このように室内をきれいに飾るということは、すなわち人間の気持をよくするということなのです。それがために昔からお客さんのへやは、きれいにそうじする、食器には色々なきれいな模様を入れてあるのは、そういうところから出てきているわけです。
泉先生はそういうところを、信仰の上から、何事も、いかなるものも、神様の恩を思うて、そうして、喜んで、いただけよ。 とこうおっしゃったのです。そうしますと、心の上にも、身体の上にも大変な「おかげ」をうけるというわけです。
またこれは、別な話になりますけれども、この死刑を宣告せられたところの、いわゆる死刑囚です。この人が、もとよりつらいということはわかりきったことですが、今から何分間後に命を取られるんだ。首を絞められるんだ。こういうことを自分が知っておるために、この上ないつらい心をしているわけです。その時分にはいかなるおいしい物も味がない。力が無い。 その証拠には酒好きな人が死刑囚になった時分に、親戚から酒の差し入れをし、いくら飲ましても酔わない。あのアルコールの強い力でさえも、人を酔わす力が無い。これなども心がつらいというと、せっかくのごちそうも、身には少しも影響がない、と、こいうことになるのです。簡単に泉先生はおっしゃったけれども、その意味から申しますと、実に心の上でも、からだの上でも、たいへんな「お蔭」を受けるということを力説されたのです。
(昭和三十二年十一月十四日講話)
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第十八条 「心配する心で信心せよ」
心配するということは、色々なとり方がありますけれども、我が身を思うという、これから私はどうなるのであろう。こういう、困ったこと、これどんなになるのであろう。こういうふうに取越苦労をしてみたり、現在起こっているところの問題を案じてみる。これはいかなる人でも大変な力を使うて自分の身を案じている。ところが信心するということは、それと反対でありまして、我がことは考えない。ああ、あの人を何とかして助ける道はないだろうか。 あの困っておる、つらがっておる人を、なんとか助けてあげたい。こういうことは心配とは違います。我が身の事は考えていない。その人を幸福にしてあげる。わが身はどうでもよいんじゃ、その人を幸福にしてあげるというために心を使うのですから心配じゃありません。心配というのは、もうだれもが常に使いなれているところの心の使い方です。ところが、信心するということは、使いなれておりません。使いなれていないために、案ぜるといえば我が身に関係ないことは案ぜぬ。人の事は考えていない。ここを先生は、はっきりと心配する心を信仰の方に使えよと、こういう教えなのです。
心配することと、信心することを区別してみますと、心配するのは、我が身ばかり。信心するということは、人のことを案じてあげる、心配のように心は似ておりますけれども、自分ということを考えませんから、心配ということではありません。ですから人のことを案じてあげることは信心になるわけです。
これには色々例がございますが、お釈迦様がご修行なさっている時に、この世にはないところの有難いお経文(妙法蓮華教)をお説きになっている偉い坊様があった。その坊様のお話を、お釈迦さんは聞きたいものだ。その妙法蓮華経を聞いて、自分の身につければ、たちどころにして、解脱の道が開けてきて、仏になれるんだ。こういうことをお聞きになった。これはお釈迦さんが、印度のカビラ城に生れる前生のお釈迦さんです。 前の身のお釈迦さんです。これは是非とも一つ聞きたいもんだと、こう考えておいでる心のうちには、ご自分は出世するとか、あるいは幸福になるとかいうことをお考えになっておりません。何とか世の中の困っている人、つらい人を、不遇な人を、助けてあげたい。それにはどうしても、妙法蓮華経という有り難いお経文を身につけなければならないとお思いになったことは大へんであっただろうと思います。
と申しますのは、遠い遠い東の方に「多宝仏」というありがたいみ仏が説いておるから、それで東へ東へとお出でになっていた途中、ある山の峠のところでおいでて、ふと向うを見ると、山の間から、見るからに恐ろしいところの虎の皮の褌をした仁王さんのような大きなからだの人が現われてきて、腰には刀をつり、背には何か荷物を負い、手には鉄棒をついている。まあ、これが鬼というのだろう。 お釈迦様は心一つに「妙法蓮華経」を聞きたいというので どんどん道を進んでいかれた。「ああ、お坊さんちょっと待ちなさい。」と呼びとめた。「はい」、「あんたはどちらへ」「いや、私はこうこういう方に、多宝仏という有難いお方が、妙法蓮華経をお説きになっているので、これを聞かしていただこうと思って参っております」「ああ、それはまことに結構なことじゃが、然しそれは、なかなか むずかしいことで、お供え物をせなければ、そこへは近よれない。」 「はい、はい、どういうお供え物ですか」 「いや、それは私が今背中に負うている、つぼが三つあります」といってそこへ荷物をおろした。よく見ると、三つの焼物のつぼです。この一つのつぼには、あんたのからだの血をしぼってこの中へいれます。その次のつぼには、あなたの肉を削ってこの中へ入れます。あとの一つの壺には、あなたの骨をその中へ入れます。 血と、肉と、骨との三つの捧げものをなさると、それを聞くことが許されます。そうでないといけません。」とお釈迦様がびっくりすると思って鬼が言ったところが、お釈迦様は、にっこりお笑いになって、「ああ、よくわかりました。それでは、 この世では、もうかなわぬので、魂となって、その妙法蓮華経を聴聞すれば、今度は人界に又生まれてきて、み仏となって、こられるのだと私はそう思います。それでは差し上げますから、どうぞ、ご自由に」というので釈尊は帯を解いて、裸になられました。鬼はさっそくお釈迦さんの胸へ包丁を突っ込んで、こんこんとわき出る血をかめに受けとる、ついに血をしぼってしまうと、今度は包丁で、肉の多いところからそろそろはぎ出した。お釈迦様はただ一途 に手を合はしてみ仏を念じておりました。もうおしゃかさんの肉もほとんどとれました。その時に鬼がはたっと包丁をなげうって、南無と手を合わしたんです。「あなたはもはやみ仏になられました。そうしますと、みるみるうちにつぼに入れてある肉はぺたぺたと元の身えもどって、血はしゅうしゅうとかめからわき出て元の身にもどって、完全な、もとのお釈迦さんのからだになった。
そこで、お釈迦様は「一体あなたは、どなたでございますか」「いや、わしは、姿こそ、あなたをおどろかした鬼の姿であったけれども、実はこうじゃ」というので身振いすると、しゃらくと金属の音がして、見上げるばかりの立派なみ仏の姿(首からからだに瓔珞をつけておいでる)となったのです。 「我は釈提桓因(帝釈天のこと)なるぞ」との言葉を残して、すーっと空へ舞いあがってしまったという話があるのです。
この時、もし釈尊が普通人ならば、そいつは痛かろう、ああ苦しいだろう、包丁で切られたりしてつらいだろう、こういうことが心配なのです。我が身を思う心配なんです。 けれども釈尊の心配は妙法蓮華経がききたい。聞くこと ができなければ困るという心配だった。すなわち我が身の心配がはいっていなかった。自分のからだ唯世の中の困っておる方を救うて差し上げたいという心しか残っていない。すなわち普通のものなら心配する。その心配する心で信心をしたわけなのです。それで今度はその釈尊がカビラ城の悉多太子となってお生まれになるということを経文に書いてあります。そういうことが、泉先生の言われる、心配する心で信心せよ。これはなかなか先生は上手におっしゃったもので、何事も心配する心で神仏につかえるならば、たとえお経文を知らなくとも、文字を知らなくとも、加護がいただけるのだ。ところが泉先生は先刻お話ししたように死ねといえば死ぬ。血をしぼれといえばしぼる。しぼっていただく、骨をまつれといえば骨をまつります。もうすべてを神さんにまかしてしまって、自分のことは考えず、 世の中の人つまりお友達あるいは自分の兄弟、親、祖父母、子供にいたるまで、身内のものは申すにおよばず、他人の方へ向かって、その人の喜ぶ事、幸福になる事を案じるだけで、他のことは一切神様にお任せする。 これで良いではないかとこう泉先生はおっしゃった。つづいて先生は、お任せしてしまうんだから、自分の事は神さまにお任せしてしまって、心配するのは人の事だけ、こういうたらどうじゃ。こういうお話がありましたので、私はいかにも徳を積んだお方のお言葉はよく解ると感心したことがあります。
十八条に書いてあるのは、「心配する心で信心せよ」と、ごく簡単でございますけれども、先生はこの点に非常に力をお入れになって、我々を教えていただいたので、「心配するという自分を離してしまって、神さんにお任せし、そうして人のことを案じてあげる。それが信心ぞ。」まことに、先生のお言葉は簡単であるけれども、当を得ているお話じゃと思って、私は非常に感心したのであります。
この泉先生のお話は、原因一つなし、文字一つお知りにならないのですから、心一つ、心がまえ一つで、あのよう大きなお蔭をいただいたのですから、どうぞ皆さんもこの信心していく上には、形よりも、心がけが大切じゃと、いうことをお考え願いたいのです。
(昭和三十二年十一月十四日講話)
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第十九条 「我が自由になるものとては何一つとしてないものである。」
第二十条 「人は皆神の力を借らねばならぬが、若い者程、尚更神に頼らねばならぬ。」
この世の中に、自分の自由になるものはあるか・・・。自分の自由になるものは何一つとして無いと、このように先生はお考えになっておったのです。どうですか皆さん、ここが大切なところですが、簡単なようですけれども、自分の自由になるものがあるということを思う数が多いほど、神さんに縁が遠いということになるのです。
泉先生は、何一つとして人間の自由になるものは無いというお考えでおりました。 ここが、大事なことなのです。 例えてみますと、自分の身体以外のことはさておきまして、自分のこの五尺のからだの中で、あなたの自由になるものはどこにありますか。あなた方が、夜おやすみになっていて知らないでも呼吸はしております。 心臓は動いております。胃袋は動いております。あなたが、一つ胃袋を今日は堅いものを食べたから、よけい動かしてやろうと思っても、それが出来ますか。それから、今はくたびれているから、心臓を一つ強く動かしてやろうと思っても、これもできません。息は自由にできるようですけれども、これも、知らず知らずのうちにしているのであって、特に強くするとか、おそくするとかはできますけれども、息を止めてやるということはできないでしょう。このように自分のからだの中に動いている器官は、何一つとして自由になるものは、ないのです。
あなた方が、わしは手をあげようと思えば、あがります。こうおっしゃるけれども、一つここに何かの拍子が違いますと、自分の自由にならないのです。現に私なんか、左の足が重いのですが、これを軽くしようと思ってもできません。が、ながくよろこんでおりますと、いつとはなしに軽くなるのでございます。これを自由にしようとて、無理すると、ますます悪くなります。このように、からだのうちに何一つとして自由になるものは何もありません。
「ことば」もそうです。言葉もこうしてお話しすることは、自由になるようにお思いになっとりますけれども、何かのはずみで、この言葉も使えなくなるのです。このように考えていきますと、実に人間というものは、わが自由になるものは、ほんとにありません。
ここに先日も、お話申しましたが、わしはどうも乗物によわい。何とか強くやろうと考えても、船に弱い人は、やはり船に弱いのです。これも自由になりませんが、然しここに一つ自由にできる方法があるのです。それは、信仰より外にありません。 概して申すならば、人間精根では自由にならないというものばかりと見てよいのです。 以上は、からだの内部のお話を申しましたが、身体の外部、すなわち天候であるとか、あるいは、作物の生育であるとか、人間の身体以外のことでも自由になりません。
たとえば、台風が来るのは非常に困る。一つ台風がこないようにしようと思っても、これは至難なことです。 又、 作物をお作りになって豊作しましても、これを毎年続けてやろうとお思いになっても、これは自由にならないのです。 ところが草をのけ、あるいは肥料をやり、日当りをよくする。そのようなことは、人手でできますけれども、これは 人間が自由にしたのではありません。これは稲の好きな肥料を施して、世話を人がしたのでありまして、決して、これは人間が自由にしたものではありません。天とうはんの力を借りて、それで稲をよくするというお世話をしたのにとどまるのです。すなわち、耕作の原動力はどこにあるかと申すならば、天候と稲とです。その稲の力は、どこにあったかと申しますと、結局天地の間の力、それをお借りせねば豊作はできない。 このような結論になるわけです。
今日やかましく新聞に出ておりますが、ご承知の人工衛星です。先日も、ソビエットも、打ち上げましたが、これも何か人間がつくたように考えますけれども、それは、そうじゃなくして、決して人間の自由にはならないのです。 空気は地上約百二十キロ離れると真空状態になるのです。空気がないようになるところまで弾丸をうちあげます。 そうすると、その弾丸はもはや、土地とは縁がきれまして、永久に動き出したらとぶのです。 真空の中では物の重さとか、引力とかいうものが支配しませんから、一旦とびだすと、どこまでもそれがとぶのです。 ずっと以前にうちあげた弾が、今に地球の周囲を飛んでいるわけなので、それをもう一つ高く打ち上げますと、今度はその玉のだ力で飛んで行く方向へずうっと行ってしまうわけです。このようなことをこのごろやっておりますが、これは人間が自然を自由にしたのかと言いますと、そうではなくて、とりもなおさず、空気の抵抗とか、あるいは土地の引力とか、こういう天地の働きに従うて人間が仕事したわけなので、決して人間が天地を自由にしたのではありません。
このように考えていきますと、自分のからだ以外の天候でも、あるいはどんな仕事でありましても、その仕事を人間が利用している。いいかえると、天地の力に従って人間が仕事をしたというにとどまるのであって、人間が新しく自由にしたということは言えないのです。
泉先生は学問一つなさっておいでない、あの無学文盲のお方であって、しかも今日の進んだ医学、あるいは科学、天文学等こういうことを研究している人が言っていることと言葉はおなじことをおっしゃっておるのです。それで、人間は、此の天地の間で何一つとして自由になるものはない。けれども、天地の力に従うて仕事をするならば、天地が力を貸してくれる。こういうわけなので、ここで泉先生はいつもおっしゃっておいでました。
『天地の力を借れ、神さんの力をかれ』と始終おっしゃっておいでたのはここにあるのです。
それで今日あなた方がなさる農作業も、なかなか進んでおります。たんぼを引くのにも、あのようなトラックターのようなもので耕やし、あるいは脱穀するのも、すべて電力とか石油を使ってやっております。これは、泉先生がおっしゃる、天とはんの力を借れとこういうことなのです。 それで、あなた方が此の頃耕作をなさるのに、僅かな時間で大きな仕事をなさる。けれどもこれは、人間が大きな仕事をしたのではありません。人間は何一つとして自由にならないのです。そこで科学の力を借る。すなわち、天道さんの力を借って仕事をしたということになるので、決してすべてのことが人間の自由になるものではないのです。こう泉先生がおっしゃったことが、今日になりますと、いかにもということに考えられるのです。
それであなた方は、我々がお尋ねするまでもなく自由になる。なんでも自由にできるんだ。こうお思いになる方は 無いと思いますけれども、泉先生がおっしゃる通り、何事も人間の自由にならないのだから、天とうさんの力を借りて、そうして仕事をさしてもらうと考えるべきであります。
あのソビエットが打ちました人工衛星の中へは、犬を入れてあったそうです。ところがその大きな弾丸の中へ犬を入れてあるのでございますから、無論空気はなくなります。そうすると、犬を空へ飛ばすということは自由にならないわけなのです。そこで、ソビエットの学者が考えたことには、別に空気を圧縮しまして、いつも空気が機械の中から出るようにして、犬のところへそれを管で運んであるのです。それを犬が吸うて呼吸するというわけです。
それだから、空気のないところでは生物は生きられない。それは人間の自由にならない。 天道さまの力で生きささんのです。けれども天道さんは、そこに人間に工夫 (智恵)せよというのをくれてありますので、この空気を圧縮しますと、この目に見えない空気を冷やして圧力を加えるのです。そうすると、液体になるのです。水のようなものになるのです。これを液体空気といっております。その液体空気の僅かばかりのものを機械の中へ詰めこんでおいておけば、それから今度は発散して空気ができてくるのです。そうすると、それを管で導いておけば、この我々が空気の中で空気を吸うておるのと同じようなことができてくる。すなわち、これをつづめて申しますと、天道さんの理屈に従ごうて、人間が工夫したというのであって、はじめてこしらえたものではありません。このようにして、犬を弾丸の中へ入れて、そうして犬に呼吸をさす。製造した空気をそこへ送り出す。こういう方法にしてあるのです。で、ありますから、いかに今日学問が進みましても、科学が進みましても、人間に自由になるものは何一つとして無いのです。ただ天とうさんの理屈、すなわち科学の原理によりまして、それに従うて天とうさんの力を借るというより外に道はないのです。
例えて見ましても、かりに稲を作る。稲の伸びていく力は、どんなにしても仕方がない。あんた方が製造したものは何もない。あの稲の種子の中に、伸びていく力が天から与えられておる。それをお世話して立派に生育さすというだけのことなので、いかに農学が進みましても、米粒一つ製造が出来ないのです。天の力なんです。このようなことを無学な泉先生がおっしゃったかと思いますと、実に頭が下がるわけです。
そのことを此の十九条に、わが自由になるものは何もない、すべて天道さまの力をお借りするより道はない。もう一つこれを宗教的にいいかえますと、神の力に頼るより外に人間は生きられないんだということになります。宗教的に考えますと、実に偉いことをお悟りになっていたわけなのです。
このように、泉先生の偉さというものは、なかなか人間の心ではかり知ることのできない位、大きな修行をなさっていたわけで、ただおがんでよく解ったとか、なんとかいうような事で、先生をありがたがるようでは先生に対して相すまないわけです。我々の大きな助かる道をお開き下さってある先生なのです。先生は、ただおがんで事がよくわかったとか、よく合うたとか、そんな簡単なことで先生が有り難いというては、まことにあいすまないわけなのです。このような慈悲深い、すべてのことを教えて下さってある先生なのです。
ところが、ここに一つありがたいことは、何一つ自由にならんにもかかわらず、自由になるものをただ一つ天から 授けられてあるのです。それは何かといいますと、「如意宝珠」言いかえますと、如意心のままになる宝を生れながらにだれにでも授けてくれてあるんだということです。
高野の前管長、金山穆韶大僧正がいわれました。あのお方が四十才位の時に初めて、大滝山、すなわち那賀郡の大龍寺へお参りになって、そうして捨身ヶ嶽という、かって弘法大師が行をなさった岩の上へお座りになって、五十日の間、一さい寝ないで虚空蔵菩薩のご真言を一百万遍おくりになったのです。そうすると、そこへお大師様がお出ましになって拝むことができたわけなのです。その時、色々お大師様からお悟しがあったということをおっしゃっておりました。
ところがまだお年が若いで、失礼ながら極端に申しますと、神様のおきらいな心がまだあったわけなんです。 まるっきりの仏になっていなかったのです。今日あのお方が八十才を越えておられますが、この頃お大師様を念じなさるというと、お大師様は、ありありとお出ましになって、色々なことを教えて下さると、こういうお話をなさっていますが、そのお大師様の教えて下さったことが、着々と現われてきていることも、私は詳しく承ったのでございます。金山管長の言われるのには、「村木さんよ、わしは若いときに、お陰をいただいて、お大師様直接お話を承ったのじゃが、その時は、自分が修行ができていなかったから、教えてくださった中に訳のわからないことがたくさんあった。今日になるというと、わしも有り難いことには、先先の事までもよく教えて下さるんだ。まことに有難涙にくれている。しかしこうなると、先が短いぜー、村木さん、わしは有難涙にくれとんじゃが、もはやからだも衰えて使えんわ。」こういうことをおっしゃられていました。
このように、あのような偉いお方でも、修行の完成なさるのは、ずーっとお年を召してからです。けれども、まあ、年がよるよらんはともかくも、そういう道があるということだけは確かなのです。 そこで、私が今お話しようとすることは、人間の自由にならないのであるけれども、一つ自由になる道があるということのお話をしてみたいのであります。
それは、人間の心の中に仏心というものがあります。仏心、もう一つ言いかえますと、(心理学的に申します。)
第八識、これを又魂といっておりますが、人にそれが出ますと思うことが自由になる時代が現われてくるのです。 これは、この仏性を出す、すなわち第八識を出すというには、他に方法がありません。もうまちがっておらない信仰で、みがきあげるより外に道がないのです。この八識の働きということについてお話し申せば、たくさんありますが、時間の余裕がありませんので八識のことは省きます。
省きますが、泉先生のおっしゃられた、わが自由になるものとては、何一つとしてないものぞ、こうおっしゃっておきながら、神にたよれば、自由になるものぞ、という裏があるのです。その神にたよれば、自由になるものぞということが、すなわち八識をみがき出すならば、思うことがかなうということなんです。これが信仰の本旨なのです。何事も自由になるもの何一つないのだ。ひたすら神にたよって、神の仕事をするならば何事も自由になるのです。もはや、これは人界を脱しておるわけです。解脱しておるということになります。もう一ついいかえますと、弘法大師の言われた「即身成仏」ができたということになる。此の身このまま仏になれたのだ。こうなりますと、すべてのことが自由になる訳なのです。なんと有り難いことではありませんか。こういう、とうといことを泉先生がおっしゃってあります。
ところが先刻お話申しますように、金山大僧正が言われたように、「どうもわしは、ありありと弘法大師みずから 目の前で教えてくださるようになったが、もう先が短いんじゃ。 村木さん、若い時におかげをうけるのが良いぞ。」 こう金山さんがおっしゃっています。そこを泉先生は次の第二十条で、人は皆神の力を借らねばならぬ。そうしないと自由になるものは何もないのだと教えられています。おかげをいただいても、おそければ使い場がない、ですから若い者ほど、なおさら神にたよらねばいかぬ。こう泉先生がおっしゃった理由はここにあるのです。
で、ある人によりますと、こういう事をおっしゃる人があるのを聞いたことがあります。「わしは若いから、どうも仕事がいそがしくて、信心する暇がない。年が寄って暇ができたら、まあ良いことだからしょう」と、こうおっしゃる人もありましたが、これは、なるほどおっしゃることはごもっともです。用事が多い時には信仰はできにくい。
ですけれども、その仕事そのものを信仰に織りこんだらよろしいのです。だから若くてもできるわけです。 ですから泉先生は、ここのところを、めいりょうにお悟りになっております。 若い者ほど神さんにたよらなければ損ぞと、こうおっしゃったわけはここにあるのです。
まず今日、信仰と申しますと、珠数でもさげておさい銭もって、神参りするというように、簡単にお考えの人もありましょうが、それも信仰の種類には違いありませんけれども、たとえ、唐鍬でたんぼをはりましても、ご真言くりつつはれないことはありません。きたないと人が言うておりますところのあの下肥、之をたご (においおけのこと)をかついで行きましても、決して下肥は不浄なものではありません。この肥の力によりまして、我々の命のもとであるところのこの身体が、ささえられるのでありますから、神さまの前では不浄はないはずであります。 肥たごになって、こえをかけつつご真言をくるのも、決してご無礼でないと私は思うのであります。 泉先生は、それをおっしゃっていました。「心清浄なれば、けがれは何物も無いぞ」このようにおっしゃっておるのです。
ですからわしは、若いから、まあ信仰しにくい、年寄ってひまさえできたら、信仰しようということは、まちがいであると、おわかりになったことと思います。「若い人ほどよけいに必要なぞ。」そのように泉先生がおっしゃったのですから、ここをどうぞ一つくみ分けて、お考えを願いたい。
信仰というのは形にないのです。心にあるのですから泉先生などは、生物の命をとりながら、漁をしながら沖の上で、ああいうりっぱなど信仰ができたではありませんか。
この「せっしょう」ということは十善戒に止めてあります。不殺生と止めてあります。けれども泉先生がこの魚をおとりになったということについて、私聞いたことがあるのでございます。「先生は、沖の上で魚をおとりになりながら、ご信仰なさったということは、まことに不思議なことでございます」と、私が申したことがあるのです。
そうすると先生は、にこにことお笑いになりながら、おっしゃっていました。「そうじゃなあ、そうも考えられるけれども、わしは魚を取ることは生物の命をとるのじゃから、これはいけない。神仏はお好きにならない。然しこの魚を殺して皆に食べてもらう。そのお取りつぎするわしは、仏様のきらいなことをしよるのだから、人よりよけいに仏さまの好きな事をする。これは家業として漁師の家に生れたんじゃから仕方がない。然し魚をころして、魚に気の毒な、その魚に成仏してもらうために、わしは人一倍に神仏のお好きなことをする。」とこうおっしゃっていました。 そうすると、不殺生というところの罪を犯したようなけれども、先生のお心にはおかしておらぬことになる。 非常に清浄なお考えで、魚をとりつつ修行ができたわけなんでございます。
こういうわけでございますから、みなさん方が、たんぼなさるのは、殺生戒じゃないのですから、人を助けるところの「穀物を作り、野菜をお作りになるのですから、尚更修業ができやすいと私は思うのです。どうぞ、お年寄りはいうに及ばず、若い方ほどよけいに先生のお心をくんで、先生は魚を取りつつもあのようなご修行ができたんだ、 我々は農業や、商業をしているのだから、しよいことだとこうお考えになって、ますます信仰の度をたかめられんこと、お望みしたいのです。
この十九条と、二十条に書いてありますことは、泉先生が始終おっしゃっていたことなんですが、先生などは、こういうことをお考えになっていたのです。これは前にもお話申しましたが、道ばたにぞうりの破れたのが落ちておりますと先生は、ああ、まことにこれは相済ない、まるでぞうりを生きた人のように先生はお考えになるのです。
いいかげん使って、ついに道ばたへ、捨てられておると、まことにお気の毒な大変な人界の役に立ったのにこうして、道に捨てられることは、お気の毒なというので先生はつえを持ってそのぞうりを道端へ寄せまして、裏を上に向けないように表をきちんと置いて、「あい」と一礼なさったのです。その「あい」というのは、ごくろうでありましたということに違いないのです。 ですから先生は、道をお歩きになっていてもぞうりが目にかかっても、はやご信心ができているのです。このようなことを考えますと、まことに先生のご修行の一端もできておらぬと、私は思います。ぞうりが破れたら、手で持たないで、足でぴんとはね返して、新しいのとはきかえる。こんなことを我々はしておったのでございますが、先生はぞうりでも生きている人間のようにお礼をおっしゃっておりました。
このように若いときからぞうり一つにでも謝恩、恩を謝するということができております。 謝恩ができればすなわちこれが信仰が届いたということになるのですから、どうぞお若い方は、ご用事がお年よりも多いけれども、多ければ多いほど、事ごとに信仰心をもつならば、神仏におつきあい申す、接触するところの時間が多いと思うのです。 そういう風にお考えになって、ちり切れ一つでも、拝めば神の姿じゃと先生がおっしゃったのはここにあるのです。でありますから、どんなお仕事をなさる方でも、みんな神仏にお仕えができると思います。この十九条と二十条とは 簡単でございますけれども、日頃そういうお考えが必要なために、先生がおっしゃって下さったのです。
このようにお母さんが赤ん坊を育てるのと同様に、我々の目に見えない考えの足りない、赤ん坊同然のわれわれを、先生は、かんでふくめるように、日頃おっしゃって下さってあるのです。これを私がノートに控えまして、今日こうしてあなた方にお伝えしておるわけですから、どうぞ第十九条、第二十条は先生のお心を察して、信仰にお使い下さることをお願いします。
(十九番、二十番は同講議) (昭和三十二年十一月三十日)
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