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第一〇二条へ 第一〇三条へ 第一〇四条へ 第一〇五条、第一〇六条へ 第一〇七条へ 第一〇八条へ 第一〇九条へ 第一一〇条へ第一〇一条 「霜の朝、菜の葉の上に井戸の水をかけたら、湯をかけたようにしおれる。これは水が沸いているのではない。菜と水との温度の違いが大きいからである。人もこれと同じように、常に心の置き所によって、少しのことでも大きく身にこたえるが、心の置きようで、いかなることも楽に行けるものである。」
これから次第と寒うなり、霜が降りだしますと、菜の葉の上に霜が降って白うなっています。そこへ泉の水をもってきて菜の葉の上へひょっとかけてやるのです。みるみる内に菜の葉は、ちょうど湯でゆでたような具合いにしおれてやわらかくなります。これは泉の水が沸いとるから煮えたんじゃないので、菜は零度下になっています。葉の上へ白うに霜が積むようになりますと零度下になっています。泉の水は大体冬が来ましても二十度位はございます。
泉によりますと、十四、五度にも落ちますけれども、仮に十五度とおきましょうか、すると零下何度という物に比べましたならば、何十度の差があるのです。それが為にしおれるのです。
これはあなた方が、おふろへ入る時のことを考えるとすぐにわかります。外の寒い所から、手も足も真赤に凍ってお帰ったとしますか、そうして風呂にお入りになる。風呂の湯かげんというのは四十度位のものでございます。四十度から上へ上がると熱い、下がるとぬるい、こういうことになるので、四十度ならば熱うなし、ぬるうなしという位の温度でございます。その四十度なら一つもいたくないのです。熱くないのです。そこへ凍えきった足を突っ込んでご覧なさい、熱いと言いますね。それは、自分の手足が本当に冷え込んでいるからです。零度までは冷えんにしても、上側はほとんど水のように冷とうなっています。そこへもってきて四十度も沸いとる湯の中へ入るのですから、その差がひどい為やけどしたような感じがするのです。
所が、これは温度という上からのお話しでございますが、この心の働きを外へもっていくとどうですか、外の問題に、そうすると中々面白い問題ができるのです。いつも人間は、楽すべきものじゃないと、泉先生はいつもおっしゃっとるのでございますが、働けるだけ、自分の手におうたことはするがよろしい、自分の体を楽さしてない体でありますと、働いてもさほど、苦痛ではないのです。それをいつも楽に体をもっておる方が、にわかに仕事すると苦痛です。ちょうどこれは、冷えた体を湯の中へ入れるのと同じようにこたえるのです。よく山本さんがお話ししている西式療法というのもありますが、これはお湯と水とで、湯につけたり水につけたりするのです。そうすると、ちょうどかじ屋さんが、とうぐわの先のさいをする時に、はがねを焼きあげるようなもので、体が非常に冷えて縮んだり、伸びたりするのでございますから、血の通いがよくなる。こんなことにも使うております。
これは温度の話ですけれども、それから大事なことは、いつもよいことを望んで、それをうれしがり、苦しいことをいやがって逃げたがると、いうような風をしておりますと、すぐ人間は増長してしまいまして、体がやくたたんようになります。今度の戦争において、お帰った人の話を聞きますと、その人はよう働きなさるんです。「あんた、そんなに働いて」と私が聞いたことがありますが、「戦争のこと思いましたらこれ位の事楽なものです。」とこう言っております。これ等も心の置き場が違うのです。戦争でありましたら、いくら苦しくとも、それは休むわけにはいきません。味方が行軍しとると、もしそれを道端で腰かけて一服していると遅れてしまって一人になって、敵につかまるとか、危険な目に合います。いくら体が疲れても、武装して何貫の物を身につけて、どんどん一緒に行軍しなければ後へ残されるわけです。心の置き場が違います。ですから、そういう場を踏んでおいでる方になりますと、こちらへお帰っても、どういう仕事なさっても楽じゃと言うておられます。なるほど立派な言葉だと私は思うのでございますが、心の決めようでそういう風に楽にも苦痛にもなるのです。
これは、私が岡山におった時の話しでございますが、あの岡山連隊は野砲隊でございます。それが戦争にいきまして砲身を、照準する人と、弾丸を発射さす引金を引く人と、弾丸を込む人と、大砲の砲尾といいまして後に棒が出とるそれを持って大砲を動かす人と、弾丸を運ぶ人とこの五人が一組になっているのです。その五人の中の弾丸を運んでいる人が、弾丸を左の手でかかえとるのです。そうして右の手で弾丸の下を持っていると、そこへ敵の砲弾が飛んできまして片一方の手が折れたのです。半分飛んでしまったのです。血がたくさん出ている。それにまだ感じないで 弾丸をいだいとるのを離さなんだというのです。すると五番砲士が『お前、それかわれ、あぶない、どうした。』『どうしたって。』『お前弾丸運べるか。』『ああほんになあ。』と言って見て見ると、自分の片一方の手がち切れとるのです。「ほな、かわってもらおうか。」と、ようやく左の手にいだいとる弾丸を渡したという話があるのでございますが、その時に薬筒といいまして、弾丸の後に火薬を入れてある真ん中の筒があるのです。その筒が飛んできたのです。どういうはずみでありましたか、砲弾の筒になっている所が飛んできたのです。その筒の中へ入っとるのが右の方の手の一番さきにラシャがついとる。その次にじゅばんがついとる。その次に身が入って骨が入って、又今度振り皮があって、その上にじゅばんがあってラシャがある。ちょうど洋服を着とるそのままで、向こうへずうーと押しぬいた通りに筒の中へ入っとるのです。それをそのまま、日本の国へ送って皆さんに見せておりましたが、それほどの大けがをしておっても、まだ弾丸を離さずして戦争に列していこうとしておったというのです。
これはどうですか、こちらであんた方のように、田んぼしている時に弾丸が飛んできて、手がち切れたようになったんだったら、あんたすぐにそこへ倒れてしまって大騒ぎでしょう。 つまり心の置場という物が戦争に熱中しておりますから、手が飛んだのがわからなかったというのです。
こういうようなわけで、泉先生がおっしゃるのは、いつも戦争の前におれ、何時も緊張しておれ、そうすれば仕事も運ぶし、仕事が楽なんだ。そうして一日の仕事が済んだら今日のご加護有難うございましたと、言いなさいと言うことを私は聞いたのでございます。なるほど心の決めようひとつで大変違うわけでございます。
それからこういう事もございます。あんた方はご経験あると思います。山へ行くのです。山へ行きまして、あちらの枝を切り、こちらの枝を切りして仕事をしていると、山へ行けば面白いものですから、登ったり降りたり、色々な仕事をなさっとる間に、かやで切るのです。手やほうぼうを。それ知りません。家へ帰って来て、なにやら手や足にお湯がしみて痛いと思って、見てみると沢山筋切れしとるのです。これはすすきの葉で切っとるのです。それで血が出とるのです。これがお宅であったらどうですか。座敷で、もしああいうすすきの葉みたようなもので、ずうっとすごいて血が出るほど切ってごらんなさい。あッ、痛いっと飛び上がるでしょう。知らん間に切っとるのです。足から 手から、私もそういう経験があります。歩いていたら足首を、あの手切りがやの葉で、ずーっとすごいたら切れるのです。血が出とるのです。これはいたかったに違いない。違いないけれども、それさえも山を登り、降りするのに中になってしもうて知りません。これは心の置き場が違いますから感じないのです。こういう風に人間というものは、心をいつも置き場を考えて、楽におかんように、いつも緊張しとるようにする事が大事でございます。これはいつも泉先生は、そういうお考えであったらしいのです。 それからこういうことがございます。あの山伏しさんやが九字を切るというでしょう。印を結んで、そうして臨兵闘者皆陣列在前とこう九つの九字を切ります。九字を切って「臨兵闘者皆陣列在前」とこういいますが、あの文字です。漢字で書いてそれを読んで見ますと、どういう字になりますかというと、いつも敵陣の前にあると心がけよと書いてあるのです。それが臨兵闘者皆陣列在前と棒読みにしとるのです。それを訓読みにいたしますとただ今申すようにいつも敵陣の前にあると心がけよと、書いてあるのです。それであの行者さんが九字を切る時分には、お滝に入るとか、あるいは禅行場を通るとか、非常にむつかしいあぶない所を通るとか、あるいは拝んでもらう所の人があった場合に、その人にお陰を授ける場合とか、こういう場合にあの九字を切っとるのです。その九字というのは、いつも敵陣の前にある心がけをもっとれと、こういうことが九字の意味なのです。そうすると、自分も念ずることがかなう。
こういう意味なのです。九字の力、あの偉大な力の出る九字の意味から出る所の力のもとは、どこにあるかというと心の置き場ということになるのです。
こういうわけでございますから、たとえ生活が楽なお方で、金は沢山あり、もうけの場所は沢山おありになると、非常に経済的な裕福なお方であって、何一つ心配することがないというようなご家庭の方でも、おれは生活には何じゃ不自由ないんだ、というようなことはよろしくないのです。それはお陰で楽に暮らせていただいとると感謝の念まではよろしいけれども、いつも緊張しとらないけません。徳川家康が部下に教えとる言葉の通りでございます。心がゆるんだ場合には、いつも貧困の昔を思い出せ、つらかった時分の事を思い出せ、そうしたら心が緊張して、 強い人間になれる。こういう事を教えておりますが、やはりああいう偉い人はいつも心を緊張させておる。すなわち、言い換えますと、つらかった昔の心がけでいけ、こういうわけです。そうしませんと心がゆるんできます。いつもそういう事を泉先生はお考えになっとるのです。
先生は、ただそういう事を考えておいでることばかりじゃありません。この台風のきよる時分などは、津田の沖であすこの沖は海辺からつい二百米ほど沖の方に浅瀬があるのです。そこでいったん、ぱさぁーと波が(わらい波といいまして)高くもち上がって、ぱさぁッーと落ちるのです。それで小さい船は港へ入りにくいのです。それを先生が ご覧になると、早速、裸におなりになって、褌一つになって、帯でくるくるっと腹をお巻きになったと思ったら、細縄を用意して、それを口にくわえて、海へ飛び込むのです。そうして、わらい波を押して港へ入ってきよる船の舳へそれを渡して「そら引け」と言い、手を差し上げて合図すると、陸の方からぐんぐん引いて船を助けた。こういうことも夏ならよいでしょうけれども、冬の寒い時でも、大風の時分にでも先生はなさる。このおもいきりが仲々出来ません。常に人を助けてあげたい。心の置き場が、このお考えがないならば、仲々躊躇してはいれるもんじゃございません。私らもこの大波におうたことがございますが、中々海の波が、二三米の大きな波が来てご覧なさい、そらもう実に気の引けたものです。その中へ飛び込んで人を助けるということは、よほど心の置の場が決まっとる人でないと出来ません。私しや水泳が、そうとう泳いだ方でございますけれども、それでも水が恐ろしいのです。それは心の置き場が常に水に慣れていないからです。
どうぞいつもあなた方がお暮らしになる上に、豊かなお家は貧困の昔をお思いなさる。昔貧困でなかってもです。 貧困であったらどうかということをお考えになる。又ご丈夫な体をもっておられる方は、もし私が弱かったら、ほんに人の手伝い出来んのじゃから、この強い体で弱い者助けてやろう。こういう風に、いつも自分の心を苦痛な所、苦痛な所へ置くのです。それがよいのです。
ただ今、一燈園の西田天香さんのお弟子さんが随分大勢ございますが、中には大学を出た方も沢山ある風でございますけれども、人の一番いやがる便所の掃徐を便所拝んどいて、きれいに掃徐をして、掃徐してしまうと、又拝んどいてお帰るそうでございます。これはいつも置場を高い所へ置いてないのです。一番低い所へ置き場を置いておりますから、人の便所したきたない物でも、きたなく考えずして、掃除してきれいにしたら喜ぶだろうというような本当に清浄な心でなさっとるのです。これも置き場が低いからです。
置き場を高く置いとると妙なことになります。お大師様はいつもご自分が人を助ける神さんの使いものである。
お使いをする役であると思うておいでますから、自分が神さんの力を持っとるのだとか、仏さんの力持っとるのだというようなのと違いまして、非常に低うにおいでるものでございます。四国の伊予に十夜の橋というのがありましょう。あそこで日が暮れて、お大師様がお宿を頼んだ所が貸してくれなんだ。でもお大師様はそれをかえって喜んだと書いてあるのです。大低ならばおれは弘法大師、弘法とは後からつけたのですけれども、おれは空海として陛下のごちょうあいを被っとるおれである。と宿ぐらい貸してよかろうがというような不足の声が起りそうに思いますけれども、お大師さんはそう考えなさらないのです。ああわしがお宿頼んだら断ってくれた。わしは低うに見られるのが有り難い。できるだけもっと低うに出、どんな人にでも遠慮なしに、物言うてもらえるように、こういうお考えですから、あのとやの橋に残したお大師様のご教訓という物は、いつも低くおれ、これは大きな教訓だと私は思います。それを高くおると、私よりあの人間が上へ坐ったとか、すわる場所さえ、人に譲らんというような誠に高慢な風になって、それとはなしに人にきらわれることになります。きらわれると人が助かりません。いつも低く低く心の置き場を置いとく事がよいというお大師さんの教えです。
泉さんもそうです。泉さんのお召し物は木綿の黒っぱの巻き袖で、黒の三尺帯を横っちゃの方で、ひょこっとくくって前だれなしとるのですから、どこのおっさんぞいな、これは先生のご風彩を見ても、いつも威張っておいでんというのがおわかりになるでしょう。目の前で、何でも頼みよいように、お話ししても、しかけていっきょいように、先生これこうしてくれませんかと、言いやすいようになさった。これがすなわち先生の心の置き場が低いというのです。この一〇一条だけは特に力を入れてあんた方にお話しがしたいのです。 お陰をもろうても、どうぞ、もろうたと高くおらんように、もろうたら、もろうただけ人の世話をよけせなならんのだから、出来るだけ低うにおらないかんと、いうのが先生の教えです。どうぞご自分の考え方は人より偉いんだというようなことがないように、できるだけ人にお付き合いがしよいように仕向けていくという風にしていただくことがまことに結構なことだと私は思うのです。此の一〇一条だけは先生の性格がそのまま現れておりますから、どうぞそういうことにお考えを願います。そうすれば一生がい喜んでいけることは保証します。なにも苦痛がない、低いんですから、人にどんなせられても、つらいとは思いません。高うにおると人が奉ってくれなんだら腹が立つ、低いものですからお大師さんが宿断わられて、かえって喜んだと、いうようなもんで誠に平安な一生が終えられますから どうぞそういう風にお願いします。
(昭和三十四年九月三十日講話)
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第一〇二条 「天は、人の五官外のもの。地は、人の五官内のもの、天地は二つでない一つである。」
この天というのは、これは高い低いの天ではなしに、目に見えないものを天という方の天でございます。それから地というのは物質、物という風に解釈してよろしい。それでこの一〇二条のお話しを云い換えてみますと、天は無形のものであって、目に見えない力だけのものである。土地は物質であって目に見えるものである。こういうことでございます。これが二つであって、二つでない一つであるこういうことです。
これは般若心経にも書いてあります。色即是空、空即是色と書いてあります。色というのは物質です。色と書いてありますけれども、これは物質ということを宗教では色と申します。色というのは空なものである。空なものというのは目に見えない。働きはあるけれども目に見えない。これを空というとるのです。やはり、そのことを先生は、そういうむつかしいことはお知りになるかならんか知りませんけれども、おっしゃらなんだので、天とうはんというのは、目に見えないもんだ。土地は人の目に見えるもんだ。こういう風に先生はおっしゃった。
その目に見えないものの働きというものと、目に見えるものの働きというものは二つでない。一つのものである。
すなわち先生のおっしゃることは、実に般若心経のあの偉大なる力と同じことをおっしゃっているのでございます。
色不異空、空不異色の色即是空、空即是色とこれだけのことを一〇二条におっしゃってあるのでございます。
これは非常にむっかしいことなんで、形のあるものと、心の上の働きとは、今日申すエネルギーです。力というものと物質とは同じものだ、こういう事はなかなか普通の行者さんはおっしゃれんのです。先生は、あの般若心経が、お体についておるから、そういうことがおっしゃれたのです。
これをもう一つたとえて言えばあなた方おわかりになると思いますが、人の体、あるいは顔です。これは目に見えとるものです。所がその人の心、心の働きというのは、目に見えません、優しい人であるとか、あるいは理屈高い人であるとか、あるいは高慢な人であるとかいうような心の働きです。こう申したらおわかりになるだろうと思います。心の働きが柔かい人はなんとなく体、顔つきは柔かいです。心の尖っとる人は、どっか体あるいは顔にとがっとるかどがあることがわかっておりましょう。あなた方も、これは人相とか骨相とか言うとります。それでその心というものが外へ現われとるものと変りがない、同じ二つであるけれども一つだというのと同じことです。こう言えばおわかりになると思います。形と心とが、わかれば二つだけれども、その働きから言うなれば一つだ。決して顔の優しい顔しとる人には、ごく悪いことするような人はないというようなものです。これは簡単でございますけれども、非常に大事なことでございます。
昔この信仰の行をなさっとる人が、山の中で座禅を組んでおると、その人の体はぬくいもんですから、ふところの中へ鳥が入ったり、出たりしておる、手の中で鳥がしゃがんだりしたということを言うとりますが、これなどもそうです。鳥から見ればその人が誠に慈悲深い仏心になっておるということが通うとるのです。これについて、おかしいことがあります。
私が若い時分に鳥を打っておりましたが、その頃には何げなく鉄砲持たずに、私が野原を歩いたことがありますが鳥が遠方の方から飛ぶのです。つまり私の体、あるいはこの所作、顔つきというのが鳥から見ると鬼に見えたんでしょう。なるほど鬼です。あんな筒でねらんで、指一本動かすと、向こうは死ぬのですから、なるほど鬼に見えたんでしょう。ところがこの頃になりますと、もうそんな気はありません。そういう生物を殺すなんてそんな楽しみはもっておりません。そうするとおかしいものです。電柱の上に鳥が止まっとるのに、その下を私がつえを持って歩いておるのに、鳥は飛びません。こういうことから考えますと、目に見えん所のその心の働きというものと、目に見える仕事というものとは二つであるけれども、二つじゃないので一つのものだ、こういうことが一〇二条に書いてあるのです。これは絵かきさんがよく言いますが、普通の人間の顔は書きよいけれども、み仏の顔は書きにくい、これはどうしてかといいますと、み仏は心の内にはまことに慈悲忍辱の思いを秘めておいでる。従ってお姿、顔つき、実に神神しい、優しいて気高うて、しかもそこになつかしい所の思いを表わしておいでるのですから、画家がこれは書けない。
中々み仏の顔はむつかしいと言うておりますが、それはそうだろうと思います。普通の人間の顔は、目、鼻、口、書いたらよいのですから、割合に書きよいのですが、そういう心の表われというものは、非常にむつかしい。あなた方も修業なされると次第と顔つきが高尚になっておいでる。
今日、美容術というのがございますが、美容院といいますか、髪を結ったり、顔をきれいに見せたり、色々そういう型をつくる所でございます。女の人がよくおいでよるが、なるほど髪の形を変えてみたり、眉毛の形を変えてみたり、あるいは口紅をつけるとか、目の下へ線を入れるとか、なんとかいう風にすれば、幾分変りますが、本当の美容術というのは心の方をきれいにするのでなくてはきれいになりません。それで今日の演劇界でも、ずっと上の方の俳優になりますと、外からのかっこうは出来るけれども、中からのかっこうは出来にくいということを知っとりますから非常につつましい生活をして、やはり信仰に近い生活をする、そうすると何とはなしに舞台へ上がった時分に重みがある。こういうようなことを言うておりますが、なるほど違いないことです。そういうことを一〇二条に言うておるのです。
この間、高野山で今度千百五十年のお大師様の遠忌法要をする事になりまして、色々お寺さん方ではそのご用意をなさっとるのでございますが、金剛峯寺ではこの偉い所のお方を後の世になんとか、広く人々に知ってもらおうと弘法大師のご遺徳の高い所を知ってもらおうという方法はないかというので、色々研究もしよりますが、その中の一つに映画にしたらというので、主に高野山の山の上でお大師様のご幼少の時から御入定までの間のお大師様の行状を映画にとる。所がその映画俳優の話を聞きますのに、ほかの日蓮さんであるとか、親鸞さんであるとかいうような一団の祖師でも、歴史を芝居的に繰り返したらよいので割合にしよい。たとえば島流しにおうて苦労しよる所へ弟子が行く、あるいは又法難に沿うて切り立てられる。こういう事が俳優としてはしよい。けれども弘法大師のように心の内の働きのお力で、人を助ける、すなわち密教でございます。心の強い所の働きで人を助けると、いうことは非常にむつかしいと言うて、俳優の方々がこりゃどうもこういうお方の映画は中々むつかしいと、自分が斎戒沐浴して本当に自分が信仰に入らなければ、お大師様のは、どうも出来んというようなことをもらしておるのを私は聞きましたが、実にそうだろうと思います。これは日常あなた方が、心をきれいになさるということが、いかに形の上へそれが表われてくるかということです。
どうぞこの一〇二条はそういう意味でございますから寝ても、さめてもお教えに従ごうてきれいな生活をするということは、自分の姿、自分の顔、形、そういうことはどうでもよいというようなものでございますけれども、それはそうでないので、皆さんが着物を着、あるいは色々な身なりをして世の中を通るのに恥かしからぬ態度をなさっとることは言うまでもありません。すなわち自分の身を飾るのではありませんけれども、礼儀正しく生活をするという、その意志に添うのには、やはり心の働きというものがついていかなければ本当に完全には出来ないということがおわかりになろうと思います。
(昭和三十四年九月三十日講話)
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第一〇三条「信心は、ただ一すじに、神の教えに通ずれば、それでよいのである。最もしやすい。それを理屈と、学問とで知ろうとするから一生しても神の有難みはわからん。」
信心をするのには、最も本とか色々な書物を見たり、あるいは理論を考えたりする必要はありますけれども、一口に言うならば、神様の教えに従うて、その神様のお心に合うように自分がして行くことが、最もしよいのである。こう泉先生はおっしゃった。まねすりゃいいんだ、心を一〇二条に書いてあります通り、目に見えない心と目に見える体と、これを神さんに合していけばいいのだ。神様の教を仰ぎ神さんの心、こうだろうと察してその心の通りにして行くと又仕事をする体の扱い方、これもこうだ、そういう風にすりゃよいのだからしよいではないか、こう泉先生はおっしゃるのです。それを理屈の上、あるいは学問の上からそれを論じていくと一生かかっても本当に神さんの有り難みというものは、からだにつかん、有り難みはわかっとっても体へつかん。すなわち、行なえん、ということなのです。従って人助けは出来やしません。それでは学者になってしまう。泉先生はご承知の通り学問なさっておりません。又ご生活は漁師ですから、いつも生き物を取ることばかりを考えておる所の生活をなさった。それでありますけれども、その生き物を取り、船に乗って朝鮮方面までもおいでになる、その上で神様の心に通じておいでたのです。
津田へお参りの方はお知りなさっとると思いますが、先生は飯がまのふたの上、あの飯がまの蓋をあおむけた上へ、線香鉢置いてそれの上へ線香を立て拝まれていたのです。これは、どうしてそういうことをなさるかといますと、先生は朝鮮あたりへ行く船に乗り込んでおいでた時分には、もう港を離れましたならば、一切先生は塩をあがらんのです。それでは何をあがるのかというて、その魚は塩でたかぬと食べられません。さかなあがりません。塩を食べんのですから、そういう先生のお願です。ですから船に乗る前に砂糖を買うて行くのです。そうしてご飯も、海水で米を洗い、それを今度は、真水でゆすぐのです。塩気のないようにしてたいたご飯ですから、塩気はいっとりません。 そのご飯を一番先に出来ると飯がま、船の中ですから神だなもありません。机もありません。おへぎなんてそんなもの置けば、非常に場所をとるし、又船の中は狭いですから、よごすうれいがあります。先生はそういうことをなさらずして、ご飯が出来るとすぐ飯がまを取って、その蓋の上へご飯を一寸盛りまして、飯がまの蓋の上へ置いたのがすなわちおへぎの上へ置いたのと同じで、これを神さんに差し上げて遠方から南無象頭山金比羅さん大権現、象頭山金比羅さん大権現と、沖の上で日に日に念じておいでた、そのご飯をいただく時でも港を離れる時に買い込んであるお砂糖をお箸につけてあがるのじゃそうです。そうして無事安穏を金比羅さんに祈っとる、私は先生のお供をして船には乗りませんけれども、あの津田の海岸の金比羅さんへお参りに行ったことがありますが、もう朝起きると、お手水を使うと、いの一番に一わ線香に火をつけて、浜の金比羅さんで南無象頭山金比羅さん大権現と、海の上の安穏をご自分が陸の上でおりましても海の上の安穏をお祈りになった。
すなわち慈悲心です。自分のお友達が沖へ漁に行っていますから、どうぞ無事にということを朝起きるといの一番に祈るのです。そうして、もし海が時化たりした時分には、津田の港へ入ってきよる船に無事にあがれるようにお祈りなすっています。時によると自分が海に飛び込んで抜き手を切って、その船へ綱を渡して引っ張りあげる。こういう風に生き物を取りながらも沖の上では、つまり神様のお仕事をなさっとるのです。それを一〇三条に書いてあります。ただ神様の教えの通りに自分の体ですればよいのだ。しよいことだ、こう先生がおっしゃった、そのことなのです。ですから、我々は生き物を殺す商売をしていないのでございますから、なお商売の仕事がしよいわけです。
先生は生き物を取る船に乗り込んでおいでても、御自分の体になさることは人だすけをすることになっているのです。そうして自分は塩を食べるということになれば、必ず塩でたくということになります。たけば魚もたくのです。
それで塩、たくということになればそんなもの食べんというような実に広い所の行をなさったものです。
我々が今日一週間位塩を全然食べなければ、必ず弱るのです。人間の体は塩でもっとるのですから一週間も十日も塩を食べないと必ず、弱ってくる、それを先生は一月も海の上においでるのにもかかわらず、一切塩をお使いにならん、これだけでも人からすぐれております。その体に必要な塩を断ってさえも、先生はお弱りにならん。なんで弱らんかというと、心の内には神仏の助けてやろうという心がいつも燃えていますから、人とは違うわけです。
それともう一つ先生のお顔のことなんかいうとえらいご無礼になりますけれども、実に神神しいお顔です。りんとなさっておるお顔です。しかも慈悲心に燃えた場合にはいかにも、赤ん坊でも、すがりついていこうかというようなお優しいお顔です。これなどどこから表れて来たのか、すなわち心がその通りにお優しい、しかし人を助ける上においては実にたけだけしい人の及ばん所の勇気を持っておいでる。こういう所でああいう神神しいおからだやお顔つきが表われてきたわけです。これは一〇二条にそう書いてあります。先生はその生きの手本でございます。
この信仰の上に、理窟がいけないということはおわかりになろうと思いますけれども、ある人が大きな桶に沢あんを漬けてある、たくあんあげよったのです。そうすると大きな石置いてある、その石が手がすべって足の上へ落ちかかった。その時に高げたはいとったのです。その高げたのはまがとれたのに足に傷せなかった。こういうことがあったのです。その人は誠に信心深い人でありましたので、早速神さんにああ有り難いことじゃ、と言うて礼をしよりましたが、その横で見ておった人が石が落ちたのにけがせん、はまが折れたのにけがせん、あれは石が、げたの上へ落ちたので足の上へ落ちなかったので、足にけがせなんだ、はまげたがその重りで折れた。こういう風に理屈をいう。
どれが本当か知りませんけれども、そういう風に理屈を言うていくならば、すべてのものに有り難みがなくなるものです。おかしいものです。考えて見なさい、何事にでも理屈はあるのですが、その理屈、理屈というて理屈ばかりで責めて行きますといかなることがありましても、有り難みが無いようになるのです。有り難みがない人には、又お陰が受からんことになるのです。こういうことですからどうぞ、皆さん、この理屈は抜きに、信仰の上には理屈は抜きにした方がよいということを先生が教えとるのでございます。
(昭和三十四年九月三十日講話)
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第一〇四条 「神信心するということは、神の心を知って人界で行う事で、お宮まいりは信心の一部分。」
この一〇四条は一〇三条と同じ事を書いているのです。これは神信心するということは神の心を知って、その知ったことを自分の体で人界で行なうということじゃと、いうのですから同じことです。書き方が少し変っているだけのことでこの一〇四条は一〇三条の内容と同じことでございます。
(昭和三十四年九月十五日講話)
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第一〇五条 「日日喜んでお礼を申すも信心、日日泣いて つらい事をお願いするのも信心、どちらがよいか、心一つの向けようで どちらにでもなる。」
第一〇六条 「人は生きて行くに、学問も金も力もいるが、なければならぬ神の恵を知らないでは一日も喜べぬ。本当の喜びは、ここより外にない。人間の喜びは裏があわれである。この尊い喜びの味を知れ。」
こういう事を一〇六条に書いてあるのです。一〇五条、一○六条とを一緒にしてお話しをします。これは同じことを書いてあるのです。神を信仰する種類です。その種類を一つ話してみます。
神の教えを喜んで日に日にお礼を言いもってして行くのです。これは、神の教えを知ったならば、自分の体で行うたお礼が言えるようになるのです。日に日に神様の前で、ああ、こういう有り難いことがありました。有難うございます。という信心しよる人もある。又一筋に神さんにすがって助けて下さいと言ういってんばりの人もあります。
自分の神さんの教えということも余り知らん、真心一つで一生懸命に神さんどうぞ助けて下さい、こういう信仰の仕方もあるのです。又なかには自分はつらくないけれども、人を見てあの人はつらいんだろうなあー、あんなに手が不自由な、あるいは足が不自由な、体が悪い気の毒やなあー、どんなにかして苦痛のないように、喜んでいけるようにしてあげたいものだ、というので陰から念じておる。こういう信仰の仕方の人もあるのです。
又、今度はこういうのもあります。あしこの神さんの前に木の枝がぶらさがっている、あれ神さんの目ざわりになる。あの枝をのけてさしあげたら神さんが目ざわりのうてよかろう。あるいはこちらの方に水がたまっている、あれを地ならししたら、水がたまらなくてきれいだろう。お庭を掃き清めたら神様お喜びだろう、お手水鉢にうじ虫が沸いているのはいかないから、あれをきれいにし、中のこけをすり落して、きれいな水と入れ替えるとよいだろう。神様お喜びになるだろう。こういう風にしたら、神さんが見てお喜びになるだろうと考えて、神さんが喜ぶように、喜ぶようにしていく信心の仕方もあります。
それから、もう一つは何事によらず、自分が神様のお使いというようなことを考えるのです。神様のお使い者というのがありますが、私を一つ神さんのお使い者にしてもらいたいと、いうような心がけで神さんが、人を助けるように、かわいそうなと思ってなんでも世話してやる。別に信仰のことは言わないけれども、体で人の世話を根かぎりするのです。世話が好きなんです。こういう風に信心は、種々雑多の形の信心があります。どれがよろしゅうございますか、どれもずぬけたらそれでお陰がもらえるのです。今お話ししましたように大変種類が多いのです。今、私が申したのは誠に結構な信仰の仕方ですけれども、中にはこういうのもあります。ああ、あいつ憎いやっちゃ、あれがどないぞなりゃええが、そんなのもありましょう。それはのろいというようなことになりますが、それは届きません。
もし向こうが悪い人であったら幾分届きますか知りませんが、もし向こうが非常に偉い人であって、その人を憎んでなんとかかんとかを、神さんにお願いするということになれば、かえってそれがはねかえってくるのです。むこうへ一つもいかんと自分がその罪をきなならんことになります。
それは観音経秘鍵にそういうことを書いてあります。ご覧になったことあるでしょう、観音経下文という所に還着を本人の剣を持って呪咀済毒薬の病を減すと、書いてあります。それはどういうことかと言いますと、法難が振りかかって来て、自分が一つも悪くないのであるけれども、自分はお神様のお手伝いをし、信仰を人にお進めして何も罪を犯しておらんけれども、反対の者から憎まれる場合がある。これは法難です。お大師様にも日蓮さんにもそういうことがありました。親鸞さんにもあります。そういう法難が来た時には、向こうの憎しみというものはかえって向こうの頭の上へいくぞ、のろわれても毒薬を盛られてもあべこべに向うの方へ、きくが真っ直ぐな方へはきかない。こういうことを観音経に書いてあります。
こういうこともあるのでございますから、信心の仕方は色々ありますが、人を痛める、憎むというような事は絶対してはいけないことです。向こうへきけば気が晴れるか知らんが、あべこべに我が被むるということになるのですから、どうぞあなた方にはそういうことはなかろうと思いますが、人を憎む、あるいはのろうというような事は我が身が罪をきんならんことになるのであって、もし向こうが偉い人であった場合にはあべこべに自分が苦労せんならんから、そういう間違いのないように、あんた方はそういうことはありませんけれども、泉さんはそういうことをこんこんと教えておいでになります。
一〇五条一〇六条は今申したように、信心の仕方を書いてあるのでございまして、やはり慈悲というものがこもっていなければ神様には届かんということになります。一口に申しましたらそういうことでございます。でございますから自分のことを念じるのは多少それに欲がこもっております。全然欲のないということは少のうございますけれども、人を助けるという上の念じというものには、憎しみが入っておりません。慈悲一点張りです。だから行がよく届くということになるわけです。どうぞ一〇二条から一○六条まで一足飛びに五つもお話ししましたが大体内容がよく似ているのですから、そういう風にお考えを願いたい。
(昭和三十四年十月三十一日講話)
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第一〇七条 「神の恵がわからぬのは、大平無事で、人間の楽しみに迷っているからである。生きるのに生きられぬ境遇を思い浮かべて見よ、この時でも神の恵に喜んで居れる力の偉大さに比べたら、人間の楽しみなどはすぐに飛んで、後に残るのは、愚痴ばかり、何と結構な宝があるではないか。」
この意味は神仏の有り難みというものは、何か節があって初めて知れる物であって、ことなく穏やかに大平無事に行っきょる時には、いっこう人間の体や心には、感じにくいものである。所がそれと反対に、本当に信仰に徹した場合にはいかなる問題でも自分の体へはこたえない。死という死ぬというような大きな問題でも喜んで死ぬるというような偉大な力を発揮するに比べて見ると、大平無事の人間の心の内の無神無仏の想いというのは、実にかわい想な物である。吹けば飛ぶようなまことに貧弱な迷いの夢を見ているのと同じであるというようなことを書いてあるのでございます。
織田信長と竹田信玄とが、戦いをしたことがあります。その時分に竹田勢の方が大変負けまして、城を落ちのびたことがあるのです。そうして逃げ場を失うて寺の中へ逃げ込んだ。そこで信長勢はその寺を包囲しまして、「あの逃げ込んだものを出せ、」と命令した。するとそこの隠元は中々信仰に徹した偉い坊さんであって、竹田家とは非常に親密な間柄であったらしい。逃げ込みましたが、私としては助けてやりたいのに出すわけにはいきませんと断った。
その時分に信長勢は、そんなら出してやると言うてぐるりから火をつけた。その時に坊さんは、玄関へ出て来まして、その燃えておる火の中で詩を歌ったのです。それは、どういうことをいうたかと言いますと、「安禅なんぞ山川を選ばんや、心頭を滅却すれば火も亦涼し」こういう詩を読んだのです。これはどういうことかといいますと、信仰の上の禅行をしますのに、山がよいとか、あるいは林がよいとかいうけれども、それが一番安らかな禅行が出来るとはきまっていない。そんなものはいらない。心頭を滅却すれば、すなわち自分の心が、徹した場合には火でも涼しいのである。おれは今この火の中で泰然として、この世を去ろうというので、手を合せて、そのまま火の中で焼けてしもうた坊さんがあるのです。
ちょうどこのことと同じことを泉先生がおっしゃったのです。神様の恵みということを知らん、それは大平無事に酔うてしもうて、人間の自分の迷いに頭を突っ込んでしもうとるから、有り難みがわからんのだ。先生はそうおっしゃっとる。なるほどその通りだと思います。これは船の上のことでございますが、いつも信仰して手を合わしたことのない人でも、船がかやるというような時には、南無金比羅さんと言わん人がないそうです。そういう風に大平無事の時には何でもないのですけれども、まさか、今がどたん場であるというた場合には必ず手を合わす。それでは間に合わないのですから、常に大平無事の時によく、よいお師匠さんのお話しを聞いて、その聖者の言葉に従って、日常生活をすれば大平無事の時にでも有り難いということがわかる。そうすれば日に日に有難い、うれしい、喜ばしいというような人生が送れるのであるから、これほど幸福なことはない。こういうことを先生が教えておるのです。
この間もお話ししましたが、一心こめたということには、どういう有り難みがあるか、これは沢山の例がありますけれども、これは先日お話ししました横須賀の砲兵工廠のハンマー使いです。これはお話なさらないでもお知りの方があると思いますが、新ハンマーという機械は大けな鉄です。五トンといいよりますから、千何百貫の金槌です。
それが釜でたいた蒸気の力で、上がり下がりを自由にしておるのです。その機械のハンドルを握っている人をハンマー使いというのです。小さな自転車の柄のようなあんなにぎりを握っていて、それを金槌使うごとく自由に千何百貫もの金づちを使うのです。大きな鉄の焼いたものを延ばしでも縮めでも、どないでも自由にするのです。
所がその人がそういうあぶない仕事をしとる為に非常に信心であったのです。私が中学校出てすぐですから、二十才余りであったんでしょう。私が横須賀へ行き、私の親戚の者が行っておるのを尋ねていったのです。そして そのハンマー使の話を聞いたのですが、そのハンマーをハンドル押して、すっーと上へ上げといて下へトンとおろした時分に、間へにわとりの卵を置いておいて、それをつぶらんほど上手な、こういうことを、一般に言うのですが、私が見たハンマー使いの人は卵どころでないのです。ハンマーの金床の上へ自分の子供の頭のせといてさぁっとおろすのです。千何百貫の金槌を、そうして横から見ると、髪の毛がさわっとるだけなんです。実に驚いた所の腕前をもっておる。その人は一日の給料は他の人よりか倍もくれておるのです。そういう技術を持っているのです。そうして私は親せきの者に聞いたのです。あの人はどうしてあんな技術が出来たんでしょうかと聞いた所が、私の親せきの者が言いますのには、あの人は非常に信仰な方で、御岳さんだったかを信仰しまして、どうぞこういうあぶない仕事をするのですから、又国の為に立派な軍艦をこしらえるのですから、一つ私の手にお陰をもらいたい。私はいかに出世しましても、これは私とこの子供の養育費や、家や、計費をのけた後の金は全部世の中の困っとる人に差上げます。
ハンマー使いを勉強した所が、ついに今お話するように子供を金床の上へ寝さして、ハンマーをおろすと髪の毛に、 さわっとるが体に一つもさわっとらない、こういう驚くべき技術を授かったわけです。これなどもこの一〇七条に書いてありますように、信仰に徹した場合には思いのままの仕事ができる。又運に致しましても、よい運をもらえる。健康にいたしましてもその通り、又技術にいたしましてもその通り、驚くべき力を授かるのです。
そういうことは太平無事の時はわからないというのです。日常生活にお金があって何をするのにも不自由がない。 病気すりゃ、お医者にもかかる、よそへ行くのには乗り物でいく、食べる物は十分にある。着物はどんな物でも望み次第に買える。こういうような太平無事の生活をしとる人には、自分の力や自分の金で思いがかなうと、こう思って いますから頼る所がないのです。所が、あにはからんやそうじゃない。金で自由になる物というのは物だけのことです。一家の家運とか、あるいは不時災難とか、あるいは病気とか、こういうような人間の手では自由にならん物は金では自由になりません。すなわち運のよい人は、太平無事にいっきょる人は、それが神の運であるということを知らないのです。そこでそういう頼る所の道を知らん。こう先生がおっしゃっとるので、どうぞ太平無事の時にはなおさら、なぜ無事なんだろうかと、そういう事を常に考えて、これは神様、仏様のお陰であるという事を疑いなく、はっきりと信じる所に有り難いお陰が受かるのですから、そういう風に考えていけよ、という教えでございます。
(昭和三十四年十一月十五日講話)
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第一〇八条 「神祭りをするに用いる品物は、皆神様のご馳走である。用意するにも、取かたずけにも、其の心して扱かえ。」
泉さんはいつもご自分が神さん仏さんにお祭りをする品物、あるいは、その用意の道具とか、なんとかいうことはいつもこういうお気持でなさったということです。私は、横から拝見しております。すなわち、たとえ、その神さん仏さんの前にお供えの八ツ足とか、そんな物はなくてもよいのです。気持がそんなのですから、お祭りする物は、これは皆神様のご馳走を今差しのべておるのである。お祭りしてある所のお堂は、これは神様のお屋敷である。
そのお屋敷へ自分が今ささげ持っていって、お繕の上へのせて、お給仕をしておるんだ。こういう気持でするのがよい。決して立派な物にのせて持っていたのがよいとか、おいしい物を持っていったのがよいとかいうのではないのであって、自分の生活に適した、そういうものを珍らしい、自分の好きなと思う物を神様にお祭りするのですから、道具やそんな物はどうでもええんだ。家におおとったら、それでええんだ。偉いお客様を待遇するような気持でおるとよいのだ、こういうことを先生はおっしゃっていましたが、その証拠には先生が神様に差し上げる。お線香鉢の台でも、はがまの蓋でも一番最初八ツ足がなかったのです。私が二十七才の時に初めて先生ところへ行った時分は、八 ツ足もなにもおいてありません。壁に釘を打ちましてその壁も荒壁です。荒壁に釘を打って、それに三尺ばかりのふすぼけた黒い三社はんのお掛軸をつって、その前の畳の上へ持っていって、はがまのふたを仰向けて、その上へ線香鉢おいて、お線香一わを立てて拝んでおいでました。ですから、先生は、神様の前には、立派なかざり物はなさらなかったのです。そのかわり先生の気持からいうならば、壁に掛けてある三社はん、すなわち大きなご殿に住んでおいでる神様、立派なご殿に住んでおいでる神様の前に、自分が今給仕しているのである。こういうお気持なのです。
前のはがまのふたは、そんなのがありませんから、先生はごく貧之でありました。しかし貧乏は、食えん貧乏じゃないのです。沢山のこと船に乗っていて、おもうけになるのですけれども、その中で、神様のお供えする所の物を買うと、線香とか、あるいは、ろうそくとか、油とか、それから日常生活のお米、そんな物を買いましたならば、後に余った金は皆、困った人にあげてしまうからないのです。それではがまのふたを仰向けてそれを神様のお給仕の道具に使こうておる。先生からいうならば立派な、それで自分の力一杯のお給仕をしとるつもりなんです。 こういう風に先生はいつも神様へ、お祭りするお光り上げるのでも、おろうそく上げるのでも、あるいは又、品物をお祭りするのでも、偉いこの上もない、偉いお方をお給仕しておる、こういうつもりです。どうぞ、そういうことに、先生のお気持をくんで、あなた方が日常生活の信仰の上になさることはそういう風になさるのが最もよいと思います。
(昭和三十四年十一月十五日講話)
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第一〇九条 「人の頭脳は、天地の事を生みだすものではない。天地間の出来事が魂に写って、その影が人の心に知れるのである。ものが写るのは魂の力で、それを知るのは人の力である。魂は、神の賜である。 魂を鏡にたとえたら 神の姿は、いつも人に写っているのであるが、自分の心がいつも転々流浪しておって気がつかぬのである。 わが身を忘れて専念せよ、不思議の世界は現われる。」
これを一口で申しますと、人間の頭脳、大脳です。お医者がいう、そういう働きには違いないけれども、その大脳の働きが身に写り、心に思うことを生み出すんじゃないというのです。それは人間の心の中に昔から魂というておるが、それは固まりがあるんじゃないのであって、魂という働きがある。その魂に写る。そうして写った所の物が、人間という心の上へ悟れる力を与えるこういうことになるのです。簡単に言いますと、中々むつかしいことで、そういう話し振りしたのでは、初めてお聞きになる人はわからん位のものなのです。
これをもう一つくわしくお話しいたしますと、人間の体には、目、耳、鼻、口、体、心とこの六つあります。外の物が写ってくる窓が六つある。これを昔から六入といいます。入ってくる所が六つありますから六入というのです。
その目に写るから見えるんだ。こういう人がありますけれども、そうは言えません。耳に聞こえるからわかったんである。こう言うのです。決してそうでないのであって魂に写る。目を通して、魂に写るからわかるんだ、こう言わんならん。どうしてかと言いますと、ここに将棋好きな人が将棋を差しとるとします。そうして二人が差したりおいたり、している内に二人が、ほどようと力がいってきて、まあ、どたんばへ、もう負けるか勝つかの場合になってきている。その時分にちょっと一服せんと、こいつはむつかしい、やられた。いうてタバコを出して火をつける。
火鉢の中へとうがらし入れといても、そのとうがらしにタバコをさしつける。そうしてつかないと又おいといて、とうがらしじゃいうこと知らん。火と、とんがらしがわからん位、ちゅうになるのです。しかしながら、とうがらしを火鉢へ入れてあるのは、目に写っとります。目に写っていても魂に写っとらんから、わからんのです。 それから又一生懸命に何か仕事をし、無中にしている時に、外から呼ぶ場合がある。「だれそれさん」大きな声で呼んでも知らん顔して、一生懸命になんか仕事をしているのです。これなどは、耳には声は聞えとるのです。もっと小さな声で言っても聞えとるのです。聞えとるけれども、仕事の方に魂が向いておりますから、それは感じないのです。この魂の力ということは、とても恐しい力があるものです。この魂の力ということは、とても恐しい力があるもので、これが感じるから、目や耳からあるいは鼻から、口から、こういうものから入って来る物が、魂に感じなければ何にもならんのです。その例を一つ言うてみましょう。
ここに、大変乗り物に弱い人があります。渡し船に酔うとか、あるいは道の一キロも自動車に乗れば早、ようてしまう。こういうような弱い方があります。所が、これは実例ですが、大幸のお方です。ご主人が戦争に行っとりまして、呉へ大負傷してお帰りになったという便があった。その時にそのご主人は手も傷しとる。足もけがしとる。
どうすることも出来ない。起こして物を食べさすのも、世話人がなければ、その人はどうすることもようしないような大きなお気の毒な負傷をしとる。それを嫁さんが聞いたのです。子供しが一人あったそうですが、今は子供しが大きくなっています。その嫁さんはびっくりして、お父さん、お母さんに言うことには、「どうぞ、私を今から世話にやって下さい。」とそう言うんです。誠に覚悟しておるんには違いないけれども、「この時こそ主人の為に尽くす時でございますから、どうぞすまんけれども私をやって下さい。」そこで、家のお父さんお母さんのおっしゃるのは、「行くのはよろしいが、あんたは渡し船に酔うんじゃないか、あの八丁をバス乗ったら早酔うんでないか。それでどうして呉まで行けるか。呉まで行くのには、高松まで乗り物に乗りそれから、又船に乗り、宇野から又汽車に乗って岡山の方へ回り岡山から呉の方へは長い何時間も汽車に乗らないけない。お前さんが病人みたようになってしまうじゃないか。」ところが、嫁さんは「私は常に弱いんですけれども行けるように思います。」「だれか人をつけてやろうか」「いやもうそんなことしなくとも行けます。」えらい元気なこと言うものですから、仕方なしに嫁さんに、 「そんなら大事な時やけん行ったげるかい」「ああまいります、やって下さい。」 すぐ子をおうて汽車に乗ったそうです。所が高松まで行っても一つも酔わない。宇野連絡のあの船に乗っても一つも酔わない。宇野からずっーと岡山、山陽鉄線も一つも酔わない。そうして呉へ着くなりすぐに病院へ行って、かいがいしくお世話をしてご主人を助けたという話があるのでございます。これは実例です。
この力は何ですか、すなわちその方の魂、むつかしくいえば第八識、あるいは阿頼耶識ともいいます。本心ともいいます。その魂が早呉へ上陸しとるのです。行ってしまっとるのです。体だけが後から行きよるのですから、決してよわない。こういう力が出るのですから、この一○九条に書いてあります魂の力というのは、相当長いことになるのでございますが、その魂を磨き出すということが信仰なのでございます。そうすると 不思議の世界がそこに表われると、先生はおっしゃっとるのです。
もう一つこれをくわしく言いますとまず目の力を第一識。目を第一識とすると、耳を第二識、鼻を第三識、口を第四識、体を第五識とすると意を心、これを第六識とおいたら、その次に自分というのがありましょう。今のは六つの道具の力ですけれども、我というものは、無形のものです。それを第七識と名をつけておるのです。もう一つうわてに第八識、すなわち仏性ともいいます。神識、神の力ともいいます。本心ともいう。真如とか色々の名をつけますけれども、結局魂です。こういう風に八つの働きが、人間の体にはだれしも備わっとるのです。その第八識魂が一番大事であって、すべての働き、その外の七つのものは、属物になっている。なけりゃならんが、それを通して、魂が働いておるのです。所がその間に、第七識の自分というのがあるのです。目、耳、鼻、口、身、心の外に魂がそれを使いよる。しかしそれに自分というものがついて、自分が知らねばことがわからんのですから、自分が寝てしまうと、 何もわからないのです。その第七識というものが知らにゃならん。せっかく魂が働いても、七識が知らないとしようがない。所がその知る七識が、人間性根がゆがんどりますと、せっかく魂が働いて、六根を使うて働いて、色々のことを考えておりましても働きが鈍っていますから、ゆがんでいますから驚くように働きが起こらんのです。
これを電気にたとえてみましたならば、電気のガラスの球、それから中にともっておるタングステン、光っとります。あの光りというのが魂であってどれも同じこと光っておるのです。所がその、ガラスの球が人間の眼、耳、鼻、口、身、意に知るという意に当るのです。それがもし雲っていたらどうてす。墨で字を書いてあったらどうです。
せっかく火は同じことついても、その魂は暗いでしよう。
それと同じように魂がすべての物を知る力があり、考える力があり、力の元なんですけれども、その入ってくる所は六つじゃが、その問に魂が入ってくる道具との間に我というものが一つあるのですから、それがよごれていたら、よごれた通りにか出ないのです。これを泉先生は大事におっしゃっているのです。それで魂を磨き出す事が信仰なのである。けれども、せっかくみがき出しても、わがというものがにごっていたら、なんにもならん。これを清浄にしたならば、不思議の世界がそこに表れてくると、先生はおっしゃっとるのです。この一○九条は非常にむつかしい問題ですけれども、知れば知るほど、味があるので、どうぞ、人間性根をにごらさんように、よごさんようにせんと魂が折角働いても、何にもならんぞという教えなんです。
(昭和三十四年十一月十五日講話)
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第一一〇条 「腹を立てる、うそをいう、人を憎む、などいうことは、皆自分の身は、自分が守るより外に道がないと思う心から生まれたので、それぞれ理由は充分であるが、そのたよりにする自分というものはどんなものかという事に気がついたら目がさめる。すなわち、自分というものは、他に勝って好きなようにして行きたいという独占排他の心に外ならぬ。ところが世の中の事は、自分の思うままにならぬもので、自然の力には、かないそうにもない。そこで自分というものは、たよりにならぬものである事は、明らかになるであろう。そこで神にすがる心ができるのである。そして恵まれてはじめて喜べるので、信ずる者の外は、恵まれぬのはいたしかたがない。恵まれる事は、信ずる者より外に、味わう事のできぬ宝物である。」
これをいっそうわかりよく申しますと、なにか人間が物事にぶつかって満足する、あるいは満足しない。このわかれめは、どこから来るかといいますと、自分の気にいった時には、満足する。思うことがはずれた時には不満をいう。こういう人間には癖があるのです。それがひどければ、今度腹を立てるということになってくる。すなわち自分というものが通らなんだ時に腹が立つ。あるいはその自分というものをたてたいばかりに、物事をこしらえてうそを言う。うそをいうてでも自分の思うことを通したい。又通らなかった時には、通らなんだ人を憎むようになる。
こういう風に腹を立てるとか、うそを言うとか、人を憎むとか、いうことは、すべて自分、すなわち我です。自分の我、我というものを通そうとする性根、人はどうでもよい、こういう所から起こるものでありまして、誠に信仰の上からいうならば、貪、瞋、痴が悪い三毒であるということを聖人が言うております。なぜ悪いかと言いますと、自分をたてぬいて人はどうでもよい。すなわち、自分を助けて人をそこねる。こういう所のものが信仰の上には、非常に悪い。
もう一つこれをわかりやすくお話ししてみますと、あの学校で運動会をします。あの運動会に子供がずっと一列に並んでする走りごっこですが、「よういトン」で走った時分に、だれしも勝ちたい。もし、我が強いと、どんなことが起こるかと言いますと、前へ行っきょるものを引っ張る、前のものの帯をつかむとか、じゅばんをつかまえるとかして引っ張って後へ回しておいて、自分が先へ走ったということがあったと仮定しましょうか。これは見ておる人がおこる、ありゃ悪いことをする、だれしもがそう感じるのです。ところが勝負の世の中ですから、あの土俵の上にあがって勝負しとるように、人をこかさな勝てんということから考えますと、あの角力は力の比べやいでありまして、人をこかしてもだれも憎みません。走りごっこの時分に人をつかまえて、後へ引張るなどしないで、自分の力でかけるとよいのです。自分さえよかったら人はどうでもよいとすると、憎まれることになるのです。すもうは憎まれないというのは初めから角力でございますから、つかまえあいして、こかしあいするのが勝負なんでございます。同じ勝負といいましても意味が違います。
人間の世渡りになりましても、お付き合いの上でも、人をいためなくても、自分がもって生まれた才能、あるいは速い足、すべて自分一人がそれを使えば、それで罪はないのですけれども、自分がよかったら人はどうでもよいと、いう風に、人をいためた時に、はじめてここに罪悪が生まれるのです。ここで書いてあります通りに腹を立てるというのは、早腹の中で人をいためています。嘘を言うということになります。もう一つ今度、人をごまかしてでも自分が勝とう、ここに大きな罪があるわけです。こういうわけで非常に我というものを使こうた時分には、必ず罪悪が生まれるのです。
しからば、その我というものは、どんなものか、皆さんお考えなしてご覧なさい。自分とか、私とか、いうそのどこをつかまえて、私といえるのか、せんさくしてご覧なさい。財産が自分でもありません。名誉が自分でもありません。自分というものは、つかまえ所がないものです。そんなら、体がお前か、わしかと、体も自分でないのです。 いかに大けがして、手も足も切れてしもうて、胴中だけがある人でも、わしというものは満足にあるのです。決してわしというものは減っとりゃしません。こういう風に自分というものは、本来無形のものなんです。ないのです。 ないものをあると思う、何でそういう間違いを生じるかといいますと欲からです。われの感じをよくしよう、みえをよくしようというのであって、我というものの実質は何にもないのです。それがずっとの大昔からずーっと自分というものを、使いつけておりますから、ないものが癖になって、われというものがあるかのごとく考えとるのです。で、偉い聖者になりますと、我というものはないんだ。それを間違えて欲が出来た為に間違えて、あるかの如く考えておる。すなわちこれは迷いである。夢である。こういうのが悟りなんでございます。世の中にすべてこの動物、人間これには我があります。けれども植物とか、あるいはその他のものにはすべて我がないのです。もう一つ言い替えますと、自性がないのです。ここにお日様が照っておりましても、お日様には自性がないのです。お日様の悪口を言ってもお日様の光線はまともにあたります。又お日様を拝んでいる家だからといってそこへはお日様はよけい照りはしません。われのかわいいものが、あそこに田を植えておるから、あそこのたんぼはだいじに守ってやらんならんと言うて照っているのじゃないのです。すなわちお日様には我がないのです。そのお日様の光線や温度を上手に使う知恵をもらっているものが、それを色々に工夫してお日様によって、自分が生きていけるように工夫する、これを知恵といいます。
そういう、方面から考えますと、いかにもお日様は有り難い。すなわち自分の身につけて、利用するので有り難い人であって、お日様自身はだれそれをかわいがる、だれそれを憎むというようなことは絶対にないのです。水にしましても、その通り、火にしましてもその通り、風にしましてもその通り、こういう風に自然の動きのように人間がもしも、だれそれをかわいがる。だれそれを憎む、そういうのでなくてすべて我というものをなくして、無我の状態で人にお付き合するのであったならば、この人は聖者です。聖人です。
それでこの一一〇条に書いてありますことは、我を使うなということです。もともと我というのは無いのをあるように思うとるのです。ところがおかしいことに、この我というのが、もしなかったら大変なんです。あるんじゃけれども、それをわが身息災に使うなと、こういうことです。この我がなかったら大変じゃということを一つ例をあげてお話ししてみます。 病院へ行きまして、大手術をする場合があります。この場合いたいというのは我がいたい。我がいたいのです。
その我を寝さしてしまう為に、しびれさす薬をさしますが、におわしたり、あるいは飲ましたり、注射したりする。
麻薬です。それを体に入れますと、自分というのが無しになってしまいます。寝たようになってしまいます。その寝ておる、いたいもかゆいも知らん間にお医者さんが治療してしまうわけです。治療が済んで、今度気が付いてきて見た時分には早悪い所を切ってのけて、お医者さんがちゃんと処置してしもうているのです。これで助かるのです。
もしもその麻薬というものがなかったならば、いたいいたいというので気絶してしまいます。心臓麻痺で死んでしまいます。こういう風に、我というものをのけてしもうてもいかんのです。手術がある時分にはのけた方がよろしゅうございます。けれども、常にそれをのけておいたら働けやしません。死んだのと同じようになります。その我というものをのけてしもうたらいけないのです。その我ということを知っとる所の心を清浄にしたらよいのです。自分というものをきれいなものにしたらええ、きたないものにしたらいけないのです。
その事を一一〇条に書いてあります。そうしますと自然に大きなお陰が受かるのです。世の中の事が真っ直ぐに見えるようになります。我がないのですから、あの八正道が全部行なえるようになります。その人が見る所は見そこねがありません。考える所には考えそこねがありません。すべて、身もわかり、心もわかり、すなわち全智全能の働きが出来るようになるのです。我さえ清浄になるのならば、ここが大事な所でございまして、この信仰の教えを知り抜いて、そうして神仏を信じる者でなければ、神仏の有り難いという味はわからないのです。信仰も、お神さん、仏さんほっとけ、それは神主さんがついとる、仏さんや、ほっとけ、そりゃお坊さんがついとる。こんなことを言う人がありますが、そういう人には神仏の有り難みというのはわかりません。ここが大事な所です。先生は長い間ご修業なさっとるので、よく味わうておいでるので、こういうことをお書きになってあるのです。どうぞ幸運にいくのも不運にいくのも泣いて暮らすも、笑うて暮らすも、すべてこの我の一点にあるのです。自分というものがきれいなか、きたないかによりまして、その人は運、不運がわかれて来ます。大事なことでございますから、どうぞその意味で一一○条をご覧になるのがよいと思います。
(昭和三十四年十一月三十日講話)
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